112 自由騎士の従者 その3

「仕事の話だが」


 汗を拭いて上着を着たウルガーが説明を始める。


「まあ簡単に言うと面倒くさい事は全部やってもらう。仕事の連絡、スケジュール管理、から始まって出張の準備、その報告、掃除、洗濯、まで。食事はまあ食堂があるからそこで食べればいい。空いた時間があれば自由にして構わない」


 おいおい、空き時間なんかできるのかよその業務量。


「まあ面倒くさがりの俺でも出来てたんだ。元王立学校生なら簡単だろ」


 いや、家の中の惨状や話を聞く限りあんたは出来てないぞ……。


 とりあえずは家の片づけから始めようかレナ。そうすればゴミに紛れた仕事の書類も見つかるだろ。もちろん俺も手伝うぞ。


「むっ!」


 明後日の方向に視線を向けるウルガー。

 その表情は険しく、今までの飄々とした雰囲気から一転、ピリピリとしたオーラを発出している。


 なんだ、どうしたんだ?


「レナ、仕事だ」


 椅子から立ち上がったウルガーが近づいてきて――


「えっ、えっ!?」


 レナをがっしりと脇に抱え――


「スライムを落とすんじゃないぞ」


 うおぉぉぉぉぉぉぉ!?

 

「えええええええええええええええええええ!」


 レナの絶叫がこだまする。

 それもそのはず、ウルガーは俺を掴んだレナを抱えたまま何十メートルもジャンプしたのだ。雲に届くのではないかと思うほどの高さ。この男本当に人間か!?


 跳躍の勢いがなくなり次に来るのは落下だ。

 これまで小さくなるだけだった景色が逆に大きくなっていく。


 心凍る落下感。


 怖い、まじ怖い! レナ俺をしっかり抱きとめておいてくれよ!


 恐怖の中、急激に迫りくる地面。


 こんな勢いじゃあ激突するぞ!

 あああああああああああああああっ!


 だがウルガーは臆することなく地面に突っ込んで……巻き上がる粉塵と共に再び空へと駆け上がった。


 ふ、ふう……。

 レナ、大丈夫か? 相当大きな悲鳴が聞こえていたけど……。


 何とか落ち着いたところでレナの様子を確認する。

 さすがに怖かったのか目には涙がたまっている。


 おい、ちょっとウルガー、いったい何なんだよ、うわぁぁぁぁぁ!


 抗議する間もなく再び落下が始まった……。


 ◆◆◆


 上がって下がって上がって下がって。

 それを何回繰り返しただろうか。


 いつの間にか王都の景色、街の景色が無くなって、緑色一色のパノラマが広がっていた。

 

 一体ここはどこなんだ。山奥?

 などと考えていたら俺の体に振動が伝わってきた。

 どうやら地面に着地したようだ。


「ほれ到着」


 そう言うとウルガーはぺいっと脇に抱えていたレナを放り出す。

 俺がレナと地面の間に入り事なきを得たけど、もうちょっと丁寧に下ろしてくれよな!


 苦情を言おうとウルガーの方を見ると、すでに相棒のケロラインと共にそこにいた大きなグロリアを殴りつけていた。


 このグロリアはスモークキャタピラーじゃないか。それも普通より巨大な個体が何十体も!


 俺が驚いている間もウルガーは襲ってくる巨大スモークキャタピラーを殴っては遠くの山の方に投げ飛ばし殴っては投げ飛ばししている。

 ウルガーだけじゃない、ケロラインも同様にその小さな体で何倍もあるスモークキャタピラーを投げ飛ばしている。


「こいつらは大量発生したグロリアだ。はぐれグロリアとして大量に顕現したのか、もともといたスモークキャタピラーが大量に増殖したのかはわからんが、とにかくこのまま放っておくわけにはいかない。なんせ俺達の後ろには村があるからな」


 巨大スモークキャタピラーの一団は現在大移動中だったようだ。

 どこに向かうのかは知らないが、進路の先には小さな村がある。そこに突っ込めば被害は甚大だ。


 波のように押し寄せる巨大な虫の集団。

 それらはまるで壁にぶつかったボールのようにポンポン前方にはじき返されて行く。

 ウルガーとケロラインの二枚の壁を超えてくるものは一つもない。


 人間離れした様子にあっけを取られている間に、あれだけ多くいたスモークキャタピラーは影も形もなくなっていた。


「いっちょ上がりだ」


 パンパンと手を払い、スモークキャタピラーを放り投げた方向を眺めるウルガー。

 落下点は広範囲だが土煙が舞っているので、あの辺に落ちたんだなってのは分かる。

 見た感じ手加減までしていたようだからスモークキャタピラー達は無事なんだろう。


「ウルガーだ!」


 後ろから声がした。

 どうやら村の方からやってきたようだ。


「おう、若者。このあたりに芋虫よけを撒いておいたほうがいい。後で届けさせよう」


「は、はあ……?」


 なんのこっちゃ分からないという表情を浮かべている村人。

 大丈夫。説明無しに今の会話が飲み込めたらおかしいから。きみは正常な思考をしているよ。


「むっ、レナ、次に行くぞ」


 おわっ!

 ウルガーがぐいっとレナを引っ張りあげて、再び脇に抱えて跳び上がった。


 おいぃぃぃ、今度はどこに行くんだよぉぉぉ!


 ◆◆◆


 再び空の旅跳躍を始めてからしばらく。


「まずいな。少し間に合わん。レナ、先に行け!」


 何? 先に行くって何?

 おぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!


 跳躍中のウルガーは、レナをぐいっと持ち上げると前方へとぶん投げたのだ。


「いやぁぁぁぁぁぁぁ!」


 まるで砲弾かと言わんばかりの勢いで宙を行く俺達。

 落下点が近づくにつれてその様子が明らかになっていく。


 まずいぞレナ、あそこに人が、グロリアに襲われそうになっている!

 一刻の猶予も無い、俺の中にレナを入れて着地と攻撃を一緒に行うぞ。ニノ・アグナだ!


 風を切るような空気の音の中でレナの返事はかき消えたが、OKだという考えは伝わってくる。

 

 ――ドウッ


 今にも眼前の人間を刺し貫こうとしていたグロリア。

 俺は勢いのままそいつに体当たりを食らわせて吹っ飛ばした。


 吹っ飛んで行ったグロリアのほかにも周囲に20体ほど同じグロリアがいる。

 このグロリアはミストビーだな。でもミストビーってこんなに大きかったっけ?

 Fランクの小型グロリアのはずだけど。


「大丈夫ですか?」


 訳も分からず立ち尽くしているおじさんに声をかけるレナ。


「え、ええ。あの、お嬢ちゃんはいったい……」


 ちょっと不審感を感じているような目をしているな。

 いきなり現れただけでも思考がついていかないだろう所、さらにスライムの中に入った美少女が声をかけてきたのだ。やむを得まい。


「レナ、違う、えっと、わたし。そう、私はレナ。自由騎士ウルガー様の従者チルカです」


「おお、あのウルガー様の! 助かった。従者チルカがいるってことは本人もいるんだよね。助けてください!」


 何やら土下座を始めるおじさん。


「うちの村は伝統的に全員がミストビーと契約しています。そこにいきなり首領が現れて、ミストビー達が言う事を聞かなくなって暴れ出して。対抗しようにも村にはミストビー以外のグロリアはおらんのです。お願いします。首領を倒してください!」


 ――ドォォォン


 ほどなくして何かが地面に激突する音がした。間違いなくウルガーだろう。


 砂煙の中から俺達を放り投げた張本人が現れる。


「首領ってこいつのことか?」


 ぽいっと投げたのは人の大きさほどもある大きな蜂のグロリア。

 頭部や大きく膨らんだ腹にまるでレースのカーテンのようなひらひらがついている。


 こいつはクイーンホーネットだな。単体の戦力は大した事ないが、フェロモンによって蜂型のグロリア達を統率する特殊な能力があるという。


「おぉぉ、さすがウルガー様! これで我が村も救われるでしょう」


 ウルガーがクイーンホーネットを空の彼方に放り投げると、キラッという効果音が聞こえるかのように小さな点となって空へと消えていった。


「どうなる事かと思いましたが、これでまたミストビー蜜を集めることが出来ます。本当にありがとうございます」


 なるほど村の基幹産業がミストビー蜜なんだな。だからミストビーしか村にいなかったと。

 普通の村なら問題なかったんだろうけど、よりにもよってそんな中にクイーンホーネットがやってくるなんてな。まあ大事に至らなくてよかった。うんうん。


 俺は最初に一撃を加えたミストビーの事をすっかり忘れていた。

 あれははぐれグロリアではなく、このおじさんのグロリアだったのだ。

 昇天しかけているミストビーにグロリア用傷薬を与えてなんとか事なきを得たが、危ない危ない。


 同じことが起こらないように騎士か兵士を定期的に巡回させることにしよう、などとウルガーとおじさんが話していたかと思ったらまたウルガーが何かを感じ取ったようで……。


 ◆◆◆


 そんなこんなでもう1件別の場所に素敵な空中の旅を行って。

 そうして問題を解決し終えた俺達。


「さて帰るとするか」


 そう言ってウルガーは生い茂る木々の間を縫って歩き始める。

 一人先頭を行くウルガーの後を急いで追うレナ。


「あの、ウルガー様、跳んで帰らないんですか?」


「うーん。王都の方角が分からん。王都は平和そのものだからな」


 ……。つまり、道に迷ったのか?

 俺達だってここがどこかは分からんぞ?


 これだけピンポイントに危険を察知してたからてっきり目的地が分かっているものだとばっかり……。



 その後なんとか村を発見し、王都への帰路へと着いた。


 大変な初日だった。

 これからも忙しくなりそうだ。

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