Why japanese……?

豊科奈義

Why japanese……?

 いわゆる死後の世界。

 人間が死んだあと──一部の動物も来れるらしいが、辿りつける場所がある。

 地球ではないし、宇宙でもない。じゃあどこなのかと問われれば誰もが口を噤んでしまうようなそんな世界に、転生局という部署があった。

 転生局はその名の通り、異世界転生を司る部署である。

 そんな転生局の一室に、転生者を異世界へと導く役目を担う新人女神がいた。目の前に座る日本人の話を聞きつつ顔を引きつらせながらだが。

 けれども、業務は業務。無理に笑顔を維持する他ない。


「異世界とやらは、元いた世界と酸素濃度が同じなのかい? 仮に同じだったとしても一酸化炭素等の有毒物質が溢れていたりしたらたまったものじゃない。転生はできない」


 女神の目の前にいる日本人は、転生に関して質問はあるかと聞くなり息継ぎもせずに一心不乱に話し始めたのだ。どうやら前世では科学者をしていたらしい。かれこれ数時間は一方的に長文を投げつけられお決まりの返事で返答することが先程から続いており、これからも延々と続きそうであった。


「いえ、空気中の物質の量・割合ともにあなたが元いた世界と何一つ変わりありません」

「そうか、なら次だ。自然放射線は同じかい? あと重力はどうだい? 太陽の重力は地球の約28倍。そちらが太陽と同等かそれ以上という可能性も決して否定はできない。転生するなり重力で潰されるなんていやだよ」

「重力については、あなたが元いた世界と何一つ変わりありません」

「そもそも、そちらの世界にオゾン層はあるのかい? いくら生前の世界と似通っていたとしても紫外線が強すぎで皮膚癌なんていやだよ」

「オゾン層はあります。なので、紫外線のことも心配しないで大丈夫です。それどころか、フロンガスが使用されていないのでオゾンホールも空いていません」

「太陽で思い出したけど、そちらの世界に太陽に相当する恒星は今の話から察するにあるのだろうけど、ちゃんとハビタブルゾーン──」


 丸一日以上だろうか。

 途中までは女神も真摯に受け答えしていたが、途中から面倒になりただ「元いた世界と何一つ変わりありません」と返答するだけどロボットと化していた。

 そして、ようやく日本人の質問攻撃が終わると女神は早く終わらせたいがためか笑顔でこういった。


「──それでは、よき人生を」


 言い終わるなり、目の前に日本人は一瞬でどこかへと消えていった。


「あ゛あ゛ぁ~」


 日本語で表現することが難しいような、それでいて『あ』のような珍妙なうめき声を出しつつ女神はその場に倒れた。


「死ぬかと思った……。いや、女神は死なないけども……」


 セルフツッコミをしつつ、女神は立ち上がる。転生者と対面する部屋で休憩してもいいのだが、床が固くてうまく休めそうにない。休憩中に新しい転生者が来てしまったときにみっともない姿を見せることになってしまうということもある。

 ゾンビのようにフラフラ動きながら『休憩室』と書かれた室名札のついている部屋へと入る。そのままベッドに一直線に向かい膝を折ることすら忘れ硬直したままベッドに倒れ込んだ。


「大丈夫? 相当やられたみたいね」


 そうピクリとも動かない女神に声をかけたのは、いわゆる先輩に当たる女神だった。

 女神は錆びついた機械のように震えながら顔を動かし先輩の方を向いた。


「まぢきつい……。なんなんですかね、日本人って」


 いまだ声の調子が戻らないのか、掠れた声を出して日本人への思いをぶちまける。


「さ、さあ……?」


 経験がないのか、先輩は返答に困り気味だった。

 とはいえ、今回のは日本人の中でも珍しいケースだった。けれども、女神からすればどいつもこいつも精神的にきついという点では大した差はなく皆一緒に思えた。

 ただでさえ人間より高位の存在である女神からすれば、人間の区別が難しい。生まれたてかどうかくらいはわかるが、老若男女の違いは正直わからなかった。


「私は基本的に対応はしないからこうやって現場の話を聞けて新鮮よ。それより、さっきの仕事内容見てたけど途中間違えてたわよ」


 先輩は、休憩室に置かれているディスプレイを指差した。

 ディスプレイが置かれているのは、対応を可視化することで転生者へ誠実な対応をしているのか確認するためである。


「科学的な話だったけど、途中から異世界のことについて聞かれてたわよ? 「異世界の貨幣について教えて下さい」に対しあなた「元いた世界と何一つ変わりありません」って答えてたわよ」


 ベッドに顔を突っ伏している女神の顔色は正直伺えなかった。しかし、先輩から注意されたのに全く動じる気配を見せないのもおかしい。

 上司はベッドに突っ伏している女神を起こすが、目を開けたまま気絶していた。


「……。まあいいわ、すぐにまた新しい人が来るから、頑張りなさい」


 そう言って、先輩は気絶したままの女神を置き去りにしてどこかへと戻っていった。



「お、お待たせしました……ぜぇぜぇ……」


 女神がベッドに顔を突っ伏して数時間。ふと意識を取り戻すなり、すでに仕事の時間だったことに気づくと大急ぎで支度をして日本人の対応をする部屋へと戻った。

 女神という高尚な名とは対称的に、目の前の女神は犬のようにパンティングをしている。そんな光景を見て、日本人は自身の中にある女神という概念がひどく揺らいだ。


「えっ……ああ、うん。……で、私は異世界に転生するんですかね?」


 日本人は、女神的な何かに、話しかけた。

 日本人が自分自身が転生することを知っているのは、この女神と対面する前に事前に受付の別の神から簡単な説明を受けたからであった。


「ええ、そうなんですよ。これから簡潔に説明いたします」


 女神は、転生先の異世界について説明した。中世ヨーロッパもどきであること、剣と魔法の世界であること、ステータスがあること。

 なお、転生先の世界にはいろいろある。先程の丸一日以上かけて日本人が送られた世界とは、若干の違いがある。ステータスがその代表例だった。


「『ステータス』って口にすると目の前にホログラムみたいなのが浮かび上がるんですよ」


「え? どういう原理なんですか?」


 音声に反応しているのか、あるいは音声に含まれる周波数的なものに反応しているのか。それとも、声を出すときの口の中の動きなどに反応するのか。日本人は、すっかり考えるのに夢中になってしまった。

 女神は、その日本人の様子を見て「またか」と内心嘆きつつ、話しかける。


「まあまあ、そんなことどうだっていいじゃないですか」


 女神は、質問攻撃をできれば避けたいと思い質問しないように誘導する。


「どうでもよくないですよ! そんな科学で解明できない世界なんて、私は行きたくないんですよ!」


 日本人は、怒鳴り声を上げて女神に迫った。

 この日本人はなぜこんなにも謎を解きたいのか。きっと、質問攻めになるに違いない。

 ただでさえ、昨日女神はおびただしい数の質問を投げかけられて精神的に参ってしまったのだ。

 女神とて、思わず感情が高ぶってしまった。


「じゃあ聞きますが、あなたは生前の世界を全て科学で紐解けるんですか? では試しに人間よりも遥かに細胞数の多いはずの動物が癌になる確率は人間と大差ないピートのパラドックスについて説明してください」


 女神は途中から早口になり目の前の日本人に当たってしまう。しかし、八つ当たりをしていることに気づいたがもう遅い。気がついたときには、すでに全てを言い終わった後だった。


「あ……」


 日本人は黙ってしまった。

 もしや、自分は怒らせてしまったのではないだろうか。そんな不安が女神の中に生まれる。転生直前、女神から説明をされた人物はアンケートに答え、女神の態度などを聞かれる。評価が悪かった場合は、当然女神の給料にも響いてくるのである。


「……。何事もわからないものはわからないのです。さあ、試しに「ステータス」と唱えてみてください」


 話をそらせようと、別のことに注意を向けることにした。

 女神は部屋の壁に掛かっているボタンをいじり、今いる部屋を転生先の世界と変わらない条件にする。


「ステータス」


 日本人は、渋々唱えた。すると、目の前にホログラムのようなものが表示される。

 無事に言ってくれたところを見るとそれほど怒っていないのかと思い女神は一息ついた。


『名前:未設定

年齢:未設定

性別:未設定

HP:1/1

──』


 日本人は、このステータス画面を見た瞬間、一つの疑問が生じた。しかし、この疑問は先程の疑問とは比べ物にならないほど奇妙なものだった。


「なんで日本語なんですか?」


「はぁ?」


 思わず、女神も気の抜けた返答をしてしまう。


「なぜステータスは日本語で表示されるのでしょう」


 日本人だから、日本人が作ったから。そう考えるのが妥当だが、生憎ステータスは転生先の世界では物理法則。人工的なものに日本語が記されているならまだしも、自然現象に日本語が記されているのはおかしい。

 日本人はそう言いたいのだ。


「そういうものなんでしょ……。そういえば私、日本人以外担当したことないや……」


 女神は、最初に配属されたのがこの日本列島担当係だった。日本列島に住む95%以上は日本人であり、日本語を母語としている。少数の非日本人も、日本列島に住んでいる以上少なからず日本語が喋れる。だからこそ、たまに非日本人に当たることもあったが彼らとも日本語で通じ、ステータスのある世界へ送る際には平然と日本語が登場していた。女神は、一度たりとてそこに違和感を覚えることなどなかった。


「もし日本語以外の言語を母語としている人がステータスと唱えればそれは別言語で表示されるのか……? いや、そもそも別言語では『ステータス』と言えばいいのかさえわからない。表示の鍵となる単語が異なる可能性だってある」


 何か一人で納得しているようだが、よくよく考えてみれば興味をそそられるものだった。思わず、女神もその疑問が引っかかってしまい考えてしまう。


「仮に母語だとしたその基準は? マルチリンガルの場合、『ステータス』という言葉によって複数の言語に変化する? ……いや待て、文字がない言語だったらどう表示されるんだ!?」


 地球上の言語は大部分が文字を持ち、文字が元々なかった言語ですら他言語の文字を借用している。しかし、転移先は異世界なのだ。

 近代化により世界の一体化が進んだ地球とは大きく異なり、まだ中世ヨーロッパ風の世界。当然中には文字がない言語だっているだろう。そうなった場合ステータスに匹敵する言葉を唱えた場合ホログラムには何が表示されるのか。

 そんな思いで、日本人の頭はいっぱいだ。


「駄目だ……わからん。それに関して情報はないのか」


「ええっと……。生憎、心当たりがございません」


 一応新人女神はマニュアルを丸暗記させられるのだが、さすがにこんなことは載ってなかった。


「うーん。……というかこのホログラム相手から見れるよな。そうなると日本語が表示されて──待て。私は異世界の言葉も知らなければ文字も読めないぞ!」


 自然科学ばかりに気を取られ人文科学に考えが及ばなかった日本人は、とんでもないことを察した。

 当然だが、異世界では日本語が通じるわけもないのだからどう生活していけばいいのかと。

 しかし、女神は落ち着いた様子で答える。


「安心してください。異世界では基本的に地域差などはありますが日本語が用いられ、使用される文字もひらがなカタカナ漢字の三種類です」


「……は?」


 まさかの事実に、日本人は目が点になるほどの驚倒を見せた。


「気になりすぎて異世界転生どころではないな……」


 日本人は、女神の目の前に座るとあぐらをかいてそのまま考えに徹する。一見死んでいるのではないかと思えるほどに熟考している姿を見て、疑問が解決しないと異世界に言ってくれそうにないなと思うのであった。



 結局、日本人は異世界転生に同意してもらえず、なぜ日本語なのかわからないと異世界に転生できないの一点張り。

 ピートのパラドックスと同じでは? と聞いてみたのだが、日本語が表示されている以上必ず人が関わっている。そうなれば必ず紐解けるはず……とのことだった。


「図書館にあるかな?」


 女神は、転生の間を抜け出して古今東西あらゆる書物が保管されている図書館へと向かった。


「でも、日本語だもんな……」


 ホログラムに表示されたのは確かに日本語。数字はアラビア数字。いくらなんでもこれを天然のモノだと言うには無理があった。


「むしろ逆なのでは……?」


 アルファベット、ギリシャ文字、キリル文字など史実の中世ヨーロッパでも異なる文字が使われていた。しかし、異世界はなぜか言語が違えど文字は統一されていた。

 そこで女神が考えたのは、作られた文字がホログラムに取り込まれたのではなく、むしろホログラムに表示された文字を人間側が文字として流用したということである。

 なお、なぜホログラムに日本語が用いられているかについては考えても無駄な気がしてきたためひとまずおいておく。


「いや、さすがに無理があるか」


 一つくらいホログラムから文字を取り込んだ文明もあってよさそうだが、世界には無数の古代文明があった。よりにもよって、全ての古代文明が同じようにホログラムから文字を取り込んだというのも無理がある話だ。ホログラムの文字とは異なる文字を発明して普及させた文明があってもなんのおかしくもない。


「いや、その国家が覇権国家だったとしたら……?」


 ホログラムから文字を取り込んだ国家が、勢力を拡大。世界征服を成し遂げたというのであれば充分に考えられる。非ホログラム由来の文字を何かと理由をつけて禁止すればよい。

 言葉はそう簡単に変えられるものではないが、文字くらいだったらすぐにでも変えられる。長い間支配していれば根絶も可能だろう。

 ひどく考えに耽りながら歩いていると、通路の最奥部に到着し図書館と書かれた室名札が目に入った。


「考えても切りがないし、調べてみますか」


 女神は図書館の中に入ると、備え付けのPCに表示されているオンライン蔵書目録OPACから資料を探す。


「……なんて検索すればいいんだろう?」


 いくら検索に便利な機械があってとしても、なんと検索すればよいのかわからなければ意味がない。

 日本語と検索すれば教育用の本や、言語学的に見た日本語の本ばかり。異世界のことを検索すれば、文化や統計年鑑などは出てくるが言語については何も出てこない。


「あ、そうだ」


 なぜ日本語が異世界で使われているのかに夢中ですっかり頭の片隅に追いやられていたが、ホログラムの謎もできれば解かなければならない。試しにホログラムについて調べてみるが、やはり表示されない。

 結局、女神は図書館で調べることを断念した。

 女神は、図書館からの帰り道日本人になんと説明して異世界転生に同意してくれるかと考えていた。


「いっそのこと強制的に……いや、アンケート結果が最悪になる」


 強制的に送ることもできるが、アンケート結果が最悪になり給料に響きかねない。目を閉じ、腕を組み、歩きながら考えるも何も答えが出てこない。


「はぁ……。こんなとき先輩だったらどうするんだろう?」


 ふと女神は呟いたのだが、その声に反対方向から来てちょうどすれ違おうとしていた人物が反応した。


「呼んだ?」


「ん?」


 女神は、立ち止まると声がかかった方向へと向き目を開ける。そこにいたのは、先輩だった。

 ちょうど女神とすれ違った際に、自分のことが呟かれたため特に考えもなしに声をかけたのだ。


「うえぇへっ!?」


 まさか本人に聞かれるとは女神も思っておらず、変な奇声を上げてしまう。


「何か考え事? 相談に乗ろうか?」


 奇声を上げている相手にまず最初に掛ける言葉ではないだろうが、気軽に話しやすいということの裏返しでもある。


「あ、はい。お願いします」


 二人は休憩室に向かうこととなり、その道中女神は日本人のこと、ホログラムのことなどを事細かに話した。


「──というわけなんですよ」


 休憩室に入って立ち止まった後も続けられた話を聞き終わると、先輩は大きく息をついた。


「なるほどね……。で? その資料見たいの? 確かあったはずだけど」


「ええ。そりゃ見れるものなら見たいですよ。でも、話聞いてました? OPACで調べましたけど該当無しでしたよ」


「まあそうだよね。だってその資料、禁書扱いだからね。で、どうする? その資料? よし、見よっか」


 問題発言を平然と口にすると、落ち着いた様子で休憩室を出ていった。

 問題発言に呆気に取られていた女神だったが、先輩が休憩室を出ると急いでその後をついて行った。


「先輩? どういうことですか?」


「そのままの意味よ。実は私、資料の閲覧許可下りている」


 理由はわからないが、許可が下りているとなれば別に探りを入れる必要などない。内心なぜ先輩が閲覧許可を持っているのかは非常に気になったが、それらを心の中に潜める。


「あっ図書館……」


 女神はてっきり図書館に入るのかと思ったが、図書館の入り口の隣にある何も書かれていない小さな扉へと入った。


「ここって勝手に入っていいんですか?」


「いいわ。少なくとも、この部屋には何もないから」


 部屋の幅は非常に狭く、人一人が入るのがやっとの狭さだった。そのまま何もない部屋を奥へと進んでいくと、施錠された扉が見えた。


「開けるわね」


 慣れた手際で先輩は解錠する。そして、ドアノブを捻り開けて中へと進んでいった。

 女神もその扉の中を通るが、細長い部屋から一転して巨大な部屋に踏み入れていた。移動書架が部屋中を埋め尽くしている。

 先輩は、中へと進んでいくと一冊の本の元へと一直線に向かい手に取ると女神の元へと向かった。


「はいこれ」


 恐る恐る題名を確認するが、そこに書かれていたのは『異世界C-7黎明期に勃興した文明における日本語の普及の記録』というわけのわからない文言。

 否、女神は意味は理解できるのだ。だが、理解したくないという気持ちが強く働いたのかもしれない。

 ゆっくりとこの本のページを捲った。


『本日、大陸東部の大河川にて興った文明を制圧。日本語を用いるように要求した。旧来の言語による痕跡は、地名や人名、生物名などに限るものとする』


「思わなかった? なんでこいつら日本語使っているのに人名とか地名がどう考えても日本語由来じゃないよねって」


 先輩が、女神の持っている本を後ろから覗き見ながら声をかける。

 確かに、先輩が言っていることは少なからず疑問に思っていたのだ。そして、次のページを捲る。


『調査員が、古代言語の文字盤を発掘。直ちに粉砕した。また、識字率向上のため学校を開設するように仕向けた。なお、現地政府の財政を圧迫させることで我々への軍事行動を抑制させる狙いもある』


 女神は、本を閉じた。これ以上読みたくないという思いが強かったのだろう。


「あら? もう終わり。じゃあ他にも何か見る?」


 笑顔で聞いてくるが、なぜ先輩はそんなに平然としているのかがわからなかった。


「……なんでこんなことしたんですか? というか、誰がこんなことを……」


 女神は、意味がわからなかった。なぜこんなことが実行されているのかと。

 自分は面倒臭がり屋であると、女神は自覚している。けれども、善悪の判断くらいは身につけている自信があった。


「だって、異世界転生するなら言葉を覚える努力をするなんて、おかしいでしょ?」


 何がおかしいのだろうか。そんな思いで女神の頭はいっぱいだ。

 そもそも、先輩はどうしてしまったのだろうか。

 衝撃の事実に加え、先輩の言動。女神はひどく混乱していた。


「異世界転生はやっぱり楽しくないとね?」


 先輩は、笑顔だった。

 だが、その笑顔が女神はとても恐ろしく感じられた。


「まさか、日本人の転生者に楽させるために強制的に異世界をまるまる日本語化したんですか? 確かに、日本人の転生者にとって負担は少なくなるかもしれませんけど……これは酷すぎます!」


 女神は、名指しで先輩を非難した。もちろん、先輩が直接関わっているとは思っていない。ただ、先輩はこの事実を知ってるにもかかわらず平然と受容し、擁護している。女神にとっては、先輩も同罪だと思えた。


「……へぇ」


 朗らかな印象が強かった先輩だったが、その顔から笑顔は失せ見下したような冷たい視線が女神に刺さる。


「言葉、おかしいと思わなかった?」


「ええ、おかしいと思っていますよ。なんで日本語が異世界で強制され──」


「ちがうちがう」


 先輩は女神を数歩素通りしながら、女神の言い分を遮る。


「違うって何がですか?」


 女神は、先輩の方へと振り向いた。


「だって今私たちが話している言語だって日本語じゃない」


 先輩は、ゆっくりと女神へと振り返った。だがその光景は、推理小説によく出てきそうな殺人犯そのものだった。


「え……? あっ……」


 だが、女神は先輩の様子にいろいろ思うところはあれど口にするほど落ち着いてなどいられない。

 女神は、いつも使っている言葉が言葉が当たり前過ぎてそれが日本語だと認識していなかった。だからこそ、日本語という単語が会話で飛び交っていたとしても日常的に使っている言語とは別の日本で使われている言語という認識でしかなかった。


「じゃあなんでここでは日本語が公用語なんだろうね……?」


 先輩は、女神の耳元で囁いた。ひどく恐ろしさを感じる言い方だ。こんな言い方をするということは、先輩はその理由を知っているのだろう。


「先輩……あなたは一体何者なんですか!?」


 女神は拳を強く握りしめると、立ち上がり先輩に問いかけた。


「私? 私はね……」


 先輩は答えを渋りながら女神に背を向けた。


「日本人なんだよ」


 ふと、先輩は呟いた。

 声量は小さかったが、この部屋の中には誰もいない。当然女神にも聞こえていた。


「は?」


 だが、理解するのは困難だった。


「この世界はね、全て虚構なの。病死寸前の人物ばかりを集めて、魂を吸い出し虚構の世界で生かし、そのデータを取っているの」


「つまり……どういう?」


 概ね、言いたいことは理解できた。だが、理解したくないという気持ちのほうが遥かに上回っている。だからこそ、認められない。直接言葉を聞かない限りは。


「あなたはね、データなのよ」


 その瞬間、女神の存在が不安定になった。そして、一秒もたたぬうちに女神というデータは消滅した。


「全く、人工知能も発達しすぎると問題ね……」


 そう呟くと、先輩はメニューを開いた。ステータスと同じ、ホログラムに表示されている。

 そして、『ログアウト』と書かれたボタンをタップする。その刹那、先輩は跡形もなく消え失せつい先程まで女神が歩き回っていた転生局は時が止まったかのように静まり返った。

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