第4話 スマッシュに一羽のカモメを夢に見る

 放課後、日直の仕事がある政也まさやに「先に行く」と伝え教室を出て、界斗かいとは体育館へと向かう。

 彼がバドミントンを始めたのは中学に入ってからで、きっかけは在校生による部活動紹介の時間に見たスマッシュだった。

 ネットすれすれの空間を目にもとまらぬ速さで切り裂くシャトル。

 界斗はその光景に、空から海へと急降下する一羽のカモメの姿を見た気がした。

 彼はそんなスマッシュを自分の手で打ってみたいと思い、入部を決意した。

 そのスマッシュを打った女子の先輩は界斗の二つ上で、彼が彼女と一緒に練習できた時間はほんの数か月だけだった。その数か月、体育館の隅で他の新入生とともに素振りに励みながら彼女の練習する姿を目で追ったが、初めて目にしたときに見たカモメの幻影を見ることは叶わなかった。

 それでも、あれから一年半経った今でも、界斗の脳裏にはあのときに見た光景が焼きついていた。彼は彼自身の手でその頂の一本を打とうと日々練習に励んでいる。

 そんな高い理想を持つ界斗にとって、彼よりも実力のある佐久間さくまは嫌でも目についた。頂の一本を目指すのなら、彼女に気を取られずにただ練習に打ち込むのがあるべき姿なのだろうが、界斗はまだ中学生。己の感情を十分にコントロールするには若すぎた。試合の勝敗は気になるし、どうしても近くにいる強敵を倒すことに目を向けずにはいられない。

 界斗は体育館の前でだべっているバスケ部員の横を通り過ぎ、脱いだ上履きをシューズボックスに放り込み、体育館一階にある男子更衣室で制服から運動着へと手早く着替えた。

 ラケットケースを肩にかけて更衣室から出ると、ちょうど向かいの女子更衣室の扉が開き、中から一人の女子生徒が姿を見せた。

 肩ほどで切りそろえられたつややかな黒髪に、小動物を思わせるくりんとした大きな瞳、そして整った顔だちをもつその女子生徒を、界斗が見間違うはずもなかった。

「お、界斗っち。いつも早いね」

 そう言ってニコッと笑いかけてくる彼女は他でもない、界斗の倒すべき敵(界斗が一方的にそう認識しているだけだ)である佐久間琴羽ことはだ。

「……佐久間もな」

 敵と言っても別に彼女を無視するとか、そういうことはしない。部長と副部長の仲が悪ければ部活がギスギスするのは目に見えているし、それは界斗の望むところではなかった。もし彼が部活の雰囲気よりも私情を優先する人間であったのなら、そもそも彼は副部長には選ばれていない。それに界斗自身も佐久間のことを憎むのはお門違いだということくらい分かっていた。

 中学生という年頃は大人と呼ぶには幼いけれど、子どもと言うには大人びていた。

「一番乗りだね」

 バドミントン部に割り当てられたコートに他の部員の姿は見当たらない。

 シューズを履き、ピンク色のケースからラケットを取り出した佐久間は、立ち上がって「ん~」と言いながら背伸びをする。ふくよかな胸の谷間が強調され、程よく引き締まった白い手足が照明の光を浴びてきらめいた。

「軽く打とうよ」

 頭の上でピコピコとラケットを振る佐久間に界斗は頷きを返す。

 練習相手として彼女ほど打ち甲斐のある者はそうはいない。

 コートにネットを張ってしばらく二人でラリーを続けていると続々と他の部員もやってきた。だいたいの人数が集まったところで佐久間が集合の声掛けをし、本日の練習メニューを伝え、全体練習を開始した。

 とどこおりなく練習は進み、下校時刻のチャイムを合図に各々がクールダウンを始め、終わった者からネットやポールの片づけに入る。

「界斗、このあと付き合ってくれるか?」

 ポールを抱えて倉庫に向かう途中だった界斗に、同じくポールを運ぶ政也が声を掛けた。

 政也が要件をぼかすときは、決まって彼の妹に関する相談だった。

 高身長で眉目秀麗びもくしゅうれい、そのうえ類稀たぐいまれな観察眼と分析力を有する政也は、俗にいうシスコンなのである。

「せんぱーい、このあとどこか行かれるんですか? 私もご一緒したいですー」

 後ろで話を聞いていた一年生の笠根かさね藻野花ものかが二人の間にするりと身を滑り込ませ、くるんだネットを脇に抱えながら甘えた声を出す。

 界斗はこの後輩が苦手だった。やたらと「せんぱーい」と呼んでからんでくるし、やけに可愛い子ぶるし、話しているとどうにも気疲れしてしまうのだ。

「藻野花ちゃんが来てもなーんも面白いことはねえぞ。本屋に寄って界斗におすすめの参考書を教えてもらうだけだからな」

 政也はガサツな物言いとは裏腹に周りに与える情報を慎重に選び取っており、シスコンであるという情報は界斗などの限られた人間にしか知らせていない。界斗もそのことは知っており、彼が政也のついた嘘に口をはさむことはなかった。

「あー、そうなんですね。それは確かに私が行ってもですね」

 そして、笠根がこの手の勉強の話題を苦手としていることも政也は把握しており、そう言えば彼女が引き下がるに違いないとも踏んでいた。

「また誘ってくださいね」

 そう言い残し、パタパタと足早に二人の間を通り抜けて倉庫に入っていく笠根の後ろ姿を見ながら、界斗は少しばかり彼女のことを気の毒に思い、皮肉めいた言葉を口にする。

「ほんと、よくやるな」

 それを聞いた政也は口角をにんまりと上げ、

「だろ?」

 中途半端な皮肉など彼の心に響きやしないことは分かっていた。

 だからこそ界斗も安心して皮肉を口にできる。

「二人とも、しゃべってないでさっさと片づけ」

 後ろからやってきた同学年の女子部員に叱られた二人は顔を見合わせて、

「……バチが当たったな」

「だな」

 と言って苦笑し、握ったポールをせっせと倉庫へと運ぶのだった。

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