いずれ堰を切る言々よ

和菓子辞典

01

 ミンミンゼミも鳴きやむ一六の夏、知らない街へ遊びたくなった。

 人絶え絶えの往来は田舎らしくて、半端都会らしくて、錆びた路面の端に自由人が水を撒いて冷やしてくれている(商店街アーケードの人というのは、店前の道路も己の領分だとしている節が多々ある)。

 なおも、俺は天など仰げないくらい熱に浮かされて、店の壁ギリギリの細い影を乞食の如く縫い歩いていた。それで細路地に彼女のことを見つけたのだ。


「お姉さん」


 小さくなって壁にもたれて、一目で脱水症状とわかる汗と呼吸と身動きの具合だった。


 側にペットボトルを取りこぼしている。カッターシャツをまだ緩めていない。狭い路地で体勢が悪いから吐きそうな呼吸がまだひどくなる。青白くて、瞼も黒く重い色になっていた。


「聞こえますか。聞こえていたら、これ、この指反らしてください」


 反応はほんとうに微かだった。


 件のペットボトルの中身が、馬鹿なことに、色濃くて糖分ありげなのでポーチをまさぐった。何もなくて、ああ、自分も道すがら買おうと思っていたのだった。


「自販機、すぐそこですから、ちょっと待って下さい」


 多分に一生の6番目くらい急いだ。


「顎あげられますか」

「おぁ……ぇ」


 俺はきっと愕然としたのだと思う。お金。病人の腹に500㎖を落とすところだった。

 きっと成人ではあろう人が、こういう、不器用な遠慮などするとは少しも考えなかったからだ。


「いいんで、顎あげますよ」

「……かぇ」

「ほんとまじでいいんで蒸せないで下さいね」


 半ば苛立って、いや、全身つたう汗のこそばゆさが気になる程度には苛立って、顎を立てさせ少しずつで飲ませた。間断、飲ませ、間断、飲ませ、ボタンふたつ分シャツを緩めた。


「横になりましょう。体勢きついんで」


 ぃ、ぃ。

 多分、道。

 通行の迷惑。






 それで、病院で。


「ご協力ありがとうございました」

「いえ、ご無事で何よりです」

「それでなんですが」

「連絡先ですか」

「はい、お礼とか色々と」

「いいですよ、俺160円しか出してませんし」

「患者さんが気に病まれるものですので……どうでしょう。お嫌ならいいんですが」


 きっとこの人はいっそうだろうから、諸々お伝えした。

 帰路の夕光は、濃桃色に怪しかった。

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