第23話 先輩らしくない



 お酒なんて一滴も飲んでいないのに、どうしてかうちの頭はちょっとぽわぽわしていた。

 もう夜はだいぶ更け込んでいて、あと数十分で零時を回ってしまう。


 店長が突然現れて、その後一瞬で帰っていったのは、まじ謎だけど、あの後は平穏に飲み会は長く続いた。

 今はその盛り上がった飲み会の帰り道で、うちの少し前を、悟さんと森山先輩がげらげらと笑いながら歩いている。


 ちなみに優衣さんは、飲み会が終わる寸前まではたしかにいて、お酒も食べ物もじゃんじゃん頼んで飲んで食べての大騒ぎだったのに、お会計らへんになったら消えてた。

 本気でいついなくなったのかわからなかった。

 プロすぎて怖い。悪い女のお手本でしょ。

 もちろん飲み会代は全部、馬鹿みたいにご機嫌な悟さんに出して貰ったから、べつにいいんだけどね。



「いやあ~! 俺、ほんと森山好きだわ! 森山! 大好き!」


「俺も茂木さんのことは好きっすよ。茂木さんと知りあえて、俺は本当に幸運っす」


「ああ~! 溶けるぅ~! 森山と喋ってると、脳が溶けるぅ~!」


 酔っ払い、うるせぇ。

 うちは溜め息を吐いて、後ろから悟さんのふくらはぎを軽く蹴っておく。

 声でかすぎるし、なんか気持ち悪いし。


「イってぇな!? なんだよ紀夏ちゃん!?」


「近所迷惑ですよ。ちょっと声のボリューム下げてください」


「深夜の秘密のレディオタイム。暇を持て余した街が耳を澄まして、俺のファンクなトークを傾聴してるってわけか」


「リスナーいないんでただのノイズです。早く打ち切ってください」


 自転車を手押しする森山先輩も、薄らと顔全体に赤みがかかっている。

 たしかに今日は、前飲んだ時より沢山飲んでた気がする。

 相変わらず表情筋が死んだみたいにずっと真顔だけど、声の調子はいつもより上がってる感じだ。


「あ、ちょっと待って!? 俺、腹減ってきたかも! あれ!? 腹減ってきたかもしんねぇぞぉこれぇ!?」


「悟さん、とうとう気が狂いましたか。あんだけ散々飲んで食べたくせに。可哀想に。脳のどこか壊れたんですね」


 悟さんは急にお腹が空いたと騒ぎ出す。

 うちは全然、お腹空いてない。満腹だ。

 元々小食気味なので、これ以上何かを食べる気にはならなかった。


「こりゃ、締めのラーメン、ぶちかますしかねぇなおい!」


「うちは絶対行きませんよ。帰ります」


 ほんと頭おかしい。

 こんな時間にラーメンとか、意味わかんない。

 意味不明な食生活してるのに、なんで悟さんは太らないんだろ。

 なんか余計ムカついてきた。


「悟さんの望みは、俺の望みです。ラーメン、お供しますよ」


「森山、お前ってやつは……!」


 え、森山先輩はラーメン行くの?

 うーん、どうしよっかな。

 ラーメンは嫌いじゃないけど、まじでお腹空いてないんだけど。


「……いや、だが森山、お前は行け。紀夏ちゃんと二人で、先に帰るといいさ」


「どうしてです? 俺、悟さん分までラーメン食べますよ?」


「俺の分まで食べたら意味ねぇだろ。ってそうじゃなくて、ジジイの出番はこの辺までってことさ。ここから先は、若者の時間だ」


「は? 悟さん、さっきから何言ってるんですか? 悟さんとうちら、そんなに歳変わんないじゃん」


「紀夏ちゃん、がんばれよ。感謝の言葉は、要らねぇぜ」


「はああ!? だからさっきから何言ってんの!? 会話してください! 会話!」


「ひひっ! 紀夏ちゃん、ちょっとお声が大きいのではなくて?」


「うっざ! ほんとうざいんだけど!」


 ほんとに悟さんは意味不明だ。

 まじで顔だけ。

 イケメンじゃなかったら殴ってる。

 酔った悟さんの鬱陶しさには、一周回って感動しちゃう。


「わかりました。岡田さんは俺が責任もって送っていきます」


「おう、任せたぜ。お前以外に紀夏ちゃんを任せられる奴はいないからな」


「いやいや、待て待て。言っておきますけど、送ってってるのうちの方ですからね? うちは本当は電車ですから」


 酔っ払いの相手はまじで面倒だ。

 こうやってうちが駅前の居酒屋から離れて、夜道を長々と歩いているのは、もちろん悟さんと森山先輩が路上で寝ないように気にしてるからだ。

 さすがにこの冬に酔って、そこら辺で倒られたら命が危ない。

 まったく、困った年上ばかりでまじ困る。

 ほんとに勘弁して欲しい。


「まあまあ、そう照れんなって、紀夏ちゃん」


「照れてねーし」


「岡田さん、心配はいらない。俺の隣りほど安全な場所は、他には核シェルターくらいだ」


「森山先輩はうちの心配じゃなくて、自分の頭の心配してください」


 悟さんと森山先輩は、二人で目を合わせて謎のアイコンタクトをしている。

 なんだこいつら。

 頼むから誰かまともに意味の分かる言葉を喋ってくれ。


「じゃあな、お二人さん。良い夜を!」


 そして完全に酔いの回った悟さんは、何がそんなに面白いのかニヤニヤとしながら、夜の闇に消えていった。

 あっちは住宅街な気がするけど、どこのラーメン屋に行くつもりなんだろう。


「楽しい人だな、茂木さんは」


「たぶん一番楽しんでるのは、あの人自身ですよ」


 飲み会が始まる時と同じ様に、またうちらは二人きりになる。

 なんとなく話題が思い浮かばず、しばらく無言で道を歩いた。


 なんだろう。ちょっと変な感じだ。


 森山先輩は今、何考えてるんだろ。

 試しに横顔を覗いてみたけれど、いつもの無愛想な感じのままだった。


「……岡田さん、訊きたいことがあるんだが、いいか?」


「え? な、なんですか?」


 すると森山先輩が、珍しく真面目なトーンで話しかけてくる。

 いや、べつに普段からトーン自体は真面目な感じなんだけど、雰囲気がちょっと違う感じなのだ。


 え、なに急に。


 緊張する理由なんて、なんにもないのに、なんか身体が固くなる。


「岡田さんは、星に手を伸ばしたことはあるか?」


「……は?」


 でもやっぱり、森山先輩はいつも通りよくわからないことを言うだけ。

 星に、手を伸ばす。

 どういう意味だろう。

 なんかの比喩かな。



「星に手を伸ばして、届かないと泣く俺をみたら、君は笑うか?」



 酔いの残ったまま、少し酒臭い息で、それでも真っ直ぐに森山先輩はうちのことを見つめる。


 澄んだ瞳が、うちを貫く。


 強い想い映るその瞳には、どんな風に世界が見えているのかな、なんてがらにもないことを思ってしまう。


「……森山先輩らしくないですね。星を掴むくらい、わけないさって言うのが、森山先輩じゃないんですか?」


 憧れても、届かないものはある。

 欲しくても、手に入らないものがあるのは、当たり前。

 そんなこと、誰だって分かってる。

 でも、森山先輩には、そんな普通のことを、言わないで欲しかった。


「……酔いのせいか、いつもより素直に喋れている気がするな。それがいいのか、悪いのかはわからないが」


「それな。前から思ってたんですけど、ラインだけテンション全然違いますよね? あれなんなんですか? ギャップ萌えでも狙ってるんですか? さすがに差が激し過ぎだと思いますよ」


「心はメロディ。表現する楽器次第で、音色は変わるのさ」


「ふふっ、ちょっとなに言ってるかわからないです」


 思わず笑ってしまう。

 なんというか、ラインの時と普段喋ってる時の、中間くらいがちょうどいいなって感じがする。

 そんでもって、今がまさにそんな感じ。

 いつも、これくらいなら、うちだってもっと素直に森山先輩のこと好きになれるのになー。


 ……っては? ちょっと待って。


 いま、うち、なに考えてた?


 いや! いやいやいや! ないから!


 もっと素直に好きになれるってなに!?


 べつにもっと好きになる必要ないし! 


 そもそもうちはずっと素直だし!


「どうした? 岡田さん。急に顔が真っ赤だぞ?」


「う、うるさい! 真っ赤になんてなってないです!」


「ん? なってるぞ? 俺の目に間違いはない。俺の瞳に映る岡田さんは、いつだってありのままだ」


「ありのままとかやめろし! その言い方ちょっときもいんでやめてください!」


 やばいやばい。

 自爆した。

 悟さんと森山先輩のお馬鹿が空気感染したのかもしれない。

 なにを一人で焦ってんだうちは。


「うち! もう帰ります! そろそろ家近いですし! これくらいでいいですよね!?」


「まあ、そうだな。そろそろ家につく。すぐそこだ」


「すぐそことか、そういう情報いらないんで! まだ! そういうのは早いんで!」


「そういうの? どういうのだ?」


「あー! だめだ! うちも酔っ払いました! 帰ります!」


「お酒飲んでないのに、何に酔ったんだ? 俺にか?」


「黙れ酔っ払い! はやく家帰って寝ろ!」


 急に森山先輩にまつわる全てのものが恥ずかしくなってきたうちは、この辺りで先輩とはお別れする。

 やっぱりだめだ。

 この人といると、どこか調子が狂う。



「送ってくれて、ありがとう。おやすみ、岡田さん」


「……おやすみなさい、先輩」



 森山先輩の目を見れなくなったうちは、そのまま背を向けて一人になる。


 空を見上げると、雲一つない夜に星々が煌めいていた。


 かざすような形で、星に手を伸ばす。


 うちの手は届かないけれど、星の光はちゃんとうちに届いている。

 


 不思議と今日の夜は、寒さを感じなかった。



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