第46話 モラトリアム野郎どもの新年会
木元から劇団の新年会に呼び出された。年末は稽古場のスケジュールが長引いて、ようやく入ったのが年が明けて三日、私だって今では人の事は言えないけれど、劇団に所属する彼らは、本当に演劇を生活の支柱としているらしい。モラトリアム野郎どもと会ったのは、多分一年振りくらいだった。SNSアカウントを消して以来、彼らが人ということを忘れて、ただ性別だけを思い起こして脚本を書いていたが、そういえば、私の脚本を演じるのは彼らなのだった。
彼らは不自然な程、今度の舞台に関しては喋ろうとしなかった。皆、変な不安を抱えているように、疲れ果てた顔をしていた。それを不自然に思っていると、近くで見れば美人の女劇団員が私に喋りかけてきた。
「お久しぶりですね。音沙汰無かったので、心配しました」
相変わらず妙な節が付く。
それから、稽古の調子を尋ねたのだが、彼女は顔を曇らせて「あんまり自信が無いんですよ」呟いて、それっきりだった。口調の重さを変に思いながらも、今この場にいる面々を見れば、皆も何かを恐れているように酒を飲んでいるのだった。河南ですら、そうだった。木元の方を向けば、この場ではいつもしているように、一人スマートフォンを弄っている。ただし、今回は赤まみれの脚本を膝に置いて。
ふとトイレへ立った木元が、私の後ろを通り過ぎるとき、「メール見といて」私に告げた。見ると、脚本の修正案が手短に伝えられていた。私たちは、終局に取りかかっていた。終わりに向かう道筋は粗方整備された。舞台の都合で剪定するように道は刈られ、後は車両を走らせるだけなのだが、木元は何時だって最後の分かれ道のことを考えていた。角を行くのは観客で、舞台の住人に出来ることは、それからはもう残っていない。彼らがどこへ向かうのかも、どんな足跡を辿っていくのかも知ることができない。他人の人生を変えようなんて思ってはいないが、私も彼も、誰かを肯定したいのだと思う。
木元が場から消えると、途端に団員たちが息を吐いた。どうやら、彼らの緊張の正体は木元だったらしい。足を崩したのっぽな男、「新年会でまでホンの直しか」やんわり愚痴を吐く。河南は「最近、稽古場でもあたりがキツいんですよね」しっとりした弱音を吐いた。しかし、ふとしたときに彼らは本名ではなく、彼らの役名でお互いを呼び合っているのを私は聞いた。きっと皆、それぞれ足掻いていたのだ。今度の舞台で、演出家が何かを賭けた熱は、彼らにも伝わっていたのだろうか。舞台に立つ人間には一体どんな恐怖があるんだろう。
不安を抱えながらも、モラトリアム野郎どもはしっかりと酔っ払って、街の煌びやかな方に消えていった。木元は何か考え事をしながら、一人の方へと消えた。私は久しぶりに訪れた街の空気を、もう少し吸っていたかった。
バーに寄ろうと思いついた。すると、何となく同じ道を歩いていた河南が、角を曲がっても付いてきた。どうしたことかと思って振り返ると、彼女も我に返ったように立ち止まった。何かを考えてそうしたというより、染みついた習慣がそうさせたようだった。もうバーのある、暗い通りへ差し掛かる所だ。ビル前の細い道に、古い自転車が何台か、折り重なるように雪に埋まり、そこからは、人間が歩いた形跡が無かった。今朝は雪が降った。この時期に、まだこの道を通った人間がいないのかと、意外に思った。
「そういえば、河南とはあそこのバーに行ったことないね」
「バー?」
河南は突拍子もないことを言われた様子で、また私に付いて歩き始めた。彼女と同棲している時期に、外で飲み歩いた時期はあった筈なのだが、飲み歩いた先について尋ねられたことも、私が何かを言ったことも無い。互いが同意をすることも無く、また通りを曲がった。見覚えのある通りが視界に入ってきた。少し歩けば大きな通りに出るのだが、向かいに立っているビル群がその建物を隠すようにして立っている。こちらから見れば、品の無い落書きと窓ガラスしか見えないから、どんな建物なのか見当も付かない。
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