2.偏執狂 その③:『信頼』を毀損した

 第二学生寮セクンドゥム・ドルミトーリウムの三階に上がった私は廊下の奥の角部屋を目指す。そこがニナの部屋だと聞いている。


 その時、ガチャリとニナの部屋のドアが開いた。最小限に開かれたドアの隙間から風のようにするりと姿を現した彼女は、昨夜もニナの隣りにいた使い魔メイトだった。


 ゆとりのある昏い衣服を見上げるほどの長身に纏い、腰まである紫色の長髪をその上にふわりと垂らしている。スマートな立居振舞に洗練された気品を感じる一方で、衣服の上からも見て取れる豊満な肉体からはどことなく淫靡な雰囲気を感じた。


 彼女は――だ。


 使い魔メイトとして契約する〝魔界〟の住民には、大きく分けて二種類ある。


 スライムのように知性も低く人型を持たない――〝魔物〟

 彼女のように高い知性と人型を持つ――〝魔族〟


 マネのようにどうみてもスライムなのに知性を持つ例外的存在もいるにはいるが、大体はこの基準によって分けられる。ただし、一つ断っておくとこれは俗な認識であり、学術的な線引ではない。なので、ぶっちゃけると私はマネをどっちに分類するのが正しいか知らない。興味もないが。


「これはこれは……リン様、でしたか?」


 憂いを帯びた流し眼が私を捉える。こうして眼前に立つ彼女をまじまじと観察してみても、傍目には物腰穏やかな育ちの良い人間の女性にしか見えない。


 だが、彼女の動きに合わせて揺れる紫色の長髪の隙間から覗く小さな角、背中の蝙蝠のような小さな羽根、そして腰の小さな尻尾が、彼女が人間とは一線を画する別種の存在だと逐一私に教えてくれる。


「ご用向きは、昨日の件でしょうか」

「ええ。ニナは中に居る?」

「はい。ですが……」


 彼女は視線を彷徨わせ逡巡した。どうやら、すんなりとは通してくれそうにないみたいだ。


「あ~っと、アンタは……」

「アルダト・リリー。私めはアルダト・リリーと申します。ニナ様からは『リリー』とお呼び頂いておりますので、よろしければどうぞ、リン様もそのようにお呼び下さい」

「そう、リリー。ニナは今、な訳?」


 私が率直に切り出すと、リリーはハッとしたような顔をしたかと思うと、いきなりグスグスと泣きべそをかき始めた。


「お労しや……ニナ様。あれは二日前、にわかに愛猫クミンを失ってからというもの、お部屋に居る時はずっと泣き通しなのです……慰めすら拒絶された私めは、こうしてお部屋の外で聞き耳を立てニナ様のご機嫌を伺うしかできません……」

「そりゃ大変だ。すっごいカワイソ」


 別にふざけている訳ではない。喧嘩を売っている訳でもない。遠回しに関わり合いになることをリリーが拒絶したのが分かったので、取り敢えず話を合わせようと心にもないことを言ってみたら、なんだか煽ってるみたいになってしまっただけだ。


(あ、いまイラッとした)


 リリーの眼に、ちろりと敵愾心の炎が揺らめくのを見た。いくら人間に見えても彼女は魔族。そのうちに秘める上位種としての驕りは、隠そうとしても一挙手一投足から滲み出てしまうものだ。


 変な気を起こされて暴れられでもしたら普通にボコボコにタコ負けしそうなので、その炎が怒りという爆弾の導火線を燃やし尽くしてしまう前に適当に言いくるめてやることにした。


「アンタでは駄目だった。けど、ロクサーヌ曰く『私なら』という話だったわよね? 思い出して、昨夜はニナもそれに同意しかけてた。アンタは知らないかもしれないけれど、その理由は私がロクサーヌとめちゃ犬猿の仲だからよ。敵の敵は味方。私のことは信用できるとニナは思ったんじゃないかしら」


 リリーに余計な口を挟まれないよう、のべつ幕なしに一息で喋り立てる。


「――だから、中に入れてもらえる?」

「し、しかし、今のニナ様は来客の応対をできるような状態では……」

「嘘。私が来たら通すように言われてるでしょ?」


 その瞬間、リリーは「うっ」と息を詰まらせた。しかし、それは本当の本当に一瞬だけのことで、注視していなければ見逃してしまうような僅かな反応だった。リリーはすぐに眼元を擦って動揺を覆い隠す。


「……わかりました。お取り次ぎいたしますので、少々お待ち下さい」


 しめやかに、リリーは部屋の中へ消えてゆく。カチャリとドアが閉められたところで、私はマネに話しかけた。


「ねえ、アンタはリリーをどう見た?」

「クセェな」

「へえ、その心は?」


 聞くと、マネは得意げに語りだす。


「ありゃ、女夢魔サキュバスだぜ。【魅了チャーム】なんて使わずとも小娘一人転がすくらいわけないのよ。ったく、クセェクセェ、発情した雌の臭気をプンプンさせてやがる」

「アンタ、鼻あるの?」


 そうこうしているうちにドアが再び開かれ、私は部屋の中へと招かれた。酷く散らかった薄暗い部屋の唯一綺麗なベッドの上で、ニナは泣いていた。


 赤く腫れぼったい眼をしたニナは、こうして改めて見ると非常に小柄だった。割と小柄な方である私よりも更に輪をかけて小柄な体格をしており、学年章を見なければ同学年だと分からないぐらいに幼い風貌だ。


 そんな彼女は、ベッドから覇気なく身を起こし私を出迎える。


「リン……来てくれたんだ」

「まあ、巻き込まれた形だけど『明日、話を聞く』って約束しちゃったからね。話は聞いてる。災難だったわね……解決の保証はしないけど、一度関わった以上見過ごすのも寝覚めが悪いし、微力ながら手助けさせて?」

「ありがと……警察も猫ごときじゃ全然相手してくれないし……味方が増えて嬉しい」


 私は努めて同情している風に振る舞った。助ける理由としては薄いが一応は筋道が通るだろうと思ってのことだ。


 ベッドの上でもぞもぞと居住まいを正すニナのもとへ、リリーがささっと身を寄せる。


「……ニナ様、よろしいのですか?」

「うん、リンは信用できる。お世辞にも品行方正なタイプとは言えないけど、ロクサーヌの一派じゃないことだけは確かだから。たぶん頭も良いし」


 聞こえているぞ、全く失礼な奴だ。しかし、最後に付け足された添え物のような褒め言葉に免じて、このムカつきは飲み込んでやろう。――今はな!


 大体の流れはから聞いているので、私は指輪と脅迫文のことを詳しく教えて欲しいと言った。


「脅迫文はそこにあるから好きに見ていいよ」


 そう言って、ニナが指し示したのは床だった。見ると、散らかった雑貨の中に一枚の紙切れが乗っかっていた。そんな脅迫文の雑な扱いを見て、この部屋の散らかりようは傷心によるものではなく、ニナの素なのだろうと何となく思った。


「リリー、指輪もってきて」

「畏まりました」


 リリーは、部屋の片隅のゴミ山に向かった。二百万リーブラもするアンティークをそんなところに仕舞っているのかと驚きつつも、私は床の脅迫文を拾い上げ文面をざっと流し見た。


『貴様の愛猫あいびょうは預かった。返して欲しくば、例の指輪を寄越せ。次の日曜、十四時丁度に例の指輪を持って王立第三公園の広場まで来い。ただし、必ず一人で来るように。使い魔メイトの同行も許さない。必ず学院に残すこと。一つでも俺の意に反するような動きをすれば愛猫の命はないものと思え』


 ロクサーヌに聞いていた通りだった。ということは、やはりこれを書いたのはで間違いないだろう。


 しかし、これで疑いは濃くなったとはいえ、決定打にはなりえない。今から詰問してもしらばっくれられるだろうし、何ならそれで信頼を失うのは恐らく私の方だ。


(……さて、どうしたものでしょうね)


 そこで、ゴミ山から指輪を発掘し終えたリリーが戻ってくる。ニナの許可を貰って、私はその指輪を見せてもらった。


 指輪は、どこにでもあるような良くある形状タイプの造りで、飾り気のない金属製のリングに宝石が嵌められているだけのシンプルなものだ。宝石の色以外は父親の形見の指輪にそっくりな、つまり何の変哲もない指輪である。


 こんなものが二百万リーブラもするアンティークなのかと驚く一方で、マネが私とは別種の驚きを露わにする。


「この指輪は……!」

「ん、どうかしたの? マネ」

「……いや、アンティークっつーか、こりゃあ現代風に言うと『マジックアイテム』じゃねえか?」


 すると、ニナはマネの言葉に頷いた。


「勘の良い『スライム』さんね。こんなに魔力の気配が希薄なのに気付けるなんて」

「だから、オレ様は『スライム』じゃねーって」

「それは今はいいでしょ。――ごめんなさいね、続けて?」


 私たちのやり取りに苦笑しつつ、ニナは指輪のことを説明してくれる。


「確かにその指輪はマジックアイテムだよ。効果は誰も知らないから、迂闊に指を通したりなんかしない方が良いよ。何となく宝石の色が気に入って誕生日のプレゼントにねだったの」

「へえ……」


 表向き、術式が刻まれている形跡はない。これは摩耗してしまった訳ではない。恐らく、術式はに刻まれているのだ。〝魔界〟にはそういう技術があるという。もしかしたら、二百万リーブラはそういう面も込みの値段なのかもしれない。


「そうだったのね……貴方が怒るのも無理はないわ。親からもらった二百万リーブラもする誕生日プレゼントだものね……」

「――違う!」


 突然、ニナが大声を上げたものだから、私は驚いてビクッと両肩を跳ねさせた。何がニナの逆鱗に触れた? 何度考えてみても、私は当たり障りのない言葉しか口にしていない。当惑するばかりの私へ追い打ちをかけるように、ニナは激情を捲し立てる。


「こんな指輪ぐらいどうでもいいの! たかが二百万リーブラ、何ならリンに協力のお礼としてくれてやってもいいぐらいだわ! 猫だってどうでもいい! 欲しけりゃまた買えば良いだけでしょおおおおおおおお!」


 叫ぶニナの側で、リリーが大きく眼を見張り激しく狼狽する。しかし、止める手立ては持っていないのか、ニナの興奮はまだまだ止まらない。


「『信頼』! ロクサーヌたちは『信頼』を毀損したの! 許せない……許せないぃぃぃうぎぎぎぎぎぅぃぃ! 友達だと思ってたのにぃぃぃぃぃ~~~~~! ロクサーヌは私じゃなく取り巻き連中の方を信じた!」


 ニナは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして、死にかけの虫のようにベッドの上でジタバタと大いに暴れた。


 というか、ニナはロクサーヌ自身を疑ってはいないらしい。


『状況からすると、犯人がロクサーヌ側に居るように見える。だが、そんなことをするとは思えない。であれば、犯人は取り巻きのうちの誰かだ』


 ニナの思考回路はこんなところだろう。あくまで、疑っていているのは取り巻きで、ロクサーヌがそれを庇うことが気に食わない、と。


 ロクサーヌは私と違って人と仲良くなるのが上手なタイプだ。人の心に入り込むのが上手いというか、心に隙のある奴を見つけるのが上手いというか……孤立気味の奴に対して、詐欺師や宗教指導者もくやという優れた人心掌握術を無意識に使うところがある。今の取り巻きも、そうやって長い年月をかけて少しずつ形成されたものだ。


 対してニナは友達が多そうなタイプには見えないので、そういう心の隙をロクサーヌに付け込まれた口だろう。


 しかし、そのロクサーヌは友人たちの潔白を信じた。


 信頼していたロクサーヌが自分ではなく犯人濃厚の取り巻きたちの肩を持ったことに多大なショックを受け、その結果としてニナはこれほどまでに荒れているのだろう。


「じゃ、じゃあ……ニナ、貴方は指輪と猫の交換には応じないつもりなの?」

「――それはする!」


 ニナは大声で答える。


「聞いて! リリーと相談したんだけれどね。九時から十四時の猫質交換の時まで、学院の門を見張ろうと思ってるの! その間に門を出入りした取り巻きがいたら――この魔道具アーティファクト撮影機カメラで写真を取って証拠を残す!」


 撮影機カメラは二台あるから、私とリリーにはそれぞれ東門と西門を担当してもらうたいとニナは言った。


「ちょっと待って、単に出入りを知るぐらいなら結界管理人にでも頼んで記録を見せてもらえば済む話じゃない?」

「それも後で見せてもらって、写真と照合するの! 写真という証拠がないのに記録には残ってる奴――つまり、門以外の場所からこっそり出入りした奴が怪しいって訳!」


 なるほど、と思った。


 昨夜のように門限遅れの場合は手続きを要するが、休日の朝九時~夜七時までの出入りは自由だ。その間、結界管理人は常に生徒の出入りを監視している訳ではなく、特に警報が鳴るなどしない限りは管理用の魔道具アーティファクトが結界を出入りした生徒の魔力波長パターンを読み取り、その情報を自動で記録している。


(だけど、確か出入りの事実そのものは記録していても、異常がなければその場所までは記録していなかった筈……)


 不必要な情報まで記録すると記録容量がすぐにパンクしてしまうからだ。


 もし、犯人がそのことを知っているのなら、人目を避けて門を使わず出入りするということは十分に有り得る。まあ、必ずしも犯人がそうするとは言い切れないが、推理のを作るために一生徒の身でやれることはこの程度のものだろう。


(これは利用できそうね)


 私はひとまずニナの提案に同意した。


 それから話の流れで、私は裏手に当たる西門の方の監視をするようお願いされた。言い出したのはリリーだ。私は部外者であるので、人通りの多い表の東門を何時間も見張るような負担を強いる訳にはいかないとのこと。


 私はその気遣いに感謝し、二台ある撮影機カメラの一つを受け取って学生寮ドルミトーリウムの前で二人と別れた。しかし、このまま西門に向かって愚直に監視をしてやるつもりは毛頭なかった。


 そして、それはだろう。


 私は再び第二学生寮セクンドゥム・ドルミトーリウムの中へと戻り、猫質交換のために出かけたニナが戻ってくる頃には全てを解決できるように段取りを整え始めた。

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