第32話 鯉屋の創立者、黒曜
反応は三者三葉だった。
紫音は口を両手で覆って呆然と立ち尽くし、依都は押し寄せる情報量の多さに目を回す。神威は知っていたのかいないのか、己の主人の登場よりも依都を守る事が優先されたようだった。
そして、結はクスクスと笑いながら累の元に戻り、ルーティンのようにぎゅうと抱き着いた。
破魔屋の旦那はチッ、と舌打ちをして顔を逸らしす。
「破魔屋の旦那様が本当の大旦那様?では鈴屋様は?」
「この人が鯉屋も金魚屋も破魔屋も鈴屋もやってるんですよ。つまり主要なお店は全部この人。この人が悪い」
「……なんのこっちゃ分かんねえな。確かに鈴屋は俺だ。便利なんだよ、顔隠してた方が」
「僕が何の証拠も無しにこんな事を言うとでも?」
何か企んでる、とこぼしたのは依都だ。
結はむうっと口を尖らせちらっと依都を見ると、依都はひゃあと跳ね上がり神威の後ろにすっぽりと隠れた。
どの手で口を割らせようか結は瞬間考えたが、検討結果が出るより早く鯉屋の大旦那を名乗っていた男が破魔屋の旦那の前で土下座をした。
「何のつもりだ」
「……結様のお言葉に耳をお傾け下さい。一人で守れる物の数は知れている。その通りです。だからあなた様もご自身と並び立つに相応しい跡取りを探し続けた」
どうか、と大旦那を名乗っていた男はそのまま動こうとしない。
破魔屋の旦那も何も言わず、見かねて結があのー、と手を挙げた。
「探し続けたって事は、ずっと一人でこれだけの経営やってるんですか?」
「はい。全てをお一人で背負われていらっしゃいます」
「背負われていらっしゃる?何格好良く言ってるんですか。信頼できる部下を育てられなかった自業自得じゃないですか」
結は嫌そうな顔をして馬鹿にすると、言葉選べよ、と神威はため息を吐いた。
「できうる限り有能な跡取りを探そうと思いましたが、結様と累様を見つけ……これだ、と思いました」
大旦那を名乗っていた男は結と累を見比べるように視線を送る。
「結様の知識知略は素晴らしい。ゆくゆくは鯉屋をさらに発展させるでしょう。対して累様は能力値では結様に劣るものの、想いで人を魅了し惹き付ける。これは何物にも代えがたい力。お二人は静と動にして表裏一体。これこそが跡取りのあるべき姿だと、そう思いました」
大旦那を名乗っていた男は鯉屋の大旦那にのみ許されている羽織を脱いだ。
そして膝を畳に付け頭を下げ、両手で羽織を差し出すように掲げた。
「此度の跡取り方こそあなたが待ち望んだ者。新たな理を築く時が来たのです」
どうか、ともう一度祈るように訴えた。
それでも破魔屋の旦那は羽織を受け取らない。目を合わす事すらしない頑なな様子に結はため息を吐き口元に手を当てた。
「あなたは『これは特別な物だ』と思わせる演出をしますよね」
ぴくりと破魔矢の旦那の目じりが揺れた。
「神威君の破魔矢、光る事に何の意味もないそうです。でもこの世界で明るい光を放つ道具は珍しい。原理が分からないから手を出しちゃいけない気になります。金魚湯もそうです。作れるのは当主だけってであれば絶対に誰もよりちゃんに手を出さなくなる」
「だったら何なんだよ」
「誰にも手を出させないための見えない柵です。破魔屋と金魚屋という可愛いわが子を守る柵」
結は大旦那を名乗っていた男の手から鯉の羽織を取り上げて広げた。
後は袖を通せば良いだけだ。
「守るためにやるべきは愛を囁く事ではありませんよ」
さあ、と結は袖を通すように催促する。
そしてついに、破魔屋の旦那は羽織を奪うように引っ手繰り袖を通した。
大旦那を名乗っていた男は、ああ、と満面の笑みを浮かべ、ばたばたと座布団の位置を整え後ろで頭を低くした。
鯉屋の羽織を羽織って破魔屋の旦那は、どかどかと不満げに足音を鳴らして席に着き煙管をくるりと器用に回す。
「鯉屋創立者、黒曜だ」
ぶすっとふくれっ面で名乗り、結を睨む顔は明らかにイラついている。
「いつから俺が鯉屋だと気付いた」
「最初におかしいと思ったのはあなたが鯉屋内部しか知らない事を知ってる点です。僕が放流嫌がってるとか生前寝たきりだったとか、跡取りの予算が高額だとか鯉屋は放流見てるだけとか。あとあれ。破魔屋は鯉屋に降らず報酬次第で好きにしてよしって、変だと思ったんですよ。出目金退治ができるなんていう、自分達の権威を脅かす存在を鯉屋が許容する理由が分かりません。考えられる理由は一つ。鯉屋では動けない事をするために必要だったんでしょうね。あとあれも。鯉屋の予備予算。あれおかしいでしょう。先月までの用途確認しましたけど、ほとんど破魔屋への依頼です。怪しすぎますよ。あ、あと鯉屋ですれ違った鈴屋さんと破魔屋の旦那は同じ香だった。好きなんですね」
流れるように出てくる指摘に、黒曜を始め全員がぽかんと口を開けた。
結は、ねー、とにこにこしながら累の腕にしがみ付き、累も嬉しそうにさすが結だ、などと言って頭を撫でている。そしてこの双子のいつものじゃれあいが黒曜の苛立ちを倍増させる。
結はそんな事にはとっくに気付いているけれど、止めるどころかどんどんエスカレートし最終的には膝枕になった。
「それにね、鯉屋と破魔屋の屋敷そっくりすぎですよ。あんなの気付いてくれって言ってるようなもんじゃないですか」
「んだよ。怯えてやがったくせに」
「弱くて可哀そうな跡取りに見せた方が神威君は同情してくれると思って」
「あ!?あれ全部演技なのかよお前!!」
「神威君、結様に逆らっちゃ駄目です」
こわーい、と結は口を尖らせて累の腹に顔を埋める。
イラつく破魔屋二名の事など歯牙にもかけず、撫でてくれる兄の体温に身を任せながらニヤッと笑う。
「でも僕思うんだけど、黒曜さん餌を撒いてたんじゃないですか?些細な違和感から自分の正体を見破れるかどうか」
「お前はつくづく可愛くねえな」
「素直に頼もしい跡取りだって言って下さい」
てめえ、と黒曜は鬱陶しそうに頬を引きつらせた。
けれど結を否定する言葉は出てこなかった。
「……この世界には跡取りに依存しない出目金対策が必要だ」
「という事は、今の運用が最悪って分かってるんですね」
「お前はいちいち言葉に棘があんだよ」
「あなたもいちいち嫌味言ってたじゃないですか」
結はにっこりと笑顔で跳ね返し、黒曜は何かを諦めたように盛大なため息を吐いた。
ごほんと咳ばらいをして、煙管で机をコンと叩く。
「跡取りには新たな理を導いて欲しいと思ってる。お前にそれができるか」
「あ、その前に鯉屋の経営方針の見直しについて話しません?」
「……あァ?」
黒曜の一大決心をさらりと流し、結はまた累にぎゅううと抱き着いていた。
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