読者から 5通目

 F先生、お待たせしました。

 いろいろお伝えしたいことはあるのですが、まずは先日の報告をまとめましたのでご確認ください。

 以下、かなり長い文面になります。


 謎の占い師の名前は「ミユキ様」といいます。なお、これまでの手紙では「謎の占い師」としていましたが、今回のやり取りにおいて、占いに相当するようなことは一切行われませんでしたので、以下、謎の占い師の肩書きは外し、たんにミユキ様と書きます。

 ミユキ様とのコンタクトは大学のキャンパス内にあるサークル棟の一室で行われました。今は廃部となってしまった映画研究会が使っていた部屋を一時的に間借りしたようです。

 約束の時間に指定された部屋の前に行くと、私と同い年くらいの男性(同大学の学生かもしれませんが未確認。以下、この男性をAとします)がドアの前で待っていました。Aは私の氏名を聞くと、腕時計で時間を確認し、一呼吸ほどの時間をおいてからドアを開け、私を中に招き入れました。

 まず目に入ったのは部屋の中央におかれた一脚のパイプ椅子です。その向こうには天井から床まで届く灰色の厚いカーテンが部屋の端から端まで張られていました。おおよその感覚ですが、カーテンによって部屋はほぼ二等分に仕切られていたと思います。そのカーテンに遮られて、こちら側には窓からの外光が届かないため、天井の蛍光灯が灯されていました。


 Aの指示で私はパイプ椅子に座りました。この時点で、私はまだ何が行われるのかまったく知らされていません。多少不安ではありましたが、Aの物腰は丁寧で、ドアも施錠されなかったので、身の危険は感じませんでした。

 Aは私にそのまま待つように言うと、左の壁際から細くカーテンをめくってするりと向こう側へと姿を消しました。私はジャケットの胸ポケットに忍ばせたボイスレコーダーのスイッチを入れました。

 しばらくするとカーテンの向こう側からかすかな物音が聞こえてきました。耳を澄ませてみたのですが、何の音かはよくわかりません。ただ、人の声ではないようでした。最後にガチャリという音がして、それきりしんと静かになりました。


「お待たせしました。これからミユキ様とお話しになれます」

 カーテンの向こう側から戻ってきたAは、私のすぐ隣に立ち、そう告げました。

 ミユキ様? それが占い師の名前なのだろうか。なぜカーテンで仕切られているのか。この状態で相手の顔を見ないまま話をしろということなのか。

 入室の段階から想定外の展開が続いたせいで、健康のこと、大学卒業後の仕事のこと、恋愛運など、事前に準備していた占いでの定番の質問が全部飛んでしまいました。

 落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせ、ゆっくりと深呼吸をし、ようやく出た言葉が「あの――」でした。この一言からミユキ様とのやり取りが始まりました。そのすべてがボイスレコーダーに録音できていましたので、以下に一字一句をそのまま書き起こします。

 なお、私の発言は「 」、ミユキ様の発言は『 』としています。


「あの――」

『太田様ですね。ようこそお越し下さいました』

「こちらこそ急なお願いにもかかわらず、時間を取っていただきありがとうございます」

『お礼を言わなければいけないのは私の方です。今日、太田様をここに来ていただくように手配したのは私なのです』

「えっ?」

『太田様は、あやしげな占い師の噂を耳にされ、興味を持たれて、ここにおられるのでしょう?』

「ええ、はい。その通りですが」

『まわりくどいかなとは思ったのですけど、直接太田様に声をかけることは無理だったので、このようなやり方で、ここに来ていただくことになりました』

「このようなやり方って――まさか」

『たぶん今、太田様が想像されたとおりです』

「ぼくをこの場に呼ぶために、すごい占い師がいるという噂を大学内に流されたということですか」

『はい、今の太田様と同じように、何人かの学生さんとこの部屋でお話をさせていただきました。その方々が私のことを他の方にお話しになり、さらに別の方に伝わって、最終的に太田様の耳に届くという仕組みです』

「いや、それはかなり無理がありますよ。噂がそんなにうまく伝わっていくという保証はないですから」

『ええ、そうですね』

「でもまあたしかに、結果的にぼくはこうしてここにいるので、狙い通りということになるのかな。で、そこまでの手間をかけて、ぼくをこの場に呼んだのはなぜですか」

『太田様とお話がしたかったのです。それだけです』

「ということは、以前からぼくのことをご存知だったということですか」

『ええ、存じ上げておりました』

「いつ、どこで、ぼくのことを?」

『申しわけありませんが、その質問にお答えすることはできないのです』

「なんだかあやしいですね。まあ、いいでしょう。で、お話とは?」

『昔なくしてしまった、麦わら帽子のことを聞いていただきたいのです』

「なくしてしまった麦わら帽子? もしかして、西條八十の詩に関係があったりしますか」

『さいじょうやそ――それはどなたですか』

「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでしょうね? ですよ」

『ごめんなさい。ちょっとわからないです』

「あ、こちらこそ唐突に変なことを言いました。最近、別なところでその詩が話題になったので、もしかしたらと思って言ってみただけです。申しわけありません。話の腰を折ってしまいましたね。続きをお願いします」

『では聞いて下さい。私が小学校五年生のときの話です。もうすぐ夏休みというある暑い日のことでした。学校から帰る途中に祖父に買ってもらった麦わら帽子をなくしてしまい、泣きそうになっていると、一人の男の子がどうしたのと声をかけてくれました。私が事情を話すと、一緒に探そうと言ってくれました。それから私と男の子は、夕方まで探し続けたのですが、結局、麦わら帽子は見つかりませんでした。夕暮れの朱色の光に照らされながら、男の子は「ごめんね」と言って帰って行きました。そのときは、麦わら帽子が見つからなかったことが悲しくて、お礼も言わないまま、黙って男の子を見送りました。つぎの日になって、どうしてありがとうを言わなかったのかということに思い至ったのですが、学校では周りの目があり、声をかけることはできませんでした。そのことがずっと心残りでした』

「ああ、そういうのって、なんとなくわかる感じがします」

『あのときいっくんが親切にしてくれたこと、あのときの私の気持ち、あのとき過ごした時間、すべてが私の宝物になりました。なのに、あのときありがとうを言えなくてごめんなさい。だから今伝えます。いっくん、本当にありがとう』

「は?」

『お話は以上です。そろそろお別れしなければなりません。今日はありがとうございました。これでもう心残りはありません。では、さようなら』

「え? あの、どういうことですか。すいません、よくわからないんですけど」


 ボイスレコーダーからの書き起こしは以上です。

 実はこのあとの出来事が重要なのですが、その前に、もう一度ミユキ様とのやりとりを確認してみてください。ミユキ様が占い師という設定で話をしていないことは明らかです。そして未来予知的なことも一切口にしていません。終わり間際に唐突な発言があった以外は、自然な流れで会話はかみ合っています。ですが、この〈自然な流れで会話がかみ合っている〉ということが問題なのです。

 続いてミユキ様とのやり取りが終わってからの出来事を書きます。


 私の問いかけに対して、カーテンの向こうからは何の反応もありませんでした。

 立会人(?)のAは、騒ぐ私をスルーしてカーテンの端を少しめくり、無言のまま向こう側へ入って行こうとしています。私はあわててあとを追いました。Aの肩越しに腕を伸ばし、カーテンをつかんで思い切り横に引きました。まぶしさに一瞬目がくらみます。正面に窓があったのです。私はすばやく周囲を見渡しました。右側の壁にスチール製の書棚があり、五段ほどある棚には古びた段ボール箱がいくつか置かれています。正面にはアルミサッシ製の大きな窓、その下に折りたたみ式の長机(運動会の本部テントなどでよく使われているやつです)があり、長机の上に一台のラジカセが置かれていました。左側の壁には、以前貼られていたであろう何かのポスターの跡があるだけで何も置かれてませんでした。

 目に入ったものは以上です。

 つまり、カーテンの向こう側には誰もいなかったのです。

 私は焦りました。ミユキ様との会話を終えてからまだ五秒ほどしか経っていないのです。窓から外に出たのかもしれないと考え、私はAを追い越し正面の窓に駆け寄りました。窓はごく普通の錠前(後で調べてクレセント錠というものだとわかりました)でしっかりと施錠されていました。念のためにガラス越しに外を確認しましたが、見渡せる範囲内に人影はありませんでした。

 そのとき、私のすぐ近くでガチャリと音がしました。振り返ると、Aが長机の上に置かれていたラジカセに手をかけていました。

「ミユキ様はどこに行ったんですか」

 私はAに詰め寄りました。Aはあわてる風もなく、ラジカセから四角い小さなプレート状のもの(カセットテープの実物を見るのは初めてだったので、このときは何だかわからなかったのです)を取り出すと、私の目の前にかざしました。

「ミユキ様はこの中におられます」

「ふざけないでもらえるかな。こっちはまじめに聞いてるんですよ」

「正確に言えば、ミユキ様の声がこの中にあるということです。ミユキ様ご自身はこの録音をされた直後――今から三十五年前に亡くなられています」

「え? ちょっと、それってどういう」

 Aは無言のまま、今取り出したカセットテープを再びラジカセにセットし、テープを巻きもどすと、再生スイッチを押しました。少しの沈黙があり、先ほど聞いたばかりのミユキ様の声が聞こえてきました。

 なお、この時点でもボイスレコーダーの録音を停止していなかったので、ここまでのこと、そしてこの先のことも、記憶だけを頼りにしたものではなく、正確に再現できていると思ってください。

 テープから聞こえてきたミユキ様の声は以下のようなものでした。


 太田様ですね。ようこそお越し下さいました。

 ――――

 お礼を言わなければいけないのは私の方です。今日、太田様をここに来ていただくように手配したのは私なのです。

 ――――

 太田様は、あやしげな占い師の噂を耳にされ、興味を持たれて、その結果ここにおられるのでしょう?

 ――――

 まわりくどいとは思ったのですが、いきなり太田様と直接コンタクトを取ることは無理だとわかっていましたので、このようなやり方でお招きさせていただきました。

 ――――

 たぶん今、太田様が想像されたとおりです。

 ――――

 (以下続く)


 右の記述の中で――――となっている部分は無音状態を表しています。

 そうなのです。カセットテープにはミユキ様の言葉だけが録音されており、それを再生すると、私の発言と寸分の狂いもなくかみ合うようになっていたのです。つまり私は、テープに録音されていた音声と会話していたのです。

 そして声の主であるミユキ様はこの録音をした直後――三十五年前に亡くなっていると、Aは言うのです。Aの説明を信じるならば、この録音は三十五年前に行われたことになります。つまり、当時のミユキ様は、三十五年先の未来に、私がやって来ることだけでなく、私がどのタイミングでどんな発言するのかということまでを予見し、それに合わせて自分の声を録音したことになります。

「噂は本当だった」「予想以上にすごい人物だった」「あれは占いというレベルではない」「パーフェクトな未来予知だった」

 先輩が言っていたのはこのことだったのかと深く納得しました。

 Aは「どうぞお持ちください」と言って、ミユキ様の声が録音されたカセットテープを手渡し、ラジカセを抱えて部屋を出ていきました。すぐにあとを追ったのですが、外に出てみるとAの姿はもうどこにもありませんでした。

 その後、ミユキ様の噂はぱたりと聞かなくなりました。私がミユキ様と面会した部屋は再び空き室となっているようです。Aが誰であったのかは不明なままで、コンタクトを取る方法もわかりません。


 ずいぶん長くなってしまいました。今回の報告はとりあえずここまでとします。

 実はまだ混乱しており、今回のことをどう受け止めればいいのかがよくわからず、実際にあったことをそのまま書くことしかできないというのが本当のところです。

 私自身の見解については、少し落ちついてから整理し、あらためてご報告しようと思っています。

 以上、乱筆乱文お許しください。


                     K大学ミステリー研究会 太田俊哉

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