差別が漂う八月
エリー.ファー
差別が漂う八月
このエレベーターの落下速度に落ち着いてしまう。
急ぎではないのに、速度を上げている。
生き残る確率はない。
死ぬことが決定した落下。
たたきつけられる想像はもうやめてしまった。
死ぬのは。一階にたどり着くのはきっと十八年後。
だから、それまでの暇つぶし。
私は電話をかける。
「すまない。死ぬ」
「何がだよ。酔ってるのか」
「いや、違うんだ。体が落ちている」
「どこからどこに」
「最上階から一階に」
「あぁ、投身自殺か」
「いや、自殺ではないんだ。気が付いたら落ちていた。事故に近い」
「みんな、そう言うんだ」
「そういうものか」
「あぁ」
「なるほど」
「そう言えば、釣りに行く約束をしていたな」
「あぁ、そうだった」
「でも、もう行けないな」
「何釣りなんだ」
「八馬角魚さ」
「あぁ、塩焼きにすると美味しいやつさ」
「魚はみんな塩焼きにすると旨いんだ」
「これから死ぬやつの言葉を否定するなって」
「はは、ごめん。でも、行きたかった。本当に」
「悪いな」
「そういうこともあるさ。じゃあ、またな」
「ごめんな。また、はないんだ」
「あぁ、そうだった。そうか、そうだよな。最近、寒いよな」
「季節が変わったからな」
「そうか。そういう時期だもんね」
私は電話を切った。
会話の途中だったような気もするが、しょうがない。会話とは終わらないものである。
別の人間に電話をかける。
「もしもし」
「今、忙しいんだ」
「あぁ、じゃあ大丈夫だ」
「うん、大丈夫だと言ったのか、お前」
「あぁ。そうだ」
「ちょっと待っててくれ。今、話せるところに行く」
「いやいや、大丈夫だ」
「いいいい、移動したから大丈夫だ。どうした、何かあったか」
「今、落下してる」
「どういう意味だ」
「もうすぐ、地面にたたきつけられる」
「よく分からないが、それは死ぬのか。命はどうなんだ。問題ないんだろうな」
「今は大丈夫だ。でも、一階に着くと同時に死ぬと思う」
「警察には電話をしたのか」
「無理だ」
「分からないだろう」
「やるだけ無駄だ」
「諦めるな、バカが」
「でも」
「もがけクソゴミ。かっこつけやがって」
「ありがとう」
「そこは、どこだ」
「でも、もういいんだ」
「バカ言うな」
「もう、諦めた」
「こっちが諦めてないんだ。お前の意見は聞いてない」
「ありがとう」
「何が、ありがとうだ。いいから、どこにいるか言え」
電話を切った。
両足が床から浮かび上がってくる。
無重力をエレベーターの中で感じている。まるでダンスホールのような多幸感である。さかさまになって、首の骨をへし折って死にたい。
髄液を漏らしたい。
すごく興奮する。
また電話をかける。
「もしもし」
「こちら、カスタマーセンターです」
「今から死にます」
「お客様のお悩みを番号でお知らせください。今から申し上げます」
「でも、全然怖くないんです。何故なんでしょう。とても清々しいんです」
「一が商品の使い方、二が商品の説明、三が」
「命が散っていくのを幾つも見て来ました。自分が散る瞬間を見ることができなくて残念です。あぁ、話を聞いてくれて有難う御座います」
「もう一度最初からお聞きになりたい場合は、シャープを押して下さい」
「あなたが一番、最高の話し相手でした」
差別が漂う八月 エリー.ファー @eri-far-
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