♡花火の香り♡

x頭金x

第1話

 千駄ヶ谷駅のすぐ側にあるカフェで働いて半年、夏、お盆。


 近くにある神宮花火大会の客でごった返している6時半、店内は満席、露天もだし、書き入れ時だ。


 常連のお客さんが来た。いつも角っこの充電が出来る席に座り、パソコンを開いて黙々とキーボードを打っている。気付いたら寝てる時もあるが起きたらまた黙々とパソコンに向かっている。年齢は30過ぎだろうか。いつも同じ服装をしている。Tシャツにジーンズ、アディダスの靴。リュックを背負ってたまに帽子を被っている時もある。週の半分は来店するだろうか。来る日はまちまちである。店の誰かに会いに来ているわけではないみたいだ。それが嬉しくもあり悲しくもある。


 私は今日はバイトの曜日ではなかったが、人手が足りないので半ば強引にシフトに入れられた。実家に帰る予定もなかったし、大学も夏休みなので断る理由がなかったのだ。6時からの3時間勤務だしまあいっかって感じ。それに淡い期待を抱いてもいた。


「いつもあなたの事を見てました。一緒に花火を見ませんか?」


「あらやだこちらこそ」


「綺麗ですね」


「ホント綺麗な花火」


「あなたがですよ」


「あらやだわ。うふふふふ」


 そんな妄想をしてたら店長に怪訝な顔をされた。


 私は店頭で飲み物を売っていた。「冷たいお飲み物はいかがですか~。熱中症予防に水分補給は欠かせません。いかがでしょうか~」。繰り返すこのポリリズム。

 

 私が熱中症になりそうだ。汗はダラダラ熱気はムンムンカップルうざうざ。ストレスしか存在しない亜空間に巻かれて揚げられてる感じ。そんな時に彼が来た。ドッキンドキドキドストエフスキッス。


 いつもは人通りも少なく、店内が満員になる事などまずない。そんな日常を知っているだけに、彼は驚きを顔に浮かべている。店の外から中の様子を確認しようとしている。思わず声が出た。


「あ、いつ、いつもいつあり、ありがとうございます。あの、今日、いっぱい」私は何人だ。


 彼は表情を変えず視線も合わさず淡々と答えた。


「…そうですか。帰ります。」思わずえっ!っと声が出た。帰るの?花火も見ずに?

 

 彼は少し驚いてこちらを見ている。しまった下手こいた。


「いや、あの、今日は花火大会ですよ?その、見ずに帰られるんですか?」単純な疑問をそのままぶつけた。


「…ああ、花火大会か…どおりで」


 駅のホームでは駅員がひっきりなしに花火大会で混雑するから立ち止まらない事、ICカードが残高不足にならないことを叫び、周りは浴衣の人間であふれているのに、彼は今の今まで今日が花火大会であるということに気がつかなかったのだ。まるで異邦人だ。


「もうすぐ、始まりますよ?ここからでも綺麗に見えるんです、良かったら少し、見ていかれてはいかがですか?」


 勇気を振り絞って言ってみた。少しの沈黙の後、「…なるほど。確かに」と言った。何がなるほどで確かになのかよくわからなかったが、作戦は成功した。ゲッツ!


「あの良かったら冷たいものいかがですか?今日はまた一段とお暑いですし…」言ってるそばから後悔が体から噴き出した。彼はまた少しの沈黙の後、なるほど、と答えた。これじぁあ押売りみたいじゃないかキエエエ!


 花火が綺麗に咲いている。皆それに注目しているため、売り上げは伸びないが少し羽を伸ばせる。私は彼の横顔を見ていた。花火が咲くたびよく見える。面長の顔に鼻筋の通った高い鼻、奥二重の彫りが深い目、締まりのある口元、どこかエキゾチックだ。飲み物を飲むたびに艶かしく動く喉仏がセクシーだ。触れてみたいと思った。


 彼は花火のクライマックスを見ずにその場を立ち去った。そして、2度とこのカフェに来ることはなかった。


 10年後、カフェに置いてある雑誌に、彼が載っていたので驚いた。新人小説賞を受賞したみたいだ。カフェでパソコンに向かって黙々と書いていたのは小説だったのか。あの頃書いていた物語が、こうやって今に繋がっている。私は子供をあやしながら、あの頃の出来事を思い出してみた。

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