巣と糸

永坂暖日

その一

 雨が降りしきる夜だった。頬を打つ雨粒は冷たく、泥まみれの体からますます熱を奪っていく。

 自分まだいい。夜が明け、雨がやみ、体が乾けばいずれ温まる。

 だけど、両親は、兄や姉や弟たちは――冷たくなるばかりだ。触れれば、もう氷のように冷たくなっている。流れた血は、無情なほど雨と泥と混じり合っていた。

「――お前、わたしの『巣』になるか?」

 その場でただ一人立っている女が、充路じゅうじを見下ろしていた。雨と同じくらい、温度のない声だった。けれど、闇に突き放す口調でもない。

「……そうすれば、仇を討てますか」

「見ていなかったのか? お前の家族の仇を、というのなら、もうとっくにわたしが討った。それとも――」

「物の怪を、討てますか。あなたの『巣』とやらになれば、奴らを倒す力を得られますか!」

「……どれだけの力を得られるかは、お前次第だ。努力もなしに得られるものなどない」

 ばしゃりと、水たまりを踏む音が雨音に混じる。

「わたしの『巣』になれば、多少は下駄を履けるがな」

 女の背丈は、まだ伸び盛りの充路より鼻の長さ一つ分低かった。

「――なります。あの化け物達を倒せるのなら、何にだってなります!」

「なるのは『巣』だ。何にでもなられちゃあ、わたしが困る」

 女は赤い唇の端を持ち上げ、そう言った。


     ●


 よくならされた道の幅は広く、行き交う人の数が多くなっていく。宿場町が近い証拠だ。遠くには、町の入り口を示す門が見えている。門が閉じられる日没にはまだ余裕があるが、充路は歩を早めて、前を歩く荷車を追い越した。

 宿場町に入る人で、門前には行列ができていた。その最後尾について、充路は通行手形が懐にあるのを確かめる。

「ねえ、まだ入れないの?」

 不満そうな声が前から聞こえた。充路が来るまで最後尾だった親子だ。母親は背中に大きな荷を背負っている。見たところ、行商のようだ。

「もう少しの辛抱だよ」

「母ちゃん、さっきもそう言ったよ」

「もう少しだから、静かに待ちなさい」

 母親が我が子をたしなめている間に、一組分だけ列が進む。またすぐに進めたらいいのだが、子供の様子からすると、それは儚い願いのようだ。

「この前はすぐには入れたのに……」

「物の怪が出るんだから、仕方ないんだよ。妙なものを町に入れないために、ここでお役人様たちがしっかりと調べてるのさ」

 それから母親は、物の怪がいかに恐ろしいものなのか、子供に話し出した。

 母親の語る物の怪は、実際のものとは少々かけ離れてはいたが、子供をおとなしくさせるのには十分だった。さっきまで口をとがらせていた子供は、眉を八の字にしておとなしくなっていた。

 その間にも列は進み、親子の順番が回ってきた頃には、子供は今にも泣き出しそうな顔になっていた。

 泣きそうな子供が哀れではあったが、脅かしすぎでも不十分なくらいだ。物の怪は、本当に恐ろしく、残酷な化け物なのだから――。

 親子の背中を見送り、充路は門番に通行手形を渡す。

 通行手形には、氏名と住所の他、手形を発行した役所が書かれて、その役所の押印がある。

「ずいぶん遠いところから来ているな」

 充路の手形を見た役人は訝しげに眉根を寄せ、手形を裏返す。裏には職業が書いてあるのだ。

 裏を見た役人は、ますます眉根を寄せた。そして、しげしげと充路を見る。

「お前が、本当に?」

「……僕の手形に何か不備でもありますか」

 あるはずがない。氏名と住所はもちろん、職業にも偽りはないのだ。

「お前のような餓鬼が物の怪退治屋とはね。まあいい、通れ」

 役人に突き返された手形を受け取り、充路は小さく会釈した。

 役人たち侍は、武士以外で帯刀を許可されている物の怪退治屋が好きではないのだ。それを分かっているから、こんな所で無用な悶着を起こしたくはない。この宿場町で、何かが起きた時のためにも。

 門を出てすぐのところに、さっきの親子がいた。さっきは泣き出しそうだった子供が、今は目を輝かせて充路を見ている。

「お兄ちゃん、物の怪をやっつける人なの!?」

「ごめんね。お役人様とのやりとりが聞こえちゃって。この子が、どうしてもあんたに言いたいことがあるって聞かなくてさ」

 申し訳なさそうな顔をする母親に「構いませんよ」と充路は笑った。

「ここにも物の怪が出るんだって。絶対にやっつけてね!」

「――ああ、必ず、俺が倒すよ」

 絶対だよ、と念を押す子の頭を撫でてあげる。柔らかくすべらかな手触りは久しぶりで、充路の決意を固くするのに十分だった。

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