(2)

 姫子ひめこ。それは私が恥じ入るにはじゅうぶんな、ファンシーで格調高すぎる名前。これが己を識別するための名称なのだと思うと、私は消え入りたくなるほどの恥ずかしさを覚える。


 だって仰々しいし、まず似合っていない。


 私の身長は成長期にぐんぐん伸びて一八〇センチメートルと、成人男性の平均身長をも上回っている。


 これで黒髪ロングストレートが似合うような美人であれば、「姫子」という名前も似合うだろう。しかし私はそうではない。


 私は見るに堪えないほどのブサイクというわけではないだろうが、間違っても「姫」という漢字が似合う美人ではないのはたしかだ。


 そしてサークルの「姫」みたいな愛嬌もない。我ながら何事も冷めた目で見てしまう可愛げのない人間だと思っている。


 本物の「姫」であれば、白馬の王子様も現れるだろうが、私にはそんな機会は一生訪れないだろうと断言できる。


 対する妹の華子はなこは、文字通り「蝶よ花よ」と育てられた――クソ妹だ。


 両親に倣って馬鹿の一つ覚えみたいに私をけなすことしかできないクソ妹だ。


 華子も、かわいそうな人間ではあった。両親から溺愛されるだけされて、世間で生きて行くための大切なことなんてひとつも教えてもらっていない。「優しい虐待」という言葉を知ったとき、真っ先に頭に浮かんだのは華子のことだった。


 しかし「それはそれ、これはこれ」というやつである。


 私にとって華子は、両親と同じクソみたいな存在であった。両親の教育の賜物とは言えど、それだけで今まで華子にされた仕打ちを忘れることなんてできない。


 身体的虐待は私のほうが背が伸びて、それなりにやり返すようになってからはなくなった。


 だが精神的虐待はずっと続いていたし、そこまで対処するほどの余裕は私にはなかった。


 異世界に拉致されたのは、高校卒業と同時に家を出る算段をつけていた矢先のことであった。


 私が一晩で異世界で生きて行くと腹を括れたのは、ひとえにクソすぎる家族のいる元の世界に帰りたくなかったというのも、大いに関係している。


 異世界で貴重なDom性として仕切り直しのリスタート。これは今までまったく運が向いてこなかった私に舞い込んだ、特大の幸運だと思い込むことにした。


 だがどういうわけだろう。私のことをだれも知らない異世界に、なぜか華子がやってきた。


 もちろん理由はわかりきっている。「異世界人ガチャ」に巻き込まれて、この異世界に拉致されてきたのだ。


 そこまではまあ、わかる。Dom性に「変換」されたということも、まあわかる。そういうこともあるだろう。


 けれどもなぜ――異世界に来てまで私のことを罵ってくるのだろうか?


「悪女ってだれのこと?」

「ヒメコのことらしいよ」

「わけわからん」

「かわいそうな人なんだよ……きっと」


 私たちの進行方向に現れて、渡り廊下の中央で弁慶のごとく立ちふさがる華子。


 そんな華子を見て私を挟むようにして立つアダムとエイブラムがヒソヒソとそんなやり取りをしている。


 ――まあ、たしかに色々な意味で華子は「かわいそうな」子ではあるけれど……。


 私はそんなことを思いつつ、一歩前へ出る。当然、華子と距離が縮まる。華子は鼻の穴を膨らませて言ってやったぞというような、妙に偉そうな態度で私を見ていた。――が。


「ちょ、ちょっと! なにスルーしてんのよっ」


 華子の横を通ってしまえば、私の背中に彼女の大声がぶつかる。


 けれども私は無視した。次の授業に遅れるわけにはいかない。次の時間の基礎魔法学では小テストが行われることが予告されている。私たちは早く教室へ行って復習に勤しむつもりだった。


「予鈴も鳴ったし、君も次の授業へ行ったら?」


 アダムよりは気の優しいエイブラムが華子に声をかけているのが聞こえた。


 私は振り返り、できるだけ感情を殺して「早く行こう」とエイブラムに声をかける。


 それだけでエイブラムはなにかを察したのか、華子に軽く会釈をして私とアダムのいる位置へ追いつく。


 ちらりと見えた華子の顔は屈辱に赤くなっていた。それを見ても溜飲は下がらない。そういうわかりやすい華子の表情の変化は、元の世界でもよく見たものだったからだ。


 華子は「ああ言えばこう言う」「|一《イチ)言えば一〇返ってくる」を地で行くタイプの人間だ。その手の人間は相手をせず無視するに徹したほうが、こちらの精神衛生上良い。


 そういうことをよくわかっていたので、私は華子の登場に内心ではおどろきつつも、顔には出さずに無視したわけである。


「ヒメコの知り合い?」

「『言いたくない』って言ったら、察してくれる?」

「なるほど」

「まあ、さっきの感じからして地雷物件っぽかったもんね……」


 基礎魔法学の教室で私を挟み込むように着席したアダムとエイブラムが、いたわるような目でこちらを見る。


「ヒメコかわいそー。悪女とか言われちゃって」

「慰めてくれる?」

「それってどっちで?」


 アダムが含みのある言い方をする。


 私は思わず微笑んで「じゃあ放課後、私の部屋で」と告げる。


「アダムを呼ぶならぼくも……」

「もちろんいいけれど。今日は激しくなるかも」

「……激しいほうが好きだから……」

「それじゃあエイブラムも来て」


 アダムよりはあけすけな話題を苦手とするエイブラムは頬をほのかに赤くしてうなずいた。


 ふたりと放課後のPlayを取り付けた私は、現金なことに気分があっという間に上向きになる。


 浮ついたお陰で基礎魔法学の小テストは微妙な出来であったが、ふたりとのPlayを思うとあまり落ち込みはしなかった。

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