5.巨星堕つ

5.巨星堕つ その①:純なる殺意

 5.巨星堕つ


 私は瓦礫の中で目を覚ました。


 いや、「目を覚ました」という表現は適切でないのかもしれない。脳と遠隔操作していた身体のとでもいうべきだ。


 ロクサーヌやグィネヴィアは先に自力で瓦礫の下から脱出したらしい。アヴィエラも、ロクサーヌが庇ったので無事だったそうで、ヘレナのもとに身柄を引き渡しにゆくと擦れ違った時に言っていた。


 マネの力も借りながら身体を瓦礫の中から脱出させ、脳ミソと再合体させるべく方位の確認のために周囲を見回していると、私は瓦礫の山の中に思わぬものを発見する。


「……こんなところにいたのね」


 それは真っ黒に焼け焦げたルクマーンの死体だった。


 原種オリジネスの力は絶大だった。なにせ、たった一歩踏み出しただけで本拠地アジトとその上の内海をめちゃくちゃに撹拌かくはんしてしまったのだから。


 だが、そのような大き過ぎる力を人の身に降ろした代償は重く、ルクマーンの死体は生前の見る影もないほどに損壊していた。眼も耳も鼻も歯も髪もなく、服の着せられていない真っ黒なマネキンのようだった。


「ゔ、アぁ゙……」

「ッ――まだ、生きてるの?」


 死体死体と言ったことを謝罪しなければならない。彼は、まだ懸命に生きようとしていた。


「生ぎてる、ざ……僕は、治癒魔法の腕も抜群なン゙だ……でも、それもここらが限界、かな゙……」

「……楽にしてあげましょうか?」

「い、いや゙……必要、な゙い……」

「そう……」


 私はドカッとその場に座り込んだ。


 ――早く戻って来いよ、リン。燃料が心もとないぜ。

 まだ余裕はあるでしょう。


 急かすマネを宥め、私はルクマーンの顔をじっと覗き込んだ。


 今、一人の才気溢れる若者がこんな瓦礫の山に埋もれて、社会から相応しい名誉も称賛も受け取ることなく静かに没しようとしている。ならば、せめて今際の際まで付き添ってやるのが、死に追い込んだ側の責務ではないか。ふと、私はそんな風に思ったのだ。


「残念でならないわ。アンタがその才を世のため人のために生かしてくれたらと思うと……やりきれない気持ちで胸が一杯になる」

「も゙う、やってる゙……」

「そうね。ちょっと前なら『ふざけるな』とでも怒鳴りつけたかもしれない。けど、今は……アンタの言うことにも一理あるんじゃないかと思い始めている」


 あんなものを見せられては考えを改めざるを得ない。遂に人間は創造神の御業の一端に触れたのだ。〝あれ〟を思い返す度に、ぞわぞわとした感動のようなものが胸に湧き上がってくる。


 正直に言おう、私は酔っている。


 眩いばかりの原種オリジネスの輝きに心を囚われ、ルクマーンの放つ進化の匂いに酔い痴れている。確か、『理想郷ユートピアは革新の中にこそある』……だったか? けだし金言ではないか。


 まあ、それでも殺すしかなかったとも思っているのだが。


「――それだけに、この結果は残念よ」

「これ゙で、終わりじゃない……! 僕の亡き後は、必ずやソーテイラー様が為遂しとげてくだざる゙……! 君も゙、考えを改めたのな゙らソーテイラー様のも゙とへ……!」

「……確信しているのね。彼が逃げ切ったと」

「当たり゙前だ……!」


 私がこうして焦った様子もなく余裕ぶって敵の死を見送るところだけを見れば、ソーテイラーは逃げ切れず捕縛か殺害されたのだと思ってもおかしくない。なのに、ルクマーンはそう言い切った。きっと、根拠などはないのだろう。


 彼ほどの天才が、全幅の信頼を寄せる人間とはどのような人物なのか。あの短い会話だけでは、ソーテイラーという人間の全てを読み取ることは出来ない。


「ふぅ……嘘をつく意味もないし、死者に手向けを送る訳でもないんだけど……良いわ、白状しましょう。我々はソーテイラーを取り逃がしたわ」


 決して取り逃がしたくはなかった相手であるが……しかし、天才カリスマだけで何ができるだろう。もう、〘人魔合一アハド・タルマ〙の術が発展することも、その他の何か革新的なものが出てくる訳でもない。出来て精々、他国へ逃げ落ちるぐらいのことだろう。


 しかし、そんなことは口が裂けても言わない。


「アンタの望みは繋がったわ。だから、安心して逝きなさい……」

「そう、か……」


 会話が途切れ、遠くから微かに聞こえる瓦礫の崩れる音と水の流れる音だけが場を賑わした。耳を澄ますと、ルクマーンの呼吸が徐々に浅く、間隔が長くなってゆくのが分かった。


 もう間もなく死ぬ。


 その時、不意にルクマーンの口元が動いた。


「聞け……」

「なに?」

「借り゙を作ったまま死ぬ゙のは……悔いが残る……返してから゙、死ぬ゙……」


 殊勝なことだ。彼の言葉通りならば、これが彼の遺言になる。一言一句聞き漏らすまいと私は彼の口元へ耳を寄せた。


「『ツォアル』へ、行け……に゙……」

「ツォアルに……?」

「家族が、居るだろう……」


 何でそのことを知っているかはともかく、家族を持ち出すとは穏やかではない。どういう意味かと問い質す前に、ルクマーンが堰を切ったように喋りだす。


「王党派から゙も、諸侯派から゙も……遠い貴族だからこそ、ツォア゙ル侯を頼ったのだろうが……失敗だった……同じ理由で、彼を疎んじるもの゙たちがいる……それは……民宗派、ではなく……」

「ッ――まさか!」


 私の頭に過ぎったのは、作戦前に見た煽動家アジテーターとそれに熱狂する民衆の姿だった。まさか……まさかとは思うが、此度の彼らの標的はツォアル侯なのではないか? ルクマーンはそれを警告しているのではないか?


(――しかし、ツォアル侯は自由主義貴族。そんな馬鹿なことがあるか!?)


 否定したい。否定したいが、今際の際にそんな意味の分からない嘘をつく必要性も分からない。私が、ソーテイラーが逃げたことを教えたように。彼もまた真実を言っているのではないか……?


「行け……! 早く……ッ!」

「――礼を言うわ!」


 真実だ。彼の言葉は間違いなく真実だ。


 直観だが、そう悟った私はすぐさま身体を中身の方へ向かわせた。それと同時、中身の方も身体の方へ向かって動かし始める。


 道中で合流した中身と身体を合体させつつ、今度はツォアルへ方向転換する。


 並行して燃料も掻き集めてきたので、私は惜しみなく解放バーストを使って瓦礫の上をかっ飛ばした。


 程なくして、内海のほとりに沿うように敷かれた線路が見えてくる。この線路を辿った先にツォアル駅があり、そのすぐ近くにツォアル侯の屋敷はある。


 私は線路に沿って全速力で北上した。


(見えた――ツォアル侯の屋敷!)


 一際大きいその屋敷は遠目にも目立つ。それを視認した時点で私は線路を離れ、屋敷へ向かって一直線に駆けた。


 近づく度に大きくなる喧騒が、私の不安を掻き立てる。


 まさか、本当に奴ら――いや、そんな筈がない。

 貴族の屋敷を襲撃し――馬鹿を言うな。

 家族に何かあったら――ムウニスがいる。


 だが、ルクマーンは――。


「ヒャァッホォォーゥ!」


 こんがらがる思考を断ち切るかのごとく、楽しくて楽しくて仕方がないという心からの叫声が耳朶を叩く。


 あれは――何だ。


 屋敷の前にまで辿り着いた私は、眼の前の景色が信じられず暫くその場に立ち竦んだ。まるで祭り事の時みたいに眼を爛々と輝かせながら歓声を上げる人々が、夢中になって取り囲むは何だ。


 長槍パイクの先に刺し貫かれたあれは、人の――手、か?


 やがて、認識に思考が追い付く。彼らは、本当にツォアル侯の屋敷を襲撃したのだ。あの手が誰のものかは分からないが、既に犠牲者が出てしまっているらしい。


「ぐっ……無学な貧乏人どもめが! ツォアル侯は自由主義貴族だぞ……!?」


 切り替えろ、犠牲者が誰なのか想像してはいけない。

 切り替えろ、今すぐに動き出して生存者を探せ。

 切り替えろ、切り替え――。


(ああ……駄目だ……)


 私は見た。

 既にことを、この眼で見てしまった。


「『守る』って……言ったじゃない……」


 ツォアル侯、ママ、ヤエルとロニエル、そしてムウニス――バラバラにされた彼らの死体が、また別の長槍パイクの先で踊るように何度も突き上げられていた。


「なに、負けてんのよ……」


 恐らく、暴徒の中に月を蝕むものリクィヤレハが混じっていたのだろう。それが民宗派か、『怒れる民アルガーディブ』のようなまた別の集団に所属するものか、それとも『寄合エクレシア』のような一個人なのかは分からない。


 だが、月を蝕むものリクィヤレハでも混じっていなければ、あのムウニスが一般人を相手に遅れを取るものか。


「――凱旋だ! 王都へ向かおうぞ!」


 誰かがそう叫ぶと、地鳴りのような歓声がそれに応え、暴徒たちは長槍パイクを掲げたままぞろぞろと王都へ向かって行進を始めた。


 ――アイツか!


 暴徒たちを先導する男に私は見覚えがあった。アイツは、昼頃に広場で演説をぶちかましていた男だ。あの煽動家アジテーターに違いない。


「――殺す! 殺してやるッ!」

「うん? ――おい、あの制服! 魔女ウィッチだ! 見習いだが魔女ウィッチが居るぞ! 殺せ!」


 声を上げた私が暴徒の一人に発見されると、すぐさま人々の群れの中から魔力の気配が幾つも吹き上がる。


 間違いない――やはり、月を蝕むものリクィヤレハがいる。


 次の瞬間、まるで獲物に群がる肉食動物のように、暴徒の中から数え切れないほどの異形の群れが現れ、私に襲いかかってきた。


「ハッハー! 魔憑きの先生方、頼んますぜ!」

「やっちまえー! ヒャーハハハハハ!」


 暴徒の一部が月を蝕むものリクィヤレハによる魔女見習い殺戮ショーに興味を惹かれて分離し、その場に留まる。だが、そう易々と期待通りの光景を見せてやるつもりはない。


(――邪魔だ、雑魚どもッ!)


 民宗派の戦闘員ガーズィー高等戦闘員ラーカーンと鎬を削ってきた私にとって、それは子供を相手取るようなものだった。実体化した剣で数体ほど斬り伏せてやれば、後の奴らは面食らって遠巻きに様子見を決め込むばかり。


 素人同然のカス――だが、こんな奴らでも数だけは居る。もし、誰かを守りながら戦えば、例えグィネヴィアほどの馬鹿げた魔力量を持っていたとしても、いつしかその魔力は底をつくだろう。


 ……今の私のように。


「リン、落ち着いて聞けよ。もう燃料が底をつく。今すぐに本陣へ戻って補給と治療を受けろ。でないと、死ぬぞ」

「――家族の仇を前にして、難しいことを言う!」


 私が暴徒たちの先頭を目指そうとすると、異形たちは慌てたように再び襲いかかってくる。


 慕われているとでもいうのか? 煽動家アジテーター風情が。


「ふざけるな、殺してやるッ!」

「リン、駄目だ! 今は諦めろ!」


 戦闘を引き連れて迫る私はそれはそれは目立ったことだろう。暴徒たちの先頭を行く煽動家アジテーターも振り返って、暴徒の後方を騒がす私の存在に気が付いた。


「おおおおおおおおおおおおおあああああああああああ!」

「――クハハハハ! 名も知らぬ少女よ! 奴らとの関係は知らぬが、もはやこれはオマエ程度に止められる流れではないわァ! ――が来たのだ! 今に見ていろ、この国は変わるぞ! 国を構成する大多数は我々だ! 第三身分だ! 第三身分こそが、平民こそが国なのだ! そのことを思い上がった連中に思い知らせてやるのだ!」

「そんな能書き! 知ったことかァ!」


 纏わりついてくる異形を捌きながらどうにか先頭のアイツに食らいつこうとするが、異形の数が多い上にマネの野郎が変に抵抗しやがる所為で、まるで泥濘の中を行くように遅々として前へ進めない。


(――分かった。分かったって!)


 私の理性的な面が言っている。もう、そろそろ戻らないと私は死ぬ。アイツを殺すことなく、先に私の方が志半ばで野垂れ死んでしまう。


「ぐううああああああ……! 覚えておけッ、アンタは絶対に私が殺す! どこへ隠れようとも逃げようとも必ず探し出して殺す! 一年かかっても! 十年かかっても!」

「――クハハハ! では、その時を楽しみ待っているぞ!」


 断腸の思いで反転した私は異形の追撃を躱し、打ち倒し、内海のほとりに構えられた本陣を目指して走った。


 私があのクソ野郎と正面切って戦って負けた訳ではない。だが、これは間違いなく『敗走』に類するものであると、私は五臓六腑に刻み込むように繰り返し繰り返し心中で唱えた。


 殺す! 絶対に殺してやる――!

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