第26話 おはよう

 第五拠点はお粗末な小さなテントが多く、第三拠点は畑がほぼ全てを占めている。この第六拠点はその両者に比べれば、第一拠点のように小屋もあって、小学生くらいに行ったキャンプ場に似ている。

 旅団の人は木材などの重そうな荷物を運んでいるが、その中に女の人は見当たらない。畑も小さく見えるし、池もある。水運びもしなくていいらしい。ここなら楽な仕事ばかりかもしれない。


「昨日も言ったけど、やってほしいことは松明の補充」


 3階層へ続く洞穴の近くに、薪が大量に積み上げられていた。

 日下部の代わりにやってほしいと頼まれたのは、迷宮3階層の松明の交換と補充。


 ここに来たばかりの頃から、この地下迷宮を攻略することができれば、ここから出ることができると言われていた。

 なら、早く攻略すればいいのに。

 本当は外に出たくないんじゃないか。そう思うほどノロマだ。

 でも、そんなことを言って、自分でやれと言われても困るから口にはしないけど、もう少しやれることがあるだろう。


「一応この服着ておいて」

「わかりました」


 作業着かと渡されたのは、今着ている服と大差ないざらついた服。

 ずっと同じ服というのもイヤだし、会社の制服で畑仕事というわけにもいかないので、着替えてはいるが、正直渡される服はお世辞にも良いとは言えない。

 着たことはないが、中古の服の方がもっとマシだと思う。


「じゃあ、僕は別の奴にも色々話してこないといけないから、着替え終わったら、籠に薪を詰めておいて」


 テントの中で着替えてみれば、少し大きめで縫い直している形跡もある。作業員で着回しているのだろうか。

 肌触りは良くはないが、かゆくなるほどひどくはない。もしかしたら、今まで着た服で一番良いかもしれない。迷宮探索に関わるから、一番上等な服を渡されるのだろうか。


 背負い籠に薪を詰め込みながら、ふとそれを抱えてみた。持ち上げられなくはないが、結構な重量だ。補充というのだから、詰めた籠の内ひとつは持つことになるのだろう。


「これでいいかな……?」


 ひとつだけ中身を少なくして、自分にだけわかるように薪を組んでみた。あとは自然にこの籠を先に背負ってしまえばいい。


「おまたせ。んじゃ、行こっか」

「え゛っ」


 さっそくと洞穴を指すクレアに、つい声が漏れてしまう。


「あ、いえ、えっと、日下部さんは……」

「エリちゃんは別件中。大丈夫。要件は伝えてるから」

「あの、ふたりだけ、なんですか……?」


 洞穴の前にクレアと自分以外の姿は無い。まさかと思い聞くが、不思議そうな表情で頷かれた。


「松明の交換だけだし、僕が護衛で、イシノモリが交換。人も多いわけじゃないからね」


 あり得ない。

 3階層は、ここよりずっと魔物が多いと聞く。そんな場所にふたりだけ?


「わ、私は不慣れですし、訓練もほとんどやってなくて……」

「大丈夫大丈夫。僕強いし」


 薄ら寒い笑みに不安は消えないが、これ以上聞けば、前のようにめんどくさそうな目をされるかもしれない。そしたら、第三拠点に戻れと言われてしまうかもしれない。

 もしかしたら、噂は嘘なのかもしれない。少なくとも、松明の交換をする場所は、既に旅団が攻略を済ませている場所だ。拠点のように安全かもしれないし、妊婦に紹介するような仕事だ。大変なはずがない。


「……」


 予定通り、軽く用意した背負い籠を背負えば、クレアは早速洞穴の中に行こうとする。

 どうやら籠を背負うのは、私だけらしい。


「ん? 僕持った方がよかった?」


 はい。

 とは言えず、首を横に振る。

 『護衛なのに背負わせるの?』という声が聞こえた気がした。荷物を持てば、その分動きにくくなり、結果的に襲われやすいということなのだろうと納得し、黙って後ろについていく。


 坂道を降りると、そこは真っ暗な空間だった。

 燭台はあるが、松明に火がついているものは無く、燭台の下に散らばっている。


「手前から順番につけて進むから、後ろについてきて」

「は、はい」


 不気味な暗さと静けさに息が詰まる。

 火のついた松明を手に、燭台に薪をセットして、火をつける。それを両サイドに。

 照明とは違うものの6本もつければ、だいぶ明るくなり、先程までの不安も少し収まる。最初こそ不安だったが、作業としては言われた通り、難しくはない。

 何度か狼のような魔物が襲ってきたが、それもクレアが倒していた。


「クレアさんって日下部さんと仲がいいんですか?」


 ずっと無言で作業というのも気まずくて、話題を探せば日下部とのことくらいしか共通の話題は無かった。

 上司と言っていたが”エリちゃん”と呼んでいるのは、そういうことだろう。

 私から見ても自分を守ってくれる姿はカッコイイし、高身長で男らしい上に、話しやすい雰囲気。惚れられる要素は多そうだ。

 日下部は恋愛に興味が無さそうで意外ではあるが、いきなり異世界に連れてこられて、おかしくなってどこかに走っていった挙句、助けてもらって……とかいう展開だろう。


「悪くはないと思ってるよ」


 はぐらかすなら、日下部で呼べばいいのに。

 もしくは、良いと言えばいいのに。別に根掘り葉掘り聞く気はないんだから。


「ほら、エリちゃんって難しいじゃない」

「あぁ、わかります。変わってますもんね。うちの職場でも、プライベートが謎な子って言われてたんですよ」


 仕事やニュース以外の会話はほとんどなく、相槌混じりに語る言葉だけでも変わっていることが滲み出ていた。

 その上、稀に相川のような気にしない人間が話を聞いては、はぐらかしているのが丸わかりの回答を返していた。


「養護施設出身じゃないかって噂があったんで、あんまり学校の話とかも聞きにくくて」

「養護施設?」

「親に虐待されたり、捨てられたりした子供の保護施設です。なんか、履歴書に家族構成の記載がなかったとかで話題になって……」


 これは履歴書が届いた時に話題になって、課長が話していたので覚えている。面接の後から妙に口が堅くなり、話を聞こうとする相川を注意しているのを小耳に挟んだので、おそらく本当の事なのだろう。


「虐待されてかわいそうだとは思いますけど、性格も歪むって言いますもんね」

「ふーん……」


 少しつまらなさそうな声に、別の話題の方がいいかと周りを見て、暗闇の奥で何か動いたような気がした。

 魔物ならクレアが動いてくれるはずだが、こちらを不思議そうな顔で見ていて、ひとまず松明だけセットをする。


 話題がないと、やっぱり不気味だ。

 それに、やっぱり先程の暗闇。何かが蠢いているようで落ち着かない。

 もし魔物だったら、背後から突然襲われたら、そう考えると心配で、つい手に持った松明を脇道へかざした。


「――――」


 そこにいたのは人だった。

 ただ白く濁った眼でこちらを見て、皮膚は黒く変色し、傷口や開いた口からは小さく白い虫が這っている。


 開いた口から漏れたのは空気の漏れ出る音だけで、抗えない力で引きずられ、助けてと出ない言葉を明るい通路へ叫ぶが、明かりはどんどん離れていく。


「ひっ――――」


 最後に見たのは、薄らぼんやりとした赤く血走った目だった。




「随分と気持ち良さそうね」


 湿り気のある足音をさせて、血走った目を閉じて食事をするブギーマンを見下ろす。

 食われた石ノ森は、半透明の体の向こうで未だ暴れるように動いている。


「”踊り食い”ね。なるほど。確かに。うまいようでよかった」


 無機質な声と共に、鈍い光がブギーマンを切り裂いた。


 腐敗臭と共に白濁したゼリー状の物が地面に広がる。べちゃべちゃと藻掻くように這い出る女は、まだ生きているらしい。

 呻きながら、何かを探すように腕を周囲に叩きつけては、ブギーマンの体だったものか、自分の体だったものかわからない物体で水音を立てた。


「ぅ゛ぁ゛……ぁ゛……」


 あの様子では、すでに目は潰れている。

 連れ帰るつもりはないが、握っている剣を握り直せば、近づいてくる足音。腐敗臭に誘われた魔物だ。

 少し離れれば、一匹は食料を取られないよう威嚇し、他は鮮度の高い食料の足に噛みつき、呻き声は通路の奥へと消えて行った。



*****



 扉の向こうから聞こえる声は、驚くほどつまらなくて、寝返りを打ちたくても動かない体にため息をついて、どうにか隙間を探す。

 今日はうまくいかない日らしいと、諦めて眠りにつけば、珍しく騒がしい声が聞こえる。


 何かと寝るのをやめて、騒がしい声のする扉を開ければ、そこはオンボロの小屋。


「?」


 靄のかかった違和感に振り返るが、あるのは石畳の道。

 よく遊びに来ている神社の境内にある小屋だ。昔はこのオンボロ小屋が本殿で、何かの理由で建て壊しが行われていないらしい。しかし、老朽化していつ崩れてもおかしくない状況のため、立ち入りは禁止されている。

 いつものように、ひとりで建物の階段のところに腰掛ける。


「エリサ! お前、またこっちに来たのか!」


 聞こえてきた声に鳥居の方へ目をやれば、爺さんがこちらへ向かって歩いてきていた。


「いいじゃん。好きなんだよ。ここ」

「崩れるかもしれないって言ってるだろ! 遊ぶにしろ、建物から離れる!」


 子供ながらにそれでいいのかは疑問だったが、実際に建物から離れて遊んでいる分には爺さんは怒らない。


「……学校の友達と遊べとか、普通は言うんじゃないの?」


 田舎では転校だけでも話題な上、転校してきた学校の友達と遊ぶわけでもなく、溶け込めない自分が色々言われているのは自覚がある。その上、爺さんたちにも迷惑が掛かっていることも。


「普通って、何を基準に言ってるんだ」

「多数決の多い方の意見」

「だったら、そいつら殴り殺してしまえ」


 人数の多い方という決め方なら、それで解決できてしまうと、悔しいが納得してしまう。現実的かどうかはおいといて。


「だいたい大事とか好きなら、誰彼構うもんじゃない。ま、お前に言うことじゃないが」

「なにそれ。大事な物なさそうってこと?」


 失礼な。世界を敵に回しても君を守る的な存在は確かにいないが、そこまで否定される覚えはない。


「違う違う。元からできてるんだよ。エリサは優しいから」


 優しい? 血も涙もないじゃなくて?

 時々、爺さんや婆さんが言う言葉がわからないことがある。孫補正を加えるにしろ、納得できない。


「孫補正が強すぎる」


 納得できた回答を口にすれば、違うとばかりに頭を叩かれた。

 じゃあなんだと、涙で霞んだ視界で見れば、意識が遠のくように爺さんが離れていく感覚。


 慌てて伸ばした腕は、見知らぬ天井に伸ばされていた。


「…………」


 夢だと理解したのはすぐで、随分と長く眠っていた気がする。

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