第9話 魔王城の食糧事情
「お腹へったよーっ」
「さすがに、朝から動きすぎた」
ハイドとルイは、朝から長距離のランニング、速度を競う水泳、そしてサウナで我慢比べを終えて、疲労感を覚えていた。ルイはまだまだ遊べそうだが、人間のハイドは補給もせずにいたせいで、身体の状態は悪かった。
耳をペタンとたたむルイは、ハイドといっしょに厨房へ足を運んだ。
「あれれ、おにーさんってご飯どうしてるの?」
「この城で食事が出た覚えはない」
「なんでっ!? まおーさま、なにしてるんだろう」
「さあな。まだ寝てるんじゃないか」
ハイドは日が昇るまでリースメアと共に起きており、疲れ切って数時間だけ一緒に眠った。活動をはじめるときには、起こさずベッドに置いてきたので、まだ夢のなかだろう。
魔王城の広いキッチンには、食材の類は無かった。
食料を保存するための棚や、設備はある。調理スペースも広くとられている。しかし、使われている様子はない。壁に整列している銅のフライパンや、ソースパンに使用感はなかった。
食料保存用の冷暗所にルイといっしょに入るも、食べものはない。魔術的な仕掛けは動いており、氷まじりの冷風を吐き出し続ける壁掛けのランタンがいくつも置かれていた。
「ルイのね、お肉わけてあげるねっ」
保存室の奥に、ルイは肉の塊を置いていた。布を巻きつけて保管していたらしい。触れると冷たく固い、奥の棚は冷凍になっているようだ。
「肉か」
「あれ、お肉キライ……?」
ルイは耳を下げ頭につけると、かなしそうに言った。
「肉は好きだ。だが、いま必要なのは別の栄養かもしれない」
「お肉だけじゃダメなの!?」
「パンやジャガイモから摂れる栄養が必要なんだ」
「……でも、ないよ?」
「ああ、いま困ってる」
「うーん。シルフィーなら、なにか知ってるかも」
ハイドは同意する。
魔王城のメイドであるシルフィアならば、どこに食べ物があるか把握しているはずだ。
「シルフィーッ」
「どうしたの?」
ひょっこりと、シルフィアは顔を見せた。
昨日とは別のメイド服を着ている。今日は、スカートが短い。フリルのスカートが黒いニーソックスの上で揺れている。頭のうえにはカチューシャをのせ、首にはフリルのチョーカーをしていた。
「おはよ。……はっ」
シルフィアは朗らかにあいさつをすると、目を見開き大事なことを思い出したようにハイドに告げる。
「昨日は、お楽しみでしたね」
言いながら口元を隠し、ジト目を浮かべていた。
「……クッ」
メイドのふいうちに、ハイドは目をそらした。
「ふふっ。冗談、だよ」
「なになにー?」
「ううん、なんでもないよ。いまから、ご飯?」
「そうなの。でもね、おにーさんのご飯が無いんだよー」
「……あっ」
メイドの顔には「忘れていた」と書いてあった。
「ないかも。お城でご飯たべるの、三人しかいないから」
「ええーっ、そうなのっ!?」
ルイが、びっくりして尻尾を立てる。
「うん。食べもの、必要ないひとが多い。兵士は、骸骨だし」
「ルイとおにーさんと、もうひとりは?」
「ニンファ。でも、自分で菜園をもってる」
「りんごちゃんかあ」
ルイはエルフのニンファを、りんごちゃんと呼んでいた。
ハイドはエルフのニンファに苦手意識があり、昨晩も風呂の一件で怒らせ、殺されかけたところだった。気軽に話しかけられる相手ではない。
「今日は、防衛当番。あしたなら、買いに行けるよ」
「おにーさんっ。いまは、お肉食べて元気出して。さあ、召し上がれっ」
ルイは凍った肉の塊を突き出してくる。
ハイドは困った。ルイの好意はありがたい。しかし、肉を生で食べることに抵抗はある。しかも、なんの肉かわからない。ニワトリのような速筋繊維が多い肉であることはわかるが、サイズが大きいため判断ができなかった。
「これ、なんのお肉?」
メイドが聞くと、ルイは胸をはった。形の良いふくらみが、スポーツブラ越しに主張されている。
「ドラゴンだよー。いちばん美味しいところをね、とっておいたの!」
「変な魔力が漏れてるよ?」
「わああ、ゾンビ化しちゃう!? ドラゴンって魔力ため込むから、お肉は腐りやすいよね」
メイドが肉塊にさわると、肉が揺れる。心ばかり、色合いが明るくなったようだ。
「抜いたよ。だいじょうぶ」
「よかったあ。お肉が動いて逃げたら、どうしようかと思ったよ」
「お肉だけでも、ゾンビ化して動くの……?」
三人の頭のなかでは、肉だけになっても動く不気味なモンスターを思い浮かべた。
「うぇえ、おいしくなさそうだよ」
「見た目、イヤ」
「どこを斬れば死ぬんだろうな」
三者三様だった。
ルイは凍ったドラゴン肉を両手でつかむ。
「それじゃあ、改めて。おにーさんっ、はい。いっぱい食べていいよ」
ルイはとびきりの笑顔で、ハイドに向かって差しだした。
「ナイフとフォーク、いる?」
メイドは気を利かせて、ドラゴン肉を取り分けるつもりらしい。
「すこし待って欲しい。俺は、そのままでは食べられない」
せめて焼いてほしい。ハイドの素直な気持ちだった。
ルイには、伝わったのだろうか。
「……そっか! ニンゲンって、アゴが弱いんだ! ちょっと待ってね」
ルイは凍ったドラゴン肉に、噛みついた。
「あぐ、あぐっ。弱ってる子にはね、こうやって食べさせると良いんだよ」
かじりつき、咀嚼音を立てる。なんども丁寧に噛んだあと、ルイは両手を広げてハイドを捕まえた。
「おにーしゃん、ちゅーっ」
ルイは逃れようとするハイドを無理やり捕らえると、唇を当てた。咀嚼しドロドロになったドラゴンの肉をハイドの口へ流し込んでくる。
「……っぐ、うっ」
ハイドはルイの背中を軽く叩くが、ルイは尻尾を振っている。
――違う、違うんだ。せめて、焼いてほしかっただけなんだ
心の叫びを受けとめる者は、だれもいない。
「あっ、ルイ。焼かないと、食べられないかも」
ハイドには、メイドが天使に見えただろう。
「えーっ、そうなの!? 戻して、戻してーーっ」
ルイはハイドの口のなかへ舌をつっこむ。長い舌がハイドの口のなかを暴れまわった。
ぐちゃぐちゃになった肉とハイドの唾液すらも構わず、ルイはすべてを飲み込んだ。
「ぷはっ。危なかったねえ。ごめんね、おにーさん」
「いや、平気だ」
「……次、やりたかった。かなしい」
メイドは、唇を尖らせながら肩を落とす。
気を取りなおすと、目の前の肉を指さした。
「焼く?」
「ああ」
「……やってみる」
メイドが意気込んでいるため、任せることにしたハイド。
ドラゴンの肉を牛刀で二百グラムほどの塊に切り落とす。
――パチン
メイドが指を鳴らすと、コンロに火がつき、凍っていた肉は解凍される。
手足のように魔法を使う侍女の働きぶりは、ハイドとルイを夢中にする。
メイドが右手の指を回すと、二十センチの浅いフライパンが火のうえに飛び込み、肉たたきがリズミカルに肉を打ち、塩が肉にふられてゆく。
――パチン
メイドが指揮すると、フライパンにオリーブオイルが広がってゆき、ドラゴン肉が汗をかいたように余計な水分を吐きだす。さらに、どこからか飛び出したバターがフライパンに飛び込み、小さな泡を生んでいる。
「料理の魔法だーっ」
「ううん。見よう、見まね」
明るい金髪を小刻みに揺らしながらメイドは調理をたのしむ。
任せても大丈夫そうだと、ハイドは後ろ姿を見守っていた。
――ボンッ
「……あっ」
「わふっ」
なにか小さな異音が聞こえたが、この完璧なメイドならば処理は容易いはずだろう。
――ドン
出来上がった料理が置かれた。
「……えと、召し上がれ?」
「香ばしいねーっ」
ハイドの前に、木の皿にのせられた黒い塊が置かれた。
――なぜなのか
「……自分で食べたことないから、おいしさがわからない。おいしい、かな?」
はじめての手料理を、恐る恐る上目遣いで見つめてくるシルフィア。
ハイドの腹は減っていた。空腹という最高のスパイスがあって、愛情というスパイスも入っているこのドラゴンのステーキ。いや、ステーキだったはずの炭。
これの評価は、ハイドの胸の内ひとつで決まる。
ならば、ハイドの選択肢はひとつしかなかった。
「……グッふっ。ああ、うまいっ!!」
一口ですべてを頬張り、飲みこむ際に喉につかえても、声だけは高々に言った。
シルフィアの天使の笑みのためならば、ハイドは自分の体を犠牲にすることができた。
ハイドはシルフィアとルイを喜ばせた後、自らの腹の痛みと格闘をはじめた。
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