37

物思いに耽っていると、早送りのように時間が過ぎた。空はオレンジに染まり、鴉たちが鳴き始める。すっかり夕方であった。桔花は繁夏が帰るのを、今か今かと待ち続けた。

しかし、彼女はなかなか戻ってこない。夕食の時間を過ぎても、連絡1つない。桔花は心配で頭がおかしくなりそうだった。彼女はもちろん分かっている。繁夏は母親ではない。連絡する義務はないし、どこで何しようが勝手だ。ただの後輩がどうこう言って、支配していい存在じゃない。それでも、激しい動悸と冷や汗は止まらない。学長の機嫌を損ねて、危ない目に遭っているんじゃないか。帰り道、あの気味悪い警備員に襲われてしまったんじゃないか。

途方に暮れて、歩けなくなっているのかも。

不吉な想像は、たやすく桔花の心を操った。

彼女はパニックを起こし、テーブルを何度も叩いた。喉に何かが詰まったような感覚。恐怖は加速する。

……落ち着こう。落ち着こう。繁夏は大丈夫だ。彼女みたいな特別な人間は、神が総出で守ってくれる。亡くしたら惜しいから。亡くしたら、この世は終わるから。だから、神様。

だから、神様。お願い。

桔花は心の中にいる神に、頭を下げ続けた。


少しずつ、気持ちが落ち着いていった。寮内放送が、夕食終了時間を知らせる。後10分で食堂が閉まる。何か腹に入れておきたかったが、そんなに早く食べ終わることはできない。少しくらいなら融通がきくかもしれないが、寮母に申し訳ない。食べ物なら、家から送られてきたレトルト食品がある。先月きたカップラーメンも数個残っていた気がする。何とかなるだろう。

繁夏は夕食をとっただろうか。学長はお金持ちそうだし、高級料理が出されていてもおかしくない。だけど、彼女なら断りそうだと思った。「可愛い後輩を残してきたから、早く帰らなきゃ」と、あの美しい微笑みを浮かべて。




気がつけば、1時間が経過していた。だらだらと動画を流しっぱなしにしていたせいで、バッテリーは20パーセントを切っている。そろそろ充電しなくては。

立ち上がるのも億劫なほど、身体が重かった。後どれくらい、私は待てばいいんだろうか。桔花はベッドサイドの椅子に腰かけて、廊下から物音がしないか、じっと耳をすませた。

というのも、繁夏はヒールのあるローファーを履いているため、コツンコツンと音がするのだ。どれだけ静かに歩こうとも、必ずそれは鳴る。

時刻は19時32分。20時過ぎても帰ってこなかったら、寮母に連絡しよう。




待ち侘びていた、コツンコツンが聞こえたのは19時57分。備え付けの電話を手に取り、寮母のいる部屋の番号を確認していた時だった。

部屋に入ってきた彼女の第一声は、「怒っている?」。

「いいえ。全く」と返事をして、ベッドから出た桔花は、繁夏の荷物の量に驚いた。書類の束にハンコが入った小さな箱。生徒会の仕事で必要なものだろう。それから、テレビなんかでも良く見るデパートの紙袋。中からは唐草模様の包装紙がちらりとのぞいている。


「学長から。どら焼きだって。2人で食べちゃいましょう」

「やった! ……すごい。色々な味があるんですね。変わり種も入ってますけど、美味しいんでしょうか」

「どうかなぁ。怖かったら残しておいて。鳴見が戻ってきた時に、毒味してもらうから」


くすくすと、口元に手を添えて笑う。この時の彼女が、桔花は1番好きだった。彫刻にして、後世に残したいくらい美しい。

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