ディスティニーキャット

二条橋終咲

髪の赤いあの子の周りには……

 下校時間の鐘が響き渡る。


「さよーならー」


 学校から帰宅する女子生徒の一人が元気に言う。


 その挨拶を受けて、正門に立つ生活指導の男性教員が声を張る。


「気をつけて帰れよー」


「はーい」


 後に続いて、正門から同じような服装と髪型をした生徒達が帰路へと流れ出ていく。


 そんな有象無象うぞうむぞうの中に、ただ一人、腰まで伸びる紅色くれないいろの髪をなびかせる長身の女子生徒がいた。


「おい、不律ふりつ良子りょうこ


 生活指導の教員が、まるで奴隷を酷使する支配者を思わせる高圧的な声音で紅色くれないいろの髪をした生徒の名を呼び、帰路に着こうとする彼女の前に立ち塞がる。


「……」


 突如足止めをくらい、不律ふりつ良子りょうこと呼ばれた少女は不機嫌そうに教員の顔を無言で睨む。


 しかし、生徒達を支配する立場の教員がその程度で怯むはずもなく、そいつは良子りょうこの鋭い瞳を睨み返しながら口を開く。


「お前、今日も遅刻したらしいな?」


「……チッ。だからなんだよ」


「お前ももう高校三年生なんだから、少しは真面目にしたらどうだ? これじゃあ中等部の連中にも示しがつかんぞ?」


 男性教員は、なんとも嫌味ったらし口調でそう言った。


 もちろん良子りょうことて、自分が通う中高一貫校で自分自身が学年問わず悪い意味で有名になっていることは知っている。




 だが、そんな他人のことはどうでもよかった。




「あんなに頑張ってた空手部も辞めて、いつまで経っても髪は黒く戻してこない……。困ったもんだな、全く……」


「あたしの髪が黒くねーからって、テメーになんの迷惑がかかんだよ」


「まぁ、親が死んで心が荒むのは分からんでもないが、髪型髪色は校則で指定されたものしか認められない。迷惑とかじゃなくてこれは決まりだ。ルールだ」


 良子りょうこの苛立ちに対して、生活指導教員は全く見当違いで、それでいてねばねばとした悪意のある返答をする。そこには、自分に逆らう気に入らない生徒への単なる当て付けだけが込められている。


「いちいちかーさんのこと言いやがって……」


 先日から執拗にそのことをつつかれ、良子りょうこの苛立ちは爆発寸前になっていた。


「とにかく、遅刻はするな。いいか? これはお前のためにわざわざ言ってやってんだからな?」


「……」


「あと、その髪も黒く戻……」


「失せろ」


 くどくどとした説教に耐えかねて、良子りょうこは威圧的な教員の前から足早に立ち去る。


「あっ! おい!」


 呼び止められるも、彼女は止まらない。


 スカートのポケットに手を突っ込み、長く伸びる紅色くれないいろの長髪をなびかせて歩いていく。


 その圧倒的存在感が、周囲の生徒達の視線を集める。他の生徒達は複数人で帰っているのに対し、良子の周りだけはぽっかりと人垣に溝ができていた。


 まるで、スポットライトが当てられた主演女優を思わせるような構図。


 ただ違うのは、良子が集めている視線がではなくということ。


 でも、彼女はそれでよかった。


 自分は、一人で強く生きていくと決めたのだから。


「かーさん……」



 ❇︎



 人通りのない不気味な裏路地を、紅色くれないいろの長髪を持つ女子高校生が歩いていた。


「……」


 不良のような危ない人たちが危ないやりとりをするような雰囲気に満ちたこの裏路地を、良子りょうこは恐れることなく、むしろほんの微かに楽しげな様子で歩いていく。


「……」


 そして程なくして、裏路地にぽっかりと空いた、空き地とも呼べないような少々手狭な場所へと辿り着く。


「そろそろか」


 鋭い視線を辺りに巡らせながら、良子りょうこはぼそっと呟いた。


 同時に、学校指定のバッグの中をごそごそと探り、何かを取り出そうとする。


「……ない?」


 ろくに整理されていないバッグの中を、良子りょうこは少し焦りながら探していく。


「くそっ……。せっかくいい『』が手に入ったってのに……」


 今朝、家を出るときには用意しておいたはずのものが見つからず、良子りょうこはどんどんと焦りを募らせていく。


「あれがなきゃ、あたしはあいつらに……」


 彼女のがさつな性格が反映されたバッグの中からは、一向にその『』は姿を表さない。奴らとの時間が近づいているにもかかわらず、良子りょうこは未だ丸腰のままだった。




 ガサガサッ!




 すると突然、茂みを踏み分ける不穏な音が辺りに響いた。


 良子りょうこの焦燥感が募ると同時に、その音はどんどんと近づいてくる。


 それに加えて、数もどんどんと増えていく。


 もう時間がない。


「っ……」


 そして、良子りょうこの前に、奴らは現れた。






「にゃ〜」






 民家の陰の茂みから現れたのは、耳に切れ込みのある一匹の猫だった。


「にゃ〜ん」


 その猫は姿を表すなり、すぐさま良子りょうこの足元へと擦り寄っていく。


「ちょ、ちょっと待ってな……」


 未だに、その『』が取り出せない良子りょうこ


 それでもお構いなしに、奴らは彼女の元へ集まってくる。


「にゃー」

「んにゃ〜」

「ニャー?」


 気づけば良子りょうこの足元には、十を超える数の猫達が集まっていた。それもどれもが、耳に切れ込みを有している。


「えーと……えーと……。あ、あった!」


 そして良子りょうこも、ついにその『』を取り出す。


「ほーらお前ら、いっぱい食えよ〜」


 良子りょうこは『極上マグロと香ばしカツオ入り』と書かれた猫缶を猫達の前に置いていく。


「にゃー♡」

「にゃん♡」

「ニャア♡」


 途端に猫達が歓喜の声をあげて、それぞれが『』と商品名が大きく印字された猫缶に食らいつく。


 一瞬にしてこの裏路地は、良子りょうこ主催のディナーパーティ会場に変わり果てた。


「……♡」


 そんな光景を、良子りょうこは頬を緩めてじっくり眺めている。こんな威圧感のかけらもない乙女の表情を見たら、学校の生徒や教員達は自分の目を疑うだろう。


「って、ここもそろそろ掃除しないとな……」


 良子りょうこがそう呟いたところで、突然、乱暴な怒号が辺りに響き渡った。




「さっさと出せゴラァ!」




 その怒号は猫達を脅かし、彼らを一瞬にして散り散りにさせる。


「あっ……」


 途端に、良子りょうこの表情が悲しみに変わる。こんな切ない表情も、学校の誰一人として見たことはない。


「チッ……」


 猫達との時間を奪われた良子りょうこ


 次の瞬間には、学校の皆もよく見る威圧感満載の表情へと変貌していた。


 スカートのポケットに両手を突っ込み、あの迷惑で耳障りな怒号が聞こえた方へと良子りょうこは歩みを進めていく。


 そして、ちょっと行ったところで角を曲がると、良子りょうこはある光景を目にする。


「テメェがぶつかったんだから出すもん出せっつてんだろ」


「や、やめてよぉ……」


 この薄暗い裏路地の中でも特に暗い一角で、良子りょうことは違う高校の制服を着た体格のいい男子生徒三人が、彼らより二回りほど小さい少年を取り囲んでいた。


「あっ……」


 すると、詰め寄られていた小柄な生徒がこちらを向き、良子りょうこと目が合う。


 どうやらその生徒は良子りょうこと同じ学校らしく、良子りょうこの通っている中間一貫校の中等部用の制服を身に纏っている。それを見るに男子生徒であることはわかるのだが……。


 あまりにも細くか弱い華奢な体に、足跡の一つもないような雪原を思わせる白くきめ細やかな肌、男性のものとは思えないほどに艶のある茶色のショートヘア。


 そして良子りょうこを見つめる愛らしくも悲痛な涙目が、儚げな印象を放っている。


 制服がなければ、彼をと呼称していても、なんらおかしくはない。それほどまでに彼は可愛らしかった。


「あ? 誰だテメェ?」


 涙目の少年に集っていた三人の中の一人が良子りょうこに気づき、彼女の元へとズカズカ歩み寄っていく。


「失せろ」


 大好きな猫達との時間を奪われた良子りょうこは、一歩も怯むことなくそう言い放った。


 それが奴を逆上させ、一瞬にして彼らのターゲットは移り変わる。


「んだコラテメェ、ぶっ飛ばすぞ!」


 彼はそう言った後、右腕を振りかぶり、ギリギリと握りしめた右拳をなんの躊躇いもなく良子りょうこの不機嫌な顔へと叩き込む。


「……遅い」


 良子りょうこはその勢いのある右拳をスラリと難なく回避し、彼の生意気な顔面を鋭く蹴り倒した。


「アガッ……!」


 奇怪で滑稽な声をあげて、男は地面に勢いよく倒れ込む。


「「っ⁉︎」」


 自分たちの仲間が、なんか変な紅色くれないいろの女に一撃でやられた。


 その事実が飲み込めず、他の二人は目を白黒させるばかり。




「……次はどっちだ?」




「「ひぇぇぇぇぇっ!」」


 はなの女子高校生とは微塵も思えない良子りょうこの恐ろしい声音と形相ぎょうそうに耐えきれず、後の二人は情けない悲鳴を上げながらピューっと走り去っていく。


「痛ってぇ……っておい! 俺をおいてくんじゃねぇ!」


 あっけなく蹴り倒されたその男も、一人になって怖気付いたのか、へっぴり腰のまま滑稽に去っていった。


「バカ騒ぎしやがって……」


 静かになった裏路地に、良子りょうこのため息が霧散むさんする。


「あ、あの……」


「ん?」


「助けてくれて、ありがとうございました!」


 精一杯の感謝とありったけの感激を込めて、少年は深々と頭を下げる。


「別にお前を助けたわけじゃねぇ。勘違いするな」


 しかし、良子りょうこはそれを一蹴いっしゅうする。


 良子りょうこは猫達との穏やかな時間を守っただけで、なにも少年のためではない。


「お前もさっさと帰れ。こんなところにいると、またさっきみてーな奴らに絡まれるぞ」


 同じ学校なら、当然自分の悪評も知っているだろうと思い、良子りょうこはいつもの怖い声で少年を突き放す。


「……」


「ん? どうした? そんなあたしを見つめて……」




「かっけぇぇぇ!」




「えっ」


 全く見当違いの反応に、良子りょうこは困惑する。


「うちの学校に赤髪のやばい不良がいるって聞いてつけてきたけど、めっちゃかっこいいじゃないですかっ!」


「えぇ……」


 キラキラとした少年の眼差しに気圧されて、良子りょうこは思わずその場から後ずさる。


「強いしかっこいいしクールでイカしてるし……。あと、めちゃめちゃ可愛いしっ!」


「っ……! 可愛いとか言ってんじゃねぇ!」


 今まで人生で一回も言われたことのないその称賛に、良子りょうこは思わず頬を染めながら苦し紛れの怒号を撒き散らす。


「ば、バッカじゃねーの? あ、あ、あたしなんかの、どこが可愛いんだよ……」


 そっぽを向く良子りょうこに、少年は小声で答えた。






「猫さんパンツ……」






 少年の声を聞き、良子りょうこは慌てて自分のスカートを押さえる。


 そして、目の前にいる、なんとも可愛らしい少年の顔をキッと睨んだ。


「すっ、すみません! さっきあいつを倒してくれたときに見えちゃって……。わざとじゃないんです! ごめんなさいっ!」


 早口で謝罪しながら何度もペコペコと頭を下げる少年。多分、本当に悪意はなく、あの時にのだろう。


「なんでもします! なんでもします姉貴! だから酷いことしないでくださいっ!」


 少年は恐怖のままに懇願こんがんする。


 しかし、良子りょうこにはその様が『外敵の脅威に怯えるか弱い子猫』のように見えてしまい、無理に突っぱねる気も失せてしまった。


「……じゃあ、猫達の掃除手伝え」


 良子りょうこのその言葉を聞いて、少年は一瞬にして顔をキラキラと輝かせる。


「わかりました姉貴! 猫さんパンツの罪滅ぼしのため、全力で頑張ります!」


「パンツ言うな! ぶっ飛ばすぞ!」


「ご、ごめんなさいぃぃぃ!」


 果たして、少年はぶっ飛ばされてしまったのか、良子りょうこの恥ずかしい秘密は守られたのか、二人はどのような関係になったのか……。




 それはまた、別の話。

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ディスティニーキャット 二条橋終咲 @temutemu_dnj

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