やるせなき脱力神番外編 単独任務

伊達サクット

番外編 単独任務(1)

 ウィーナの執務室に、幹部従者達が集結していた。


 奥の椅子に座すウィーナの脇には副社長のダオルが立っており、その二人のテーブルを挟んだ対面に、ハチドリ、シュロン、ニチカゲ、ジョブゼ、レンチョー、ヴィクト、ハイム、ロシーボ、ユノの九人が並ぶ。


 いずれもそれぞれの隊を率いている幹部達である。部屋の入口側には、ウィーナの秘書官を務めるファウファーレが控えていた。


「ランセツ君は?」


 浴衣姿に草履を履いた大男、ニチカゲが問う。


「来ない奴は捨て置けばいい」


 黄金の鎧に身を包んだ肌の黒い男、ダオルがさも当然といった風に言い捨てる。


「ですね、ウィーナ様」


 ダオルが視線をウィーナに流した。


「……ああ、あまり態度が良くないな」


 ウィーナもわずかではあるが、声を冷たくして言った。ウィーナにしても、ランセツの態度には少々怒りを覚えていた。


 今回発生した単独任務の件で、幹部全員に来るよう命令したのに、何の連絡も寄越さない無断欠席だった。


 そんなとき、執務室のドアをノックする音が響いた。


「入れ」


 ウィーナの返事に応じ、ファウファーレが扉を開けた。幹部達の視線も背後のドアに集中する。


 そこには、ランセツの副官である管轄従者・レイリンの姿があった。


 ノースリーブの中華風道着を身に纏い、肩から三本ずつ、計六本の腕が並列して生えた多腕種族の女性格闘家である。


「申し訳ありません。ランセツ殿はどうしても外せない用事があると……」


 レイリンがウィーナに対し、二つのシニヨンを結った頭を必死に下げる。


「貴様が謝るようなことではない! ランセツ本人を呼んで来い!」


 ダオルが怒りで声を荒げるが、ウィーナは「ダオル、よせ」と嗜めると、ダオルはそれきり黙った。


 ひとしきり謝るとレイリンは部屋から出ていき、ファウファーレが静かに戸を閉めた。


 おそらく『どうしても外せない用事がある』とはレイリンが取り繕った嘘であろう。十中八九ランセツは無断欠席であるとウィーナは思っていた。


 ランセツの態度が良くない。ここのところ非常に良くない。


 一体何を考えているのか? 何のつもりなのか? ウィーナには分からない。


 こんなことが続けばランセツの立場はどんどん悪くなっていく。しかも副社長のダオルはランセツに対して異様なまでの敵愾心を抱いている。どこかでランセツとゆっくり話す機会を設けなければならないとは思うが、なかなかその機会を作れなかった。


 しかし、それはそれとしてだ。


「それでは、始めよう」


 ウィーナは話を進めることにした。いつものことだが、幹部従者達に説明を始める。


「ハッチョウボリー地方でSランクの悪霊が出た。悪霊の名は『キャプテン・ダマシェ』。顔を上下反対にしても別の顔に見えるという海賊の悪霊だ。既に三つの村と二つの軍の部隊が壊滅している。一旦軍が撤退し、こちらに退治の依頼が来た」


 冥王軍はキャプテン・ダマシェが自分達の手に余ると判断した後、ワルキュリア・カンパニーに協力要請をしてきたのだ。ウィーナは報酬80万Gギールドでこれを承諾した。


 そして、この任務をできる限りコストを抑え、それでいて早期に成果を出すべく、幹部従者の単独任務とすることにした。


 元々幹部従者の給料はそこまで多くはしていない。他の組織の彼らと同等の強さを持つ者達と比較しても、明らかに給金は低かった。こういう機会に幹部を稼がせてやらねばならない。


「ダオル、頼む」


「ハッ」


 ダオルが頷くとすぐに、しかし厳かに切り出した。


「まずは成功報酬70万Gギールドからだ」


 ダオルが幹部達を値踏みするかのような視線で見回した。


「冥王軍の悪霊討伐隊を二つやった悪霊か」


 ロシーボが若干気後れしたような様子で言った。


「ロシーボ、お前帰った方がいいよ」


 レンチョーが馬鹿にしたようにロシーボに言う。


「誰が!」


 ロシーボがムッとした表情を作ってレンチョーをにらんだが、威圧感はさほどない。


 そんなやり取りをよそに、シュロンが軽く手を挙げた。


「……本来なら、わたくしがタダでやってもいいのだけれど、それはそれでウィーナ様のお心に反することになってしまう……。67万」


「66万」


 ジョブゼが手を挙げる。


「細かく刻むなよ」


 ダオルは不満げな様子だった。ジョブゼは戦うのは好きだが、それはそれとして、もらえる報酬の額には結構こだわる質であった。


「あら。これ以上下がるなら、わたくし降りますわ」


 早々にシュロンが宣言した。


「早いよ」


 ハイムが言う。


「だってこれ以上下がるとわたくしの価値が下がってしまいますもの。それはつまりウィーナ様の価値が下がってしまうということ」


 シュロンが訳の分からないことを言い出したが、そこに絡むと面倒臭いので、ハイムは苦笑いして、それ以上は言わなかった。


「65万。あ、言っとくけど60万切ったら俺は降りるから。皆様、そのつもりで」


 ヴィクトは手を挙げ発言すると共に、自らのアンダーラインを宣言した。


「63万」


 ハイムが手を挙げる。


「62万」


 ジョブゼがすぐさま対抗。


「だから細かく刻むなって。みみっちいなあ」


 ダオルがまたも不満気にこぼす。ウィーナはそんな様子を、テーブルで腕を組んで見ていた。


「60万……5000」


 ヴィクトがジョブゼの方を見ながら宣言する。


「60万」


 ジョブゼがヴィクトを鋭い目で見ながら挙手した。ヴィクトが提示した最低ラインと同額である。


「どうしたヴィクト。また60万は切っちゃいないぜ?」


 ジョブゼが続けた。ヴィクトは小さく息を吐き、肩をすくめた。


「100万!」


 テーブルの上に立つハチドリが、小さな羽を上げてクチバシを開いた。この発言が流れをブチ切る。


「ハチドリ……。貴様ルールを分かっているのか?」


 ダオルがテーブルの小鳥を威圧的に見下ろす。


「そもそもスタートがおかしいと申してるのです。だって、三つ村を滅ぼして、悪霊討伐隊をニ部隊全滅させたんでしょ?」


 ハチドリが動じず、淡々としゃべる。


「そうだ」


 ダオルが当然といった如く返答した。


「それを我々の誰かが一人でやるんでしょ?」


「そうだ。不服か?」


「いや、不服というか、ちょっと無茶というか、それSランクどころかSSSぐらいってるでしょ? それなのにいつもと同じ70万スタートって」


「100万も出したら粗利も稼げない」


 ウィーナがハチドリの言葉を遮った。冥王軍からは80万Gしかもらえないのだから、それだけで赤字である。


 全員の視線がウィーナに集まる。


「じゃあウィーナ様ご自身で行かれてはいかがですか?」


 ハチドリが投げやりに言う。さらに彼はクチバシを開いた。


「そもそもですよ、なぁ~んでこんな案件80万如きで引き受けっちゃったん……」


「口を慎みなさい! ハチドリ!」


 シュロンが強い口調で言うが、ハチドリはシュロンの方を振り向きさえしなかった。


「お前達に稼がせてやりたいのだ。だから引き受けたのだ」


 ウィーナがハチドリに言う。当然、ウィーナ自身が行けばキャプテン・ダマシェなど一瞬で倒せるだろう。しかし、そうしたら全てにおいてそれが言える。


 ウィーナ以外の部下はいらなくなってしまう。元々、ウィーナはフリーランスでやっていたが、他の者達が『是非ウィーナの下で働きたい』と言ってきたから、それに応える形で今のワルキュリア・カンパニーが出来上がったわけだ。


 そういった成り立ちがあるため、そこでウィーナが行けば済む話だ、と言ってしまえば、組織の存在意義が根底から問われることとなる。


 人員整理、コストカットの波が訪れる。マネジメントライデンに人を減らせと、そればかり言われているのだ。


「いや私が心配なのは、ここでこうしている間にも、被害が広がらなければ――」


 ハチドリが言う。


「そりゃもちろん地縛霊なんでしょ? もし現在進行形で被害が進んでるなら、ウィーナ様かダオル殿がとっくに現場に行ってるだろうから」


 ウィーナが答える前に、ヴィクトが答えた。


 ヴィクトの言う通りだ。


 もしそういう事態なら、ここで悠長に幹部なぞ集めて競りなどやっていない。ウィーナ自身でケリをつける。また、他の幹部達ではとてもかなわない、ウィーナ以外に相手ができないような悪霊であれば、ウィーナが自分で行く。


 今回のキャプテン・ダマシェは、幹部従者の単独任務で何とかなるだろうと踏んでいたのだ。何なら、競り落とした者が他の幹部と手を組んでも構わない。


 もっとも、そのときは成功報酬は山分けとなるが。


「いや、それでも我々が相手するにはキツくないですか? やっぱりウィーナ様自ら……」


 なおもハチドリは納得がいかない様子だった。


「そうすると、全て私一人でやればいいということになってしまう。こいつなんて、副社長で給料が高いから真っ先に雇い止めだ」


 ウィーナが眉をしかめ、横に立つダオルを指差した。


「ええっ!? マジっすか!?」


 まさかの飛び火に仰天するダオル。


「55万!」


 ニチカゲが力強く手を挙げ、ハチドリを一喝するかのように声を上げた。


 ハチドリは首を後ろに曲げてニチカゲを見上げ、ムスッとした表情で溜息をし、クチバシを閉じた。


「53万」


 ハイムも若干不敵な笑みを浮かべながら、ニチカゲに対抗した。「52万!」と、再びジョブゼが刻んでくる。


 しばらくの沈黙の後、レンチョーが「45万」と、満を持した面持ちのドヤ顔で手を挙げた。


「安いぞ、いいのかよ?」


 ヴィクトが心配そうにレンチョーに視線を流す。


「えっ? みんなそんな高難度ミッションって理解? 俺にとってはまあ、このぐらいが妥当っつー認識なんだが?」


 鼻で笑うレンチョー。


「この額じゃやれねぇな」


 ジョブゼが誰にともなく言う。彼は競りの舞台から降りた。


「私もちょっとパスかなー……。だって45万まるまる自分で使うわけにもいかないし。隊の皆に還元することだって考えなきゃいけないじゃん?」


 ハイムも苦笑して言った。


 少々、場が沈黙した。ややあって、ダオルが口を開く。


「他にいないのか、ならこの任務、レンチョーに」


「40万!」


 ロシーボが手を挙げた。ただでさえ70万Gの報酬が45万Gにまで目減りしているのに、彼はあろうことか、更に5万下げてきた。


 ウィーナとダオルとジョブゼとユノ以外は、皆以外そうな表情でロシーボを見た。


「あ゛ぁ゛!? ロシーボ、オメーこの任務がどんな任務か聞いてなかったのか?」


 レンチョーが血走った目でロシーボを睨みつける。


「え、今回はせいぜい40万程度の任務でしょ?」


「はぁ!? テメー今日はやけに強気じゃねーか」


「怖いならやめとけば? 片腹どころか両腹痛い。いいよ、俺がやるよ今回は」


 何とロシーボがレンチョーを挑発してきた。これにはウィーナも以外だった。


「あ゛ぁ゛!? ざけんな! 39万!」


「38万!」


 ロシーボが食い下がる。


「う……、さ、37万5000!」


 レンチョーが対抗。


「37万2000!」


 ロシーボが対抗。更に細かく刻んでくる。


「37万!」


 レンチョーが対抗。


「36万9000!」


 ロシーボが対抗。他の幹部従者達は不安そうな、または呆れた顔で二人のチキンレースを見守る。ダオルは嬉しそうな表情で、ニヤニヤ笑いながら様子をみている。


「35万ッ!」


 レンチョーが言った後、歯を食いしばった。


「ううっ……。利益あるかなぁ……」


 ロシーボが工兵服のポケットから紙とペンを取り出し、何やら計算を始めた。


「いいのかぁ! これで決まるぞー!」


 ダオルが言う。


「ちょ、ちょっと待って下さい」


 ロシーボがダオルに訴えるが、ダオルは構わずもう一度「終わるぞー!」と強く催促した。


 レンチョーはかなり後悔した表情をその顔に湛えている。ウィーナはちょっと内心嬉しく思った。


「3万!」


 ここにきてユノがおもむろに手を挙げた。今日初めての発言だった。


 一瞬にして執務室が凍り付いた。皆一様に唖然とした表情。無表情のユノ。彼は一気に報酬を十分の一以下に下げてきた。


「ユノ、いいのか? 3万だぞ。30万じゃなくて?」


 ウィーナが直接ユノに問う。ウィーナは言い間違いを疑っていた。


「レンチョー後に退けなくなって怖くて震えてるです。可哀想です。降りる助け舟出してあげるです」


 ユノが無表情で言った。


「はああああっ!? 貴様この俺様を舐めるなよ! じゃあ俺は2万5000だオラァ!」


 レンチョーがすかさず切り出す。


「よし決定! この任務はレンチョーに任す!」


 この瞬間、ダオルが競りの終了を宣言した。


「あ、しまった!」


 レンチョーがあんぐりと口を開けるが、もう後の祭りである。


 レンチョーがロシーボの表情を伺うが、ロシーボは「無理無理無理」といってぶんぶん首を振る。


「ぐぅぅ……」


 悔しそうに歯を食いしばるレンチョー。それを満足げに見るダオル。


「そしたら俺もやろうか? 1万2500ずつで」


 ハチドリがしかめっ面で申し出たが、レンチョーは「お前の助けはいらん」と突っぱねた。「あっそ」とハチドリ。


「2万!」


 ユノが手を挙げて声を張った。


 レンチョーが髪と尻尾を揺らす勢いでユノの方を向く。


「もう締め切ったぞ。駄目だ」


 ダオルがユノに言う。


「別にそんなキッチリしたルールじゃないです?」


「駄ぁー目ぇーだっ! もう落札済みだ!」


「仮にそうだとしても、結局僕レンチョーから個人的にお金もらって代わりにハッチョウボリー行くですから」


 ユノがギラギラとした鋭い目つきでダオルを射抜くように睨む。


「おお! 行ってくれるか! さっすがユノだ! ホント持つべきものは親友だなぁハハハ!」


 レンチョーが指以外緑の鱗に覆われた両手で、ユノの赤紫の外骨格で覆われた硬質な手を持ち、力強く上下に振った。


「大げさです」


 ユノはおだてるレンチョーを無表情であしらった。


「分かった。ダオル、ユノにやらせてやろう」


 ウィーナがダオルに言うと、彼は「ハッ」と返事をした。


 この任務はユノの担当となった。たった2万G報酬でSランク悪霊の討伐に幹部従者が動く。ウィーナ的には、そしてワルキュリア・カンパニー的には、かなり経済的に助かるのだ。


「それではユノ殿、更に細かいところを説明しますので、こちらへ」


 入口の脇に控えていたファウファーレが、ユノの所まで近づいてきた。ユノはファウファーレに促されて、ウィーナの執務室を出て、ファウファーレの秘書室のある方角に歩いていった。







 単独任務の競りが終わった後、戦闘員の事務所へ戻るヴィクトの肩に、ハチドリが止まった。


「前から言ってることだけど、このシステム、俺はどうかと思う」


 ヴィクトの耳元で、ハチドリが小声でこぼした。


「元々お前の発案じゃん。何してくれてんだよお前」


 ヴィクトは呆れた様子で、正面を向いたまま肩のハチドリに言う。


「ああ、面目ない。最初は良いんじゃないかと思ったが、やってみてやっぱり駄目だった。だから廃止するよう進言したが、ウィーナ様もダオル殿もやめて下さらん」


「だろうな。だって副社長なんて普通に楽しんでるだろ。あれ」


「もう定着しちまったからなぁ……」


「あのシステム、俺達に何もメリットがないだろ。ただ給金が安くなるだけだ」


「俺達にはなくとも組織にはあるんだよ」


 ハチドリが言葉を返す。無論、組織のメリットとは、人件費が安くなることだ。だからウィーナは単独任務の競りを廃止しようとしない。


「まあ、そうだけど……」


「競りを始めてから、レンチョーがSランクの任務をかなりやるようになった」


「ああー……」


「イキッてどんどん報酬を下げてくるから。今までSランクの単独はお前やジョブゼに集中してたから、それは良かった」


「まあ、それはある。でも何とか廃止の方向に持っていきたい」


「俺はもうウィーナ様に一回やめるよう進言して駄目って言われてるから、もうウィーナ様の中では終わった話になってる。また俺が同じように言っても済んだ話の蒸し返しになるからマズい」


「そうか。分かった。また幹部会議でウィーナ様がいないとき、ちょっとみんなと話してみるか。今日のユノにしたって、仮に本人がよくてもさぁ、やっぱマズいぜ、あれはさ」


「分かってる。だから俺も手伝おうとはしたんだよ。俺の方でもまたちょっと考えておく……それじゃあ」


 ハチドリはヴィクトの方から飛び立ち、すぐに見えなくなった。


 ヴィクトは憂慮していた。Sランクの悪霊を討伐するような任務を、2万Gといった異常な低額で引き受けるような前例を、正式に組織の歴史に残すのはよくない。悪しき前例となってしまう。


 今後エスカレートして、ユノが自暴自棄になってタダのような値段で高難度のミッションを次々と請け負うようになっていったら、そして、レンチョーを初めとした組織の上層部でそれを良しとする空気が醸成されていったら。


 それは避けるべきだ。組織が腐って信賞必罰が保てなくなる。


 ヴィクトはそう思っていた。


 それはウィーナ自身も良いと思っていないはずだ。ヴィクトはそう踏んでいた。言い出しっぺのハチドリからの進言ではなく、別の方法、伝え方でウィーナにアプローチすれば、廃止の流れを作れるかもしれない。







 予想外の事態になった。


 ファウファーレに呼ばれてウィーナが別館の戦闘員の事務所に行ってみると、仮眠室のベッドの一つに、巨大な、真っ白な繭が置かれていたのだ。


「ユノ殿がこの中に」


 ファウファーレが困った顔つきで言う。


「どういうことだ。なぜまだここにいるのだ」


 ウィーナが不可解な事態を把握しようと、ファウファーレに問う。


 繭になっているというのも不可解だが、とっくにキャプテン・ダマシェがいるハッチョウボリー地方に向かっていなければならない日だというのに、ユノは仮眠室で繭に包まれていた。


「ユノ隊の者が言うには、『超究極完全体に羽化するです』と言って、凄まじい光を放ち、一瞬で繭になってしまったと……」


「それはいつの話だ」


「三日前です」


「聞いてないぞ。なぜユノ隊の者はすぐ報告しないのだ?」


 ウィーナが内心苛立ちながら、ファウファーレに問う。


「私も怒りました。なぜすぐに言わないのって。そしたら『ユノ殿もそこのところは当然分かってるだろうから、まさか出立の日になっても出てこないとは思わなかった』との事だったんです」


「まったく……」


 ウィーナは腕を組んで溜息をついた。


 時間がない。


 現在の各隊の状況を鑑みるに、今すぐ動けるのは、任務が入っておらず訓練場で部下の指導をしているヴィクトだけである。


「ファウファーレ、私の執務室にダオルを呼べ」


「ハッ!」




 ウィーナは執務室に戻り、追ってやってきたダオルに、ユノが羽化するまでの間のユノ隊の指揮を任じた。


 そして、ウィーナは義理の娘であり、ヴィクト隊の副官であるヴィナスに事情を話し、ヴィクトを呼んでくるよう頼んだ。






「ヴィクト殿、少しお話があります。こちらへ」


 訓練所に現れた副官・ヴィナスはそう言って、ヴィクトに来るよう促した。


「みんな、ちょっと席外すから、続けてて」


 ヴィクトは部下達にそう言って、指導を中断してヴィナスに付いていった。


 角を曲がって、部下達の視界から二人が外れた途端、ヴィナスは「ちょっとこっち!」と言ってヴィクトの腕をぐいぐい引っ張り、厚底のサンダルを鳴らして走り出した。


「ちょちょちょ、どうしたんだよ?」


 面食らうヴィクトをよそに、ヴィナスはヴィクトを人気のない戦闘員事務所の裏手に連れ込んだ。


「大変よヴィクト! お母様がヤバい任務ヴィクトにやらそうとしてるの!」


 ヴィナスは他の部下達が見ていない、二人だけの空間になると、途端に昔のようなタメ口の友達口調に戻った。


「ヤバい任務?」


「ユノが繭になっちゃったからって、代わりにヴィクトに行かそうとしてるのよ!」


「ああ、そっか。確かに動ける幹部が今俺かダオル殿しかいないから」


「お母様ったらダオルにユノ隊の指揮任せて、ヴィクトを向かわせるって。しかもその任務、たった2万Gなんでしょ? ファウファーレから聞いたもん!」


「うん、そうだよ。ユノが自分でそれでやるって言ったんだから」


 ヴィクトがそう言うと、ヴィナスは顔をずいっと近づけ、ヴィクトとの距離を詰め、密着してきた。


 こんなところを他の戦闘員に見られたくないので、何とか自然に顔を遠ざけるが、その分ヴィナスは近づいてくる。


「もう何で逃げるの?」


「いや逃げてない逃げてない」


「とにかく、このままじゃヴィクトがハッチョウボリーに行かされるから、何か予定を作って断って!」


 またこの押しかけ副官は困ったことを言い始めた。ヴィクトは顔をしかめる。


 元々ヴィクトは自分の隊に副官などというポジションは置いていなかった。


 元は歌って踊って闘うアイドルグループ『Valkyrie 5ヴァルキリーファイブ』に加入することを条件に、ヴィナスをヴィクトの副官にすると、レンチョーが勝手に約束したのが原因だった。


 レンチョーの面子を潰さないために、仕方なしにヴィナスを副官に据えたが、これでヴィクトはヴィナスと距離を取ることが難しくなった。


「いや、急に言われても」


「ヴィクト隊の副官として、隊長をそんな過酷で報酬が少ない任務に行かせるわけにはいかないわ!」


 ヴィナスが食ってかかる。


「うっ……」


 言葉に詰まるヴィクト。確かに、それに関しては正論である。


「そうだ、こうしようよ! 王都の外に悪霊が出たって知らせが来たから、ヴィクトがついさっき出ていって、一歩違いで会えなかったって言うの!」


「完全に嘘じゃないか」


「いいのよ。そしたらお母様が自分でキャプテン・ダマシェを倒しに行くだろうから」


「いや、それは駄目だ。そんなことはできない」


 ヴィクトはヴィナスの目を見ながら、きっぱりと言う。


「今回だけは私の言うこと聞いて」


 ヴィナスもヴィクトの目を見ながら、きっぱりと言う。


「いつも聞いてるじゃないか」


「私だけじゃない。今回は隊のみんなだって絶対同じ思いよ。ウチの隊長をこんな風に使われるなんて納得できないって」


「う~ん……」


 他の隊員のことを出され、またヴィクトは言葉を詰まらせる。


「時間がないの。私お母様にヴィクト連れて来いって言われてるんだから。もうこのまま屋敷の外に出ちゃって!」


 ヴィナスがヴィクトの腕を引っ張るが、ヴィクトは踏み止まる。


「いや、やっぱりそれはマズい」


「私、ヴィクトのこと好きだけど、今回はホントに個人的感情じゃなく、あなたの副官として言ってる。大丈夫、もしばれても私のしたことなら許してくれるから。なんたって女神ウィーナの娘なんだから私」


「だからこそ駄目だ」


 ウィーナの娘であるヴィナスを使ってズルをするような真似は、やはりヴィクト自分自身に許すことができなかった。


 ヴィナスは押し黙って、ヴィクトの腕をつかんだまま、ムスッとした顔つきでヴィクトを見つめる。しばらく間の悪い沈黙が続き、ヴィクトが切り出した。


「分かった。任務は行かない」


「ホントに? じゃあ早く屋敷から出て!」


 ヴィナスの顔がぱあっと晴れやかになり、ヴィクトを連れだそうとする。


「ちょっと待った。逃げはしない」


「何でよ!?」


「ちゃんとウィーナ様の呼び出しに応じて、面と向かって断ってくる」


「ホントに!? 断れる!? お母様相手に」


 ヴィナスが心配そうな顔で見つめる。


「うん、確かハチドリは動けたはず。事情が変わったって言ってたから」


 ヴィクトは嘘を言った。ヴィナスから解放されるために、彼女を安心させるのである。


「ホントに」


「ああ」


「じゃあ絶対断ってよ! 私もValkyrie5の仕事入ってて、これからすぐ出かけなきゃいけないんだけど、私がいなくってホントにヴィクト大丈夫?」


「大丈夫、隊のためにちゃんと断る」


「絶対だからね」


 とりあえずヴィクトとヴィナスは一旦訓練場まで戻り、そこでヴィナスは心配そうにValkyrie5の仕事に赴いていった。


 そしてヴィクトは部下達に、ウィーナに呼ばれているから再び席を外すと伝え、ウィーナの執務室へと向かった。




 結局、ヴィクトはユノの単独任務を同じ2万Gで引き継いだ。

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