第36話 萎れたアサガオ
リビングで独りきり、河南は本気なのだろうかと、ぼんやり考える。きっと本気なんだろうと思う。これからのことまでは、頭が回らなかった。何も考えたくなかった。虚無感がひたすら大きく、底も無く、枕にしているクッションを涙で濡らした。けれど、心の何処かでは、これは報いだと思っていた。それくらいに、私は河南を傷つけた。結局、彼女を自分の人生で消費しただけ、私が最も軽蔑している種類の人間に、いつの間にか自分自身がなっていた。
このまま、自分は世間というものの一部になろうとするのか、なれるのだろうか。私はマイノリティの穢らわしさを知りながら、マジョリティの空々しさも、同程度に痛感した。木元は、最後の晩に、サクラさんとどんな会話をしたんだろう。どうして、あんな美しい別れ方が出来たのだろう。サクラさんは木元を傷つけて、それで終わりだったのか? 彼女だって、同じくらい傷ついていたと信じたい。同じ痛さを彼らの中で、縁として欲しい。少しだけで良いから、皆が幸福になって欲しい。本当に、本気でそう思っていたのに。
夜も寝付けず、風も止む。電気はまだ付かないが、窓が乾いて、澄み渡って、青暗くなってきた。いつの間にか、嵐は過ぎていた。静かな朝が来た。不意に扉が開く音、泣きはらした顔の河南が顔を出した。新しいキャミソールを着直していた。
「ごめん……あんな動画、アップロードしないよ」
私の前にスマートフォンを突き出して、本当に動画を削除した。
「私、本当はずっと知ってた、沙織さん、色んなものを犠牲にしてたよ。私を受け入れようとしてたんだよね。近くで見ていて、私もずっと辛かったから」泣いて、「他の人を好きになれないのって聞いたよね。私、本当は東京で好きな人がいたんだよ。職場の人で、沙織さんみたいに優しい人だと思ったの。でも、その人に裏切られて、色々なことを周囲にばらされちゃって、それで沙織さんのとこに来たんだよ。だから、沙織さんだけが不純だったわけじゃないんだよ。私だって強いわけじゃないんだよ。自分のことなんて、沙織さんが思っている程見れちゃいないんだよ」
翌日仕事から戻ると、河南はもういなかった。部屋には彼女の物がまだ残っていたから、そのうち取りに来るつもりなんだろう。実家か、友人を頼ったのか。ベッドルームにはまだ、彼女の服、化粧品、本と、小さな鉢植えが、他人の物らしい独特な存在感を放っている。小さかったアサガオは、立てられた支柱に蔦を絡ませ、しおれた蕾を重そうにまだ担いでいた。
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