第95話
「早く来すぎたかな?」
キッチンの入り口に陛下が立っている。
私はその姿を見ると同時に、壁に掛けてある時計を見る。招待した時間にはまだ早い。
私の時間管理は間違っていないようだ。
こんな早い時間になぜ陛下が来ているのか?
私の疑問はお構いなしの陛下は、管理番や商人に声をかけている。
「管理番、そなたもいたのか? 横にいるのは商人かな?」
「はい。お初にお目にかかります」
商人と管理番は膝を突き挨拶をしている。
緊張からか、手と声が少し震えているのが見えた。
当然だろう、国の頂点に立つ人と離れで、顔を合わせるとは思ってもいなかっただろう。
一度会ったことのある管理番でも、こんな近々に二回目の邂逅があるとは思っていなかったはずだ。
「商人、そなたの扱っている品は、よく売れているようだな。今日は姫が、それを使って料理を振る舞ってくれるらしい。楽しみでな。せっかくだから、二人も一緒にどうだ? 商人にも、品物の事を教えてもらうのもいいな」
その言葉に、二人の身体が固まったのがわかった。
凍った氷のようにピシリと、音を立てた気がする。
それを見ていた隊長さんが『やってくれた』という雰囲気で、額に手を当て、天井を見上げてから陛下に視線を移す。発言内容をなかった事にしたいのか、会話を元に戻していた。
「陛下、時間にはまだ早いのでは? 後2時間はありますよ?」
「おや、済まないな。時間を間違えたようだ。」
見かねて苦言を呈した隊長さんが言ったが、無駄だったようだ。
勝手なことを口走りそうな陛下は、どこ吹く風で聞き流している。
馬耳東風的な台詞を聞いた瞬間、隊長さんの頬が引きつったのが見えた。
「そうですか? では、一度お引取りを、時間になりましたら、今一度お出ましください」
引きつらせた頬を、無理やり微笑に変えて陛下に宣った。
あら、そんな事、言っちゃうんだ。言えちゃうんだ。
私は隊長さんの口ぶりに驚いていた。
陛下とは親戚(自己紹介で聞いた)な隊長さんは、思いっきり不敬罪紛いな事を言っていた。
今日はお休みで、自分本来の立ち位置に戻っているから言えるのだろう。
これが近衛騎士の立場なら、とっくに牢屋行きだと思う。
隊長さんは私を庇うように、目の前に立ってくれている。そのため、私から陛下は見えない。
陛下の後ろには多分宰相もいるはずだ。一緒に招待したから来ているはず。
陛下を一人で来させるはずが無い。
「陛下、だから言ったではないですか? まだ早いのでは、と。隊長の言うことは当たり前の事ですよ」
宰相も隊長さんと同じ立場を取るつもりのようだ。陛下は常識人で囲まれているらしい。
良いことだ。
「そうですよ。姫様は、ご自分の支度もあるのです。いくら料理をするからと言って、陛下を迎えるのに、このままのはずはないでしょう? あんまりですよ」
隊長さんは眦を上げて怒っている。
私の前でここまで怒るなんて初めてのことだ。普段は何を考えているのか、わからないような笑みを、口元に浮かべていることが多い。誰と話していても、その微笑みを崩すことはない。
少なくとも私は見たことがなかった。
「筆頭殿」
筆頭さんを呼ぶ、隊長さん。
陛下の事はお構いなしだ。(親戚ならではの塩対応)
筆頭さんが来ると、そのままお願いをしていた。
「筆頭殿。申し訳ない。陛下が時間を間違われたようだ。姫様のお支度もまだのため、客間にお通ししてほしい。宰相殿もだ。」
「畏まりました。陛下、こちらでございます。」
隊長さんの静かな怒りを感じたのか、筆頭さんは何も言わずに、陛下を案内していた。
なにか言いたげな陛下だが、空気を読んだのか大人しく客間に案内されるようだ。
「まったく。」
客間に案内される二人を見届けると、一言、この一言に怒りのすべてが入っているようだった。
「では、私達は失礼します」
「帰って、大丈夫ですよね?」
ソロソロと外に聞こえないように、商人たちが席を外そうと言い出していた。
客間まで聞こえるはずもないのに、思わずヒソヒソ声で話しているらしい。
無理もない。
何の予告もなく、陛下が一緒にご飯を食べようと言うのだ。私もこの立場(ホスト側)でなければ、回れ右をしていただろう。
普段は商人と舌戦を繰り広げている隊長さんが、からかいもせず二人に帰宅を促していた。
この状況で商人をからかうのは気の毒と思ったのだろう。
「ああ、大丈夫だ。今のうちに帰った方が良いだろう」
「「ありがとうございます」」
二人は隊長さんにお礼を言うと、私に向き直った。
「申し訳ありません。姫様。お先に失礼いたします」
「途中で申し訳ないのですが」
「気にしなくて良いわ。予定より早いのだもの。準備も大方終わっているし、後は大丈夫よ」
私も隊長さんに同調する。この状況で二人を残すのは気の毒だ。
後ろ髪を引かれるように、振り返りながらダイニングを出ていく。
それを見た私は、安心させるように手を振って見届けた。
「さて、私も着替えなきゃね。」
隊長さんを見上げると、隊長さんは苦笑いをしながら頷いていた。
「あの方が、大人しく時間まで待っているとは、思えないので急がれてください」
「わかったわ」
私は有り得そうな未来に同意して、急ぐことにした。
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