番外編 単独任務(5)

 一年前――。




 ヴィクト隊の中核従者・ダイアンが数名の平従者を率いて魔城タピオカに巣食う悪霊・ミルクティー富松の討伐に赴いた。


 当初のロシーボ隊の偵察では、ミルクティー富松はランクDの悪霊であるとのことだったが、ダイアンの小隊は彼と平従者のブツメツを除いて一瞬にして殺された。


 ダイアンはミルクティー富松と自分達では戦闘行為が成立しない程の力量差があることを悟り、まだ生きているブツメツと共に、直ちに逃走を始めた。


 魔城の回廊を二人で逃げている最中、彼らにゾンビ達がわらわらと押し寄せてきた。やむなくダイアンは剣を抜きゾンビ達を斬り伏せていったが、その中でブツメツとはぐれてしまったのだ。


 ダイアンはブツメツを少しだけ探したが、近くにはいなかった。


 もたもたしているとミルクティー富松が追いかけてくるかもしれない。やむを得ず、ダイアンは一人で撤退した。


 ここまでの惨劇となったのは、ロシーボ隊が悪霊の強さを読み違えたことが大きかった。ダイアンを責めるのは酷である。


 ダイアンの報告を受けたヴィクトは、ブツメツを救出するため、すぐさまレドゥーニャ他三名の管轄従者の計五名で魔城タピオカへ向かった。


 ヴィクトと管轄従者四名。現状すぐに動かせる、考え得る限りの最大戦力。ダイアンの報告を受けた後の、ヴィクトのほぼノータイムでの決断だった。


 副官のヴィナスは平従者一人の救出のためにこれだけの戦力を割くのはあり得ないとヴィクトに食ってかかったが、ヴィクトは副官の意見を退け、彼女に自分が不在の間の隊の指揮を任せた。




 魔城タピオカのとある大広間。


 ヴィクトは部屋の壁に背中を預け、か細い息を震わせていた。


 体中からおびただしい紫色の血が流れ出ており、左目の眼球は飛び出て鼻の上辺りでぶら下がっており、下腹部には穴が開き、紫色の腸がだらりとこぼれ落ちている。


 そんな満身創痍の状態でも、彼の右手には剣が握られていた。その剣の刀身にはヴィクトの残った闘気と魔力の全てが込められて、静かに穏やかに発光していた。


 彼の最強技である『ソウル&ソード』をいつでも発動できるようにしているのである。その分、自分の肉体への回復・生命維持には何らのパワーも回していない。


 大広間の周囲には、ヴィクトを守るように、四方八方、壁から天井に至るまで、レドゥーニャの粘着性の強い糸が蜘蛛の巣となり、幾重にも張り巡らされていた。


 広間の床にはレドゥーニャが履いていたヒールのサンダルが四足分脱ぎ捨てられていた。


 その遥か上、高い天井の上をレドゥーニャが上下逆さまになった状態で素足となった八本の脚を動かしながら、糸を放出して歩きまわっている。


 彼女の八つの足の裏には魔方陣のような光輝く紋様が浮かび上がっている。足の裏から重力を無視した上で、任意の方向に重力の向きを変更できる魔力を放出し、天井や壁を難なく歩きまわることが可能なのだ。


 ヴィクトをミルクティー富松から守るため、広間中に蜘蛛の巣の罠を張り巡らせたレドゥーニャは、出糸突起から糸を出し天井(今の彼女にとっては床だが)に取りつけ、そのまま糸をゆっくりと伸ばし続け、頭部を床に向けながらスッとヴィクトの元へ降下した。


「罠は張り終えました。お体の方を」


 レドゥーニャはヴィクトの破壊された体に力の限り回復魔法をかけるが、臓物が飛び出ているレベルの深手は治療しきれない。


「……大丈夫、この程度じゃ死なない……」


 ヴィクトは耳を済まさねば聞こえぬ程の細い声で応答した。


「本当に、まだおやりになるのですか?」


 レドゥーニャがヴィクトに問う。彼女の顔にはヴィクトへの痛切さと悲しみの表情で溢れていた。


「もう俺とお前の二人だけになってしまった……。応援を呼ぶ時間もない。奴をここに誘い込んで、一撃で仕留める。お前の、この糸が頼りだ」


 ヴィクトの言う通り、他の三人の管轄従者はミルクティー富松に殺されてしまっていたのだ。


「この体でソウル&ソードなんて放ったら、本当に死んでしまいます!」


「問題ない。以前受けた拷問よりは楽だ」


「せめてエリクサーを使って下さい」


 まだ一個、ヴィクトは未使用のエリクサーを所持していた。


「ブツメツに使うために持ってきた……」


「もうブツメツがこんな魔城で生きてるわけないじゃないですか! 死んでるか逃げたかに決まってます!」


「確認が取れていない」


 レドゥーニャは出糸突起から伸ばしている糸を思念を送ってちぎり、ふわりと床に着地した。そして、ヴィクトに詰め寄り脚を左右に大きく広げ、高い位置にある上半身を屈めてヴィクトの肩に両手を置いた。


「だから私もヴィナスも反対したんです! 平従者一人助けるためにここまでするなんて! そのためにメキドもバサラもガルガンティアも死んじゃったじゃないですか! これはあなたの判断ミスです! ブツメツの救出なんて考えず、悪霊の退治を最優先すべきでした」


 レドゥーニャは両手の鋭い爪がヴィクトの肩に食い込む程にヴィクトの肩を強くつかみ、揺さぶりながら訴えた。飛び出てぶら下がる眼球が振り子のようにぶらぶら揺れる。


「そ、そんな……揺らすなって。し、死んじゃうだろ……。目が完全にちぎれちゃったら……エリクサーでも治せない。まあ、リソ研なら治せるけど……」


 ヴィクトが力なく苦笑した。いや、自分への嘲笑だろうか。


「す、すみません……」


「あいつらも、納得して、好きで俺についてきてくれた……。ブツメツを助けるために」


「違います。みんなそう言ったかもしれませんが、本当はブツメツを助けるためじゃなくて、ヴィクト殿に死んでほしくないからついて行ったんですよ。そうしないと、ヴィクト殿は一人で行ってしまうから。私達が何を言っても。メキドもバサラもガルガンティアも、それで死んだのです。ヴィクト殿の甘さが原因で。下っ端の部下一人にかけた情けの原因がこれです。分かって下さい」


 レドゥーニャは諭すように言った。何なら、メキドもバサラもガルガンティアも、そしてレドゥーニャも、ヴィクトには留まってもらい、自分達だけで救出に向かいたかったのだ。しかしヴィクトは彼らにだけ行かせることを望まず、自らが乗り出していった。今更言ってもどうにもならないことだが。


 レドゥーニャが言い終わったそのとき、ヴィクトが無事な片目を閉じて動かなくなっていることに気が付いた。レドゥーニャの頭の中が真っ白になる。


「嫌ァァァァッ! ヴィクト殿! ヴィクト殿! そんなの嫌ァァァァッ!」


 レドゥーニャが甲高く悲鳴を上げ、ヴィクトを力いっぱい揺する。すると彼は微かに目を開き、辛うじて緑色の瞳を輝かせた。


「まだ生きてる……。ちょっと休んでただけ。大げさだ」


 ヴィクトは先程より更にか細くなった声でそう強がっていたが、明らかに一瞬意識を失っていた。言った後はそれきり、剣だけを強く握りしめ、息を殺したまま押し黙る。


「力ずくでもエリクサーを使います」


 レドゥーニャは、ヴィクトがエリクサーをしまってあるであろう、コートの内ポケットに手を伸ばした。すると、ヴィクトは震える左手で彼女の手をつかんだ。


「これはブツメツに使うために持ってきたと言ったはずだ」


「承諾できません」


「お前も、方針に納得してついて来たんだろ」


「先程も申し上げましたが、あなたの無茶を側でお止めするため、同行致しました。平従者一人のため、そこまで己の身を犠牲にしようとするなんて、私には理解できません。無理矢理にでもあなたに使います!」


 レドゥーニャはもう片方の手をヴィクトのコートに伸ばしたとき、ヴィクトの光を帯びた刀身がレドゥーニャの首筋の側まで来た。


「ヴィクト殿……」


「君はもう帰れ。ここまでやってくれればもう十分。ありがとう」


 ヴィクトは鬼気迫る表情で眼光鋭くで訴える。だがレドゥーニャの首筋に寄せられた剣は絶妙な距離を取っており、彼女の命であり象徴であるブロンドの女王様風縦ロールを、刀身が纏うオーラで傷つけないようにしている辺り、レドゥーニャへの気遣いが感じられた。


 レドゥーニャはヴィクトから手を離した。そして、自分の胸に手を当てた。


 レドゥーニャの心の中は、今にも死んでしまいそうなヴィクトに対する不安と心配、そして、そのヴィクトが本気ではないにせよ、レドゥーニャに対して抜き身の剣を向けてきたという事実に対するショックが渦巻いていた。


「……ヴィクト殿は私が絶対死なせない。メキドとバサラとガルガンティアを死なせたことを後悔しながら生き続けてもらいます」


「すまない。ただ、俺、死なないし、後悔は……毛ほどもない……」


「三人のお墓の前でもそれを言えます?」


 ヴィクトは左手で腹からこぼれ落ちそうな臓器を押さえながら、銀髪の前髪を震わせ、奥歯を砕きそうな程に歯を食いしばる。


 この問答に限っては、ヴィクトの完敗だった。




◇◇◇




 一体誰のせいでこうなってしまったのか?




 誰の責任なのか?




 レドゥーニャは逡巡した。




 逃げ遅れたブツメツのせいか? 


 他の平従者も全員死んだのだから、どうせならコイツも死んでくれればこんな面倒なことにならずに済んだのに。仮に生きてて救助できたとしても、所詮はろくな戦力にはならない一介の平従者。今後ブツメツがどれだけ組織に貢献できるというのか。


 他の平従者達と同じように、ミルクティー富松と遭遇した最初の時点で明確に死んでいてくれれば良かったのに、何を生死不明になっているのだ。レドゥーニャは本気でそう思っていた。




 他は誰が悪い?


 ブツメツを置き去りにして逃げたダイアンのせいか? 


 なぜこんな醜態を晒しておめおめと逃げ帰ってきた? あのときレドゥーニャはダイアンをそう罵ってやりたかったが、それをやったら隊長のヴィクトに嫌われるから、不本意ながらも「よく生きて帰ってきてくれたわ。情報をありがとう」と言わざるを得なかった。もし横にヴィクトがいなかったら言っていたかもしれない。


 本当に欲しかったのは「ブツメツは死にました」という明確な事実だ。何が「逃げる途中ではぐれてしまって分かりません」だ。それではヴィクトが助けに行ってしまう。空気を読め。ここは嘘でも空気を読んで「死にました」と言え。それで仮に(ほぼあり得ないだろうが)ブツメツが自力で生きて戻ってきても嘘の報告を言ったとして処分されるのはダイアンで、レドゥーニャには関係ない。


 ダイアンは必死な様子で「申し訳ありません! 申し訳ありません!」とヴィクトに平身低頭していたが、レドゥーニャの心にはダイアンの謝罪など全く心に響いてこなかった。どうせ保身からくる表面上の謝罪で、本心では「こんな任務を俺達に回しやがって」とヴィクトを恨んでいるに違いない。




 本当に申し訳ないと思うんだったら、戻って来ないでブツメツと一緒に殺されちゃえば良かったんじゃない? 


 今から魔城タピオカに戻って死んできて、どうぞ。


 申し訳ないって思ってんでしょ?




 レドゥーニャは本気でそう思っていたし、本人に言いたかったが、それを言うとヴィクトやゲキシンガーが怒る。ゲキシンガー如きどうでもいい存在だが、ヴィクトに嫌われるのはレドゥーニャにとっては死ぬより辛いことなので、ダイアンに対する本音はグッと飲み込んだ。


 ヴィクト隊は優し過ぎて甘過ぎる。そして時に愚か過ぎる。もしレンチョー隊やダオル隊辺りでこんな醜態を見せたらダイアンはただでは済まないだろうし、平従者一人助けるために幹部従者自らが危険を冒す愚挙は決して行わないだろう。


 ダイアンの顔を見るだけで怒りで体が震える。この任務が終わったら、ダイアンを徹底的にいびって虐め抜いて、隊の居場所をなくしてやろうとレドゥーニャは思った。




 副官のヴィナスが悪い?


 ヴィクトの副官だったらもっと真剣にヴィクトを止めればよかったのだ。


 レドゥーニャがヴィクトの一番側で働ける『副官』を目指してあれだけ頑張っていたのに、ヴィクトは「俺は副官を付ける主義じゃない」と言い続けていた。


 しかし、ウィーナの娘であるヴィナスが声を上げるとヴィクトはあっさり彼女を副官に任命した。


 ヴィナスもヴィクトの側で働くことを強く望んでいるのは知っていた。


 彼女は、レンチョーが構想していたValkyrie5にメンバー入りすることを条件に、レンチョーからヴィクトに働きかけさせて(ヴィナスはウィーナの口からも、ヴィクトに自分を副官にするよう頼ませたと噂されている)、ヴィクトはヴィナスを副官に任じた。


 ウィーナの養女という特別な立場を存分に利用して望むポジションを手に入れたのだから、しっかりヴィクトを止めるべきだ。


 しかも今回のブツメツの救出メンバーにヴィナスは選ばれなかったし、彼女自身志願しなかった。


 当たり前だ。ウィーナの義理の娘であるヴィナスをこんな過酷な戦場に連れていけるわけがない。いつもValkyrie5の仕事があるとか、隊の指揮を任せるとか、もっともな理由を付けられているが、そんなのは建前で、ウィーナの義理の娘で、しかもValkyrie5の一番人気であるヴィナスを死なすわけにはいかないというのが真の理由であることは、誰もが暗黙の了解で分かっていた。


 確かにA~Bランクの悪霊相手の高難度ミッションも、ヴィナスが責任者としてある程度はこなしているが、明らかに本来C~Dランクの任務なのに、ヴィナス用の任務として何らかの力が働きA~Bランク判定されている。


 そして、ヴィナス自身も自分が特別扱いされるのは自覚しており、それが当然だと思っているようだし、それによって他の者達から配慮されたり嫉妬されたりするのを楽しんでいる節がある(たちが悪いことに、嫌うよりは慕う方が得と判断してヴィナスに近づく取り巻きも大勢いる)。


 始末が悪いことにヴィナスは配慮されている中での与えられた仕事・役割に関しては非常に優秀で、完璧と言っていい程にこなしてみせている。


 Valkyrie5などという芸能グループに所属しているなんて考えられないぐらいに隊の指揮は的確だし、様々な判断も隊長のヴィクトとほぼブレず、完璧に気脈を通じた関係で、見事にヴィクトをサポートしている。これは彼女を嫌うレドゥーニャも認めざるを得ない。


 忖度して低ランクの任務を回さなくても大丈夫ではないかと思える程に身体能力・戦闘センスも抜群だし、事務処理能力も素早く正確でミスをしているところなど見たことがない。


 ウィーナの下でよほど英才教育を受けていたのだろう。


 今回の件でヴィナスを責めたい気持ちで一杯だが、ヴィクトに無茶をさせないということに関しては、レドゥーニャとヴィナスは意見が一致しており、そのために色々と連携して共同戦線を張ることもあるので、表だって彼女を責める理由も弱いし、材料にも欠けている。




 ゲキシンガーは?


 彼はヴィクトを止めなかった。逆に、必死にヴィクトを止めていたレドゥーニャやヴィナスを諭してきた。


 そしてゲキシンガーは魔城タピオカに同行しなかった。ヴィクトとゲキシンガーは普段同じ任務に出ることはない。仮にヴィクトが死んだ場合、直ちに隊の指揮は代理でゲキシンガーが執る仕組みになっており、二人同時に死ぬわけにはいかない、というのが理由だった。


 そのため、二人してウィーナの屋敷を外すことも少ない(余程忙しい時期はその限りではないが)。大抵、ヴィクトが屋敷にいるときはゲキシンガーが出動しており、ヴィクトが出動しているときはゲキシンガーが屋敷に留まる。


 以前、組織の合理化のためにゲキシンガー隊を解体してヴィクト隊に併合した際、『ヴィクトとゲキシンガーが同時に死なないようにする』というのを基本方針として、ゲキシンガーの役職を幹部従者から準幹部従者に変更し、彼をヴィクトの下につけたのだ。


 もしこの場にゲキシンガーもいたら、結果は変わっていたかもしれない。メキドとバサラとガルガンティアも死ななかったかもしれない。ヴィクトもここまでの深手を負わなかったかもしれない。


 もしブツメツを助けに向かうのがゲキシンガーだとしたら、間違ってもレドゥーニャは同行しないし、死んだ三人も志願しなかったはずだ。それだったら死ぬのはゲキシンガー一人だけで済んだ。


 ヴィクトが屋敷に留まり、ゲキシンガーが一人で助けに行くべきだったのだ。ゲキシンガーなどに好き好んで命を預ける部下など誰もいない。


 多くの者から信頼を寄せられ、慕われているヴィクトなどより、嫌われ者のゲキシンガーが一人で魔城タピオカに赴けば、死ぬのはゲキシンガーだけで済む。


 こういう役目は、ゲキシンガーのように死んだところで誰も悲しまないような者が負うべきなのだ。




 悪霊の強さを読み違え、ランクDなどとふざけた分析結果を出したロシーボ隊の偵察班はどうだろう?


 あいつらこそが一番の戦犯ではないか? 組織のトップであるウィーナが常々口を酸っぱくして戦闘員達に言うように、悪霊退治は『事前の調査』が最も重要なのだ。


 悪霊はとにかく強さが読めない。見た目や表面上感じられるパワーやら魔力やらがほとんど当てにならないのだ。


 戦闘圏内に入らず、相手に気取られぬように悪霊の強さを測定できる技術・手段を持っているのが、ほぼロシーボ隊にいる連中だけなのだ。


 いや、別にロシーボの作った測定器(発案及び設計はロシーボだが製造は外注)を他の隊に貸し出せば誰でもできるのだが、とんでもない強さを持ったSランク以上の悪霊の戦闘能力を正確に測れる測定器は非常に高価で、万一壊したりしたら大変なことになるため、基本的にロシーボ隊の戦闘員しか扱わない。


 安価な測定器もロシーボの完全自作で作ることが可能だが、A~Bランクの悪霊を測定するとオーバーフローして爆発する恐れがあり、使用者が危険である。それでも全部の隊に普及させるほどの数は予算的に作れない。


 とにかく、このロシーボの『測定器』の発明が、それまでウィーナがフリーランスでやっていた悪霊退治を組織として行うことを決意させた要因の一つであったと聞く。


 この測定器を用いた事前の分析がなければ、実際に戦ってみて強さを確かめる他ないのだ。それには多大な犠牲が伴うこととなる。殉職者への遺族へ払う補償金だけで組織が潰れてしまい、商売が成り立たないだろう。


 しかし、それだけに、悪霊の強さを見誤るのは致命的なミスである。


 そもそもロシーボ隊は高難度の任務をあまり請け負わず、他の隊のサポート任務や悪霊ではない魔物退治などの楽な仕事が多いのだから、せめて悪霊のランク判定はしっかりこなしてもらわないと、なぜロシーボのような役立たずが隊長などやっているのか本当に分からなくなる。


 以前から失敗が多く、戦闘能力も低いロシーボを、いつまでも幹部従者にし続ける上、クビにもせずずっと組織に留め置いていることがレドゥーニャは気に入らなかった。そもそもシュドーケンがいないと一人では隊の指揮をほとんど取れないなんて、そんな隊長はあり得ないだろう。


 ロシーボも、彼の補佐をしているシュドーケンも、レドゥーニャとすれ違う度に彼女の胸元や八本の美脚をエロい目でじろじろ見てくる。気色悪いことこの上ない。


 いずれにしろ、今回の件でロシーボ隊の処分は免れないだろう。誰だか知らないが、ミルクティー富松の調査をしたロシーボ隊の担当者と、誤った調査結果を見抜けず鵜呑みにしたロシーボの責任は追及されなければならない。


 もしこれでヴィクトが死ぬことになったら、レドゥーニャは絶対にロシーボとロシーボ隊を許さない。


 そのときは、覚悟するがいい。




◇◇◇




「ぎょっぺっぺええええっ!? そんな馬鹿なっ! このミルクティー富松がっ! このミルクティー富松があああああっ! こんな糞雑魚如きにいいいいっ!? ぶわああくわああぬわああああああっ!」


 その後、ヴィクトの読み通り、ミルクティー富松はこの広間にやってきてレドゥーニャの張った蜘蛛の巣に絡め取られた。その一瞬の隙を突く形で、ヴィクトは片目の眼球と腸が飛び出た状態で立ち上がり、一刀両断の必殺技『ソウル&ソード』を放ち相手に大打撃を与え、レドゥーニャが鎮霊石に封じ込めることに成功したのだった。


 結局、ブツメツは魔城の中で死んでいたのを発見された。ブツメツの死を確認した後、ヴィクトはようやく自身にエリクサーを使用して、体は元通りになり、命を繋ぎとめた。




 任務後、ロシーボとシュドーケンが悪霊の判定ミスの件でヴィクト隊に謝罪に訪れた。


 レドゥーニャはロシーボとシュドーケンを目にするなり、彼らが弁解の言葉をしゃべり出す前に、有無を言わさず二人まとめて思いっきりビンタして、彼らの頬に真っ赤な手形模様を刻みつけた。


 一瞬にして場の空気が凍り付き、ヴィクトが慌ててレドゥーニャを止めに入ったが、ロシーボは「いや、こんぐらいされて当然だ」と言って逆にヴィクトを制止した。


 ロシーボ隊が悪いのに自分が悪者みたいな空気になったことに対して、レドゥーニャは余計感情的になり、ロシーボのもう片方の頬に二発目のビンタをかました。


 パァン、という乾いた音が周囲に響き渡った。




 その後、管轄従者が幹部従者に対して、臆面もなく堂々と二発も平手打ちをしたことが組織内で問題になりかけたが、当のロシーボ自身がウィーナに「引き起こされた結果を考えると完全に自分が悪い。レドゥーニャをとやかく言わないでほしい」と申し出たため、この件は表面化しなかった。







「お前、何やってんだ? 事務所メチャクチャに壊れてんじゃねーか」


 ゲキシンガーは超波動砲で両者を牽制し、自分を睨みつける蜘蛛女に言った。


「ユノ殿が悪いと思うんですけど? 違いますか?」


 レドゥーニャがつっけんどんな口調で言う。


「うん、何だかよく分からんが。一から説明してくれる? ちょっと状況が把握できなくて」


「ユノ殿が繭から出てくれば、ヴィクト殿が行かなくて済みますよね?」


「はぁ~、そういうこと」


「はい」


「分かった」


「はい」


 そう言い、レドゥーニャは再びグレートチョイナーに構えを取った。


「いやいやいやいや、待てっつーの」


 咄嗟にゲキシンガーが口を挟む。


「何です?」


 レドゥーニャが苛立ちを隠さずに、縦ロールを振り乱しこちらを振り向く。


「いや『何です』じゃなくて。逆にこっちこそ、何です?」


「今『分かった』って言いましたよね? ゲキシンガー殿」


「え? 今俺がGOサイン出したことになってんだ? あの、俺が分かったっつったのはお前がこんなことしてる理由の部分だから。あくまでも。全くもってお前の暴挙を追認したって意味合いの『分かった』じゃねーから!」


「そうなんですか?」


「うん! そうだね! って言うかさあ、これも問題だけど」


 ゲキシンガーは周囲で倒れている全裸の六人をぐるりと指差しながら更に言葉を続ける。


「さっき下でも重傷の人が五人ぐらいいたんだけど、あれ一体どういうことだ? 既に重傷者が十一人出てるんだけど。そこも説明しろよ。何がしてーんだ、お前」


 レドゥーニャの態度に併せて、ゲキシンガーも語調を強くしていく。


「さっきお話した通りですけど。聞いてませんでした?」


「うん、前から思ってたことだけどヴィクトと俺とで全然態度違うよね、君。まあそれはいいとして、お前もうやめろ! もう既に決定してることなんだよ!」


「私を手伝う気がなければ、邪魔なんで下がってて下さい」


 レドゥーニャがいつも通りの、他人を見下す高圧的な口調で言い放った。ゲキシンガーは渋い顔で溜息をついた。


「やれやれ、管轄に邪魔呼ばわりされるとは。俺も舐められたもんだ」


 ゲキシンガーが普段着の丸腰のまま、全身の闘気を練りレドゥーニャに歩みを進めた。


「怪我したくないなら下がっていた方がいいですよ?」


 レドゥーニャが冷たい口調で言う。上司を上司とも思わない態度であった。以前からゲキシンガーに対し反抗的なそぶりを見せることはあったが、ここまで露骨なのは初めてである。


「ユノんとこの連中を随分痛めつけたみてーだな。ユノの野郎にケジメつけてみせる意味でも、こいつら並の目には遭ってもらう」


 ゲキシンガーは周囲で失神する六人を見回しながら言った。そして、右手をかざすと、彼の掌に闇が形成されていき、その漆黒の球体から彼の使役する怨念渦巻く数多の悪霊達が出現し、渦となって幾重にもゲキシンガーの周りを取り巻く。


「ハアァ? こんな気持ち悪い変態共擁護するわけ? ありえないんだけど? マジであんた帰ってくれない? 話ややこしくしないでくれます?」


 レドゥーニャが倒れる六人を冷めた目で見下しながら、ゲキシンガーに攻撃的な言葉を畳みかける。彼女のゲキシンガーに対する言葉は敬語の比率も少なくなり、罵倒の色を帯びてきたが、ゲキシンガーは表情一つ変えず動じない。


「見た目は関係ないだろ」


 ゲキシンガーが言うと、渦巻く悪霊に触発されるが如く、掌に浮かぶ漆黒の球体から紫色の稲妻が発生して激しく明滅。彼の周囲を駆け巡る。一触即発。


「ゲキシンガー殿。俺は構いませんよ?」


 グレートチョイナーが金槌を素振りしながらゲキシンガーに言う。


「何だと?」


「俺もコイツらや兄貴達をやられて、ムカついてたところだったんです。いいですよ。相手になりますよ」


「ほう」


 ゲキシンガーの周囲に立ち込めている悪霊達の動きがピタリと止まった。


「アンタが負けたら俺の部下や兄貴達を傷つけたことと愚弄したことを謝ってもらう。もし俺が負けたら繭は好きにしろ」


 グレートチョイナーがレドゥーニャに宣言した。


「いいのか。そんなこと言っちゃって」


 ゲキシンガーがグレートチョイナーとレドゥーニャの両者を見ながら言う。


「構いません。俺は負けないですから」


「……分かった。好きにしろ」


 ゲキシンガーは構えた手を下ろした。闇の球体は消え、悪霊達も一瞬の内に消滅した。


 それを聞いたレドゥーニャが高飛車な笑いを飛ばす。


「馬鹿ね。そんなくだらないことのために、自分の隊長の繭を負けたときの条件に差し出すなんて。私が負けたときの謝罪と天秤にかけてつり合わないとは思わないの?」


「っせーよ。アンタの隊ではどうかは知らないが、ユノ隊では傷つけられた誇りを取り戻すのは、十分な戦いの理由になるんだよ」


「愚かな……。所詮、平従者なんて使い捨ての駒に過ぎないのよ。こんな弱い役立たずのために戦うなんて、私には理解できないわ。平や中核なんて、私達強者が安全に任務をこなすための肉の壁でしかないのよ」


「……ジャベリガンの野郎はまたの機会にブッ飛ばすとして、まずはお前をブッ飛ばす!」


 グレートチョイナーが怒りを込めて言い放った。


「いいわよ! いらっしゃい!」


 レドゥーニャも受けて立つ。


「ウチの隊の評判が下がること言ってんじゃねーよ……」


 ゲキシンガーは小声で言ったが、レドゥーニャの耳には入っていないようだった。


 そんな風に思っているならダオル隊かレンチョー隊にでも行った方が居心地がよいのではないかとゲキシンガーには感じずにいられなかった。

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