1.スライム その⑤:……ハレンチ?

 ――リン、お前は剣術の天才だ!


(パパ……ごめん、私に才能なんてないの)


 昔は誇らしかった周囲の期待も、今や重荷でしかなかった。


 剣術には自信があった。故郷では同年代に負けた記憶はないし、相手はもっぱら自警団の大人だった。それでも、私は負けなかった。自他ともに認める才能、天稟てんぴん。そこへ更に魔法の素質まであると判明した時、私の人生は絶頂期を迎えた。


 そこが絶頂ということは、つまり以降は下降線だったということ。


 王都に来て学院に入学するやいなや、上には上がいるという当たり前の現実を突きつけられた。魔法の素質はあれど、その才は最底辺。故郷で負けなしだった剣術も、きっと知らず識らずのうちに少ない魔力を【身体強化】に使っていたからに過ぎなかったのだろう。


 最初は習熟差や小手先のテクニックで勝ちを拾えたが、今ではもう競技用魔法を使われるまでもなく【身体強化】の練度に差が付きすぎて手も足も出ない。すると、他の者たちはよりレベルの高いもの同士で戦い、高純度の研鑽を積むようになり、気が付けば到底追いつけないような領域たかみに行ってしまっていた。


(ロクサーヌも……その一人だ)


 今の強烈すぎる一撃で理解した。成長速度の違う私と皆では、見えている景色が丸っきり違うのだ。


 閉じた瞼の裏に故郷の皆の姿が浮かんでくる。王都へ向かう私を期待のこもった目で送り出す皆の姿が。


(見ないで……そんな、そんな期待した目で見ないでよ……そんな目で見られたら、そんな目で見られたら……死ねないじゃん! 全部投げ出して、死んで逃げ出すこともできないじゃん……期待なんてしないでよ、そんなキラキラした眼で見ないでよ……私は、『星団プレイアデス』に入るどころか……一人前の魔女にすらなれそうにない……)


 幼心に輝いて見えた『星団プレイアデス』の制式服は、魔法省に推薦されるような選ばれし一握りの魔女にしか着れないもの。しかし私は、他の魔女見習いが片手間に行使するような初歩的な魔法にさえ手間取る始末である。


(ああ、眠い……意識が遠のいてゆく……頭を、打ったのかな……)


 本当は分かっている。なぜ、ロクサーヌの周りには人がいて、私の周りにはいないのか。


 人間的な魅力とか、生まれとか、剣術や魔法の腕とか、頭が良いとか悪いとか、そんなことはまったく関係ない。


 単に、私が他人を拒んでいた。


 ただ、それだけのこと。要するに私は嫉妬していたのだ。ロクサーヌだけでなく、目に映る全ての人々に。


(この世の全ての人々に謝りたい気分……でも……)


 ――それがどうした。


 なんだか、ムカついてきた。確かに私にも悪かったところはあると思うが、私を侮った連中カスどもに謝罪なんて上等なものをくれてやる義理はないだろう。というか、むしろ奴らの方が私に謝罪すべきだ。


(ああ、ムカつく……ムカついて、ムカついて、ムカついてしょうがない!)


 脳裏にカッと熱が生じ、暗闇の中に誰かの姿がぼうっと浮かび上がってくる。


(――ロクサーヌ!)


 そうだ、過去のことなんて関係ない。今は試合中じゃないか。愚にもつかない自己批判を繰り広げて卑屈になっている場合じゃない。


(まだ、こんなところで眠ってしまうわけには……いかない!)


 向こうで、ロクサーヌが待っている。私が立ち上がり剣を振り上げ向かってくるのを、いまかいまかと待ち構えている。あのお高くとまった顔を思うと、ドクンドクンと勝手に心臓が高鳴り出す。


 負けたくない。舐められたくない。軽んじられたくない。


(ロクサーヌ……アンタに勝ちたい!)


 この負けん気だけが私に残された最後の取り柄だった。それ以外はもう本当に何もない。重たい体に根性で鞭打ち、体の上に覆い被さる椅子を強引に押し退けると、不意に聞き覚えのある声が耳朶を叩いた。


『行くのか?』


 これは――『スライム』の声だ。一体、どこから話しかけているのか、視界内にその姿はない。


『負けるぜ、見てりゃ分かる。体を巡る魔力量、質、その操作の流麗さ……お前とは段違いの域にいる。まだ見ちゃいないが、たぶん魔法を使わせてもお前より上手いだろ。手合い違いだなァ、こりゃ』


 それでも立つ気なのか? と、『スライム』は静かに問いかけてくる。返事は決まっていた。


 ――立つ。勝つために、立つ。この命続く限り。


『……クックックッ……』


 ――何が、おかしい?


『やっぱ、オレ様と契約するようなヤツならそうこなくっちゃあな! ハハハッ! 前に言った根性なしって言葉は訂正してやるぜ』


 ――なら、早く〝力〟を貸しなさい……この糞『スライム』が。私が舐められることは、アンタが舐められるのと同じことなんでしょう? ロクサーヌは私を侮った。鼻を明かしてやらなきゃ私の気がすまない。


「だから『スライム』じゃねえって……そうだな、『マネ』とでも呼べ。前の契約者からはそう呼ばれていた」

「それじゃあ……私も『お前』じゃなく『リン』って呼びなさい」


 椅子を退けて眩しい光の中に立ち上がると、正面の人垣がざざっと独りでに割れて、遥か向こうの試合場が見えた。カウントなんて途中からロクに聞こえてやしなかったが、審判の指を見る限り「ナイン」だったらしい。ぎりぎりセーフだ。


 不思議な気分だった。ずっと私の中に渦巻いていた怒りはもうどこにもない。ただ、燃えるような純粋な闘志だけが無限に湧いてくる。


(ロクサーヌ……ッ!)


 試合場の上から静かにこちらを睥睨するロクサーヌは、鷹揚と腕を組んで余裕綽々の様子だ。そんな立ち姿を視界に収めていると、ますます血気盛んに闘志が湧き上がってくる。


「――ぶっ殺す!」


 しかし、意気軒昂と吠えながら反撃の第一歩を踏み出そうとしたところで、他ならぬ自分の使い魔メイトに水を差される。


「いや、ちょっと待て」

「は? う、うひ、うひひひ……!」


 いきなり立ち止まって奇っ怪な笑い声を上げ始めた私に、周囲から冷ややかな視線が注がれる。試合場で待つ審判も、怪訝そうに眉をひそめて大声で私を呼んだ。


「リン、立ったなら早く試合場に戻りなさい! 消極的姿勢で反則負けにするぞ!」

「ち、ちがうんです! ちょ、ちょっと、マネ! 何してんの、く、く、くすぐったいじゃない! うひっ、ひひひゃひゃ……!」

「オレ様がリンの動きを補助サポートしてやる。あちこちガタが来てる体なんだから我慢しろ!」


 いつの間に取り付いたのか、マネが服の上から下から私の身体をあちこち這い回る。補助サポートすると言ったって、一体何をどうするつもりなのか。


 暫くするとくすぐったいのは落ち着いたが、ひんやりとした感触が肌に張りついていて妙な不快感がある。しかしそれも、マネに促されて再び一歩踏み出した瞬間には全て吹き飛んでいた。


「体が――軽い!?」


 これが、補助サポート……なのか?


「お、初めての試みにしては上手く行ったぜ」


 得意げに語るマネの声音が触手から響く。


「リン、お前には才能があるよ。魔法じゃなくてだがな。あの黒い奴が言ってたことには間違いはねえ」

「それは嬉しいけど。でも、それだけじゃあ……」

「勝てないってんだろ? だから、こうやってオレ様が補助サポートしてやんだよ」


 前に進むように言われ、自分の意思で踏み出したのか、それともマネの意思に引っ張られてか、或いはその両方か、独りでにズンズンと私の体が前へ前へと押し出されてゆく。


「見たところ、リンに足りてねえのは『地力』だ。ほんの少しだけ力が足りず、ほんの少しだけ速さが足りず、ほんの少しだけ手数が足りない。ゆえに剣は対手たいしゅへ至らない」


 ――だが、


 マネはそう太鼓判を押した。


「だから、オレ様が動きを補助サポートしてやるんだ。『地力』の差から来るの不足をオレ様が埋めてやる」

「……でも、どうやって?」

「筋肉に伝わる微弱な電気信号を読み取って、オレ様の体組織を筋肉と連動させる。まさに今やっているような感じでな」


 急に頭の良さそうなことを言うからビックリした。そんなことが『スライム』にできるのかという思いもあったが、実際に今体感している以上は信じるしかない。


「これで――お前の剣は魔法士カラギウスに届く」


 マネの囁く殺し文句にドクンと胸が高鳴る。


(届く? 私の剣が……このロクサーヌに?)


 にわかには信じがたい言葉だ。しかし、信じてみたい言葉でもあった。


「どうやら、良き使い魔メイトと巡り会えたようですわね」


 気が付くと、私はロクサーヌの正面に立っていた。


 ロクサーヌは薄く笑みを浮かべながら静かに構える。ルールでは、『場外』から試合場へ復帰した瞬間から試合は再開とされる。つまり、試合はもう始まっていた。私はロクサーヌの動きを注視する。


 不思議なことに、マネとの連携戦闘はこれが初めてだというのに不安はこれっぽっちも感じなかった。言葉を介さずとも、まるで長年連れ添った伴侶のように、マネの思考が全身を這う体組織の微小な蠢きから伝わってくる。


 魔力の高まり――魔法が来るぞ!

 ――ええ、分かっているわ!


 ロクサーヌが腰に挿していた杖を左手で取る。


「我が敵を穿て――【魔力弾バレット】!」


 競技用魔法の一つ、【魔力弾バレット】。その名の通り、魔力を弾丸状に固めて射出するプレーンで初歩的な魔法である。それを、ロクサーヌは刻むように連続して撃ってくる。一つ一つは小さいが、その威力はバカにならない。


 魔力量が少ないということは、魔法攻撃を食らった時の『魔力の鎧』による減衰も少ないということ。うっかり急所にでも当てられたら、私程度だと一発KOも有り得る。


 敗北の二文字が頭にチラつき、一気に頭が冷えた。攻め込む隙を窺いながら、軽くステップを踏んで慎重に魔法を回避する。


(一歩が大きい……)


 初めての体験だった。相手の攻撃を余裕を持って対処するというのは。今度は勝利への期待がチラつき、じりじりと理性を焦がす。


(来い……! 近付いて来い……!)


 自分から行くのではリスクが大きい。理想は、お世辞にも上手いとはいえないロクサーヌの大振りを待っての


 私に足りているという技量――それを活かすにはカウンターしかない。


 ここで、【魔力弾バレット】の攻撃に見切りを付けたロクサーヌが攻め手を変える。


「我が手に留まれ――【束縛の鎖バインド】!」


 これもまた競技用魔法の一つ。【束縛の鎖バインド】は、魔力で練り上げた鎖を杖先から放ち、相手の動きを阻害する魔法。


 何度も見せられ、何度も使われ、何度も辛酸をなめさせられた魔法だけに、その対処法は身にしみて理解している。私は、攻撃を誘うように少しつんのめりながら鎖を避け、戻ってきた鎖がバウンドしつつ足元へのたくってきたのをで跨ぐ。


「――、そうですわね! では、こういうのはいかがでしょう?」


 地面に垂れた鎖をグッと手元へ引き寄せるロクサーヌ。そのまま自慢の剛力で再び振り回すつもりなのかと思いきや、彼女が次に取った行動は全く予想外のものだった。


 突如として、ロクサーヌは身を屈め、握りしめた左拳を杖ごと地面に叩き込んだのだ。


「う、わっ!」


 地面が揺れ、あまりの剛力に握りつぶされた杖がへし折れる。試合場に敷かれた柔いマットが割れ、その下に敷かれていた建築石材までもが衝撃で飛び散り、私の体を浮遊感が包んだ。


 とんでもない力……だが、それに驚いている暇はない。


 既に、先程ロクサーヌが手元に引き寄せた鎖が眼前にまで迫ってきていた。


「よ、避けられない! 足を取られっ――!」

「――いや、オレ様がいる」


 力強いマネの言葉が、負けを覚悟し怯んだ私を励ましてくれる。だが一体、現実にどうするつもりなのかと体の方に視線を落とせば、服の上を這っていたマネの体組織から一本の触手がピュッと素早く伸びて、不可避の距離にまで迫ってきていた鎖を叩き落とした。


「そ、そんなこともできるのね……」

「感心してる場合か!」


 意識を正面に戻すと、ロクサーヌは似合わぬ搦め手を捨てて正面から突っ込んでくるところだった。


(そうだ、そうだ――それが良い! 着飾らぬ剣風こそロクサーヌの良さだ!)


 一つ二つと振るわれるロクサーヌの剛剣をさばく度、得も言われぬ充足感が胸を満たしてゆく。


(まともに打ち合えている……この私が! あのロクサーヌの剛剣と!)


 マネの補助サポートによって上積みされた私の身体能力は、もちろん学院屈指を誇るロクサーヌの【身体強化】には遠く及ばない。だがそれでも、これまでの私を思うと段違いの運動性能だった。


 あのクラウディア教官ですら正面きって打ち合うことは避けるほどの剛剣を受けながら、私は攻撃に転じる余地すら感じ取っていた。


 やはり、勝機はここ。カウンターしかない。


(――今!)


 力任せに叩きつけるようなロクサーヌの大振りを弾くと、攻撃の余勢が増して空振り後のロクサーヌが大きく体勢を崩して蹌踉めく。


 この隙、逃してなるものか!


「マネ!」「応!」


 断固たる私の踏み込みに呼応して、マネの触手がロクサーヌの剣へ伸び防御を阻害する。


(胴体、ガラ空き――!)


 私は躊躇うことなく上段から剣を振り降ろす。だが、すんでのところでロクサーヌの方も身を捩り、私の剣先は胴体ではなく空手からての左手首を通過した。


 仕留められなかったことは残念だが、これは剣撃による有効打。さっきの『場外』の分のポイントは取り返した。


 だが、そんな小さなことよりも。


「……届いた!」


 私の剣がロクサーヌに届いたという事実に高揚が止まらない。久方ぶりの魔力刃が人体を通過する感触。外傷はないがアニマを損傷したその左手首はしばらくマトモに動かせないだろう。


「これでようやく……私はアンタと、に――!」


 しかし、そんなのぼせ上がった思考はすぐにロクサーヌによって咎められる。


 ――ガン!


 再び訳の分からない衝撃音が耳朶を叩く。


(は……ははっ。強烈……)


 マネの触手の拘束を振り切って放たれた反撃の剛剣により、私は再び観覧席に叩き込まれた。ギリギリで間に魔力刃を挟み込み、防御することには成功したが……それにしてもなんという馬鹿げたパワーだろう。彼我の地力の差を改めて痛感する。


 ようやく対等になれた……だなんて、思い上がりも甚だしい。


(――上等! 私はまだまだ挑戦者だッ!)


 額か、頭部から出血したのか、血がたれて視界を塞いでくるが、私の闘志は些かも萎えちゃいない。己を奮い立たせる行程を踏むまでもなく、すぐさま椅子を押し退けて立ち上がろうとすると、マネが静かに耳元で囁く。


「あー……リン、ちと悪い報せがある」

「何よ?」


 体力回復も兼ねて息を整えながら緩慢に立ち上がり、こんな時に縁起でもないことを言い出したマネに用件を尋ねる。


「想像以上に体組織の消耗が激しい」


 そう言われてから自分の体を顧みると、さっきよりも纏わりついているマネの体組織が減っているように見えた。今の口ぶりだと、体組織がそっくりそのまま彼のエネルギーなのだろうか。


「同じ動きをできるのはあと十秒が限度ってとこだ。それ以上は供給される魔力が追いつかないから〝人界〟での存在を保てねぇ。あとでまた纏まった魔力を込めて召喚し直してくれ」


 私は立ち上がるのを途中で止めて、じっと目を閉じる。生来の魔力量の少なさがここでも響いてくるか。


(遠い……遠いな、ロクサーヌ)


 マネの報せに一度は諦めかけたが、どうにか気を取り直す。まだ負けと決まったわけじゃない。


 十秒もあれば決着には十分だ。


 なんて……威勢よく気炎を吐いてみたは良いものの、策は特に何もなかった。出たとこ勝負でどうにかする腹づもりだ。ダメでもともと。ロクサーヌの胸を借りるつもりでいく。しかし、簡単に負けてやる気はない。


 玉砕の覚悟を決めて眼を開くと、声高に叫ばれる審判のカウントが耳に障った。


 立つ、立つよ。黙れ。まだ立てる。


 急に震え出した両足に鞭打ち立ち上がったその時、私の下敷きになっていた観客たちの雑多な荷物の一つにマネが目を止めた。


「これは――ハハッ、やはりお前はオレ様を召喚するだけあるぜ、リン! 勝利の星は天高く、お前の頭上に輝いている!」

「あっ、それウチのアメ……!」


 観覧席の誰かが舐めていたらしい砂まみれの大きな棒付きのアメを、マネは己の中に取り込んだ。


「何? 何か秘策でもあるの?」

「言ったろ、『飯をくれ』ってよ。見せてやるぜ。オレ様の真の〝力〟……! ここで全力をぶつける。もう補助サポートはできねぇ。あとは自分の手で――斬り伏せろ!」

「え、ちょ、説明しなさいよ! い、一体何を――!」


 その意を問う間もなく、マネの体組織が瞬間的に膨張する。まるで燃えているのではないかと錯覚するほどの熱量に包まれ……。


 私は――飛んだ。


 視界がグンと急加速する。周囲の景色は瞬く間に後方へと送り出され、代わりに試合場のロクサーヌがどんどん近づいてくる。


 ――いや、違う!


 私だ。、ロクサーヌに向かってとんでもないスピードでぶっ飛んでいるのだ。遅れて、体の背面に強烈な衝撃を感じる。


 まさか――マネは私を投げ飛ばしたのか!?


「う、うわああああああああああああああ!」


 みっともない悲鳴も後方へ置き去りにされるほどの速度。本能が死の危険を察知し、脳内に変な物質が溢れ出し、世界の全てが白黒モノクロのスローモーションに見えてくる。その景色に重なるようにして走馬燈まで同時上映された。


 ロクサーヌの方も完全に虚を衝かれたのだろう、驚いたような表情をして試合場の中央で固まっていた。


 その時、はたと気付く。


(あっ……、じゃん……?)


 ――あとは自分の手で斬り伏せろ!


 瞬時に過去から現在に至るまでを駆け抜けた走馬燈は、一番新しい最後の記憶を幾度となくリピートする。そのマネの言葉に導かれるように、私は自分でも驚くほどに淀みなく剣を振るった。


 狙うはさっき外された場所――胴体。今度は上段じゃなく、横から。


 ロクサーヌが防御姿勢を取ろうとする。しかし、明らかに間に合っていない。


 私の剣は、その不完全な防御の隙間をするりと抜いた。


「本胴、真ッ二つ」


 横薙ぎ一閃。


 斬った後の動きは体が教えてくれた。空中で猫のようにクルリと身を捻り、走り幅跳びの着地姿勢のような屈んだ体勢で試合場の床を滑る。やがてそれも止まり、背後でドサリと人が倒れ込むような音が響くと、視界の端で審判が私側にバッと手を上げた。


「ロ、ロクサーヌ、試合続行不能! しょ、勝者――リン!」


 終わった……のか?


 試合終了の条件は二つ。制限時間まで勝敗付かず縺れ込んでポイント決着か……アニマを深く傷つけられる、または気絶するなどして一方が試合続行不能と判断されるか。


 現実味のないふわふわした感覚のまま振り向くと、ロクサーヌが這い蹲りながらもぞもぞと動き、苦しそうに上体を起こした。


「お、お美事みごと……ですわ……!」


 鳩尾みぞおちのあたりを深く斬ってやったから気絶はしないまでも喋るのも苦しいだろうに、ロクサーヌはそれでも称賛の言葉を口にした。嵐のような怒涛の展開についていけていなかった私の頭も、遅まきながらようやく勝利の実感を感じ始める。


(勝ったのか? 私が……本当に勝ったのか!? ロクサーヌに勝ったのか!?)


 だが、勝利の事実そのものよりも、ロクサーヌにかけられた称賛の言葉の方が何倍も嬉しかった。それこそ、涙が出るくらいに。


「ありがとう」


 素直にそう言うと、折しも爽やかな風が吹き抜けて優しく全身を撫でていった。不思議だ。昨日までは私を責めたてるように感じた太陽が、今はこんなにも暖かい。


 私はその場でじっと目を閉じ、全身を包む心地よい勝利の充実感に身を任せた。今後の試合予定も詰まっていることだろうが、どうか今だけは……今だけはこの心地よき余韻に浸らせて欲しい……。


「し、しかし……そ、それは……破廉恥、ですわ……」

「……ハレンチ?」


 思いがけぬロクサーヌの言葉に無視し得ぬ違和感を覚えて目を開けると、なんだか周りの様子が変だった。


 審判役の教師は慌てたように何かを探して走り回っているし、観覧席も不必要にざわついている。私のジャイアントキリングに衝撃を受けているというよりは、学院の結界を越えて迷い込んだ野良犬に興奮する初等部のようなざわつき……と、そこで違和感の正体に気がついた。


(風が優しく全身を撫でて……って、おかしくない!?)


 言うまでもないことだが、人は服を着ている。だから、直接に風を感じる部位は顔や手足という露出している箇所だけだ。特別風の強い日であっても、その他の部位が感じるのは布が肌に押し付けられる感触が主である。


 しかし、今は……違った。


 私は今、全身で風の感触を直接感じている。


 おそるおそる視線を落としてみると、そこにはあるべきものがなく、隠すべきものが憚りもなくさらけ出されていた。


 さあっと、顔が青ざめてゆくのが鏡を見なくても分かった。


 私は自らの裸体を隠すように抱きしめ、そして――絶叫した。


「きゃあああああああああああ!」

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