6

 初めてその男を見たのは、重く垂れこめた雲がそろそろ雪を落としそうな、そんな日だった。


「向こうの通りにいい店を見つけた。売りに出てるんだ」

夜更けに上機嫌で帰ってきた親方が酒場から連れてきた男だ。


「その店は、俺とお前と、そしてこいつが番頭になって切り盛りする。気合入れて行けよ」


 番頭になると言うその男は親方よりも二つ三つ若いくらいか。ぐるりと家の中を見渡すと、オイラには目もむけず、今夜の寝床を親方に尋ねた。


「2階の手前の部屋を使うといい。奥は俺の部屋、ボウヤ(機嫌がいいと、と言うより酔っぱらうと親方はオイラをそう呼んだ)はいつもの台所の続き間」


 それじゃオヤスミ、とさっさと親方は自室に行ってしまった。眠くてたまらなかったのだろう。


「親方のお古でいいなら寝間着を出せるけど。それ以外は親方に聞かないと勝手には出せないんだ」


突っ立っている男に話しかけると、やっと男はオイラを見た。


「小僧、お前、この店に来て何年経つ?」


数か月と答えると、口の中で何かぶつぶつ言った。ならば知らないな……と聞こえた。


 そのまま二階に上がり宛がわれた部屋に入る男を見送って、オイラはオイラの部屋に戻った、胸騒ぎを感じながら……


 何しろ不愛想ぶあいそうだった。翌日から男は親方と一緒に店に出るようになったけれど、番頭さんとも手代の兄さんともろくに口もかなかった。


 大丈夫なんですか、と番頭さんが心配そうに親方に聞いたけど、親方は大丈夫と言うだけで取り合わなかった。


「今度出す店はヤツと共同経営だ。今は少しこの店で勉強してもらってる」


自分の店となれば自覚も出てきてちゃんとお愛想も言えるようになるさ。


 愛想がないのもそうだけど、オイラはヤツの目つきが気に食わない。あの目は『客』がオイラを見るときのギラギラした目だ。獲物を狙う目だ。


 あの目でいつも親方を見る、と言うより観察している。気に入らない、最初の日に感じた胸騒ぎが消えない、悪い予感がする。


 夕飯の時、親方とヤツが話すのは新しい店の話ばかりだ。それを聞いているとヤツが共同経営すると言うのは本当の話のようだ。ただ、二人の資金を合わせても目当ての店の値段には少し足りないらしい。


「両替商に借りられないか?」

 ヤツが親方に言う。

「なに、すぐ店は繁盛して返せるようになるさ」


「おいおい。商売はそんなに簡単じゃない。お前だって一度は自分の店を持ったんだ、わかっているだろう」


 どうやらヤツは一度自分の店をつぶしているようだ。それからは細々ほそぼそ行商ぎょうしょうを続け、何とかまた店を持ちたいと金を貯め、そして再起を掛けてこの街に来て、酒場で親方と出会ったらしい。


 店を出したいが、もう少しだけ資金が足りない、そんな話で意気投合し、だったら二人で一つの店を出そう、一つの店で二つの商品を商っちゃいけないなんて法はない、とあっという間に話はまとまった。男は糸を売っているらしい。


 ある日ヤツが言った。

「なぁ、この小僧、高値で売れるぞ」

悪い冗談はやめておけ、親方がたしなめる。


「まぁな、客寄せにもいいけどよ―― 惜しいよな、これで黒髪黒い瞳、あるいは金髪に青い瞳なら小さい店の一軒くらい買える値段がつくぜ」


親方の怒鳴り声に流石さすがにヤツも黙る。


「いいか、そいつは俺が立派な商人に育て上げるんだ。だいたい俺は人買いじゃない。二度と馬鹿なことは言うな」


「わかった、わかった、そう怒るな、冗談だよ」


世の中には自分の子を売る親もゴロゴロいるってさ、捨て台詞を吐くとヤツは自室に戻った。


「気にするな」

親方はオイラにそう言ったが、親方のほうが気にしているように見えた。


 翌日、親方とヤツが資金繰りに行くと留守にしたとき、

「アイツ、信用できるのか?」

と番頭さんが聞いてきた。


「家じゃどうなんだ? やっぱりあんな感じでだんまりなのか?」

俺もそれ、気になる、と手代の兄ちゃんも話に加わった。


「オイラにゃわかんないよ、そんな難しいこと。でも、いつも親方と新しい店を出す話をしてる」


「親方も人がいいからなぁ。お前をここにおいているのも親方の人のよさが、いい方向で出ているんだけどよ。今度ばかりは裏目に出そうで心配だよ」


「お店を出すってどれくらいお金がかかるの?」


 昨夜から気になっていることを番頭さんに聞いてみた。


「そうさなぁ、小さい店なら俺の給金の三年分くらいかな」

って、いくらくらいか聞きたかったが番頭さんの給金を聞くようで気が引けたのでやめた。


「あのね……」恐る恐る昨夜の『黒髪に黒い瞳』の話をしてみた。手代が飲んでいた水を吹きこぼし、目を丸くしてオイラを見つめた。


「確かにな、そんな子は値が高くなるって噂は聞いた事がある」

切り出したのは番頭さんだ。


「だがな、安心しろ。親方がお前を売り飛ばすなんてありえない、万が一お前が自分を売って金にしろと申し出ても、あの人は絶対断る」


なぁ、お前、可愛がってるスズメがいるよな。あれが高値で売れると知ったらさ、とっ捕まえて売り払うかい? そんなことしないだろう? 番頭さんはオイラの不安を見抜いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る