第19話 異世界を堪能しなければ楽しくない


「毒キノコ―! 食べて死ぬ!」

「はい!?」


 テントに戻って早々採集袋を漁れば、カイニスに襟を掴まれ、採集袋を奪い取られる。


「どうしたんですか? 急に……貯水槽に放り込むならまだしも……」

「じゃあ、貯水槽に放り込むから……」

「その前に何があったかを教えてくれないですかね……?」


 警備の人間以外、夜間に外を出歩くことは禁止されているため、誰かに聞かれることはないであろうが、小声で洛陽の旅団が口減らしを行っていたこと、食料が底をつきかけていることをカイニスにも伝えた。クレアに関しては、伝えなかった。

 ハミルトンから、このまま飢えて死ぬか、迷宮攻略に手を貸すか、どちらかを選べと言われたことだけを伝える。


「……育ててる作物に食える魔物を合わせて、長くて50日……その場合、後半の方は迷宮攻略なんて言ってらんないでしょうね」

「そうだろうね。タガが外れそうなタイプは、アレだから多少大丈夫だとしても……」


 しかし、だからこそ何も言えず、倒れて、倒れて、でも助け起こす方法はなく、結局誰かが最後のタガを外すんだ。


「この人数分の備蓄ですし、奪えば俺たちなら一年持ちますかね」


 だから、貯水槽に毒草放り込もうかと笑うカイニスを見つめる。


「エリサさんならそう言うかと思ったんすよ」


 自分でもどうかと思うが、カイニスの言葉は事実だった。

 実際、旅団から食料や資源を強奪すれば、きっと長く生きることはできる。


「カイニスは、外に出たいと思わないの?」


 それは、同時に迷宮攻略を放棄することに他ならない。

 この地下迷宮がどれほどのものかはわからない。だが、少なくとも洛陽の旅団との協力なしに攻略ができることはない。

 だから、旅団を全滅させて生きながらえることは、同時に迷宮攻略の可能性を自らの意志で潰すことになる。


 もし、カイニスが外に出たいと言ってくれれば、きっと私は迷宮攻略を頑張れる。

 他人ではなく、自分で選べ。自分の意思で決めろと、そういう人間は多い。

 だけど、そういう人間ほど求めるのは”真っ当な人間の答え”。その言葉と行動に対する責任ですらない。


 だから、カイニス真っ当な人間外に出たいという言葉を聞きたかった。

 言い訳にしないから、自分の言葉だと責任も取るから。


「エリサさんは?」


 学校や職場の探り合いに似た視線。

 当たり障りのない言葉で相手を探って、敵と味方を選別して。 


「……俺の答えは決まってます。エリサさんがどっちを選んだところで、変わることはないです」


 前に、領地を焼いたのだから地下迷宮に幽閉されるのは仕方がないと言っていた。

 それに、黒竜を見た旅団の恐怖と嫌悪の反応。

 例え、地下迷宮を攻略して解放されたところで、国が変わらなければ黒竜というだけでカイニスに居場所はない。この地下迷宮と変わりはない。


「そういうことです。だから、エリサさんの意志が大切なんですよ」


 カイニスは、いつものように厚手の毛布を渡してくると、置かれていたボロボロになった靴の剥がれた皮を縫い直す手を再開する。


「うちの領地は国境に近かったんで、魔王軍とか魔物も多い地域だったんです。だから、冒険者が拠点にすることも多かったんです」


 だからこそ、領主の息子と許嫁という高い地位の身分でも、期間限定で冒険者になることが可能だったともいえる。


「普通は騎士団に入りそうだよね。試験落ちてグレた?」

「父親からは騎士になれって言われましたけど、その……シャルル冒険記がかっこよくて……試験日にバックれました」

「そりゃ仕方ない」


 憧れがあるなら仕方ないとは思うが、カイニスって決めたことに関しての行動力が半端ない。

 領地丸焼きにしたり、親からの騎士団の試験から逃げ出したり、この世界が中世に近いのなら両親のしかも領主の命令に背くって相当だと思うが。


「まぁ、うちは中央から追いやられた亜人とか妖精族とかも多くて、ある意味傭兵の取り纏めて、辺境伯の指揮する騎士団に合わせるって感じだったんで、結果的に騎士より冒険者の方が話が早いことも多かったんで、良かったってことになりました」


 全部が全部悪いわけではなかったということではあるだろうが、少なくとも領主の長男がやることではない気もする。

 挙句に、許嫁と仲間に裏切られて、領地を焼いて……文面だけだとカイニス相当悪い奴じゃないか?


「ま、いっか。それより、亜人とか妖精族が追いやられたって?」


 亜人とか妖精族の単語そのものはなんとなく想像がつくが、それが追いやられたっていうのは、迫害ということだろうか。

 迫害そのものはよくある話で驚きはないが、そこには必ず深層心理が存在する。種族同じでも色違い、思想の違いで迫害なんてどこの国にもある歴史だし。


「アポステル大国は、人族至上主義なんです。純血の妖精族ならまだしも混血や亜人は特にひどいですね。ペット同然というか、それ以下というか……中央じゃ、濡れ衣どころか、理由なく殺しても罪に問われないことがほとんどですから、逃げてくるんです」


 周辺諸国からも、種族への迫害に関しては非難されていたという。

 亜人、混血の迫害はどの国でも歴史に存在するが、今はそれを緩和し、平等の道を歩み出していた。だが、アポステル大国は魔王軍と戦うため、人族以外の種族を悪とし、迫害を続けた。

 おかげで、たった一国で魔王軍との戦いを長年続けることになったとも言えるが、広大な大地に資源。思想の誘導。おまけに、神器。

 それだけ揃えば、隣国からの支援がほとんどなくても、魔王軍と戦うことができるのだろう。


「……待って。この国、単独で魔王軍と戦ってんの?」

「単独ってわけじゃないですけど、魔王軍が魔族が中心ですけど、大部分は亜人の組織ですし……」

「魔物うようよじゃなくて?」

「魔王軍も知能がない魔物はさすがに扱えないみたいっすよ。俺が戦ったことある魔王軍もみんな知能がありましたし、共用語を話せるのもいました」


 つまり、普通に戦争。

 人を滅ぼそうとしていたり、世界を破壊しようとしている魔王を止めたりとか、そういうわけではなく、亜人を迫害した結果、迫害された亜人達が徒党を組んで攻め入ってきたという人VS人と大差ない争い。


「それ、カイニスのところにいた冒険者たち、真面目に戦うの?」

「戦わないっすね」

「ですよねー」

「だから、基本的に俺たちは魔王軍というより、周辺にいる魔物討伐とかがメインでしたよ」


 迫害されてきた人間が、同じような境遇の人間がそれを理由に剣を向けてきたとして、自分たちを迫害した人間を守るかと言えば、すぐに振り返って一緒に石を投げてやりたいと思うだろう。


「でも、なんつーか、みんな自由でしたから」


 困ったように眉を下げて笑う様子に、なんとなく想像ができるような気がした。

 冒険者と呼ばれるような人たちだ。自由なのだろう。取り纏めからすれば、頭痛の種だろう。


「ホント、自分で決めた道を進むために、迷わず一直線に向うのがカッコイイんすよ」


 本当に、ヒーローに憧れる少年のような表情で笑うカイニスに、自然と視線が下がり、毛布を握る手に力が入る。


「だから、エリサさんも迷わず命を賭けられる方を選んでください」


 迷宮を攻略すれば、ここに捕まっている人たちは外に出られて喜ぶだろう。違う。

 そんな定型文は、つまらない。楽しくない。


 カイニスとクレアのため。それならきっと頑張れてしまう。でも、違う。

 それはどこかでふたりのせいにしてしまう。


 なら、いっそ全員を殺して、餓死するその時まで、ここでのんびり暮らそうか。

 なんてつまらない。せっかく異世界に来たというのに、まだ異世界を堪能していない。もっと夢を見ていたい。


「――」


 つまらない。

 つまらない。

 どうして、つまらない方を選ばないといけないんだ。


「……カイニス、さっきの質問訂正するね」


 ”外に出たい”

 それは、カイニスの願いではない。外に出ようが、地下迷宮にいようが、彼にとって大差がない。

 だから――


「外に出たって構わない?」



*****



 地下迷宮にも光が指し始めた頃、クレアは驚いた顔でハミルトンを見ていた。


「本気で言ってんですか……? 今回は神器も奪った! 遠からず、もう一度騎士団が派遣されてくる可能性があるんですよ!? なのに」

「だったら、アイツを殺すか? 旅団に残せば、アイツは躊躇なく最後の引き金を引く。だから、迷宮探索を拒否すれば、粛清しなきゃならねェ」


 珍しく動揺を隠しきれていなかった。そんなクレアの様子に、ハミルトンは静かに目を伏せた。

 たった一日。知り合いを自分の手で殺すという本来であれば動揺して然るべき状況でありながら、日下部はただ普通に過ごしていた。その目に確かな嫌悪を秘めながら。

 危険だと直感した。血に濡れた手に恐怖し、誰かに縋るのならまだいい。自己嫌悪に近いそれは、他者を巻き込み、破滅させる。


 だが、終焉の笛に嘆くものがいると同時に、終焉の笛に喜ぶものもいる。

 躊躇ない彼女の笛は、良くも悪くも輝き、人を魅了する。それに、救われてしまう人がいる程に。


「……必要なら、その時は」

「いや、俺がやる。アイツにも、後悔することになるって脅されてるしな」

「また脅したんだ……度胸あるなぁ、ホント」


 微かに俯くクレアの目は呆れたように笑うと、その目は冷えたものへと変わる。

 そして、ハミルトンを見つめ、口を開いたその瞬間、テントの布が捲り上がる。


「おっはよーございまーす」

「入ってくるなら声かけろ」

「朝早すぎて人いないと思ってたから、別にいっかなーって思いました。申し訳ありませんでしたー」

「いや、ワザとでしょ……絶対。だいたい、エリちゃんこんな時間に朝早く起きないでしょ……」

「起きれないなら、起きなければいいんだよ。締め切り前とかそんなもんだよね。超つらい」


 妙なテンションの高さと屁理屈ばかりの返しに、クレアも引きつった笑いしか出てこない。

 きっと徹夜してまで考え込んだことというのは、先程ハミルトンから聞いた、迷宮探索か、諦めるか。どちらにするかという質問への答え。


「決めたのか」


 ハミルトンの鋭い視線が日下部を差す。

 諦めるなら命を賭けろ。そう言われても、きっと日下部は笑って差し出すだろう。あの時のように。

 自然と剣に手が触れていた。

 後先をなんて、そんなもの、ここにはもう存在しない。


「あぁ、考えてみたら、腹減って死ぬとかすっげーやだ。女の人って筋力少ないから案外エネルギーも消費しないで水だけでも頑張っちゃうらしいよ。ヤダヤダ」


 だから、その言葉を聞いた時、誰よりも呆けた顔をしてしまった。


「どうせ死ぬなら、餓死より迷宮探索して罠にかかるだの、魔物に殺された方が楽しいだろ」


 その目は、本気で迷宮を攻略できると思っていないくせに、絶望のひとかけらすら見えなかった。


「というわけなんだけど、マジで前の約束通り……?」

「そういう約束だろうが」

「……」


 唸る日下部に、クレアもふたりを見比べる。


「――――は?」


 ハミルトンと日下部の間に交わされていたクレアを任せることを聞かされ、頬が引きつった。


「ちょ、ちょっと!? 僕の意見は!?」

「知らん」

「知らんって! 大事でしょ!? エリちゃんだってそういうの嫌いでしょ!?」

「戦力は多い分に越したことないかなって。ほら、マイナス1だから、これでようやくプラス」

「ダメだこいつら話にならねェ……! カイニス、まともな意見をくれ!」


 先程、テントに入ってきたカイニスも、今のことは初耳だが、日下部の意見には賛成だった。

 いくら狩りに慣れてきたとはいえ、地下迷宮の攻略は話が変わる。戦闘に慣れていない日下部のフォローを加味すれば、クレアがいてくれるとは助かる。


「なので、クレアさんがいてくれるなら俺もうれしいっす」


 はにかむような笑みは、心からそう思っているのだろう。

 言いたいことは山ほどあったが、カイニスの言葉に漏れだしそうになる言葉をつい止め、ため息として吐き出すしかなかった。


「……団長もエリちゃんも人の話聞く気ないよね。僕の人権どこに行っちゃったの? お前も言いたいことあるなら言っときなよ。聞いてもらえないから」

「クレアさんよりは聞いてもらえますよ」

「ひでぇ」


 笑顔で返すカイニスにクレアも頬が引きつるが、事実であろうことがそれ以上の言葉を失わせた。

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