第5話 学科変更の誘い
針のむしろに座らされているような校舎から寮に戻ると、少しだけ心が軽くなる。
後はもうさっさと食事を済ませて部屋に引き篭もるだけ、そうすれば誰の声も聞こえない――そう思いながら自分のレターボックスを開けると目に入った濃桃色の封書に軽くなった気がまた一気に重くなった。
恐る恐るそれを手にとって部屋に戻り、レターナイフで封を切って便箋を取り出す。
<親愛なる娘、マリーへ。貴方がフレデリック様に婚約を破棄されたという噂がこちらまで届いていますが事実ですか? まだマリアライト家から正式な婚約破棄の連絡は来ていませんし、我が家は向こうから何か言ってくるまで知らぬ存ぜぬを通しますから早く仲直りしてしまいなさい。それが無理なら長期休暇中に退学手続きと身辺整理して家に帰ってきなさい。大丈夫。この母がすぐに貴方にふさわしい男を見繕って嫁がせてあげます>
予想通りお母様らしい文面だ。平民でありながら類まれな美貌と人より少し大きい魔力を持ち、若い頃酒場で踊り子をしていた所をお父様に見初められて結婚したのだ、と事あるごとに自慢気に話すお母様は物凄くお金にシビアで、玉の輿主義だ。
そんなお母様が自分の美貌と魔力を受け継いだ娘をより高い爵位の男に嫁がせよう、とお父様を説得してこのヴァイゼ魔導学院に通わせているのは目に見えて明らかだった――というか、実際にそう言われた。
だからって虐待を受けてるとか冷たくされてるとか、そういう訳じゃない。
むしろフレディ様に一目惚れしたと言えば全力で応援してくれたし、婚約した時は我が事のように喜んでくれたし、私の高等部に入る為のお金をマリアライト家に頼る事無く工面してくれているお母様の事はけして嫌いではないのだけど――今この状況では非常に厄介な存在になっている。
このまま進学すればいつ止むとも知れない婚約破棄とイジメの噂で針のむしろ。かと言って退学すれば見た事もない相手に嫁がされる――
進む事も引く事も難しい状況にため息を付いてチラと窓の向こうを見ると、広い屋外訓練場の向こうに校舎が見える。校舎にはまだ何箇所か明かりが灯り外灯の下ではまだ何人か訓練してるけど、後数時間もすれば真っ暗になる。
いっそ誰もいない夜中に校舎の大半が爆発して私の噂と一緒に吹っ飛んでくれないかなぁ――と、縁起でもない事を考えてしまう。
でも現実は校舎がそんな簡単に爆発することもなく。次の日も私は噂の的になり非常に不快な一日を過ごした放課後――私はボルドー先生に呼び出された。
「ソルフェリノ嬢、最近調子はどうだ?」
壁一面が本棚になっていて色んな魔導書が並び、様々な色の石が飾られた杖がいくつも立てかけられている魔法学科の教員室で、出だしの言葉こそ世間話でも始まりそうな一声から始まる。
だけどボルドー先生に呼び出された理由はわかっている。間違いなく婚約破棄とイジメの噂の件だろう。
何日耐えても聞こえてくる噂の勢いは衰えず、テュッテの報告でイジメの内容に背びれ尾びれが付き始めている事を知る。
最初は私がフレディ様のいない時にフローラ様を邪険にした、それだけのはずだったのに私がフローラ様を馬鹿にしたりフローラ様が身につけている装飾品をねだったり。
それどころかフローラ様の私物を盗んでいるかもしれない……という事になっているそうだ。
『かもしれない』に留まっているのは『盗んだ』と断定したら流石に厄介な事になると向こうも分かっているからだろう。
いっそ断定して誰かが詰め寄ってくれたら「私はやってない!」って大声で叫べるのだけど。
でも――これまでフレディ様やテュッテ以外とロクに交友してこなかったから、叫んでもきっとテュッテ以外には信じてもらえない。
フレディ様がいない隙なんて思い返してみても数える位しか無いのに。その隙に気に障るような言葉はやっぱり『フレディ様と二人の時間が欲しい』以外に思い当たらない。
それだけフローラ様には細かく気を砕いていた。魔力、美貌、声、音楽の才、髪飾りや服のセンス……褒め言葉しか言っていない。
お世辞ではなく純粋に心から思って言った事だから、私に褒めのセンスがおかしいのかと思ってテュッテにも同じ事を言ってみたけど『普通の褒め言葉じゃないかしら~? 私はそんな風に言われたら嬉しいわ~』と言われた。
私やテュッテのセンスがおかしい可能性はあるけれど、私がフローラ様に賛美の言葉を贈っている時はフレディ様もフローラ様も笑顔だったから流石にそれはないと思いたい。
今はちょっとプラスには捉えられないけど、フローラ様自身は優しく、儚げて大人しい方だった。周りが慕うように私も心から慕っていた。だから私のお願いも聞き入れてもらえると思っていたのに――
ボルドー先生の『調子はどうだ?』の一言に対して返す言葉に困りつつこれまでの自分を思い返している私をどう思ったのか、ボルドー先生は一つ息をついて真っ直ぐにこちらを見た。
「……単刀直入に言おう。ソルフェリノ嬢、学科変更する気はないか?」
ボルドー先生が紡いだ予想外の言葉に今度は別の意味で言葉が詰まる。
学科変更――それは言葉の通り、私が今所属している魔法学科から別の科に移ってはどうかという提案。
「最近、君に関して嫌な噂を聞くようになった。マリアライト卿との婚約破棄と、彼の妹への陰湿なイジメ……教師としてはお互いの意見を聞かなくては、と思うのだが向こうは語りたくないようでな。君もその様子だと言いたくないのだろう?」
「それは……」
正直言って、ボルドー先生が味方をしてくれるかどうかが怖いし、事を荒立てたくない気持ちもある。事が大きくなってしまったら両親に無理やり退学させられそうだ。
「……まあ打ち明けてくれても公侯爵家の振る舞いに関しては一介の教師が迂闊に口を出せる事じゃないからな。言っても仕方ないと思っているのなら、それは確かに当たっている。だが俺は一方的に悪者にされてしまってる生徒を見捨てる事もできん。魔法学科と他の科は教室が離れている……物理的に距離をおけば関係が薄れてお互い平和に学院生活が出来るんじゃないかと思ってな」
「ぼ、ボルドー先生は……私を信じてくれるんですか?」
光を失いかけた目と声に、力が入ったのが自分でもわかった。
「マリアライト卿の事が大好きな君が彼の妹を虐めるなんてリスクしか無い行為をするとは思えん。君が真面目な努力家だという事も授業態度を見ていれば分かる。ただ、そうやって教師が特定の生徒の肩を持つ真似をすると色々面倒な事になるからな。こんな提案しかしてやれないんだが……」
気まずそうに頭を掻きながら、ボルドー先生は再び学科変更に話題を戻す。
学科変更自体はそう珍しい事じゃない。
入った科に適正がない、あるいは別の科を学びたいと判断した学生の為に休みごとに行われている編入試験がある。
編入試験では毎回2~3人ほど受験者がいるとテュッテから聞いた事がある。
ただ――それを受けるのは1年生が殆どで、最高学年に上がる際に受けたなんて話は聞いた事がない。
「先生……お気持ちはありがたいんですが、私、薬学も武術も苦手で……」
高等部の薬学では1秒単位、1グラム単位で薬の効力が大きく変わってくる為とても繊細な技術と集中力が必要とされると聞いている。それだけで私には無理だと分かる。
料理やお菓子作りは好きだけど、それ以上の細かさやタイミングが要求される薬学は正直私には荷が重い。
それに薬に使うのは『植物』だけじゃない。グロ耐性が無い者は材料を扱う時点で詰む、とも聞いている。そんな耐性もない。
武術も戦略だけならまだ……と思えるけれどどうしても人を傷つける、あるいは殺める為の技術でもあると思うと気が進まない。それに私の魔力は薄桃色。
白に近い色の魔力は回復魔法や補助魔法に適正はあるが攻撃魔法への適性はあまりない。武術科が求めるのは攻撃魔法の適正だ。
私が魔法学科に進学したのはフレディ様に誘われた事と、魔力の適正――私の魔力でも使える回復魔法や補助魔法全般を学ぶには魔法学科が最適だったから、というのがある。
いつかフレデリック様が戦いに出て傷ついた時に癒せるように、少しでも補助ができるようにと願っていた信念も潰えてしまった今、魔法学科にこだわる理由もなくなってしまったのだけど。
「……魔導工学は? 君の中等部の成績を見る限り、なかなか良い成績を修めているようだが」
「魔導工学は……女子が殆どいないから悪目立ちしそうだし、年中ツナギ服なのはちょっと……」
魔道具制作で鉱石や金属を加工する作業が多い魔導工学科の生徒は常に上下が一体化した灰色のツナギ服を着ている。一時的に着る分ならいいけれど、どうしてもツナギ服の芋臭さは否めない。
加工作業する際に生じる粉塵や異臭、火花から身を守る為のゴーグルやマスクを付けっぱなしの人も珍しくないから尚更芋臭さが強くなる。
そんな男子だらけの場所にこのタイミングで移籍したら『男にフラれたから新たな男を狩る為に転籍したのだ』という新たな噂も流れかねない。
「……普段ダサいツナギ服を着ている女の子の普段着やドレス姿ってのは結構男心に刺さるものがあるんだがな。まあ、本人が嫌だと言うなら仕方ないが……正直、俺は長期休みが開けても今の状況が改善するとは思えないんだ。編入試験の申込みは試験の3日前まで受け付けてるし、仮に落ちても発表日の翌日には進級試験がある。だからよく考えてみて欲しい」
ボルドー先生の言う通り、休みが明けてもこの状況はしばらく続く気がする。下手をすれば、卒業まで、ずっと。
せっかく私を信じてくれる人が私を心配して提案してくれたのだ。
それを『合わないから』ならまだしも、『芋臭いから』『変な噂がたっちゃうかもしれないから』と拒否するのは何だか物凄く罰当たりな気がする。
一節分まるまる別の科の試験勉強にあてて編入試験に落ちても、進級試験で魔法学科の中クラス――最悪、下クラスに残る自信はある。
クラスが違えど同じ学科、よりは違う学科の方が過ごしやすいのは間違いない。
「あの……確か他の科って全部1クラスだけですよね? もし成績が悪かったら……」
「その場合は成績に合わせて学年を落として編入する方法もあるぞ」
学年を落としての編入――つまり、留年、あるいはほぼ再入学の状態。
「先生……気持ちは凄く嬉しいんですが、留年や再入学は親が許してくれそうにありません……それに私が一節の休みに猛勉強した所でストレートに学科変更ができるとは思えませんし……」
「ソルフェリノ嬢……やる前から諦めるな。この学校の卒業生の中には中等部高等部通して昼からしか授業を受けてないのに試験で満点叩き出して首席で卒業していった奴もいたんだぞ? そんな教師泣かせな奴がいたんだから毎日真面目に授業受けて勉強してる奴が一節みっちり猛勉強して最高学年の学科変更を成し遂げても俺は全然おかしくないと思う。と言うか……」
ボルドー先生は真っ直ぐに私を見上げると、ハッキリ言った。
「俺は君なら出来るだろうと思ってるから言ってる。1クラスしかない分、頭良い奴も悪い奴もいる。君が思っている程難しい話じゃない。もっと自分の頭を信じて前向きに捉えてくれ」
言っている事はかなり無理があるけれどボルドー先生が私の為を思って言ってくれる事が嬉しくて、深くお辞儀をして職員室を退室する。
職員室を出ると通路の遠くにフレディ様とフローラ様がいるのが見えた。綺麗で艶のある紫色の髪はすぐに彼らだと分かる。
向こうもそうだったようで少し気まずげなフレディ様――のすぐ後ろで恐ろしい程こちらを睨んでくるフローラ様と目があった。
(……!?)
気まずげでもない、勝ち誇ってもいない、哀れんでもいない――ただただ、恨みを込めたような恐ろしい視線――人のよってはそれを『殺気』と言うのかも知れない。
遠目からでも分かる、その麗しくも酷く冷たく恐ろしい目に一瞬体が竦むのを感じた。
何で私が今、彼女にそんな視線を向けられなければならないのか全く理解できない。ただ一つ言えるのは――すぐにこの場から逃げた方が良い、ということ。
震える足で、地に足がついている感覚もおぼろげな中、逃げるようにその場を後にした。
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