第37話 追跡①

 午前の部活から帰宅した佐久間さくまが、母親に悪魔の送り迎えの件をまじえながら自転車を買ってもいいか尋ねると、

「そうね、自転車ならまだ安心かしらね。いいわよ、自転車買っても」

 そうして母親から自転車を買う許可とお金をもらい、早速自転車を駅前に買いに行こうとした佐久間の背中に母親が声をかけた。

「駅前までは徒歩でしょ。阿久多あくたくんについて行ってもらいなさい。――阿久多くん、お願いできるかしら」

 ――という流れで、悪魔は佐久間とともに駅前に向かい、そこで彼ら三人の姿を見かけたというわけだった。

「まさやん、どうしたの」

 どうやら彼は佐久間の知り合いらしい、と悪魔は思った。

 まさやんと呼ばれたジャージ姿の男子は佐久間との邂逅かいこうに驚いたようだったが、すぐに緊張した面持ちになって、

「手ぇ貸してくれねえか」

 と佐久間に頼んだ。

 事情を聞いた彼女は、悪魔と一瞬目を合わせてから、

「もちろん」

 政也にうなづきを返した。ちょうど先ほど悪魔たちは界斗が天使と繋がっているのではという話をしていたばかりだ。悪魔としてはここで界斗と接点を持てるのは渡りに船だったし、佐久間としても危険にさらされている友達を放っておけるはずがなかった。

 悪魔たちは簡単に自己紹介を済ませ、田辺のオタク仲間からの追加情報(界斗が男に後頭部を拳で殴られ、意識を失ったこと。彼は男の手で引きずられるようにして建物内に連れていかれたこと)を共有した後、界斗のいる場所に向かって走り出す。

 路地は狭く、横に並ぶことはできないので、並びは自然と縦列になる。

 マップの扱いに慣れている田辺が道案内役として先頭を走り、美衣香、政也、佐久間、悪魔の順に後に続く。小学生の美衣香には体力的に辛いだろうと、界斗の居場所へと向かう前に政也が彼女に家に帰るように言ったのだが、彼女は「大丈夫。私もついていく」と言って強情ごうじょうな姿勢をくずさなかったので、政也もしぶしぶ美衣香の同行を認めた。政也の本心は、妹を危険な場所に連れて行きたくないというものだったのだが、残念ながら彼の本心に沿う形に物事は進まなかった。相手が妹でなければ色々な手を使って相手を言いくるめ、思い通りに事が運ぶようにしただろうが、如何いかんせん相手が妹では強く出られなかったというわけだ。

「――それで、界斗っちを襲った男はマッツンなの?」

 佐久間が前を走る政也に声をかけた。

「いいや、それは分からねえ。田辺のオタク仲間も人相にんそうまでは覚えちゃいないらしい。奴らいわく《男の顔を覚えるためのメモリは我らにはありません!》だとさ。直接顔会わせてたら俺がぶんなぐってるところだ」

 政也は前を向いたままで答えた。先頭を走っていた田辺が、

「や、やめて、あげ、てよ。か、かわい、そうだ、よ」

 息を切らしながら何か言っていたが、政也は無視して佐久間に話を振る。

「部長は心当たりあるか、マッツンと二人で歩いてたっていう女子部員に」

「うーん、どうだろ。マッツンが顧問だからって理由で入部した子も少なくないけど、実際にこれまでそういう話やうわさは聞いたことないから、その女の子が誰だったのかまでは何とも言えないかな……。その子の髪型とか、情報があればもしかしたら絞れるかもしれないけど」

「美衣香、田辺、何か覚えちゃいねえか」

 政也が前方の二人にも聞こえるような声で尋ねる。

「た、たぶん、僕たちの、学年の子じゃ、ない、よ。僕、一応、同学年の、女子全員の、顔と、名前は、覚えてるから。男子は、全然、だけど」

 時と場合によっては変態ともとられかねない発言だったが、今はそれどころではないということもあってか、誰かが田辺のことを「キモぶた!」とののしることはなかった。罵られたら罵られたで、田辺は顔をにやけさせながら「そ、そんな~」なんて言いそうだったが……。

「じゃあ、一年生だよね」

「だな、三年生は引退しちまってるし」

 二年女子ではないと分かったため、候補は半数程度に絞られたが、それでもバド部の一年女子は七人いたし、誰がマッツンと一緒にいたのかまでは絞り切れない。追加の情報が必要だった。

「ものっちは候補から外してもいいだろうけどね」

 佐久間の言う「ものっち」とは笠根かさね藻野花ものかのことである。笠根はマッツンと気が合わないことで部内でも有名で、「マッツンに頼みごとをしに行くときには、笠根を連れて行くな。笠根と会話するときには、マッツンの名前を持ち出すな」という暗黙の了解があるほどだった。そりゃあもう、二人が並んで街中を歩いている光景なんぞに出くわしたら、天地がひっくり返ったのではないかと――と、政也はそこまで考え、もしや、と思う。

「……笠根だったんじゃないか、マッツンと一緒にいたのは」

「え? いやいやいや、ものっちとマッツンが二人仲良く歩いているなんてあり得ないって! まさやんも二人の仲の悪さは知ってるでしょ」

「もちろん知ってるさ。――だからこそ、そう思ったんだ」

「ん? どういうこと?」

「界斗がどうして二人の後をつけたのか、いまいち納得できないって、さっき話しただろ。界斗の性格からして、単にマッツンが部員の誰かと一緒にいるくらいなら、そのまま見て見ぬふりして通り過ぎそうじゃねえか」

「それは、……そうかもね。界斗っち、普段はそんなに自分から周りと関わろうとしないし、わざわざその二人をつけようとは考えないかも」

「そうだろ。だけどよ、もしマッツンの隣にいるのが笠根だったらどうだ? 絶対にあり得ない二人が一緒に歩いているところなんて見かけたら、さすがの界斗も《おいおい、一体何がどうなってるんだ》って驚いて、それから――気になるだろうさ」

「それも、……そうかもね。二人が一緒にいたら、なんで二人が一緒にいるのか、その理由が知りたくなるかもしれない。……私が界斗っちの立場だったら、真相を知りたくて間違いなく後をつけただろうし」

 路地を曲がるたびに、頭上に切り出される青空がせまくなっていく。建物の背丈が高くなっているのか、はたまた頭上にり出した灰色のコンクリートの塊(ベランダ)の面積が広くなっているのかは分からない。心なしか道自体も狭くなっているようだった。

 今は昼間で天気も晴天であるにも関わらず、路地は薄暗く、じめじめと湿気を帯びた空気が漂っていた。走る五人の肌に浮かんでいる汗は、走ったことによるものなのか、あるいは湿り気のある空気が肌にまとわりついたためにできたのか、それは五人にも分からなかった。

「どうして、それほど嫌う者同士が一緒にいたのだろうな」

 ともすればひとり言ともとれる悪魔の発言を、前を走っていた佐久間が耳にして、

「確かに、それは気になるよね」

 聞き手が政也であれば、「一緒にいたのが笠根っていうのはあくまでも可能性が高いってだけの話だ。今はそこから想像をふくらませた議論なんかしたところでしょうがねえ」と言って話を断ち切り、別の有意義な話題を始めるか、もしくは走るのに集中するか、どっちかの反応を示しただろう。だが、佐久間はそれほどまで物事をドライに考えない。必要、不必要で話を始めたり、逆に話を切ったりはしない。

 それに、彼女は悪魔がどういう心境で今の言葉を述べたのか、心当たりがあった。

 悪魔と天使の関係。

 過去にアタンという異世界で十三の大陸を巡って争ったというざっくりとしたことしか佐久間は知らないが、悪魔にとって天使は間違いなく敵であり、戦いの中で少なからず憎しみや嫌悪感を抱いただろう。おそらく悪魔は天使と一緒に肩を並べて歩く光景を想像しようとして、上手くいかなかったのかなと思う。

 まあ、それはあくまでも佐久間の想像で、実際に悪魔がどんな気持ちで先ほどの発言をしたのかは彼自身にしか分からないわけだが……。

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