第34話 4階層の守護者

「そろそろ出口ですかね」


 何度目かの壁の捜索中に、一人がふと声を上げた。

 地図からすれば、この先はいくつかの通路が合流する広場のようなものがあり、4階層の出口であろう場所が記載されていた。


「出口に着いたら、一度同じルートで本隊に合流するか」

「えっ」

「エリちゃん、5階層行こうとしてたでしょ……」


 今回の目的は、4階層の攻略。ギミックの解除方法と出口までのルートが確立されたのなら、不確定要素のある5階層に進むより、仲間との情報共有が優先される。

 集団としての利益よりも、好奇心を優先する日下部に、クレアが呆れたように目をやり、カイニスを含めた全員が頷く。無理をして、命を落としたくはない。


「さ、先っちょだけ」

「それ先っちょで済んだ奴知らないんだけど」

「それは悪いお友達しかいないからだよ」


 否定はできないが、それとこれは別の話だ。

 削れた壁の一部を見つけては、全員が少し壁から距離を取る。間違えた属性の魔法を使えば、小型の魔物が出る。カイニスも日下部に近づき、すぐに守れるように盾を構える。


「あ、じゃあ、一発で当てたらいいとか」

「やだよ。エリちゃん、そういう時当てるタイプでしょ」

「…………一歩!」

「はぁ……」

「え、マジで? いいの?」


 ため息をついたクレアに、目を輝かせる日下部に納得しなければ、強行しかねない。全部否定したら逆に何をしでかすかわかったものではない。

 少し覗き込む程度。カイニスも冒険者だ。新しい階層に降り立つ瞬間の危険度は理解している。むしろ、この場で理解していないのは、日下部だけ。実は命を複数持っているのではないかと思うほどの危機感の無さだが、それはカイニスがリードを握ってくれる。

 考えるべきは、他の団員との調和。ブギーマンを退けてからというもの、団員の一部、特に探索班が、本心では諦めていた地下迷宮攻略を本格的に夢に見始めた。その原因は、目の前の彼女。

 力も知識もない一人の女が、鋼鉄牛を倒し、ブギーマンを退け、その呪いを打ち負かした。その上、魔物に恐怖するわけもなく、彼女は純粋に楽しそうに迷宮を攻略しようとする。


「一発屋の先っちょだけとか信用できなくない?」

「カイニスに襟掴ませとけば?」

「自覚ありかよ」


 霞がかった状況にいる彼らにとって、それは夢を見せるには十分の存在だった。


「了解っす。危ないと思ったら、遠慮なく止めますね」

「カイニスの遠慮なしって、めっちゃ怖いんだけど」


 疑問には笑顔だけが返ってきた。


 腕を前に、今まで何度も試してきた魔法。

 ぞわりと予感がした。

 虫の知らせのような、何の理由もない嫌な予感。こういう時の予感は、嫌って言うほどよく当たる。


 きっと一発で当てる。

 そう、直感した。


「”ウインド”」


 クレアの直感に応えるように、壁は開き始めた。



「――え?」



 その壁の向こうに、鱗に覆われた大きな頭が横たわっていた。


 誰もがそれの存在を理解できたが、何故、そこに突然現れたのが理解できなかった。

 思考の鈍った人間たちの気配に気が付いたのか、その目は開かれ、日下部を捕らえる。


「エリサさん!!」


 突き飛ばされた直後、鈍い音が通路から響く。壁には叩きつけられたカイニスが、力無く床に倒れ込む姿。


「退避!!」


 何が起きたのか。日下部が理解するよりも早く、クレアが叫ぶ。

 だが、日下部はただ、こちらを見下ろし続ける殺意の籠った視線に、動けずにいた。カイニスは心配だ。しかし、目を逸らせば、その瞬間に負ける。そう直感していた。


「エリサ!!」


 動かないエリサを抱え、走るクレアに、ようやくエリサは困惑したような表情で視線を巡らせる。

 気を失ったカイニスは、団員が抱えていた。


「どうしてドラゴンが!?」

「いいから走れ!」


 上級種の魔物であるドラゴン。本来なら装備を整えた騎士団が対応して、退けることができる程度の相手。

 見習いの試験場に使われる地下迷宮にいるはずもない。なら、何故いるのか。


――違う。今考えるべきことは、何故いるのかではない。

 珍しく困惑しているらしい日下部を抱える腕に、力を入れ直す。


「――っ」


 4階層の狭い通路が功を奏したのか、ドラゴンはその巨体で動きにくそうに追ってきている。しかし、その目は確かにこちらを捕らえていた。


「デカい図体で詰まってやがる……今のうちに本隊と合流する!」

「了解!」


 大きな翼は、本来空を駆けるために使うのだろう。だが、この狭い迷宮ではその翼は広げることもできず、本来地面を駆けるために使わない四肢で追いかける速度は遅く、このまま走れば逃げ切れる。

 しかし、ドラゴンは足を止めると、胸が大きく膨らむ。


「ヤベェ……!!」


 炎を吐かれる。この狭い通路だ。炎を吐かれたら、逃げ場はない。

 首を大きくしならせ、吐き出される炎の塊。


「シルフやシルフ! 風を押し返せ!」


 背中から大きく吹いた暴風は、炎の塊の動きを止め、散らせた。


「ノーム! クルップ爺さんにドラゴンがいたって伝えろ!」


 確実性はない。だが、この方法が一番早くドラゴンの存在を本隊に知らせることができる。

 ドラゴンの速度も遅く、先程の精霊の攻撃で少し警戒したのか、炎を吐く様子はない。とにかく本隊のいるキャンプ地まで走る。


 キャンプ地まで走る途中、クレアと日下部が通り過ぎた途端、突然通路が閉じ、ドラゴンとの間に壁が現れる。


「閉じ、た……?」


 閉じる条件はわかっていなかったが、運よく斥候班が通り過ぎたタイミングで良かった。そうでなければ、また扉を開ける必要があり、ドラゴンに追いつかれてしまう。

 だが、何度か不自然に閉じた通路に、ようやくそれが人為的であることに気が付いたが、時間稼ぎであろう行為にとにかくキャンプ地まで急いだ。


「嬢ちゃんたち、無事か!?」

「カイニスは!?」


 クレアの腕から降ろされると、日下部はすぐにカイニスの元へ向かう。気絶はしているが、生きているようだ。

 カイニスの無事を確認すると、安心したように胸を撫で下ろすが、問題はまだ片付いていない。


「多少の足止めはできちゃいるが……長くは保んぞ」

「やっぱり、あの壁はアンタか」


 日下部の使った精霊を伝令代わりにした通信手段のおかげで、斥候班がドラゴンに追われていることを知ったクルップは、ノームを使い通路を塞いだ。

 同時に、モーリスは4階層から撤退すべく、全班へ連絡は済ませ、既に撤退を開始している。


「今は細い通路に詰まって遅いが、上に行ったら簡単に追いつかれる。俺が囮になる。モーリス、あとは頼む」

「……わかった」

「ダメだよ」


 否定したのは、日下部だった。


「……もしかして、僕らのこと心配してくれてる? エリちゃんってば、意外に優しいのね。大丈夫よ。適当に攪乱して逃げるからさ」


 へらりと意図して作った笑顔で取り繕えば、ひどく冷たい目をしていた。

 またやっちまった。そう思っても、もう遅かった。


「上に逃げて、追いかけてきたら、もっと手が付けられなくなる。それで倒せる算段でもある?」

「うまく穴から外に出てくれるかもしれないじゃない」

「死にに行くやつは気楽でいいな」

「うん。そうだよ。だから、生きてよ。エリちゃんはさ」


 本気で、心の底から思った言葉を伝えれば、エリサは目を見開いて、口を噤んだ。


「カイニスとエリサを頼む」

「お前さん……あぁ、わかった。どうにか守ってみせる」


 明らかに体躯に合っていない通路を追ってくるということは、追ってくるのが4階層だけだとは思わない方がいいだろう。

 頷くクルップとルーチェに、安心したように眉を下げると、先程までの通路に向き直る。


 殿を残し、撤退を始める探索班。日下部たちは後方にいた。


「エリサさん、気持ちはわかります。けど、逃げなきゃ、クレアさんたちが残ってくれた時間も無駄になります」


 抵抗するように重い日下部の腕を引きながら走るルーチェは、諭すように声をかけるが、日下部は虚空を睨んでいた。

 そして、足を止めた。


「エリサさ――」

「ダメだ」

「嬢ちゃん、お前さんが足を止めて、追いつかれちまったら、残った連中は無駄死になっちまう。お前さんならわかるだろ。分かった上で、ここに残るっていうなら、わしは無理にでも連れ出す。約束したからな」


 自分を犠牲にしてまでも、生きてほしいと願った相手を代わりに守るなどと、軽い気持ちで言ったつもりはない。


「お前ら、何を揉めてる!!」


 遅れる日下部たちに、モーリスが気が付き、足を止めて戻ってくる。



 いまだにドラゴンを倒そうとする日下部に、モーリスはあからさまに眉を潜めた。

 騎士見習いの試験場に倒せるとは思えないドラゴンの存在に、通路に合わない体躯の魔物。


「明らかにおかしい。2階層まで来られたら、森を焼かれて終わり。3階層だって、ここより広い通路じゃ、もっと戦況は悪くなる。一番弱体化して可能性があるのが、この細く入り組んだここだ。押し戻せる戦力はない上、残った奴らは旅団の中でも実力者だろ。それを失えば、ただ炙り殺されるのを震えて待ってるだけになるぞ」

「だったら、何か作戦を絞り出せ。今すぐ!!」


 モーリスだってわかっている。このまま逃げたところで、知能も高いドラゴンが追ってくる可能性は考えられるし、2階層の森だけでも焼かれたら、旅団の全滅までの猶予はなくなる。

 だが、対抗策が無かった。旅団の出し得る戦力の一角を失ってできるのは、ただの時間稼ぎだけ。


 ドラゴンが動きにくい狭い通路がなんだ。硬い鱗は剣を弾き、高い防魔力は魔法や加護の影響を少なくする。とりわけ、火属性などほとんど効かない。

 旅団が持ち得る武器で、対抗する方法がないのだ。


「もし、思いついたのなら、その時は協力してやるよ。どの道、死ぬならドラゴンと戦った方がマシだ」


 吐き捨てるモーリスの言葉を、日下部も理解はできていた。しかし、納得できず、俯き床を睨むことしかできなかった。

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