少年と天使編

第2話 少年は試験結果に苛立ち零す

 くそ、今回も負けた。

 中学校になってからの一年半、幾度となく敗北感を味わっている少年、古遣こがつか界斗かいとは、学校の廊下の掲示板の前で、これまた数えきれないほど覚えてきた苛立いらだちの声を胸の内でこぼした。

 生徒たちでごった返した廊下の掲示板に貼りだされているのは、二学期中間テストの成績上位者の一覧である。そこには各学年の一位から十位までの名前がっていた。一学年の生徒数が約三百二十人もいるマンモス校で、名だたる高校に卒業生を輩出はいしゅつしている進学校でもある、東京の私立高坂中学校において、テストの成績が上位十人に入ることは多くの生徒にとって大変名誉なことであった。

 ――そう、あくまでも多くの生徒にとっては、だ。

 幸か不幸か、界斗はその「多くの生徒」には属していなかった。

 界斗の射るような視線は、つらなる成績上位者の名前の一番上に向けられている。

 一位 佐久間さくま琴羽ことは

 そして、彼女の名前の下には、

 二位 古遣界斗

 界斗は東京生まれの東京育ち。小学校も進学校で有名な私立マンモス校に通い、六年間一度もテストの成績で一位をゆずったことがなかった。運動については明確な成績を残してはいないものの、少なくとも彼が運動神経に不満を覚えたことは小学校六年間で一度もないし、何か一つの競技に打ち込めばチームのエースを難なく勝ち取れると考えるほどの自信を持っていた。

 そんな彼が、中学に入った途端に一度も、文字通り「ただの一度も」一番になれていない。

 中学二年の二学期の中間テストが終わり、本格的に秋に突入した、中学校生活の折り返し地点とも言えるこの時期において、これまでに実施された定期考査は軒並み二位で、一位はすべて佐久間が勝ち取っていた。

 界斗にとってはそれだけでも十分に許せないことだが、さらに彼のはらわたを煮え繰り返させているのは、彼女が運動においても彼より高い成績を収めていることだった。

 何の因果か、界斗と佐久間は同じバドミントン部に所属していた。

 マンモス校の高坂こうさか中学では生徒も把握しきれないほど多くの部活が存在する。中には「裏の部活動」なんて呼ばれる学校不認可の部活もあると言われているが、その真実は定かではない。

 そんなわけで、いくら多くの生徒がいる高坂中学校と言えど、部活当たりの生徒数がとりわけ多くなるということもなく、むしろ進学校で勉学に励む帰宅部の生徒が一定数いるため、他の一般的な中学校に比べて各部活の生徒数は少ない傾向にあった。

 バドミントン部も高坂中学校の数多あまたある部たちの例に漏れず、一学年の生徒数は十人弱で、全体としては男女合わせて二十四人とほどほどの人数であった。かつて、日本の子供たちがもっと多くいたころは、高坂中学ももっとマンモス状態で、男女分かれてバドミントン部があったらしいのだが、界斗や佐久間が入部する頃には、それは遠い過去の話になっており、すでに男女混合のバドミントン部が当たり前になっていた。

 そうは言っても、対外試合は男女別だ。佐久間は全国大会出場とまでは行かないものの、地元の大会では決勝戦の常連で何度か優勝トロフィーを手にして地区大会の出場経験があるのに対し、界斗は準決勝止まりが普通で決勝戦には過去一度しか進出できておらず、その試合も負けている。男女別の試合で優劣などつけられないというのが外野の意見で、それは至極しごくもっともなのだが、当の本人である界斗にとっては何のなぐさめにもならず、彼は佐久間にバドミントンにおいても成績で負けていると考えていた。

 事実、部内での実力は佐久間に次いで界斗という構図ができあがっており、今年の春先に三年生が引退して今や部活では界斗たちが最上級生だ。役職は実力や人望などを踏まえて、部長が佐久間、副部長が界斗となっていた。「副」の位置に甘んじているというこの事実も、界斗を面白くない気持ちにさせている要因の一つであった。客観的に見れば副部長に選ばれた界斗も相応の実力と人望があるということになるのだが、たとえそれを彼に告げたところで、彼が喜色きしょくをあらわにすることはないだろう。むしろ顔をしかめるに違いない。

「お、今回も俺らバド部は絶好調だな」

 そんな界斗の気持ちを知ってか知らずか、彼の横で飄々ひょうひょうとした調子でそう言ったのは東雲しののめ政也まさや。界斗と同じ二年生で、バドミントン部での役職は会計だ。

 政也の言った「俺ら」には当然ながら彼自身も含まれているわけで、中間考査の彼の成績は七位だった。傍目には彼の成績が佐久間や界斗のそれに及ばないように映るだろうが、彼のすごさは単純な数字では計れないところにあると界斗は感じていた。

 何せ、彼は狙って七位をっているのだから。

 三学期制の高坂中学の中間および期末考査は一年に計六回あり、二年生の二学期中間考査が終わった現時点で、定期考査は全部で九回行われたことになる。

 なんと政也はその九回のうち実に七回の定期考査で七位をマークしていた。狙いが外れた二回も、六位と八位が一度ずつとしい結果を残している。

 彼いわく中学初めの定期考査で偶然にも七位になり、縁起がいいからと以降の試験でも七位を狙うようにしているとのことだった。それだけを言葉で聞くとどうにも簡単なようにも思えてしまうが、そこには一位や二位を獲り続ける佐久間や界斗とは別次元の難しさがある。

 何せ上に六人がいるように点数を調整しなければならないのだから。

 界斗がずっと二位を獲り続けているのは毎度一位の佐久間がいることによる偶然の産物だし、佐久間に限っては高得点を叩き出せば一位を獲り続けることは可能だ。それに対して政也は問題の難易度や周りの学生の習熟度などを踏まえて、うまく間違えて七位の点数を獲らなければならない。これはかなりの観察眼と分析力を必要とするだろう。

 もしそれらを難なく実行しているのだとすれば、只者ただものではない。

「……ラッキー、日直の仕事は終わったのか」

 そんな彼についたあだ名は「ラッキー」。ラッキーセブンから来ているわけだ。命名者は界斗にとって目の上のたんこぶである佐久間だったが、界斗もそんな理由で人のあだ名にケチをつけるほど子どもではなかった。

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