逃走

@Imazatoeyeliner

 捻挫でまだ痛む足に無理をさせながら、街灯の灯る大阪の街を全速力で逃げる。

 痛いから歩くとかそんな話をしていたらマジで死ぬ。生死が懸かっているこんなときにそんな生ぬるい話をしている場合ではない。何せ今自分は…

 元家族の殺人鬼に、追われているのだから。


 事の発端は数十分前。同居している叔父と母親が喧嘩をしていた。自分はこういう喧嘩の声を聞くだけで気分を悪くする体質であるため、ドアを廊下を挟んで2つほど隔てた子ども部屋へ避難していた。

 前にもこういう状況となることは数度あったが、そのたびに事の収まりがつくまで、子ども部屋に籠城することに決めていた。

 今回も自分は子ども部屋に籠城していた。騒がしいなあと、一緒に籠城を決め込んだ弟と談笑し合っていた。早く収まらないかと待っていたところに突然、血塗れの母親が息絶え絶えで子ども部屋へ突入してきた。

 見るとナイフで刺されたであろう傷が多数、特に腹部に集中してあった。そして母親は

 「に げ な さ い」

とでも言いたかったように唇を動かし、そのまま事切れた。

 どうやら叔父が逆上してキッチンで母親を滅多刺しにしたらしい。ナイフが刺さったままでないということは、まだ叔父はナイフを持っているらしい。

 子ども部屋は我が家の最北端。袋小路であり、中央部付近に位置する玄関から脱出しようものなら南側のキッチンからやってきた叔父と鉢合わせて弟共々死ぬ。

 幸い子ども部屋にはベランダがあるが、我が家はマンションの4階。まともに飛び降りたら足が物理的に壊れてそのまま下からやってきた叔父に殺られてお陀仏。ならどうするか。

 マンションの横にある排水管をガイドレール代わりにして降りるしかない。しかしこれでも、摩擦熱で手を火傷するため手のひらがただでは済まない。

 しかしこの状況でそんなことを考える暇はない。

 自分は弟に排水管を伝って降りるしかないということを伝えた。しかし、弟はそれをためらった。

 そうこうしているうちに叔父が子ども部屋へ突入してきた。案の定ナイフを持っている。

 まずいと思い、自分は即座にベランダへ脱し、排水管をガイドレールにして地面まで降りた。

 地面に降りて間髪入れず、弟の断末魔が聞こえた。

 弟を見捨てた自己嫌悪に苛まれたが、気合で押し殺して裸足で走り出した。


 叔父は体重100kgを超える巨漢であるが、運動神経は自分ほどは良くない。ゆえ、排水管を伝って降りることはできないという自分の予感は的中。即座に追ってくることはなかった。

 ただ我が母親と弟を殺したのだ。次は私が標的になることは明白だろう。

 もし17歳の自分がここで死ねば、私の周りの人たち…つまりは今付き合っている彼女さんとか、高校での友達、中学時代の友達、更には兵庫県の親戚など…多くの人々に多大なる悲しみを与えることになる。

 以前にも自分が死んだときを考えて鬱な気分になったことがある。それが現実になるのを全力で避けるために、私は裸足で走り出した。


 そして今に至る。ひたすらここまで青信号の示すとおりに進みまくった。

 途中で血眼になって自分を探す、ナイフが入ったであろうショルダーバッグを持った叔父を見かけたが、その叔父は不幸にも自転車に乗っていた。鉢合わせたら死ぬ。それは確定事項となった。いくら50mが6秒台の俊足な人でも、文明の利器を使う人に40km/hで追いかけられたらひとたまりもない。この状況はもはやかくれんぼである。

 真っ先に考えたのは警察署とか交番に行くことだ。しかしそんなことは叔父にお見通しであろう。交番に向かう道すがらでお陀仏するのがお約束である。

 家に自分の自転車を取りに行き、それで京都方面に遁走してもいいのだが、見回りに戻ってきた叔父に刺されてお陀仏する可能性もあるのでリスクマネジメントの観点からは到底無理な話だ。

 故に自分は、如何にして叔父を煙に巻きつつ、かつ予想外の行動を取るかを考えなければならない状況となったのである。

 それからしばらく経った頃、そんなことを考えつつ最寄り駅の出入り口などとっくに通り越し、川を渡り、大通りを2つ抜け、気付けば自分は安治川トンネルを超え、トンネルの西九条側入り口近くにあるコンビニまで辿り着いていた。

 ここまで来るのにはチャリを使っても15分はかかる。家の周辺域をぐるぐる回って自分を探す叔父ならなおさら時間がかかるだろう。やっと一息つけそうだ。ひとまず持ち物の確認をする。

 母親が突入してきたとき、咄嗟に取ったボディバッグとその中に入っていたモバイルバッテリーとケーブル一式、それと防寒具として持ち出したウィンドブレーカーとその中に入れていた2500円分のQUOカード。それとポケットに入れていたバッテリー残量が僅かなスマホ。これが私の手札だ。

 1日2食で耐えしのぐとしても、少なくとも1週間分の水と食料が確保できる資金源があるのはありがたい。

 だとすればあとは雨風をしのぐための場所が要るが…どうするか。

 …どうせなら交番じゃなくて友達の家で居候させてもらうこと…できればだけどしてみたいよね…

 などととち狂ったことを何故思いついたかは不明だが、ひとまず私はどうにかして親友の家へと向かうことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る