第十三話 颯爽と天かける伏龍

 伏龍街八丁目十二。


 ユキマサのもとに、一通の手紙が届いた。差出人は、エリカ・フカザワ。ユキマサは胸を弾ませながら、その手紙を家に持って帰って、開けた。



「――エリカが結婚する?」


 ハヤテは床に突っ伏して泣いているユキマサの話を聞いて、一言そう言った。


「お前、好きな女には唾つけておけよ。それは出遅れたお前が悪い」

「言い方がいやだ……」


 ハヤテは鞄を自分の部屋に下ろし、ユキマサの相談に乗った。


「お見合いの結婚だろ? もうエリカもいい年だし、いろいろ複雑な事情があるんだから、フカザワ夫婦が気を利かせてセッティングしたんだろうよ」

「どうすればいいんだ……」

「知らん。お前は『お友達』から先に行けなかったんだ」

「最悪だ……」


 珍しくユキマサがあからさまに落ち込んでいる。ハヤテはさすがにかわいそうになってきた。かといって、彼女が現状できることは何もない。


「相手はどんな奴だって?」

「何とかっていうところの社長令息だそうだ。先日会ったんだと」


 身元も秘匿された記憶喪失の女性と結婚しようとする社長令息。ウォルコット家が関わっているのだろうということは明白だった。


「じゃあ無理だな。いろいろ思惑が関わってるんだろう」


 ハヤテがばっさり切り捨てると、ユキマサは項垂れた。


「でも……エリカのためにすべてを捨てる覚悟があるなら、略奪すればいい」


 ユキマサはそう言うと黙り込んだ。すぐさまそういう決断はできない。ハヤテは「時間制限はあるんだから、できる限り早く決断しろ」と言って、台所に向かった。



 翌日の土曜日、ハヤテが学校から帰ると、ユキマサの靴がなかった。早速エリカのところに行ったのだろうと思って、夕飯の支度をしながら彼を待った。


 しかしいつまで経ってもユキマサは帰ってこない。ハヤテは焼き鮭が冷めるまで彼を待ったが、その日は帰ってこなかった。


「……泊まっていくならそう言えよ」


 ハヤテは書き置きも何も残さずに消えたユキマサに腹を立てた。焼き鮭にラップをかけて冷蔵庫に入れ、その日は何もなく一日を終えた。


 次の日も、ユキマサは帰ってこなかった。ハヤテはこのまま帰ってこないのかと思って、半ば諦めながら日々を送った。きっと菩提樹街で幸せに生活しているのだろうと納得しようとしたが、突然の別れに寂しさも感じた。


 三日後、サラにその話をすると、彼女は案の定驚いていた。


「恋人を略奪しようとしたら行方不明になったということだ」


 ハヤテが茶化して言うと、サラは苦笑いした。


「そんなこと言ってても……ユキマサさんが心配なんでしょ」

「いや……まあ、そうかもな」


 心配していなかったらそもそもサラにこんな話を持ち掛けない。ユキマサはハヤテのことなんて忘れて、エリカと生活をしているのかもしれない。


「愛想を尽かされて捨てられたのかもしれないがな」

「それはないと思うけどなあ……」


 サラはそう言っていたが、その一言で安心しきれないハヤテもいた。ずっと恐れていた事態が起こったような、そんな不安があった。



 五日後、ハヤテのもとにテレビや新聞の取材が来た。


「ニシナ医療研究所は閉所されたんですか」


 アスターの会社の記者もいた。数十人の記者は医療研究所の前を掃除するハヤテに詰め寄り、詳細を聞き出そうとした。


 そう言われても、ハヤテ自身その理由を知らなかった。


「さあな。いつか帰ってくるかもしれん」


 ハヤテが無責任にそう答えると、記者たちはさらに過熱した。


「ここ五日間の死者数をご存じですか?」「使徒の討伐の依頼も断っているそうですが」


「……知らんものは知らん。私はただの助手だ。権限はない」


 ハヤテはそう言い捨てると、医療診療所の中へ逃げた。犯罪が発覚して詰め寄られる芸能人はこういう気持ちなのか、と切なくなりながら、ハヤテは靴を脱いで二階へと上がった。


 いつまでも明かりの灯らないニシナ医療研究所に、街の人は様々な反応を返した。


 その次の日の朝刊には、「ニシナ医療研究所閉所か 伏龍街の危機」と書いてあった。誰もが伏龍街の趨勢すうせいを危うんでいた。


「普段はあんなに疎んでるのにな」


 ハヤテはニシナの名を出しただけで嫌な顔をしていた街の人間のことを思い出した。彼らは今、どんな顔をしているのだろうか。清々したような顔をしていればまだいいのだが、不安がっていたら悔しい。


 この状況はエリカのせいなのか、ユキマサの選択の結果なのか。


 一言くらい言ってほしかった、というのが本音だった。



 一週間が過ぎたとき、学校から帰ったあと、ニシナ医療研究所に来客があった。


「すまない、今所長はいないんだ」


 ハヤテが門前払いしようと思って扉を開けると、そこには不安げな表情のエリカがいた。


「……エリカ?」

「突然すみません、ユキマサさんはこちらにいらっしゃいますか」

「どこって……君のところに行ったんじゃないのか」


 エリカは首を振った。


「一週間前に、行くと連絡をもらったんです。でもまだ来ていなくて……事故か病気にでもなったのかと思いまして」


 エリカの元にも来ていない、となると、ユキマサは実際行方不明になっている。どこかに連れ去られたとしたら――いちばんありそうなのは、タダシを処刑しようと探している「新星教団」だろうか。


「私も知らん。君も知らないとなると、誰かに捕らえられたのかもしれない」


 ハヤテはしばらく考えて、結果としてセイジロウの顔を思い出した。非常に不本意だったが、こういうことは彼に頼るしかないと思った。


「……警察に知り合いがいる。私が探しに行こう」


 ハヤテがそう言うと、エリカも「ついていきます」と言った。その行動の根拠となるのは友情か、はたまた愛とかの類だろうか。


 ハヤテはセイジロウが勤める十二丁目の中央警察署に向かった。

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