第20話 やっぱり女の子は難しい



 笹井さんに永遠の別れを告げられた後、僕は亡霊のようにイベント会場内を三十分ほど彷徨うと、真っ直ぐと家に帰った。

 本当は僕にチケットを無料でくれた、あの心優しい青年に挨拶をしたかったのだけれど、彼は見つからなかった。


 家に帰る途中、地下鉄に揺られていると、津久見さんから《もう帰っちゃった!?》という連絡が入り、《すいません。もう帰りの電車です》、とすぐ返信をした。

 すると、二駅ほど電車が走った後に、《じゃあ今日、飲みいかない? 紀夏ちゃんは夜なら空いてるらしいから》とさらに連絡がきた。


 ありがたいお誘いだ。

 めったに他人から食事に誘われることのない僕からしたら、いつもだったら断ろうとなんて絶対しないだろう。

 でも、どうしても今日は飲む気にならなかった。

 なんだか、胃の調子がとても悪い。


 まだアルコールの一滴も身体に入れていないし、乗り物酔いもしないはずなのに、とにかく今すぐ横になって眠りたい気分だったのだ。


《ちょっと今日は体調が悪いので、すいません。お誘い頂きありがたいですが、またの機会にお願いします》


 なんて駄目な奴なんだ僕は。

 断りのメッセージを送りながら、僕は心底自分を軽蔑する。

 せっかく津久見さんが誘ってくれたのに。


 頭痛がするので、目を瞑る。

 電車の気持ち悪い揺れだけを感じる中、瞼の裏に笹井さんの絵が浮かぶ。


 僕は本当に馬鹿だ。


 どうしてこんなつらい気分になる?


 わからない。


 星に手を伸ばして届かないからといって、何をそんなにやりきれない思いを抱える?


 わからない。

 わからない。

 わからない。


 逃げるように目をあけても、車両内の電気がやけに眩しく感じて、酷い頭痛は増すばかり。

 それから何度か停車を繰り返した電車から降りる時に、もう一度僕はスマホを確認してみる。

 津久見さんに送った断りのメッセージに返事はなく、試しに確認してみれば既読すらついていなかった。




 家に帰った後は、ひたすらに眠っていた。

 やけに眠りが浅く、何度も目が覚めた。

 その度に水道水を飲んだけれど、まるで喉は潤わない。

 それでも他に何もやる気が起きず、僕はひたすらに効率の悪い睡眠を繰り返した。


 そうやって過ごしてから、何時間経っただろう。


 気づけば、灯りをつけていなかった部屋は真っ暗になっていて、知らない間に夜のとばりが落ちてしまっていた。


 ……ん?


 すると僕は、ふとスマホの画面が暗い部屋の中で点灯していることに気づく。

 

 誰だろう。


 僕に連絡を送ってくる人は限られている。

 そういえば、津久見さんから飲み会を断った後の返事が来ていなかった。

 僕は津久見さんを不機嫌にさせてしまったかどうか、少し怯えながら画面を見る。



《森山先輩、まだですか? 遅刻なんですけど》



 え?


 は?


 なにが?


 僕に連絡を送ってきた相手は予想外にも津久見さんではなく、連絡先を交換した日以来、一度もやりとりをしていなかった岡田さんだった。

 

 遅刻って、なんのことだろう。


 すーっと頭に粘っこい汗が流れ、笹井さんに絶交を告げられてから鈍りに鈍り切っていた頭が休息に覚醒していく。


 約束なんて絶対にしていない。

 だけど微妙に心当たりがある。


 僕は急いで津久見さんとのトーク画面を確認する。

 案の定、まだ既読がついていなかった。



(最悪だ)


「最高だな」



 僕は迷う。

 どう考えても、僕が飲み会を断ったことが、津久見さんに伝わっておらず、結果岡田さんにも伝わっていない。

 最悪の事態に備え、僕は急いで顔を洗う。


《今日、優衣さん遅れるらしいんで、森山先輩が来てくれないと、うち、ずっと待ちぼうけなんですけど?》


 ヒィッ!

 やられた。

 もうほとんど首なしイシュウだ。


 最悪の事態はまさに現実となっていた。

 この流れから、すいません今日行けないですとはとうてい言えない。

 かなり印象の悪いドタキャンになってしまう。

 さすがにそれは失礼過ぎる。


 実際はドタキャンじゃないんだけど、岡田さん視点からすれば、ドタキャン以外の何物でもない。

 僕は自転車の鍵を取ると、スマホと財布だけ持ってそのまま部屋を飛びだす。


《は? なんで無視なんですか? 既読ついてますよね? 喧嘩売ってます?》


 鬼のように追撃のメッセージが岡田さんから飛んでくる。

 すごい怖い。

 岡田さんってこんなツンツンした性格だったかな。

 なんだか僕と知り合ってから、加速度的に岡田さんの口撃力が上がっている気がする。

 とりあえずは謝らなければ。


《すいません! 今自転車乗ってます! 遅刻してすいません!》


 そう打ち込みながら、今更気づく。

 そもそも、待ち合わせ場所ってどこだ。

 何も考えずに自転車に乗ったけど、どこに向かえばいいんだろう。


《許さないです。こんな夜に、美少女JDを駅前に一人ぼっちにさせるとか極刑ですよ》


 アアッ!

 極刑ダっ!

 僕は死んだ。


 亡者となった僕は、バイト先の最寄り駅まで、自転車をかっ飛ばす。

 ちょっと無謀な運転だったけど、どうせ僕は死ぬのだから、関係ないだろう。


 夜の街を、猛スピードで駆け抜けていく。

 冬の冷たい風が頬を乱暴に撫でつけ、乱れる息が白く色づく。

 さっきまであれほど重かった身体が、不思議と少し軽くなる。




「……遅いですよ、森山先輩。うちを待たせるなんて、百年早いです」




 きぃっとブレーキをやかましく鳴らし、僕はぜぇぜぇと言いながら自転車を降りる。

 駅前はそれなりに明るく、人通りもまだまだある。

 そんな中、白いマフラーを首に撒いて、不機嫌そうに僕を睨む小柄な美少女。

 僕は精一杯申し訳ない顔をして、寒さのせいか鼻頭を紅くする岡田さんのところに近寄っていく。


「(遅刻して本当にすいません。ちょっと寝過ごしちゃって)俺は時間に縛られないんだ。ただ本当に悪いとは思っているよ。ベッドがどうしても俺を抱き締めて離さなくてな」


「はあ~? 第一声がそれですか? どう考えても悪いと思ってないじゃないですか。優衣さんとイチャイチャしてただけのくせに」


 岡田さんは大変ご立腹だった。

 そもそも僕は、今日が何時集合なのかも知らない。

 だけどそんな言い訳を今したら、本格的に岡田さんから細胞レベルでNGをくらってしまいそうなので、大人しく黙っておく。

 そして、こういう時は、なるべく言葉数を少なくするのがベストだ。

 僕はけっこうテンパって言葉数が多くなる傾向があるけれど、喋れば喋るほどイキってしまう。

 最低限の言葉に抑えて、最低限のイキリに留めよう。


「(岡田さん、お待たせして本当にすいませんでした)岡田さん、寂しい思いをさせたな。俺の全てをかけて償うつもりだ」


「べ、べつに寂しいとかそういうんじゃないですから! 人としてどうかって話ですよ!」


 だめだ。

 またつまらぬことでイキってしまった。

 どうやってもイキってしまう。

 岡田さんは顔を真っ赤にして声を張っている。

 僕は彼女の意見に全面的に同意だった。


「(本当にすいません)心から俺の謝罪の気持ちを伝えたい」


「……もう。わかりましたよ。今回だけ、特別に許してあげます。だいたい、優衣さんの方が酷いですしね。なんですか、自分から誘ってきておいて二時間くらい遅れるって」


 嘘だろ。

 津久見さんは僕の想像を遥かに超えて自由だった。

 ということは今から、岡田さんと僕は最低二時間は二人っきりということか?

 むりだろそれ。

 場が持つ気がしない。

 ビンタの二つや三つは覚悟しておいた方がいいかもしれない。


「でも、うち、さっきの発言忘れませんからね」


「(え?)ん?」


「とぼけたって駄目ですよ」


 すると一転、岡田さんは小悪魔ちっくな微笑を浮かべて、僕を上目遣いで見つめる。

 吸い込まれるような感覚。

 僕は生唾をごくりと飲み込む。


「さっき、全てをかけて償うって言いましたよね?」


「(いいえ、言ってないです)ああ、言ったぞ」


 言ってない!


 絶対言ってないよ


 本当に僕は言ってないのに!


 言ったのは僕じゃないのに!



「本当に森山先輩の全部、貰っちゃいますからね?」



 ぐいっと顔を近づけて、岡田さんは甘い香りで僕の鼻腔をくすぐる。

 年下とは思えない妖艶さにあてられて、弱々しい僕は何も言えない。

 さっきまで見るからに不機嫌だったのに、今はどこか楽しそうだ。

 

 やっぱり女の子は難しい。


 コンマ単位で変化する気持ちの変化に、僕はまるでついていけていなかった。



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