1-7

 僕はあいつのことをほとんど知らなかったことに気がついた。ごく普通に職場で知り合って一緒に暮らしはじめたのだけれど、僕と知り合う前の彼女がどんな人生を生きてきたのかは全く知らないと言っていい。

 会社勤めの父親。その父親とお見合いで結婚したという母親。結婚したばかりの頃に何度か会ったきりで、特に印象にも残らないごく普通の両親。普通すぎるところが気になるといえば気になった。

 あいつがいなくなった時、すべての原因が僕にあるように言われて、あいつのことは何も話してもらえなかった。

 僕にはあいつと両親との関係が決して良好とは思えなかった。一緒にいる間、あいつは両親のことをほとんど話さなかったし、僕も興味がなかったので聞かなかった。   

 僕と僕の両親も同じように良好な関係ではなかったからだろうか。別れるときなんてそんなものなのかな。あいつが出ていったはずなのに、僕のほうが一人放り出された。そんな感じだった。

「ねえ、どこに行くの」少し不安そうな目でフミちゃんが僕を見ている。

「フミちゃんに助手になってもらおうと思って」

 僕がそう言うとフミちゃんは急に笑顔になった。そして僕の腕をとって寄り添ってくる。

「今日だけね」

「今日だけなの」フミちゃんは不満そうに口をとがらせる。

「それで何をするの」

「人を探してる」

「でも、普通にしてて」

 フミちゃんは僕の言ったことを少しだけ察した。

「ワクワクするね」

 そんなワクワクするようなことするわけじゃないんだけどね。何の手がかりもなければ、いくら名探偵でも人探しはできない。

 そして僕は手がかりらしいものをほとんど掴んでいなかった。無謀だろうか。無謀というより無茶苦茶だ。僕とフミちゃんはラブホテル街に踏み入った。

 ちょっと緊張するなあ。フミちゃんはさっきよりも強く僕の腕にしがみついている。

「大丈夫」

「大丈夫」

「でもそれならフツーに誘ってくれてもよかったのに」

「フツーにって」

「別に仕事のフリしなくても」

「仕事だよ」

「あたし、うれしいの」

「胸バクバクしてる」フミちゃんがうなずいた。

「大丈夫じゃないんじゃない。フツーにしててくれなくちゃ」

「フツーにっていっても」

「こういうところはじめて」

「はじめてじゃないよ」

 僕はフミちゃんの腕を引いて、細い路地から大通りに出た。

「ガチガチだったじゃない」

「だって」フミちゃんはいつになく小さな声でつぶやく。

「助手失格」

「そんなこと言ったって」

 やっぱり山ちゃんの情報は間違ってたのかな。

「コウさんは女心がわかってない」山ちゃんが僕に言う。

「たしかにヨメさんには逃げられてるけど」

「そうやってはぐらかすのはよくないよ」

 庄ちゃんが焼酎をつぎながらそう言った。

「そうは言っても仕事なんだし、あんなところで男一人ウロウロしててもねえ」

「男二人でもよかったんじゃないか」

 キン兄がニヤニヤしながら言う。

「男二人ですか」

「そうだよ。コウさんはプロなんだから、そのぐらいできないと」

「じゃあ山ちゃんと二人で行くの」

「俺はやだよ」

「入っちゃえばよかったんだよ。男と女が中に入らないでウロウロしてるからおかしいんだ」

「フミちゃんだってまんざらじゃなかったんだろう」

「恥かかせちゃいけないねえ」

「そんなこといたって仕事なんだから」

「コウさんもそろそろちゃんとしたら」

 庄ちゃんの一言であたりが一瞬静かになった。

「ちゃんとね」僕は残っていた焼酎を飲み干した。

 誰もない部屋に一人。ハードボイルドじゃないよね。そもそも僕がハードボイルドになんかなれるわけないし。どうにもならないよ。いくらどうすればいいのかって考えたところで。

「ねえ、エスニックなチャーハンおごってよ」

 フミちゃんがいつものように、いつのまにか事務所の中にいた。

「今から」

「お腹すいちゃって」

 見なれてるはずのフミちゃんの顔がいつになくきれいに見えた。フミちゃんが変わったのか。僕が変わったのか。

「行ってみる」僕はそう言ってソファーから立ち上がった。

「連れてって」

「エプロンは外したほうがいいかも」

「そうだね。ずっと仕込みやってたから」

 フミちゃんはエプロンを外すとぼくのほうに放り投げた。

僕はエプロンを受け取るとすわっていたソファーの背に引っかけた。

「とおいの」

「電車で少しかかるかな」

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