2.偏執狂

2.偏執狂 その①:星団

 2.偏執狂


 熱狂と興奮。この日、交易の要衝として活気あふれる王都の港は、普段とは全く別種の盛り上がりに包まれていた。


 港に停泊する船の中でもひときわ大きな帆船に舷梯タラップが渡され、黒い制式服を纏う一団が降りてくると、見物客のテンションは最高潮に達する。


 魔法省隷下、儀仗魔法士部隊――『星団プレイアデス


 この催しは、長い列強国外遊から帰還した『星団プレイアデス』所属の儀仗魔法士官コーテイジ魔法使いウィザードの役職の一つ、魔法士官)の凱旋のパレードである。


 数え切れぬ功績を引っさげて華々しく帰還してきた彼らは、万雷の拍手の中でふわりと浮かび上がり、宙に浮いたまま王城へと続くメインストリートを風のように駆け抜けていった。


 余韻冷めやらぬ街のざわめきに浸りながら、私は遠ざかる彼らの背中をうっとりと眺めた。魔道具アーティファクトの補助なしでの飛行は高度な魔力操作を連続して要するというのに、あれほど簡単にこなしてしまうとは……流石は『星団』に入った魔法使いウィザードたちだ。


 『星団』に所属する儀仗魔法士官コーテイジは、いわゆる魔法士官というやつで、狭き門を通り抜けたエリート中のエリート。


 儀仗魔法士官コーテイジになるには、まず中等部から高等部へ上がる際、成績上位三分の一に入って『特進クラスプロヴェクタ・クラシス』へ進まなければならない。ここで、将来的に高等魔法士官特進クラス卒業生ポストへ就くか、一般魔法士官一般クラス卒業生ポストへ就くか分かれる。


 そして、儀仗魔法士官コーテイジは高等魔法士官ポストの中でも最高峰に位置する。『特進クラスプロヴェクタ・クラシス』の中でも更に優秀な成績を収めた生徒数名にのみ与えられる『推薦』を得て、初めて儀仗魔法士官コーテイジになることができるのだ。


 言ってみれば、儀仗魔法士官コーテイジとは世代の代表。戴冠式を始めとする重要な儀式や他国来賓の奉迎などを務める、我が国の魔法使いウィザードの対外的な顔役なのだ。


「やっぱり、格好いいわー……」


 あれこそ、幼き日、王都来訪時に抱いた憧憬――『星団プレイアデス』に所属する儀仗魔法士官コーテイジの姿。思い出と寸分違わぬその雄姿を一目見ただけで、やる気と希望がムンムンと湧いてきた。


 昨日までの自分ならば、諦観の念に溺れて惨めな気分になっていたことだろうが……今は違う。私はもう一人じゃない。恋焦がれるだけの存在じゃないのだ。私の使い魔メイトのマネは無限の可能性ポテンシャルを秘めている。ロクサーヌとの試合で見せたあの爆発力。しかも、アメ一つで。


 もともと、ネックは実技科目だけで座学の成績は問題なかったのだから、マネの活躍次第で『特進クラスプロヴェクタ・クラシス』に入るところまではかなり現実的なものになるだろう。


 となると、お次の関門は『推薦』を得ることだが、私はこちらに関しても結構希望を感じていた。


 実はこの『推薦』というやつは、完全に成績のみで選ばれるわけじゃなく人品骨柄なんかも審査対象なので、学院の頂点にまで登りつめずとも実技面の成績をかさ増しした後、教師たちへ清廉潔白の優等生ぶりをアピールできれば十分にチャンスはあると見ていた。


 ともあれ、『推薦』のことはまだまだ数年後の話。


 今は難しく考えず、目先の関門である『特進クラスプロヴェクタ・クラシス』への進級を目指して、ひとつひとつ日々の努力を丁寧に積み重ねてゆけばいい。その中で私の優等生ぶりもアピールできる筈だ。


(……私だって、『星団プレイアデス』に入れるんだから!)


 諦めかけていた夢が、こんなにも近く感じるなんて……ついこの前までは思いもしなかった。いつかは真剣に自死すら考えた私が、今は生の活力で満ちている。それもこれも、マネのおかげだ。


 マネの〝力〟が……というよりも、その存在自体が頼もしかった。


 辛い時、悲しい時、嬉しい時、喜ばしい時……私はいつも一人だった。しかし、そんな時に分かち合える誰かが居るということが、どれだけ幸せで心強いことか。人との関わりを拒絶していた私にとって、それは非常に新鮮な気付きだった。


(本人に言うと、ヘンに調子づきそうだから口が裂けても言えないけど……)


 そういう訳で、私はこれまでの孤立気味の人生を反省していた。


「リンちゃ~ん?」


 その時、階下から伝わってくる喧騒に混じって私を呼ぶ声が聞こえた。店長の声だ。


「『星団』の人たちが行ったなら、はやく戻ってきて~! 大変なの~!」

「あ、はーい! 今、戻ります!」


 夢見心地になって忘れていた自分の仕事を思い出した私は、すぐさま頭を切り替えて二階のベランダから一階のフロアへ向かって階段を駆け降りた。


 ここは良いバイト先だ。何が良いって客層が良い。港の側という立地上、必然的に客層は港湾労働者が中心となるし、酒類を提供する庶民的な飲食店というありふれた風情から、学院の生徒がわざわざ足を運ぶ理由もない。それに店長も良い人だ。


 それから私は忙しい稼ぎ時を乗り切るために無心で働いた。


 すっかり陽も落ちた頃、ようやく最後のよっぱらいが勘定を終えて出てゆく。その途端、溜まっていた疲労が一気に襲いかかってきた。今日はパレードの影響もあって特別のお祭り騒ぎだったから、酒のなみなみ入ったジョッキを運びすぎて腕が疲れた。


 まだ片付け途中のテーブルに突っ伏して休んでいると、店長がテーブルへやってくる。彼女は年若い大人の女性で、亡き夫の跡を継いでこの店の切り盛りをしている。


「賄いよ」


 と言って、店長が手に持っていた料理をテーブルの上に出してくれる。苦学生の身にこれは非常に助かる。礼を言ってから遠慮なくがっついた。


「今日はありがとうね。みんな、こんな稼ぎ時に用事があるって途中で抜けちゃうんだから、最後はリンちゃん一人だけになっちゃって。それも、こんな夜遅くまで……」

「いえ、明日は休日ですから大丈夫ですよ。それに……この前は連絡もなしに休んでしまいましたから。ほんの罪滅ぼしです」


 代表選考試合の調整のためにバイトを無断欠勤してしまったことは反省している。あの時はフラストレーションだけが先行していて、他のことは何も考えられない状態だった。その上、結局は試合の方もマネの再召喚が間に合わず二回戦で惨敗してしまった。


 ……でも、後悔はしていない。


 そうするだけのものを得られたと思っているから。


「別に気にしなくていいのよ。リンちゃんは学院に通う魔女見習いさんだもの。色々と、私には言えない大変な事情もあるのでしょう?」


 私の正しさも間違いも全て包み込んでしまうような懐の深い慈愛の目が、私の良心を刺激する。まるで故郷のママを思わせる店長の雰囲気に、私は消え入りそうな声で「ありがとうございます」と繰り返し言うほかなかった。


 やっぱり、店長は良い人だ。私は、いつか絶対に恩返しをしようと心に決めた。


 それから最後に後片付けと明日の仕込みをして、私はバイト先を後にした。




 外は真っ暗だった。ぽつぽつとある街灯の明かり以外は民家の窓から漏れる微かな光ぐらいしか光源がない。


 試合を終えて昨日の今日でバイト。明日は休日なので、明日できることは明日やるとして、今日のところは帰ったらぐっすりと眠ろう。そう考えた私は早足で夜道を進む。すると、襟元からマネの触手がにゅっと伸びてきた。


「ふぃ~……ったく、窮屈だったぜ」

「……そこから出られると今度は私が窮屈なんだけど」


 バイト先では店長以外には魔女見習いであることを隠しているので(バイトに精を出す魔女見習いなんて紛うことなき落ちこぼれだから)、仕事中は服の下で静かにしているようマネに厳命していた。しかし、いかに省エネモードとはいえ完全にピタリと停止するのは難しいようで、業務中も偶にずりずり動くものだから声を我慢するのに苦労した。


 私はマネの触手を襟の中に押し込んで気道を確保した。すると、マネは今度は袖の方から触手を伸ばしてくる。まあ、そちらなら良いだろう。


「大変だな、人間の生活ってのは」

「〝魔界〟じゃ違う訳? 向こうでも働いてる奴は居るとか聞いてるけど?」

「ああ、労働契約を交わす連中は居るぜ。少数派だがな」


 大多数の〝魔界〟の住民は弱肉強食の理に則り、食った食われたの殺伐とした生存競争を繰り広げているらしい。人間社会のような巨大な共同体は存在せず、あるとしても同族たちの漠然とした集まり程度のものらしい。人間視点からすると、そっちの方が大変そうだ。


 それからも店長が良い人だとか明日は連携の練習をしようだとかそういう他愛のない雑談に興じつつ歩き、私は学院まで戻ってきた。


 まずは、門番と結界管理人に挨拶だ。


「中等部二年三組トレース、リンです」

「ああ、はい。聞いてるよ。いつも、こんな時間までお疲れ様。そこのパネルに触って」

「はい」


 結界管理人に言われた通り、私はパネルに手のひらを押し付ける。これは私の魔力を読み取る魔道具アーティファクトだ。魔力には一人一人異なる波長パターンがあり、それを利用して個体を識別するセキュリティが最近は一般的になっていた。


「どうぞ、入ってもいいですよ」


 結界管理人が操作盤を弄りつつそう促した。届け出をしておいたとはいえ、こんな夜更けにも関わらず懇切丁寧に対応してもらって痛み入るばかりである。軽く礼を述べて学院の方へ足を踏み出すと、「――ニュルン」という何とも形容し難い感触が前から後ろへ通り抜けてゆく。


 結界にも色々と種類があるが、学院に張られているものは薄い膜のようなもので、物理的・魔法的な攻撃や侵入を防ぐことを目的としたものではない。学院生や教職員の入出管理と、侵入者や魔力反応の検知が主な役割だ。結界を維持しているのは魔法使いウィザードではなく魔道具アーティファクトであり、これもカラギウスの剣と同様に『魔石ノクティルカ』を動力とする。


 広い敷地を進み、私の部屋がある第三学生寮テルティウム・ドルミトーリウムの外観が遠目に見えてくると、全身の疲労感が更に強まる。


(早いところベッドに潜り込んで休みたい……)


 だが、それにはまだもうひとつ越えなければならない『障害』があるようだった。


 学生寮ドルミトーリウムの入口前で、何やら四、五人の生徒が揉めていた。別にそれだけなら無視して通り過ぎてやっても良かったが、その中にロクサーヌの姿がある。つまり近付いた瞬間、私も関わり合いになることがほぼ確定していた。


 疲労の籠もった長い長い溜め息を吐いてから、私は止まりかけていた歩みを再開させた。


「ですから、わたくしたちは犯人ではありません!」

「信じられない! もう、帰って!」


 うわ、面倒くさい。一発で分かる仲違いの気配に辟易する。だが、入口は彼女たちに塞がれているので声をかけぬ訳にはいかないだろう。仮に無理矢理通ってもどうせ捕まるのだから。


「はあ……ちょっと、何を揉めてるのよ。今が深夜だって理解してる? 近所迷惑でしょうが」

「――リンさん! ちょうど良いところに!」


 ほら、来た。喜色満面のロクサーヌが、風のように近付いてきて私の腕を取る。彼女にその気はないのだろうが、これで実質拘束されたようなものだ。腕を引き抜こうとするがビクともしない。耳元でマネが「諦めろ」と他人事のように笑った。


「なによ……再戦の話ならまた今度にしてくれる?」


 あの試合の後、ロクサーヌから再三再四にわたって雪辱戦リベンジマッチを申し込まれていた。だが、私はどうにも気が乗らない。


 次は使い魔メイトを使うというロクサーヌが相手となれば、やはり分離しての戦闘ではなく、合体してやらないと秒殺されてしまうだろう。しかし、そうするとまた裸に剥かれてしまうだろうことは目に見えている。誰が好きこのんで裸になりたがるものか。


「今日のところは違いますわ!」


 ロクサーヌの大声を近くで聞かされて耳がキーンとした。思いっきり眉をしかめる私を、ロクサーヌは輪の中に引きずり込む。


「わたくしたちが信用できないというのなら、リンさんならどうですか!?」

「……うーん、確かにリンはロクサーヌ一派ではない……」

「ニナ様?」


 どうやら、ロクサーヌらの集団と揉めていたのは、ニナという生徒とその使い魔メイトの二人組らしかった。どうやら、ニナは喋れる程度には高位の魔族と契約したようだ。しかも女性型。羨ましい。私は変な『スライム』なのに。


 それはさておき、無駄と分かっていながら抗議の声を上げてみる。


「あのさぁ、私を置いて話を進めないでくれる? ――というか、寝かせろ! 何時だと思ってんのよ! 疲れてるし眠いからもう明日にしなさい! 明日、話を聞いてあげるわ!」


 夜の学院にやけっぱちになった私の声が響き渡る。なんか段々とムカつきを通り越して、疲労の所為かハイになってきた。ここでロクサーヌの望む雪辱戦リベンジマッチをおっ始めても良いぐらいのテンションになっていたが、しかし自分より怒っている奴が居ると人は却って冷静になるものなのか、いつの間にか場には白けたような雰囲気が漂っていた。


「そ、そうですわね……」

「……じゃあ、明日」

「部屋へ戻りましょうか、ニナ様」


 言葉少なにその場は解散し、彼女たちは各々の学生寮ドルミトーリウムへ戻っていった。


(あ~、ホントクソ。阿呆のロクサーヌの所為で余計に疲れたわ!)


 一方、巻き込まれた上に一人取り残された私は、このムカつきを発散することもできずにモヤモヤしたものを抱えたまま自室へ戻った。


「――寝る!」

「おう、おやすみ」


 汗も流さずベッドに潜り込んだ私は即行で不貞寝を決め込んだ。

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