乙女ゲームのヒロインに転生したので、ぎゃふんされる前に逃亡します

睦月 はる

第1話 ぎゃふんか愛か

「あの子、不倫女の娘の癖に、もうすっかり公爵令嬢ヅラよ。しかも恥知らずにも、高貴な殿方達にべたべたと擦り寄って…、しかも一人は自分の異母姉の婚約者よ?」


 「公爵夫人がご病気で亡くなった途端、不倫相手と再婚した公爵閣下も大概だけど、堂々と母娘でお邸に乗り込む神経が考えられないわ」


 「フランジェシカ様が品行を正そうとすれば、虐められていると騒ぎ立て、それを取り巻き…殿方の友人方が庇ってフランジェシカ様を詰る始末。悲劇のヒロインを演じたいのなら、劇団にでも入ればいいのです」


 そんなモブ令嬢達の会話をうっかり聞いて、私は花火が弾ける様に思い出した。


 死んで乙女ゲームの世界に転生した事を。


 しかも、もはやテンプレとも言える、なんやかんやで最後は救われる悪役令嬢に転生したのでなく、主役だからと調子に乗ってぎゃふんされて破滅するヒロインにだ。


 ミッシェル・タリプトラ公爵令嬢。

 庶民の母とタリプトラ公爵との間に生まれ、庶民として育った。両親は心から愛し合った恋人同士であったが、父は家の為に政略結婚が決まっており、泣く泣く母と一度別れたが、復縁して秘密の関係を続け、ミッシェルが産まれた。


 ミッシェルは両親の愛に包まれながら優しい女の子に育ち、政略結婚した公爵夫人が亡くなると、母は正妻として公爵家に迎えられ、ミッシェルには異母姉が出来る事になる。



 その異母姉フランジェシカ・タリプトラ公爵令嬢は、自分から父親の愛を奪ったミッシェル母娘を憎んでおり、事あるごとにミッシェルを虐め抜く。


 それに同情し、やがて恋心を募らせていく、攻略対象者達。フランジェシカの婚約者で王子のルクラン。宰相令息ローリン。騎士団長令息オーヴェル。侯爵令息ウィルバー。

 姉の虐めに恋人と立ち向かい、やがて幸せを手に入れる。


 それが乙女ゲーム『乙女と運命の恋』の流れである。


 「フランジェシカお姉様が私をよく思わないのは当然じゃない。思春期に親の再婚何てただでさえデリケート案件なのに、父親の愛人とその娘を受け入れろって方が無理なのよ…」


 それなのにフランジェシカは、父親から「貴族の習慣に不慣れな妹を助けよ」と言う言葉に従い、淑女教育を施す。

だが、庶民として自由気儘に育ったミッシェルには理解できない事が多く、指導を厳しくしてもそれは変わらなかった。

 それが周囲からは、異母妹を気に入らない異母姉の一方的な虐めに見えるのだった。


 フランジェシカの氷の彫像の様な美しさと、吹けば飛ぶ様なミッシェルの儚さが余計にそう見せるのだろう。


 「ゲームのフランジェシカは、もっと厳しくミッシェルにあたっていたけど、ここのフランジェシカはスパルタぎみでも、それは仕方ないわよ。公に出る以上完璧を求められるのに、ミッシェルは余りにも残念な仕上がりだもの…」


 人はみんな平等、厳しい規則で心を縛るなんて間違ってる、人はみんな自由になれる。


お前は革命でもしたいのか?貴族と言う特権階級ありきで成り立っている社会を変えたいのか。その規則と不平等の檻の中で、甘露を啜ってるお前が言うなと、自分で評して恥ずかしくなる。


 そして、恐らくだが、異母姉フランジェシカはまだ前世の記憶を思い出していない転生者だ。『ヒロインと攻略対象者に断罪される寸前でやっと前世の記憶を思い出し、そこから逆転する悪役令嬢物語』の転生悪役令嬢だ。


 現状、攻略対象者と満遍なくイベントを発生させ、特にルクラン王子には確実に惚れられている。


 「ごめんなさいごめんなさい。母親と同じ轍を踏んでごめんなさい!浮気不倫絶対ダメ!自分の立場を弁えます、お姉ちゃんの幸せの邪魔をしません!」


仮りに私が無事にハッピーエンドを迎えたとしよう。悪役令嬢フランジェシカは、身分剥奪のうえ路頭に迷い、騙されて娼館に売られ、凌辱と輪姦の果てに梅毒に罹って死亡する。

 記憶を取り戻したら、絶対に全力で阻止するに決まっている。

 そして恩を仇で返した、ミッシェルと攻略対象者に復讐するに決まっている。


 確かフランジェシカは自分で開発した化粧品を販売する商会を持っていた。もう無自覚に断罪対策を練っている。

 時々商会の関係者が、私を睨んできてたけど、あれがいずれ悪役令嬢の白馬の王子様になる者なのだろうか?


 これはもう、時間の問題だ。


 私はそう思うやいなや、攻略対象者と愛を育む学園を爆走した。












 「それで、どうして私に?」


 ジョセフ・ハスケル辺境伯は、突然のミッシェル・タリプトラ公爵令嬢の訪問に困惑していた。

 真面目で勤勉な彼であっても、このような場面は想定の範囲内を越えていた。


 早くに両親を亡くし、学生でありながら辺境伯を襲名したジョセフは、在学中は王都の別邸から通学している。突如現れた、今学園で良くも悪くも話題の人物は、見目こそ可愛らしいが評判は真っ二つに分かれる。


 不遇な身の上でありながら、固定観念に捕らわれず、新しい風を貴族社会に送り込む清らかな美少女。

 愛人の娘でありながら土足で公爵家と、フランジェシカ嬢の心を踏み荒らす侵略者。


 親の不義の責任を背負わせるのは可哀想かもしれないが、フランジェシカ嬢の心境を慮れないのはどうかしていると常々思っていた。


 「どうか私のハスケル領移住を認めて下さい——!」


 そのミッシェル嬢が、床に這い蹲っているこの状況は一体なんなのだろう。


 「ミッシェル嬢、落ち着いて下さい。椅子に座って…」


 「私が立場を弁えず、お姉様の婚約者やご友人方に思わせ振りに触れ合って、周囲の皆様にご不快を与え、お姉様を大いに傷付けた事、本っっっっ当に後悔しています!淑女教育も満足に熟せないくせに、人類みな平等何て宣って…イタイ恥ずかしいみっともない事この上ない愚か者です!」


 「懺悔なら教会の方が宜しいかと…」


 「この上は、過保護なお父様が間違いをおこす前に、あと私がこれ以上調子に乗る前に、出奔するしかありません!そこで、外国から多くの商人や移住者が集まるハスケル領に紛れ込みたいのです!」


 「訊ねてもいないのに訪問の理由を仰ってしまうとは話が早いですね」


 「仮にも公爵令嬢が姿を消せば騒ぎになります。なのでハスケル辺境伯様のお力が必要なのです。私がハスケル領にいるかと問われたら『ミッシェル?何それ美味しいの?』と惚けて欲しいんです!向うでの生活は自己責任で、例え道端に落ちているホウ酸団子を飢えて喰らって天に召される事になっても、閣下を恨んだりしません!厚かましいお願いだとは重々承知しています。縁も所縁も無い閣下が私を助ける理由も無い事は分かっています。でも、どうか、どうか、私の移住を認めて下さい——!」


 「いまどき道端にホウ酸団子は落ちていないと思いますが…」


いまどきで無くても落ちていないか。


 とにかく、ミッシェル嬢が追い詰められている事は分かった。分かったが。


「それはご家族とよく話し合われれば良い事では?お姉様に不義理を詫び、お父上に事情を話せば済む話では?」


 タリプトラ公爵は亡き公爵夫人を、恋人との仲を裂いた悪女と思い込み、その娘のフランジェシカ嬢も忌み嫌っている。

貴族の結婚など、義務であり仕事であり、私情など棄てるべきなのに、自分の報われなかった恋の責任を夫人に迫るのはおかしい。しかもそれで縁が切れた訳でもなく、ちゃっかり復縁して、こうして娘まで設けた。


 公爵は妻子を思いやる事もなく、愛人家族を真の家族だと溺愛し、その溺愛の海を渡ってきた娘は同じ言語は話しても、決して分かり合えない異国人に育った。


 関係が拗れて、いっそ捨ててしまえばお互いに楽な状態だというのも、第三者の目から見ても思っていた。


 ルクラン王子の目は、婚約者の妹を見る目では無かったし、噂で聞く公爵は、何故妹を大切に出来ないと、連日フランジェシカ嬢を詰っていると聞く。


 ここでミッシェル嬢が心を入れ替えて、姉を庇う様な事をしても逆に悪化する恐れもある。


 「今、はいと申し上げる事は出来ません。貴女の評判は私も耳にして、決して良いものばかりではありません。貴女を信用する時間が必要です。貴女が仰ったように、私が手を貸す理由がない。この話が知られた時に、私やハスケル領民に類が及ぶ事はあってはならないのです。一考はしますが、貴女もご家族との関係や身の振り方の改善に努めて下さい」


 その間に、問題が解決してくれれば万々歳だ。


 「はい、当然ですね。分かりました」


 色よい返事が貰えずに落胆はしたものの、完全に拒絶もされなかったからか、訪問してきた時よりも顔色が良い。そしてやっとミッシェル嬢の手を取って立たせる。


 「閣下に信用していただけるよう、頑張ります」


 その表情は、今まで見たどの顔よりも輝いて見えた。












 あの日から、ミッシェル嬢は私に日々の報告をして来るようになった。少しでも誠意を見せようという気持ちの表れなのだろう。


 「閣下、お昼がまだでしたらどうですか?いえこれは袖の下でも、媚びを売っているのでもなく、生活能力があると示し、自立できるという証明でして」


 「閣下、私少し会計が出来るのです。前世で日商簿記を…ゲフンゲフン!淫らな職に身を落とす事なく、商家の事務員などで働けます!」


 そういったやり取りを続けていれば情が湧いてくる。淑女教育に懸命に挑む姿を見れば応援したくなる。


 心を入れ変えようと頑張る様子は、かつての能天気な令嬢の面影もなかった。


 少なくともジョセフは、友人と呼べるくらいにはミッシェルに親しみを感じ始めていた。




 「閣下、お父様と話をしたのですが、お姉様に無理やり言わされていると言われ、お姉様は叱られ、なのにお姉様は私を責めませんでした…。このあとルクラン王子と二人っきりでお話する予定です。何故か狭い個人勉強室ですが。今までの無礼をお詫びして、お姉様との誤解を解いて…」


 「ジョセフでいい。他人行儀な呼び方をされるとかえって居心地が悪い。お父上とフランジェシカ嬢の事は残念だが、少しずつ話し合うしかないだろう。あと、王子の件。絶対に駄目だ。絶対に絶対に駄目だろう。なんで疑問に思わない?未婚の男女が二人っきりだぞ?」


 「えっ、でも、王子様がそんな、えーと…男性の本能を軽率に剥き出しにする事なんて…」


 「ある。軽率だからこそ、婚約者の妹に浮気心を働かせたんだ。そして、二人っきりで密室で過ごしたと既成事実を作って、婚約まで持っていこうとする魂胆だ」


私が食い気味にそう言い切ると、ミッシェル嬢はひくりと頬を引き攣らせた。もうルクラン王子への想いは感じられない、完全に引いている顔だ。


 先日ルクラン王子が夜会にパートナーとしてミッシェルを誘っていたが、彼女は公衆の目前で堂々と誘いを断っていた。


 ミッシェルに夢中になっていた、宰相令息ローリンや騎士団長令息オーヴェル、侯爵令息ウィルバーの誘いもきっぱりと断り、これからは節度ある付き合いをすると宣言もしていた。


 過去の失態は取り消せないかもしれないし、スマートなやり方では無かったが、もう気持ちが無い意思表示にはなっただろう。


 王子の未練はまだまだあるようだが。


 「ミッシェル。君の気持ちは分かった。最終手段としての移住の許可は出そう。しかしあくまでも最終手段だ。ご家族とよく話し合い、王子達には近付くな」


 「はい…。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。事が済みましたら、二度と関わらないようにしますので…」


 「今更だな。もうここまできたら、最後まで見届けるまでだ。私の領民になればみんな平等に守るべき存在になる。嫌だと言っても、たまに元気な様子を窺いに行くからな?」


 少しおどけた様にすれば、やっと彼女は緊張を解いて柔らかく微笑んだ。

 いつの間にかぽんぽんと頭を撫でていたが、嫌がらずに笑っている。


 何故そんな事をしたのかは自分でも分からなかったが、彼女の笑顔は心地よくてずっと見ていたいと思ったんだ。












 「ミッシェル・タリプトラ公爵令嬢、僕と結婚して下さい」


 タリプトラ公邸のリビングで、私はルクラン王子から愛の告白を受けていた。


 同じ空間にはタリプトラ公爵である父と、元愛人で現夫人の母が、驚きながらも娘と王子の愛の一幕を微笑ましく見守っている。


 (このお花畑夫婦が…!)


 つい最近まで自分もそうだった訳だが、目が覚めるとここまでイタく見えるのかと、ミッシェルは苦虫を噛んだような顔になる。


 「殿下、貴方はお姉様の婚約者です。結婚はできません」


 「ああ、心優しいミッシェル。あの悪女の事は心配しないでいいんだ。あれとは婚約破棄して君と改めて婚約するよ。『王子とタリプトラ公爵令嬢の婚姻』に、なにも変わりはないのだからね。あの悪女は身分剥奪の上、公爵家から放逐するよ」


 「あれは悪女が産んだ悪女だ。大丈夫だよミッシェル。お父様がお前を虐める悪者を追い出してやっつけてやるからね」


 いや、あるよ。問題おおありだよ!


 駄目だ。このままじゃ悪役令嬢を断罪するつもりが、逆に返り討ちにあってしまう。フランジェシカの商会の権力が火を噴いてしまう。

 王子達がフランジェシカを断罪する為に捏造した証拠を逆に使われて、お前達こそ本物の悪党だと悪役令嬢に断罪されてしまう!


 「お母様も嬉しいわ。貴女は私と違って最初から愛しい人と結ばれる事が出来るのね」


 お花畑夫婦は涙ぐみ抱きしめ合った。


 その光景を見て、ミッシェルの中の思いが弾けた。


「自分達の恋が阻害されたからって、それで何の罪も無いお姉様を傷付けていいと思ってるの⁈お姉様は、父親がいない寂しさや、夫に蔑ろにされて絶望の中亡くなった公爵夫人とずっと向き合っていたのに、このうえ更に苦しめるつもり!私達はお姉様に手を突いて、頭を下げて謝って許しを請わないといけないのよ!」


 自分達を被害者にして慰め合うのはさぞかし心地が良いだろう。

 踏みつぶされている、存在など目もくれずに。


 フランジェシカがまた何か言ったのだと、もう怖くないよと宣う両親と王子の手を振り払って後ずさる。


 (誰か助けて…!いや、転生お花畑ヒロインを助けてくれる人なんて…)


 いないと、目の前が暗くなったその時———。


 「ちょっと待った———!」


 勢いよく扉が開かれて、救世主が現れた。


 「お姉様…?」


 立派な金髪縦ロールを翻したフランジェシカだった。良く見ると、縦ロールの隙間からジョセフの姿がチラチラ見える。


 「フランジェシカ!お前はまたミッシェルを虐げて…」


 「殿下は黙っていらして」


 婚約者を完全に無視して、異母妹をその視線から隠す様に立ち塞がると、タリプトラ公爵令夫婦に向き合った。


 「お父様、あと公爵夫人。ミッシェルを殿下と結婚させるのは反対です。そもそも殿下はわたくしの婚約者ですし、わたくしに婚約破棄される理由も瑕疵もありません」


 「黙れフランジェシカ!お前は私の可愛い娘を虐げた事の報告は受けている。しかもミッシェルの優しさに付け込んで、自分の悪事を隠蔽させよういう酷い事をさせて…!」


 いや、されてないし。


 「お父様に命じられた淑女教育がミッシェルに合っておらず、捗っていなかった事は事実ですが、虐げてなどおりません」


 きっぱりと言い切ったフランジェシカはミッシェルに視線をやる。ミッシェルもそうだそうだと強く頷いた。


 「そうやってミッシェルに圧力を掛けているんだろ!自分が愛されないから、ミッシェルに嫉妬して!」

 「フランジェシカさん私が悪いの!私がこの方と愛し合ってしまったから!どうか娘を責めないで…!」


 また騒ぎ始めた両親にミッシェルは詰め寄ろうとするが、その肩を優しく押さえる手があった。

 金髪縦ロールの陰から現れたジョセフだ。


 「ジョセフ・ハスケル辺境伯ではないか!突然どこから現れた⁈」


 ルクラン王子が驚いて指をさしている。婚約者の剣幕に竦み上がっていたが、魔法のように人が現れて驚いたのだろう。縦ロールが立派過ぎて見えなかっただけで最初からいたのだが。


 「殿下、ミッシェル嬢に求婚とはいただけませんな」


 くんと肩を引かれて、ミッシェルはジョセフの胸に背中が当たる。

 何事だろうと上目遣いに見やれば、にっこりと微笑まれた。


 ルクラン王子がまた口を開く前に、フランジェシカの力強い声が響く。


 「ミッシェルはここにいるジョセフ・ハスケル辺境伯と将来を誓い合っているのです!殿下との結婚を認めれば『真に愛し合う恋人同士を引き裂く』事になりますが、どういたしますの!」


 えっ?と、両親は先ず体を傾けて縦ロールに隠れたジョセフの存在を確かめて、それから居住まいを正して、ええっ⁈と驚いた。


「ミッシェルがハスケル辺境伯と恋人同士だと⁈そんな事聞いた事ないぞ!」


 ええ、私も今初めて聞きました。


 「ハスケル領は王都から一番遠い領地よ!結婚したら滅多に会えなくなるわ!」


 ええ、だからジョセフ様に縋りついたんですよ。


 「ミッシェル、私達は永遠の愛を誓って…」

 「ないです」


 ルクラン王子の妄言をズバっと遮って、どういう事だとジョセフに視線で問えば、ジョセフは屈んでミッシェルの耳元で囁いた。


 「殿下が婚約指輪を新調すると言う情報が入ってね。と言う事は婚約者を変更するつもりか。その対象の可能性が一番高いのはミッシェル以外に考えられない。表向き君と関わりの無い私が、その結婚待った!と言うのは無理がある。一か八かフランジェシカ嬢に事情を話したら『ミッシェルがわたくしの為に…?うっ急に頭が』と仰った後、『私乙女ゲーム世界に転生してる!』と謎の言葉を叫んで、私達の計画に協力すると仰ったんだ」


 それで考えたシナリオが、ミッシェルと辺境伯ジョセフが反対される事を恐れて隠れて愛し合っていた事、王子が誤解して結婚を申し込もうとしているので、その責任と二人の愛を成就させる為に、ミッシェルはジョセフ・ハスケル辺境伯に嫁がせ、社交界には参加させない。と言うものだったと。


 (お姉様は、前世の記憶を思い出したのね…)


 貴族にとって社交界に参加できない事は最大の屈辱であったが、ミッシェルにとっては、お花畑両親と攻略対象者達に、精神的にも物理的にも距離が取れてラッキー以外のなにものでもない。


 「…それは…」


 「お父様、可愛い娘の為にお許しになりますよね?ミッシェルは先程、殿下の言葉を否定なさいました。ミッシェルが愛しているのはジョセフ・ハスケル辺境伯なのです。彼は愛する人の手を取る為に、わたくしに協力を願い、こうして単身やってきました。もう一度いいます。お父様『真に愛し合う恋人同士を引き裂く』事はなさいませんよね?」


 フランジェシカが念を押す。


 散々フランジェシカ母娘を、自分達を引き裂いた悪女呼ばわりしてきたタリプトラ公爵夫婦は、この言葉に否と言えない。

 否定すれば、自分達も同じ穴の狢に落とす事になる。


 「私は…」

 「殿下。わたくし達は各々多忙でここの所擦れ違ってばかりでしたわね!それでわたくしを少し困らせて関心を惹こうとしたのですわね!でなかったら、婚約者の妹に浮気して、王家と公爵家の契約である結婚を蔑ろに扱う訳ないですものね!そんな事をすれば、身内に厳しい陛下の逆鱗に触れて、廃嫡もあり得ますからね!」


 フランジェシカの勢いに負けまいと、何とか肩を怒らせていたルクラン王子だが、廃嫡と聞いてしおしおと元気を失くした。


 「ミッシェル。あなた本当にジョセフ・ハスケル辺境伯と愛し合っているの?」


 涙目の母の言葉にミッシェルは一瞬言葉に詰まった。ジョセフは縁も所縁もない自分の無茶な要求を呑んでくれた親切な男性。

 ジョセフに将来愛する人が出来た時、自分は邪魔ものになる。



 しかし、どうしようと見上げたジョセフの瞳を見て、出て来た言葉は思考とは真逆なものだった。


 「はい、私はジョセフ様を愛しています」


 両親はがっくりと項垂れて、ルクラン王子は、フランジェシカに首根っこを掴まれて何処かへ連行されていった。









「ジョセフ様本当にごめんなさい。本当に本当にごめんなさい」


 「一体何度目の謝罪だ」


 ハスケル領へ向かう馬車の中、数えるのも馬鹿らしくなったミッシェルの謝罪を聞いていた。


 あの後、フランジェシカ嬢とルクラン王子の仲は無事修復されたようだ。


 ご立派な金髪縦ロールを靡かせるフランジェシカ嬢と、三歩下がって縮こまっているルクラン王子に笑顔で見送りをされたのでそうなのだろう。だと思いたい。


 タリプトラ公爵夫婦は、相変わらずフランジェシカ嬢への憎しみは消えていない様だが、フランジェシカ嬢の部下に、実娘を謂れのない罪で破滅させようとでっち上げていた資料を突き付けられ、逆に「お嬢に手を出したら商会の全勢力を使ってお前達を潰す」と脅さ…忠告を受け、すっかり大人しくなった。


 ミッシェルとフランジェシカ嬢は『転生者同士協力しあいましょうね!』と謎の誓いを交わしていたが、姉妹仲が改善されれば何も言う事はない。


 フランジェシカ嬢の商会の商品を優先的に我が領で販売できる契約を交わせたし、外貨獲得の大きな財源となることだろう。


 そのパイプ役となるのがミッシェルであり、それが彼女のハスケル領での仕事になった。


 結果的に領地へ大きな富を齎す成果を生み出したのだから、ミッシェルが謝る理由などないのだが。


 「だって、ジョセフ様に好きな人が出来たら、私邪魔ですよね?」


 恐る恐るとミッシェルが言う。まるで怒られるのを待つ子供の様だ。


 「そんな事を気にしていたのか」


 私が言うと、そんな事と絶句する。両親の恋愛事情が今回の騒ぎの原因だったのだ、彼女が過剰反応を見せるのは仕方ない。言い方が悪かったと反省する。


 「それは杞憂だ。愛と言明は出来ないが、君へは好意を感じている。この先それが愛情に育てば問題ないし、君以上に好意を持つ相手が今の所いないし、出来るとも思えないから」


 へぁと、ミッシェルから珍妙な声が漏れた。


 みるみる顔が真っ赤になって、熟れたリンゴのようである。


 (ふむ、旨そうだ)


 腰を軽く上げて対面に座るミッシェルに顔を寄せる。

 案の定熟れた果実からは、馨しい香りと共に甘美な味がした。


 「では、ミッシェル。これから宜しく頼む」


 「………はい?」


 何を宜しく頼むのだ。

 今日が旅立ちの初日で、何日も馬車で二人っきりで。

 領地に着いたら、二人は公では夫婦となっているわけで…。


 (こんな転生ヒロインルート、知らないんですけど!)





 こうして転生ヒロインは断罪される事もなく、新しい土地へと旅立った。


 ぎゃふんと叫ぶ事は無かったが、甘い悲鳴を上げるまでは、時間の問題である。





 




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