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さて、どうしたものか。
母に電話すると言ったが、あれは咄嗟についた嘘。繁夏から逃げる口実に、それらしいものを見繕っただけだ。あの時はなぜか、彼女たちの思い通りに動きたくないと、反抗期の子どもさながらの幼稚なことをしてしまった。今になって、後悔したが時すでに遅し。のこのこ戻るわけにもいかず、その場にしゃがみ込む。
寮内を探索しようと思わなかったわけではない。時間を有効に使って、これから生活する場所を知っておきたい気持ちはあった。だが、1人で歩き回るのは嫌だった。誰かについて来てもらいたかった。また関わってはいけない女に遭遇したら、今度こそ彼女を突き飛ばしてしまうかもしれない。生きている人間にするのと同じように。そうなっては後の祭りだ。
自分以上に、自分を止めてくれる存在が必要だった。
なるべく寮室から離れずに暇を潰す。桔花はそれを目標に、とりあえず階段付近まで移動した。少し下に降りれば踊り場がある。そこで電子書籍でも読もうと思ったのだが、いかんせん、人が多い。少女たちが楽しそうに言葉を交わし、明るい笑い声をあげている。この輪には入れない。入ったところで場違いだ。本を読むなら、静かで落ち着いたところがいい。桔花は諦めて別の場所を探そうとしたが、すんでのところで思いとどまった。確かに場違いではあるが、少しの時間だ。後1時間くらい我慢してもらおう。
1番上の段に腰かけて、桔花は鞄からスマホを出した。と同時に、中に入っていた紙切れがくっついて出てきた。何かをメモして、そのまま鞄に入れてきてしまったんだろうか。2段下に落ちたそれを拾って、くしゃくしゃに丸めようとした時。荷物をまとめた昨晩のことを思い出した。
「すぐに必要になりそうなものは、小さな鞄に入れて持ち歩くといいわよ」
母のアドバイスに従って、スマホと財布だけは別のものに入れた。その中に彼の名刺を、お守りとして滑り込ませた記憶がある。何かあったらと、気休め程度に。裏にあった走り書きは少し掠れてしまっていたが、印字された名前や電話番号はしっかり読み取れる。
そうだ。何も、電話相手は母じゃなくたっていい。
数字を間違えないように打ち込んでから、深く呼吸をする。電話は苦手だ。特に、良く知りもしない人との電話は。かけるのも、かけられるのも嫌だ。どちらの場合でも、毎回躊躇ってしまう。向こうが最初に発した声だけで、機嫌が直に伝わってくる感覚。あれにいつまでも慣れない。せめて、彼が機嫌良く出てくれますように。
ツツツ、ツツツと音がして、それがすぐに呼び出し音に変わる。プルルル、プルルル、プルルル。応答がない。今は都合が悪いんだろうか。
「掛け直そう」
電話を切って立ち上がると、いつの間にか少女たちに囲まれていた。
「ねえ、そんな男やめた方がいいよ」
「へ?」
てっきり仲間に紛れていたことを怒られると思っていた桔花は、マヌケな声を出してしまった。
「自然消滅狙ってる系でしょ。アンタの彼氏」
「あー、急にごめんね。この子、つい昨日フラれたの。架秋に受かったって伝えたらさ、『おめでとう』より先に『別れよう』って言われたらしくて」
「ほら、滅多に会えなくなるじゃない? ここの寮の規則って厳しいから、人を入れるなんて御法度も御法度だし」
「アンタ、彼氏が連絡を無視するようになったら終わりだよ。せめて、フラれる前にフれ! 悪態ついてフれ!」
「マジごめんね。ご乱心なの、ウチの姫さま」
「あっ、いえ。大丈夫です。それに……」
この人は彼氏じゃありません。誤解を解く前に、電話が鳴った。画面に表示される『鳥海さん』の文字。さん付けで登録しておいて良かった。くん付けしていたら、「復縁の電話!」と騒がれたことだろう。
が、少女は想像のななめ上をいった。
「鳥海……。男だ、絶対そうだ」
「こらこらこら、何言ってるの。そんなこと分からないでしょ」
「分かるの、分かる。男だから、それ。彼氏でしょ!」
「あの、あのあのあの! 違います、知り合いの……、若い姉ちゃんです!」
「ダウト、ダウト、ダウトーッ!」
今にも襲いかかろうとする少女を、4人の仲間が取り押さえる。その素早さを見る限り、初めての暴走じゃなさそうだ。
「ごめんね! もう行くから、ごゆっくり!」
思いがけず、1人になってしまった。思いっきり、誤解されたままで。
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