8

 外套がいとうを着ずに出てきたのだ、あの路地裏にたどり着くころにはすっかり冷え切ってだんをとることしか考えていなかった。


 どうしてそう思ったのか、あの子に会いに行こうと、ここに来た。この雪の中、今夜も母ちゃんを待っているのだろうか。


 雪灯ゆきあかりほのあかるく、暗い路地裏を照らしていた。しかし冬は容赦なく、寒さが薄れるものでもない。


 なかば雪にもれるように、少女はあの場所でしゃがみ込んでうつむいていた。近づくとそっと顔を上げ、か弱い声で「お兄ちゃん」とオイラを呼んだ。


「待っていたんだよ、いつ来てくれるかと」

「ごめんよ、もっと早く来ればよかったね」


 あの空き家に行こう、と誘うと少女はうなずいてよろよろと立ち上がった。服は ―― あの時のままだ。あの『可愛いでしょ』と少女が自慢したあの服 ―― 季節はとうに変わっているのに。


 寒さのせいか、それとも何か別の理由があるのか、少女はひどく弱っているように見えた。足元のおぼつかない様子に、たまらず、ひざをついておぶさりな、と言うと少女は素直にオイラの背に体を任せてきた。


 軽い・・・この年頃の少女はこんなに軽いのか? 


 そのままあの空き家に連れていき、かろうじて雪が積もっていないベッドの上に運んだ。薄汚れた毛布の上に更にクローゼットからボロボロの毛布を取り出して少女を包んでやった。自分の寒さは忘れていた。


 何でオイラは外套を着てこなかったんだろう。この薄っぺらい毛布より、親方が買ってくれた外套は上手に少女を暖めてくれただろうに。後悔したが今さらのことだ。


 なにか燃やせないかと部屋を見渡す。床はレンガだ、何かを燃やしても火事にならないよう火の周りに燃えるものを置かなければ何とかなる。そうだ、火の周りを雪で囲もう。


 立ち上がろうとすると少女がそでつかんだ。「行かないで」と涙ぐんでいる。やっとのことで袖を掴んだのだろう。その声と共に少女のやせ細った手がベッドに落ちる。


 どうする? 少女はかなり弱っている。服があの時より大きく見えるのは作り直したからじゃない。あの時あった『ぎ』は今も同じ場所にある。少女がせたのだ。


 ろくに食べさせてもらってないのかもしれない。それにこの寒さ、この雪の中で何時間過ごしているんだろう。限界が近いかもしれない。


「大丈夫、たき火をするだけだよ」


 どこにも行かない、とは言えなかった。たき火をしたら安全を確認して、すぐ親方を呼びに行こう。親方ならこの子を助けてくれるはずだ。


 ほどこしはよくない、親方の声が聞こえそうだが、オイラの給金を前借りしてでも少女を助けたい。この子は昨日のオイラだ。


 幸いガタガタのクローゼットは簡単にたきぎになってくれた。たくさん出た木屑はいい火付けになった。自分が戻るまで燃え続ければいい、そんな量の薪をくべて火力を調節した。抜けた屋根も今は却って好都合に酸素を送り込んでくれ、雪は降り続いたが火を消す勢いはない。


「たき火がついたよ、これで少しは暖かくなる」

 話しかけると少女はかすかに笑った。


「何か食べられるものを持ってくるから少しだけ一人でいられるかい? 食べたいものを言ってごらん。手に入れば持ってくる」


「行かないで」

少女は繰り返した。

「すぐに戻るからね、そう言って母ちゃんはもう三日も帰ってこない」


その間、何を食べていたんだい、家の中には入れないのかい?


「母ちゃん、家の鍵は閉めて行ったんだ。ここで待ってろ、って。だからアタシずっとあの場所にいたの」


その間、雪しか食べてない。


 ―― 売られたオイラはまだマシだった。生きていくすべを与えられていたのだから。捨てられたら、置き去りにされたら、こんな少女が一人でどうやって食べていけばいい?


 いや、待て。捨てたんじゃなくて何かの事情で帰ってこられなくなっただけかもしれないじゃないか。少女の母ちゃんも今頃少女を心配して泣いているかもしれないじゃないか。


「母ちゃんが帰ってくるまで元気でいなきゃだめだよ。きっと母ちゃんはちゃんと食べてるか心配しているはずだ」


少女の気持ちを明るくするよう、できる限り元気な声でオイラは言った。


「だから今は何か食べなきゃ。オイラは本当にすぐに戻ってくる。この先の通りを真っ直ぐ南に行った広場の一角にオイラの家があるんだ。そこまで走って行って食べ物を持って帰ってくる。本当にすぐだよ。ほらほら、何が食べたい? 遠慮せずに言ってごらん」


少女の答えに分かった、とだけ答えた。無理だ、などと本当のことは言えない ――


 少女は「母ちゃんのスープが欲しい」と言った。

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