第12話 飢えた獣の気付け


 腕は動かなかった。


 ノイズをかき分けるように、ナイフに触れていた手が抑えられ、間に入ったふたつの腕。


「――」


 腕を抑えていたのはカイニス。相川の前へ、腕をやっていたのはアレックス。

 ふたりの視線はどちらも自分を見ていて、焦りと警戒の色を持っていた。


「…………」


 これは、さすがにムリ。


「アレックスさん! ちょうどよかった! 日下部さんのことで相談がありまして――」

「失礼。その話は後で」

「ぇ……」


 困惑する相川を他所に、アレックスはこちらを見下ろして、カイニスもこちらを見ては焦るようにアレックスに目をやる。

 そのふたりのただならぬ雰囲気に、相川もアレックスとカイニスを見比べては、最終的にいつもと変わらない様子の日下部に助けを求めるように視線をやった。

 しかし、その視線は交わることはない。


「あ、アレックスさん? そちらの方も旅団の方ですか? 初めてお会いする方ですよね」


 日下部のその様子に、努めて明るい声でカイニスのことを聞くが、アレックスは少しだけ目を細める。


「アイカワ殿。少々、席を外して頂いてもよろしいですか?」

「え、ぁ、でも」


 日下部の方を確認するが、どうにも連れていける雰囲気ではない。

 状況は全く理解できないが、有無を言わさないアレックスの声色に相川はおずおずと頷くと、離れて行った。



「残念だったね」


 クレアの言葉にアレックスが知っていたのかと責めるが、あの時、偶然見かけた日下部のただならぬ雰囲気と殺気に、反射的に相川と日下部の間に割って入った。日下部が腰のナイフで相川を襲おうとしていたことに気が付いたのは、カイニスの姿を確認してからだ。

 いつの間にか、異世界人が殺人行為を容易く行えるはずがないと思い込んでいた自分に比べて、カイニスとクレアはまるで最初から分かっていたかのようだった。


「そりゃ知ってるって。むしろ、今までよく会ってなかったよ。どんだけ裏から入ってたの」

「アンタ、知ってたなら止めてくれりゃよかったじゃないっすか」


 洛陽の旅団であるクレアならば、日下部が嫌っている相川と石ノ森がこの第三拠点にいることは知っていたはずだ。だが、カイニスと日下部には伝えていなかった。


「なんで? 僕には関係ないし。むしろ、アレが原因(カギ)ってんなら、僕としては万々歳だし」


 日下部が第一拠点を明らかに避けていると気づいた時に、クレアはすぐに相川と石ノ森の存在かと察していた。

 ふたりを嫌っていることは知っていたし、実際に殺意を口にすることも多かった。懸念があるとするなら、今までの異世界人同様、いざ目の前にすれば人が変わるのではないかということ。

 怒りと恐怖は親しいもので、彼女が第一拠点を避けていたように、いざ相川と石ノ森を目にした時、彼女がどういう行動に出るか。クレアにとって、それは見極めるべき重要なことだった。


 だから、日下部と相川が顔を合わせた時、恐怖の色を強めた彼女に諦めに似た何かを感じた。

 だが、一呼吸おいた彼女の眼の色が、冷たいものへと変貌した様に息を飲んだ。


「本気で言っているんですか?」

「僕はいつだって本気だよ。それに、あの子たち第三に断られたら、第四でしょ」


 クレアの言葉にアレックスの表情が曇る。

 これまで、相川と石ノ森のふたりは第一、第二拠点で仕事をしていたが、その振る舞いに居住を断られていた。

 そして、第五、第六拠点にも打診したが、彼女たちの望む仕事は既に人手が足りており、結果住人の年齢層が高く、広大な畑を管理するのが主な仕事である第三拠点に来ていた。

 だが、すでに役割分担だと畑仕事をほとんどしない様子や他人への悪口や罵倒する様子に、数名から文句が上がり始めていた。

 洛陽の旅団の拠点も多くはない。アレックスからも、協調性について伝えているが本人に悪気は無く、全く通じていない。それどころか、日下部についての話というのは、三人組で行動させてほしいという依頼だろう。


 せめて、別々に行動してくれれば受け入れてくれるかもしれない。

 だが、聞き入れてくれる様子は無かった。


「とにかく、これではっきりした。アレックス。団長には今回の件、伝えといてくれ」


 日下部が、相川と石ノ森に出会った場合、その場で殺人行為が行われる危険がある。

 異世界人を保護している洛陽の旅団として、それを容認はしない。

 今は時々入り込んでいる程度だが、旅団として勧誘を続けるのであれば、いずれは解決しなければいけない問題になる。

 立ち入り禁止程度であれば、大きな問題にはならない。

 だが、もし、別の決断を下されたのなら。


「そんな怖い顔しなくて大丈夫だよ。うちの団長、そういうところはシビアだから」


 カイニスの考えを察したのか、クレアが答えるが、カイニスの表情は浮かない。それは、アレックスも同じだった。


「んじゃま、ひとまず帰ろっか。エリちゃん」


 危険因子を拠点に長時間置いておくわけにもいかない。

 瞬きもせず首を傾げる日下部に声をかければ、カイニスと共に第三拠点を出た。

 残されたアレックスは、大きくため息をついた後、ひとつのテントに向かえば、相川は外で待っていた。


「アレックスさん、日下部さんは」

「一度、帰って頂きました」

「帰っ……じゃあ、第四拠点にいるんですか?」

「いえ、彼女は拠点ではない、別の場所にいます」


 拠点ではない別の場所と言われて、思いつくところは無かった。この迷宮には、洛陽の旅団の拠点以外の安全な場所はない。


「もしかして、探索班? そんな……! かわいそうです! 日下部さんは、確かに仕事はできますが、女の子なんです! それに若くて、経験も知識もないですし!

 それに、急にこんなところに来させられて混乱してるんです! だから、あの日だって急にどこかにいって……心配なんです! 知っている顔がいると安心するじゃないですか。だから、少しでも――」

「短期間ということでしたが、そろそろ石ノ森殿を別の班へ異動させたいのですが、どうでしょう」

「ぇ……日下部さんと石ノ森さんが交換ってことですか?」

「いえ、そろそろ一人ずつで仕事についていただきたいということです」

「でも、石ノ森さんも日下部さんもどちらも心配だし……それに、気ごころを知れた人との方が、仕事も効率的に進みます! 一度試してみるというのはいかがですか?」


 先程まで自分を殺そうとしていた人物を、気ごころを知れた人物だからと一緒にいようとする相川に、アレックスも少しだけ眉を潜める。致命的に、自分の評価を妄信しているのだろう。

 もし、ここで殺されかけていた事実を伝えたとして、彼女は信じないのではないだろうか。認めようとしないかもしれない。


「本当に、日下部さんは優しい子なんです。確かに、虫は平気みたいですけど、でもそんな魔物を倒すなんて……運動神経も悪そうだし!

 日下部さんが苦手なことは、私がフォローしますから!」


 会話は平行線だ。いつだって同じ。相川とこの手の話をする時は、必ず交わることがない会話になる。 


「あ、石ノ森さんにも確認しないと……」


 そう言って相川は一度、テントの入口を開き、石ノ森へ声をかける。


「日下部さん? あ、えっと……一緒に働くんですか?」

「そうだよ。二年間一緒に働いてたんだから、お互い動きやすいでしょ」

「え、でも……」

「あ、もしかして、日下部さんのこと、苦手? でも、お互い知ってる方がやりやすいでしょ?」


 表情の優れない石ノ森に、相川はやや焦るようにまくし立てるが、石ノ森もはっきりと首を縦には振らなかった。


「イシノモリ殿」


 相川がいないところで、石ノ森だけを呼び止める。さすがに、アレックスの聞きたいことが明白だからか、表情を曇らせるが、石ノ森は視線を合わせず答える。


「元々日下部さんは、退職予定だったんです。だから、一緒に働きたくないんだろうなって……」

「退職……そうですか。詳しい理由などは聞いていませんか?」

「いえ、理由は……日下部さん、よくわからない人でしたし。本当に仕事だけして帰るだけで、プライベートもわからないし、誰かと仲がいいって話もないし。何がしたいかわからなかったし、たまに不機嫌な時も理由わからないし。

 ここに来た時だって、私たちを置いていこうとしたし」

「そうでしたか」


 確かに、初めてアレックスが三人と会った時も、ふたりはずいぶん遅れて出てきていた。その後も、日下部はふたりを視界に入れないようにか、森の方をずっと見ていた。

 あれほどはっきりと態度に示すほど、既に関係は拗れている。

 そして、自分の命よりも、ふたりと共にいることを拒んだ。


「ところで、アイカワ殿と別の班で仕事をすることについてはいかがですか?」

「………………まぁ、仕方が、ないなら」


 最近の拠点での雰囲気が今までのところと似てきたことを、石ノ森も察してきていたのだろう。渋々といった様子で頷いた。

 


*****


 

 いつもの川原に戻ってきたカイニスは、静かな森の中を睨む。


「……気味が悪い位に静かっすね」


 拠点から川原へ戻るまでに、動物や魔物の一匹くらいいるものだが、今日は一匹もすれ違わなかった。

 冒険者の頃の経験上、こういった静かすぎる時は逆に何かが起きている。例えば、狂暴な魔物が近くにいて、勘の鋭い魔物や動物たちは逃げているとか。

 ここは地下迷宮。狂暴な魔物がどこにいてもおかしくはない。


「ちょっと見回ってくるんで、エリサさんのことお願いします」

「いいけど、僕の事信用してたの?」

「その状態でエリサさんをひとりにできないですし」


 あの後から自発的な言葉は、一言も発せず、返事は全て単調で乾いたもの。今もどこか上の空で、意識は別のどこかに向いていた。

 そんな日下部を連れて行くには危険だし、ひとりにするのも危険だ。

 クレアのことは完全に信用したわけではないが、日下部に対してだけならば、無為に傷つけることはないと思いたい。


「一応、お守り代わりにフウセンダケ渡しておきますね。叩くと大きな音と胞子が散らばって、腫れとかゆみが出るんで。顔面に叩きつけると効果的っす」


 いつもなら食いつきそうなものだが、やはりどこか上の空で、しかし、反射的なのか渡されたフウセンダケを指で遊んでいる。

 指でフウセンダケを転がす彼女の目は、気の抜けたような、冷たい目。


「エリちゃん」


 しかし、声をかけて、頬に触れてみれば、その目は異様な程に素早く反応し、こちらを捕らえる。

 冷たくなんてない。それは、獣が狩りを行う前のように、腹の中はドロドロに煮えたぎっていて、それをどうにか形作っているだけ。


「不完全燃焼で欲求不満なら付き合おうか?」


 のぞき込むクレアの視線と、息が掛かるほどの距離の囁き。

 頬に触れた手に誘われるまま、抵抗は無く、その手に持っていたフウセンダケは転がり落ちた。



「――で、なにやったんすか」

「マッッジでなッッ!?」


 大きな音に慌てて戻ってきたカイニスが見たのは、日下部とクレアが川の中で暴れまわっている様子だった。

 フウセンダケが誤爆することも対処がわかっているであろうクレアが、日下部共々川で水浴びをするところまでは想像通りだ。だが、想定より被害が大きい。


「焚火の中に放り込んだだけだもん!」

「あーもう! もっと体沈めろ! バカ!」


 口元まで沈められ何か言っているのか泡が浮かんでいるが、聞き取れない。

 しかし、何をやらかしたのかはよく分かった。


 空気が大量に圧縮されたフウセンダケは、叩くだけでも十分に胞子は飛ぶが、最も危険なのは火で炙った時だ。

 いくつか集めたフウセンダケを、嫌いな人間の炊事場に仕込んでおくという嫌がらせが存在するくらいに、威力がある。ついでに、炎のついた胞子が飛び散り、飛び火による火災も起きることがある。

 日下部には伝えなかったが、興味本位にやったらしい。

 結果、元々焚火のあった場所には穴だけが残り、周りにはいくつかの小さな炎。


「うーん……後頭部がかゆい」

「自業自得だ」


 爆発直後、すぐにクレアは日下部を小川へ放り込み、自身も川へ飛び込み、頭まで潜ると、胞子を落とし、服も脱いだ。

 そして、先程のように日下部の体や服についた胞子を落とすために、強制的に川に沈めていた。


「つーか、焚火吹っ飛んでんじゃねーか。エリちゃん、少しは反省しろよ。全部洗わねぇとロクに使えねぇんだからな」

「あ、大丈夫っすよ。必要なものは、安全圏に置いといたんで。この辺も洗い流しましたし、大丈夫っす」

「……用意いいねぇ」

「まぁ、エリサさんのことっすから、絶対爆発はする」


 容易すぎる想像に、クレアも水の中で胞子を流さず逃げようとする日下部を捕まえ、胞子を洗い流す手に力が入る。


「クーちゃん、禿げる。禿げるって。風邪ひくって」


 水の中で抗議する日下部は、いつもと変わらない様子で、カイニスは安心したように新しく火を起こし始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る