第69話
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002_それ褒めてないから
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いくつかのトンネルを抜け、列車は終点に到着した。
この東部地域はジャバル王国と国境を接していた土地で、何度も侵攻を受けた過去がある。一時期は領土を奪われたこともあったが、今のジャバル王国との国境ははるか遠くである。
中堅ホテルで1泊したソラは再び列車に乗り込み、実家があるアマニア領の近くの駅で降りた。
良い言い方をすれば自然豊か、悪い言い方をすればド田舎である。大都会の王都とは比べるまでもない光景だ。
王都では馬車ではなく自動車が普及していたが、この辺りはまだ馬車が主流である。ソラは駅馬車に乗り込んだ。
「お客さん、東部からかい?」
御者をしている老人が、ソラに話しかけてきた。客は10人程乗車しているが、ソラが一番御者に近い席だったのだ。
「王都からだよ」
「それは遠いとこからだね。ようこそおいでくださった」
額から後頭部まで禿上がった老人は、少し喋っては黙り、黙っては喋るを繰り返した。揺れが激しい駅馬車は読書に向かないこともあって、ソラも気が紛れて良かった。
「ここからはフォルステイ男爵様が治めるアマニア領だよ」
田園風景はこれまでと変わりないものに見えた。5歳の時にアマニア領を出たソラに、この辺りの風景の記憶はほとんどない。屋敷に帰っても自分の部屋の場所さえ忘れていることだろう。
「お客さんはアマニア領のジャラルスまでだったね」
「ああ、その通りだ」
この駅馬車はこの周辺のいくつかの町と村を回っている。今日はアマニア領の領都ジャラルスを通過して、その隣の町まで行く予定だ。
「アマニア領は良いところだよ。領兵は横柄でなく、盗賊も居ない。お客さんはフォルステイ男爵様のところで働くのかね?」
「どうしてそう思ったんだ?」
「貴族ではなさそうだけど、仕立ての良い服を着ているからさ。フォルステイ男爵様のところは鉱山があるから、景気はいい。商人だったら自分の馬車なり自動車で商品を運んでいるだろうから、仕官される人かと思ったのさ」
外れているが、なかなか鋭い考察だ。伊達に人生経験を多く積んでいるわけではないようだ。
「まあ似たようなものかな」
「領兵はいい人が多いけど、フォルステイ男爵様は前線に派兵しているから死んじゃいけないよ」
「やりたいことはたくさんあるから、この年で死にたくはないな。気をつけるよ」
御者はにへらとほほ笑んだ。自分の孫のような年齢のソラが気になり、死んでほしくないと思ってつい口に出たのだろう。
アマニア領のジャラルスのほぼ中心部―――噴水広場と言われる場所で駅馬車を降りたソラは、御者に別れを告げた。
「お客さん、元気でやってくださいな」
「ありがとう、あなたも達者で」
短い間だったが、御者のおかげで重かった気が晴れたようだ。
このような田舎町には不釣り合いな彫刻があしらわれた噴水のミストを肌に感じ、ソラは生家である領主屋敷へと向かう。
ジャラルスは鉱山を抱えるフォルステイ男爵家の領都だけあり、筋肉隆々の男たちが目立つ町だった。鉱山で働いてなくても、産出した鉄鉱石を製錬して鉄製品を造る鍛冶師なども多い。
そういった血気盛んな男たちと渡り合うことから、領兵もよく訓練されて統制がとれている。職を選ばなければいくらでも働き口があることから、この辺りの領地では最も栄えて治安が良い町になっている。
広く造られた大通りを進んで30分ほど歩くと、生家の門に到着した。
領主の屋敷だけあって門番が居る。不審者を寄せつけない眼力がある門番だ。
「俺はソラだ。取り次いでくれ」
「ソラ様……少々お待ちください」
ソラの顔は知らなくても名前は聞いたことがあるようで、50前の門番が残り、30前の若い門番が屋敷へと走っていく。
記憶にあった屋敷は白い壁に赤い屋根だったが、今はオレンジ色の屋根になっている。何年か以前に改修したと聞いたが、その時に屋根の色だけ変わったのだろう。
待っていると、屋敷から先ほどの門番ともう1人が共に走って来るのが見えた。
「ソラ様!」
門番と一緒にやって来た者は、40を超えたほどの年齢でかなりの巨躯だ。ソラはその顔には見覚えがあった。
「エルバートか。久しぶりだな」
「はっ。騎士エルバートにございます。覚えていてくださったのですね!」
「姉の結婚式の時に会ったじゃないか。それくらいの記憶力はあるつもりだ」
「覚えていてくださって、このエルバート、望外の慶びにございます!」
騎士エルバートの巨躯から発せられる声は、まるでドラゴンの咆哮のように大きかった。
そこで記憶が甦ってくる。10年前の記憶だ。騎士エルバートがもっと若かった頃の姿である。
「そういえば……小さな時に遊んでもらったな」
「はい、おしめも替えてあげましたぞ」
「それは覚えてない」
「ははは。そうですな。赤子の時ですからな」
騎士エルバートはソラの母が輿入れする時に、フォルステイ家へ共にやって来た。それ以来、騎士としてフォルステイ家に仕えている人物だ。当然ながら生まれた時からソラのことを知っている人物である。
騎士エルバートはソラを屋敷へ案内した。
屋敷の扉が開かれると、使用人たちが勢揃いしていた。しかも、その奥にはソラの家族が待ち構えていたのだ。
父、母、そして兄が勢揃いしている。ソラには姉もいるが、昨年嫁に行って……ここに居ないはずだが、なぜか姉も居た。
「「「お帰りなさいませ。ソラ様」」」
整列する使用人の間を進み立ち止まる。手を伸ばせば触れることができる距離に家族が居る。
「ただ今戻りました。父上、母上、兄上、姉上」
「よく戻った、ソラよ」
父のジョセフがソラの両肩に手を置き、帰還を喜んだ。
このクオード王国には数年に1回、状況報告会というものがある。領地貴族が自領のことを国王に報告する場である。伯爵以上は2年に1回、子爵以下は3年に1回だ。
ジョセフは男爵だから3年に1回、王都で状況報告会が行われる。その都度、ソラに会いに来ていた。
「ソラ……」
「母上」
「よく帰ってきました。元気でしたか、ソラ」
「はい。元気でした。母上もご健勝のようで、安心しました」
母シャーネがソラの胸に飛び込んだ。滅多に会えなかった息子が今ここに居る。母としてはもっと一緒に居たかった。それでもソラのためと幼いソラを王都に送ったのだ。
「ソラ。元気そうで何よりだ」
「兄上も元気そうで何よりです」
兄のバルカンもソラと同じように、王都の学校に通っていたことから顔を忘れているほど会っていないわけではない。
3年前に卒業したが、昨年の姉の結婚式でも顔を合わせている。
「ソラの顔をしっかり見せて」
「はい、姉上」
ソラが王都に行った時の姉はまだ6歳だった。彼女も王都の学校に通っていたし、昨年の結婚式の時にも会っている。
彼女が入学する時に久しぶりに会った時は、さすがに誰だか分からななかった。女性は成長と共に容姿が変わると言うが、記憶の奥底にある姉の面影はまったくなかった。それでも母娘と言うべきか、姉は母に似た美人に育っていた。
4人はソラの帰還を喜び、慈しんだ。
そこにエルバートが顔を差し挟んだ。
「ソラ様。そろそろいいですか?」
「そろそろ?」
「出陣の用意が整いましてございます」
エルバートはソラを連れて行き、鎧に着替えさせた。
元々こうなる予定だったが、さすがに帰ったその日に出陣だとは思ってもいなかったソラは戸惑った。
「なぜ、今日なんだ?」
「侯爵閣下のご命令にございます」
「……そうか」
侯爵閣下とは、フォルステイ男爵家が仕えている家である。
貴族はすべからず王家に仕えるが、それは建前である。フォルステイ男爵家のような、成り上がった貴族はそれまで仕えていた主家がある。それが侯爵家なのだ。
フォルステイ家が貴族となった今では、寄親と寄子の関係になっている。
寄親であり、絶大な権力を持つ侯爵の命令では、誰も逆らえない。それはソラでなくても分かっていることだ。
「おお、馬子にも衣裳ですな。ソラ様」
「馬子にも衣裳って、それ褒めてないからな」
「そうでしたっけ? まあ、なんでもいいでしょう。行きますぞ!」
ソラはエルバートに腕を引かれて行く。
家族4人はそれを手を振って見送る。とても良い笑顔であった。
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