第21話 何も知らない



 津久見さんがやってくるまでの間、とりあえず岡田さんと二人で軽く飲み会を先に始めておこうということで、駅前近くの居酒屋“すけべかつちきん”に入った。

 僕はこれまでバイト先の飲み会に参加したことがなかったので知らないかったけれど、バイト先の飲み会でよく使われる場所らしい。

 岡田さん曰く、このお店の串カツと焼き鳥は絶品とのことだ。


「それじゃあ、乾杯。お疲れ様でーす」


「(乾杯です。お疲れ様です)乾杯チアーズ、俺にまつわる全ての人と物よ、ご苦労」


「ふふっ。なんですかそれ。相変わらず大袈裟ですね」


 うん。なんなんだろうね。ほんとにね。

 きっと頭がおかしいんだろうね。

 岡田さんが掲げた烏龍茶のグラスに、僕はハイボールをこつんと軽くぶつける。

 正直あんまりお酒を飲む気分ではないというか、気落ちし過ぎてしまっている気がするが、どうせすでに体調不良なら多少飲みすぎても変わらないだろう。

 半ばやけになっている僕は、威勢よくグラスを一気に半分にする。


「おー、いいですね、森山先輩。いい飲みっぷり。うちもお酒強ければなー」


「(うっぷ。岡田さんはお酒弱いんだっけ?)Oops! 岡田さんは酒と仲が悪いのか?」


「変な英語のスラングの使い方やめて。うちはお酒全然ダメなんですよ。でも女子って、ちょっとくらいお酒弱い方が可愛くないですか?」


「(えー、どうだろう。お酒の強さは関係ない気がしますけど)さあ、どうだろうな。お酒の得意不得意で、その可憐さがくすんだりはしないさ」


「……ふーん、そうですか。まあ森山先輩は変人なんで。先輩の意見は参考にしません」


 とうとう面を面を向かって変人扱いされてしまった。

 何も否定できないのが、非常に悲しい。

 むしろ同意しかできない。

 外から見たら、僕以上の変人は中々見つからないだろう。


「へいお待ち! 焼き鳥盛り合わせと、梅キュウね!」


「わあー! 美味しそう!」


「可愛いお嬢ちゃんのために、焼き鳥多めにサービスしといたよ!」


「ほんとですかぁ!? ありがとうございますー!」


 料理を運んできてくれた店主に、岡田さんが僕と話している時とは二トーンくらい高い声で応対する。

 こういう時、美人の子は本当に得だなと思う反面、一方的な可愛い女の子としての反応を求められているような気がして、素直に羨ましいとは思えなかった。

 顔とかじゃなくて、きっと性格なんだ。

 僕が岡田さんと同じ外見をしていても、同じ人生は送れない。

 岡田さんの内側にある柔軟性や寛容さが、彼女を魅力的にしているのだろうなと思った。


「……なんですか。もしかして、猫被んなよとか思ってます?」


「(いやいや、思ってないよ。岡田さんは好かれべくして好かれてると思っただけで)まさか、思わないさ。岡田さんは好かれるに値する人だからな」


「はぁ、森山先輩って誰に対してもそんな感じですよね。森山先輩が思ってるほど、うちは性格良くないですよ」


 店主が奥に戻った後、岡田さんはジトッとした目で僕を見やる。

 箸で器用に焼き鳥の串を外しながら、岡田さんはどこかやさぐれた雰囲気を出していた。

 もう一度、ハイボールを口に含んで、僕はとりあえず炭酸で喉を鳴らしておく。


「ちょっと前に元カレがお店来たじゃないですか? さすがにあそこまで激しいのは初めてでしたけど、わりといつもあんな感じなんですよね。最後は喧嘩別れっていうか、友達に戻れないんです」


 ぽつり、といった感じで岡田さんは喋り出す。

 僕はなんと返せばいいのか、わからない。

 なぜなら、僕には恋愛経験がまったくないから。

 友達に戻れないもなにも、そもそも友達以上はおろか友達すらつくれたことがほどんとないのだ。


「よく言われるのは、そうですねー。俺のこと見下してるだろとか、馬鹿にするなとか、そういうのいつも言われます。でも実際たぶん、心の底で思ってるんですよ。こんな性格の悪いうちの彼氏になるとか、馬鹿だなって」


 それは複雑で厄介な考え方だった。

 きっと僕は勘違いをしていた。


 岡田さんは頭が良くて、可愛くて、皆の人気者。

 それは岡田さんの魅力から考えれば、当然のこと。

 そして、自身の魅力を、岡田さんもよく理解して、正しく活用していると思っていた。

 

 でも、どうやらそれは違ったみたいだ。

 岡田さんの中には、どこかで周囲の人を騙している感覚があるらしい。


 損な性格をしているなと、僕は何様なのかわからない感想を抱く。

 騙せるなら、騙してもいいと、僕は思う。

 何も心の内側だけが、人を本質を表しているわけじゃない。

 外から見える岡田さんだって、ちゃんと岡田さん自身なのだから。



(皆の人気者の岡田さんも、心の奥で周りを馬鹿にしてる岡田さんも、僕はどっちも岡田さんだと思います。実際僕を含めたほとんど人は、岡田さんほど賢くないですから)


「俺が見てる岡田さんも、俺に見えない岡田さんも、どっちも岡田さんだよ。それに岡田さんみたいな綺麗な人に馬鹿にされるなら、本望さ」



 僕からすれば、岡田さんはそれでも憧れの人に変わりはない。

 僕が他人を馬鹿にしたり、見下したりしないのは、実際に僕が馬鹿で他の人より下にいるからだ。

 少しくらい、他人を上から見下ろせる場所に立っている人の方が、輝いてみえるもの。

 それはちょっとした角度の問題で、醜い一面だとは思わない。

 僕にとって岡田さんは、いつだって綺麗な人だった。


「……ふふっ。なんか、森山先輩って、不思議な人ですね。森山先輩と喋ってると、なんか楽ちんです。心の内側で馬鹿だなって思うんじゃなくて、面と向かって馬鹿ですねって言いたくなる」


「(褒めて、くれてます?)お褒めに預かり、感謝しよう」


「馬鹿ですね。褒めてないですよ。貶してるんです」


 岡田さんは、ほんの少しいつもより柔らかく笑う。

 やっぱりその笑顔は、僕なんかには到底届かないような輝きを帯びていて、僕はそれを羨ましいと思う。


「まったく、森山先輩くらいお馬鹿さんだと、生きるの大変そうですね。もし森山先輩に彼女ができるとしたら、たぶんよっぽど頭がよくて、器量の大きい人じゃないと、関係が成り立たなそうですね。先輩に中々彼女ができないのも納得です」


「(まあ、そうですよね。僕みたいな駄目人間に彼女とかむりですよ。もしできたら、それは本当に女神か何かだと思います)一理あるな。俺という器は大きすぎて、大抵の人では愛を注ぎきれないだろう。仮に恋人ができるとしたら、目には目を、歯には歯を、俺には女神を、だな」


「その諺の使い方、絶対間違ってますよ」


 砂肝をもきゅもきゅと食べる岡田さんは、口元を楽しそうに緩ませる。

 僕はあっという間に最後の一飲み。

 そろそろハイボールをおかわりする時間みたいだ。


「……なんかいないんですか?」


「(え?)ん?」


「だからその、気になる人、みたいなの」


 岡田さんはまだ烏龍茶をちびちびと飲んでいる。

 僕は自分の分だけの飲み物の注文を済ませ、ぼんじりをつつく。


「(気になる人ですか……)俺の目を惹く、奴か」


 ぼんやりと前を見ながら、考える。

 ぱっと思いつくのは、友達にすらなれなかったあの人のこと。


 今更僕は、あの人に、恋人がいたのかどうかすら知らないことに気づく。


 僕は、何も知らないままだ。

 笹井ハルのことを、何も知らない。


「……ちょ、ちょっと、なんですか。そんな黙り込まないでくださいよ」


 思い出すのは、天ぷら蕎麦を美味しそうに啜る笹井さんの俯き気味の顔。

 思い返せるのは、ポテトチップスで出来た恐竜を楽しそうに見つめる、笹井さんの横顔。

 思いよぎるのは、僕に別れを告げる時の、つらそうな瞳。


 どうして、笹井さんは、あんなに苦しそうだったんだろう。


 知らないこと、わからないことばかりだ。

 僕は笹井さんの隣りで、いったい何をしていたのだろう。

 本当は、もっと知るべきことが、あったのだろうか。


「あ、あの……さすがにむりですよ? む、むりっていうのは、絶対むりとかそういう意味じゃなくて、いきなりすぎるっていうか、このタイミングで急にガチられても、すぐ返事できないっていうか……」


 ふと気づけば、なぜか岡田さんが焦ったように視線を右往左往に彷徨わせている。

 まずい。

 つい考え込んでしまって、話をまったく聞いてなかった。

 岡田さんが何か喋っていたのはわかるけれど、中身をまったく覚えていない。

 どうして、そんなに恥ずかしそうに顔を赤らめているのだろう。

 僕はとりあえず、聞き覚えている最後の台詞である、気になる人がいるかどうか、という質問に対して返事をしようと口をひらく――、




「森山あああああああああ! どこだあああああああああ! 森山伊秋うううううううおおおおおおおいいいいいいいい!!!!!!」




 ――ガラガラガッシャン! としかし唐突に耳を劈く絶叫が聴こえて、僕は完全に舌を引っ込める。


 本能的な、死の予感をかんじた。


 ちょうど二杯目のハイボールをもってきた店主が、怯えた顔をして、僕のテーブルに捨てるようにグラスを置くと、凄まじい速度で店の奥に引っ込んだ。


 店の入り口に立つ、耳の裏まで刈り上げたベリーショートの金髪の痩せた女性。

 片方の鼻の穴と、両耳にピアスを空けたその女性は、僕と視線を合わせると、寒気のする微笑みをニッコリと浮かべる。


「えへへ。みーつけた、森山くぅん?」


 過呼吸。

 僕はどうやって肺で息をするのか、やり方を急に忘れてしまう。

 よく見ればその女性は脇に、ヘッドロックをするように男の人と女の人を抱えている。

 その二人は両方ともぐったりとうなだれていて、男の人の方が茂木さんに似ていて、女の人の方が津久見さんにそっくりで、僕は死を覚悟した。



「あたしの飲み会はいつも断る森山くん、みぃつけた」



 真っ赤なワイシャツ一枚に、黒のスキニーという、おおよそ冬とは思えない薄着の女性は、両脇に死体を抱えたまま、僕の方へ近づいてくる。

 最悪だ。

 先を見越したのか、僕の心臓が一足先に静かになる。



「じゃ、飲もっか、森山?」



 がちがちと歯を鳴らす僕は、その女の人――店長に、首を縦に振る以外の行動ができないでいた。



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