恋愛禁止条約

すでおに

恋愛禁止条約

 テーブルの上に差し出されたのは、プリントアウトした雑誌記事だった。事務所にひとり呼び出された時から予感していたことが、現実として目の前に突き付けられていた。


『大手町45のメンバー イケメンバンドマンとお泊り愛』の見出しがついた記事には、若い男女が手をつないで夜のマンションに入っていく姿が大写しされていた。

 ニット帽を深くかぶってマスクを装着している上に、モノクロで画質の粗いプリントだったが、そこに写る女性が人気アイドルグループ『大手町45』のメンバー・尾崎ゆりかに違いないことは彼女自身がよくわかっていた。顔から血の気が引いていくのも自覚していた。


「これは君で間違いないか?」

 向かいに座るチーフマネジャーの香坂が問いかけた。ソファーに掛けた腰は浅く、膝の前で手を組んでじっと目を見据えていた。力なく頷いたゆりかの耳に、大きなため息が届いた。


「大手町は恋愛禁止条約を掲げて活動しているんだよ。いまさら言うまでもないことだけど」

 香坂の隣に座る横山マネージャーの言葉を、ゆりかはうなだれたまま聞いた。横山はまだ若く、さして年の変わらないメンバーにとって兄のような存在だった。香坂より柔らかい口調は、余計にゆりかの胸に突き刺さった。


「この頃はアイドルであっても恋愛を禁じるのは人権侵害だという人もいるが、そんなのは部外者の戯言。ビジネスである以上顧客のニーズに応えるのが役目で、アイドルの恋愛はこうやってニュースになる。一般人とは別物なんだよ。何より君一人の問題ではない。グループ全体に迷惑がかかる。メンバー、ファン、スポンサー、どれだけの損害を被るか」


 顔先に力なく垂れた長い髪の奥で涙があふれていた。


「最近は御徒町や麹町も勢いがついて、大手町も安泰ではない。追われる立場で、常に緊張感をもってスタッフみんな頑張っているんだ。それが君ひとり・・・」

 その先の言葉は飲み込み、代わりに溜息を吐き出した。会議室にいくばくかの沈黙が流れた。ゆりかはうなだれたまま。香坂の目に映った壁に貼られた最新曲のポスターにゆりかの姿はなかった。


「この雑誌は明日発売される。こういう写真が撮られてしまった以上、残念だが君にはグループを辞めてもらう」


 香坂の言葉にゆりかは身体を硬直させた。脳裏をかすめたのは車の鍵だった。家の玄関にかかった写真付きのキーホルダーは、お父さんがライブ会場でグッズ列に2時間並んで買ったものだった。これからは安全運転しないとなと言ったお父さんに、いままではしてなかったの?とお母さんが目を丸くしてみんなで笑い合った。

 オーディションに受かった時抱き合って泣いたお姉ちゃんは、応募書類を一緒に書いてくれた。目立つようにとカラーペンを買ってきてくれた。

 出演するテレビ番組をかかさず見てくれたおじいちゃんとおばあちゃんにも自慢の孫だった。

 それなのに、取り返しのつかないことをしてしまった。メンバーにはどう報告すればいいんだろう。ごめんなさい。


「明日の夜、君はブログで活動辞退を発表する。文面はこっちで用意する。いいね?」


「わかりました」

 涙声を振り絞った。


「こういう形になってしまったけど、今までお疲れさまでした」

 頬を強張らせつつ口元はどうにか緩めて横山がねぎらいの言葉をかけた。


「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 尾崎ゆりかはふらつきながら立ち上り、深々と頭を下げて会議室を出て行った。



「心が痛みます」

 背中がドアの外に消えると横山が漏らした。


「仕方ない。これはビジネスなんだ」

 香坂の視線は壁のポスターに注がれていた。

「ゆりかは、生写真も推しタオルもうちわも全て3年連続売り上げ最下位。1年の猶予をやったが改善はみられなかった。利益をもたらさず経費かかかるだけのメンバーには去ってもうらうしかないんだよ」


「ですが、わざわざイケメンバンドマンを雇ってまで・・・」


「だからビジネスだといってるだろ。本人に辞める意志がないなら、こちらでそう仕向けるしかない。綺麗事で片付く世界ではないんだ」


「そうですが・・・」


「おまけに川口みさきのスキャンダルを揉み消すこともできたんだし、グループにとってはいいことだらけじゃないか」


「次の曲のセンターは?」


「みさきで決まりだ。ゆりかには感謝しなければいけないな」

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恋愛禁止条約 すでおに @sudeoni

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