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家に着くと、母は桔花に先に入っているように言った。荷物は降ろしてくれるらしい。体力が底をついていた身としては、ありがたい。使い物にならない身体を引きずって、玄関のドアを開ける。実家の匂いだ。そうとしか言い表せない、留守家独特のものが鼻をくすぐる。

靴を脱いで入ると、右手に大きなぬいぐるみが置いてあった。何の動物か分からないが、白い身体に真っ赤な瞳。雪うさぎのようなカラーリングだ。


「これ、どうしたの? クレーンゲームの景品じゃないよね?」


荷物を抱えた母に尋ねると、どうやら、保育士の若い男性から貰ったものらしい。どういう経緯で、そんなことに?


「バザーよ、バザー。保育園でやってるじゃない? 試しに出店してみたの。ぬいぐるみ屋さん」

「やっと、減らす気になったのね」

「流石にね、足場が無くなっちゃうから。そこで出会って……」


ぬいぐるみを売りに行った先で、ぬいぐるみを貰って帰ってきたわけか。このサイズは、かなり場所を取るのに。まあ、断るわけにもいかないか。人の好意は突っぱねにくい。いらないとは言えないだろう。この件に関しては、母を責められない。それよりも、若い男性って。


「その人、何でお母さんに声をかけてきたの? 何歳くらいの人? イケメン?」

「こらっ。下世話なこと聞かないの」

「いいじゃん、別に。で、どうなの? 辛口評価でどのくらい?」


気づいていないフリをしているが、桔花は分かっていた。母親が、その人に好意を抱いていること。嫌ではなかった。むしろ、嬉しい。

女手一つで、桔花を育ててきたんだ。そろそろ、母としての幸せばかりを求めなくてもいいだろう。恋に仕事に、好きに生きてほしかった。

そうこれまで何度も伝えてきたのだが、母親という生き物は厄介なもので、子ども以外の存在に人生を捧げられなくなっているようだった。それが罪だと言わんばかりに、他の選択肢を自分の手で折っていく。

いい加減、やめてほしかった。桔花も良い歳だ。いずれは親の手を離れ、誰かと家族を築く。もしくは1人で生きていく。いつまでも背負わなきゃいけない存在じゃない。おんぶに抱っこの時代は、とっくに終わっている。


「一目惚れだって。5個下の子。イケメンって言い方は、軽々しくて好きじゃないけど、顔は整っている方だと思う」

「一目惚れかぁ。お母さん、美人だもん。見る目がある若者だね。将来有望よ」

「そう思う? 私は違う考えだけど」

「どんな?」

「夢見てるだけの子。外見が良いからって、人ができてるわけじゃないんだから」


母の言葉を、桔花は全力で否定した。


「お母さんは中身も綺麗だよ。優しいし、明るいし、それに……」

「ありがとう。でも、ダメだわ。私は褒められたような人間じゃないの」


悲しそうに呟くと、台所に引っ込んで行く。

不思議に思っていた。母の自己肯定感の低さは、どこからきているんだろうと。


「桔花ちゃんのお母さん、いいなぁ! とっても美人だもん! ゲイノージンみたい!」

「えへへ、嬉しいっ。ありがとう」

「似てるよねぇ、桔花ちゃん。目とかそっくりで、美人親子だぁ!」


誰もが羨ましがった。母の美貌の虜にならない者はいなかった。それなのに、どうして母は自分を嫌っているんだろうか。

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