第23話 跡取り脱走

 累と紫音は金魚屋を出て鯉屋へ向かって走っていた。

 人目を避けて歩きにくい裏道で遠回りするのも着物のまま小股で走る紫音の遅さにイラつきはしたが、結を助けるまでは仕方ないと累は拳をギリギリときつく握った。


 「お嬢さん!生け簀ってのはどうやって入ればいいんだ!正面突破はできないだろ!」

 「外と繋がる隠し通路があるので入る事は難しくありません。けれど水槽が問題です。水槽をどかさなくてはならないのです」


 また水槽か、と累はうんざりした。

 金魚屋の仕事にも水槽掃除というのがあるが、実は金魚屋の仕事の七割はこれだ。金魚すくいで死分けをするのは依都を含めたごく一部で、従業員のほとんどは巨大な水槽の清掃係りなのだ。

 しかも水を入れるのも一苦労で、小さくても高さ二メートルはある水槽に対して一般家庭で見るのと変わらないホースで水を入れる。

 ではその水はどこから来るのかと言えば、滝から桶で運んで来て一度樽に入れておくという二度手間運用を行っていたりする。これが気の遠くなるような時間と体力を要するのだが、この二度手間を無くさずにしているのには意味があり、依都は金魚屋の仕事を減らさないようにしているのだ。

 仕事が増えれば保護できる人間も増え、その分は鯉屋から提供される。下手に効率化して人員削減をするのは路頭に迷う人間を増やす。だから依都は従来の無駄な運用をあえてそのままにしている。


 「けど何で金魚も鯉も水槽に入れるわけ?飛ぶんだから水に入れる必要無いだろ」

 「いざという時金魚湯で眠らせるためです。金魚屋は水さえあればそれを金魚湯に転換させる事ができますが、都合よく飲んでくれるとは限らないので予め水に入れておくのです」

 「ああ、なるほどね。ならもっと小分けにしとけばいいのに」

 「小さな硝子瓶を無制限に作る資材が確保できません。それに製造と清掃の人件費がかかりすぎます」

 「そういうとこ現実的なんだよな、この世界……」


 金魚は魂で無制限に出てくるが、物資は魔法のようにポンポンと作り出せるわけではない。

 妙なところでバランスを取っているのか取れていないのか、累は何とも言えないアンバランスさを感じていた。

 ついでにいくつか聞いてやろうかと思ったが、少し話ながら走っただけで紫音は息を切らせている。普段ならゆっくり歩こうと提案してやるところだが、今の累にはそんな余裕は無い。場所だけ聞いて先に行けばよかったと後悔するほどだ。


 足の遅い紫音に合わせ、裏道ばかり十五分ほど走った先に木製の扉が埋め込まれた土壁が見えてきた。


 「ここです」

 「ようやくか」

 「あ……か、鍵が!どうして!いつもは開いているのに!」

 「お見通しって事か。けど鍵をかけたなら警備は違うとこに行ってるって事だろ」

 「ですが鍵が無いと」

 「そんなもん――……」


 累はぐっと足を踏ん張った。

 そしてごうっと風を切りかかとを振り下ろすと、古ぼけた木製の扉は鍵ごと吹き飛んだ。


 「鍵使わなきゃいいんだよ」

 「な、なるほど……」

 「行くぞ!」


 この世界ではどこもこの程度の鍵しか無いのでセキュリティという文字は無いに等しい。

 依都でさえも『大切な物は棚の中』程度の意識しかなく、しかも棚に鍵をかける事も無い。隠しておけば大丈夫、というのん気な話なのだ。

 そののん気さでいられるのも『鍵のかかった場所は入らない』という性善説がおよそこの世界の人間に根付いている。鍵を開けて侵入するという概念が無いのだ。

 水路を作った時も累は思ったが、何とも思考の発展が鈍い世界だ。

 けれど今回ばかりはその鈍さに感謝するしかない。薄暗く天井の低い通路をかがんで二、三分も歩くと急に空気がひやりとしてきた。


 「着きました。そこを出れば生け簀です」

 「一本道とは恐れ入るよ」


 もっと迷宮のように入り組んだ道を想像していたが、あっという間に到着した。

 この世界は起伏はあれども道は基本的に直線だ。あえてそうしているのか直線に歩く思考しか無いのかは分からないが。


 天井の低い通路を抜けると、急に天井の高い広間に出た。

 そこは滝から流れ落ちているかのような水壁で、その中には何も泳いでいない。とても金魚や鯉が泳いだり人が通り抜ける事などできないだろう。

 ただ不自然に巨大な扉が一つだけドンと立っていて、出入りはそこからしかできないようだった。それなのにこんなチンケな抜け道があるとはお笑い草だ。


 しかし笑い飛ばせないのはそこに積み上げられた夥しい量の水槽だった。


 「デカい……!」


 金魚屋の水槽よりもはるかに数が多く、累の目に見えるだけでも三十はある。

 しかしその裏にはいくつも無造作に積み上げられていて、まるで赤ん坊が積み木をひっくり返したようだ。だが水壁の向こうから光が差し込むと、まるで推奨のように水槽が輝いた。

 しかしその中には錦鯉が蠢いる。びっしりと詰め込まれている物もあれば一匹しかいない物もある。

 積み上げた上から使っているのだろうか、上に行くほど錦鯉が少なかった。

 累はぺたりと水槽に触れてその造りをじろじろと確かめるが特に変わったところは無いようだった。


 「結は!結はどこだ!」

 「確かあちらの方です」


 あまりにも広すぎて、あるのは水槽ばかりなのでどこがどうなっているのかさっぱり分からない。

 紫音の行く先を見たところでいるのは錦鯉だけだったが、そのうちの一角だけ錦鯉が酷く暴れていた。まるで放り込まれた餌に群がっているようだ。


 「あそこです!水槽の隙間に閉じ込めているのです!」

 「結!くそっ!どうやって上るんだよこれ!!」

 「あちらです!空の水槽が階段になっています!」


 ランダムに積み重ねられていて、どこを歩けば結に辿り着くのかきょろきょろと道を探す。

 隠し通路みたいに簡単にしとけよ、とイラつきながら駆け上がる。


 「お気を付けください!蓋が外れたら水槽に落ちます!」

 「金魚屋の水槽は開けるのに男三人でやっとだよ!お嬢さんはそこで待ってろ!邪魔だ!」


 金魚屋で最も手がかかるのは水の運搬だが、最も大変なのは水槽を開ける作業で蓋開閉専門の従業員がいる。

 何しろ数メートル四方の水槽の蓋もガラスで、ぴっちり隙間なく天板がはまっているのだ。そう簡単に外れはしない。

 累は遠慮なくガンガンと蓋を走り、錦鯉が群がる水槽へと走った。


 そして、一つだけ隙間をまたぐように置かれた細長い水槽が見えた。侵入できないように塞いでいるようだが、その足元はぽっかりと空間がある。

 そこだ、と累はその隙間に飛びついた。


 「結!結!そこにいるな!俺だ!」

 「……累?」

 「結!よかった!無事だな!」

 「累!累!どうしてここに!?」

 「お前が泣いてる気がしたんだ。それにお嬢さんが知らせてくれた」 

 「紫音さんが?」


 紫音は着物では段差の大きい階段を上る事ができず、言われた通り下で待っていた。祈るように手を胸の前で組んでいる。

 殺人者呼ばわりされて傷ついていた紫音の顔を思い出し、結の胸はきゅうっと痛んだ。

 けれどそんな結の表情まで気遣う余裕は無く、累は隙間に蓋をしてる水槽に体当たりしてみるが、当然だがびくともしない。


 「移動させるのは無理だな。結、内側から動かせそうな物はあるか?」

 「何にも無い……足元も錦鯉がいっぱいいるんだ……」


 四方から錦鯉が結を食べようと口を開けて硝子壁にガリガリと牙を立てている。

 それは今にも飛び出してきそうで、結は震え続けていた。


 「ならこいつの水を出すしかないな。空になればずらすくらいはできる」

 「でも水を掻き出す事なんてできないよ。錦鯉だって入ってるし」

 「大丈夫だ。俺は金魚屋で水槽の清掃もやった。金魚屋の水槽と作りが同じならここら辺に……」


 累は水に上り、その隅にしゃがみ込んだ。

 そこには十センチ四方の正方形にくりぬかれた隙間があり、水槽の中に物を入れられそうだった。けれど高さ二メートル近くある水を掻き出す事はできない。

 結はどうするの、と小さく震えているけれど、累は大丈夫だ、とベルトにぶら下げていた何重にもまかれたロープのような物を引き抜いた。


 「さすが依都。言ってた通りだ」


 累がばらりと広げると、それはロープではなくホースだった。五メートルはゆうに在ろうかという長いホースだ。

 実はこのホース、鯉屋に向かう前に依都が持たせてくれた物だった。


 「錦鯉は金魚屋と同じような水槽に入ってるはずです。ならそれをどかさないといけません」

 「あ、あのデカさのをか」

 「はい。でも水さえ出しちゃえば単なる足場です。だからこれ、持って行ってください」

 「ホース?どうするんだ、これで」

 「まずホースの中を水でいっぱいにして下さい。それで、排水する口は水面よりも下にします。そうすると水は勝手に水槽から出て行くんです」


 金魚屋で水槽の掃除をする際、当然ながら水を捨てなければいけない。

 それもあえて手作業でやっているのだがそれはあえて手間をかけてるだけで、実はこうするのが速いんです、と依都は笑っていた。

 言われた通りの状況に勝ち誇り、累は教わった通りにホースを投げ込んだ。するとみるみるうちに水は外に流れ出て、どんどん水位が下がっていく。

 お~、と累は満足げに笑い、結はそっか、と嬉しそうに声を上げた。


 「サイフォンの原理だ!凄い!賢い!」

 「何それ」

 「それ、水出す方法。サイフォンの原理っていうんだよ。授業でやらなかった?」

 「あ、ああ、やったやった。サイフォンね」


 累は金魚屋の特殊道具か何かかと思っていた。

 余計な事言わなくて良かったと恥ずかしくなりながら、排水が完了するのを待った。

 水槽は巨大なだけに時間はかかるが水位は瞬く間に低くなり、そして排水が終わると残されたのは錦鯉一匹だった。


 「よし!」

 「でも錦鯉がいるよ!入ったら駄目だよ!死んじゃう!」

 「それも大丈夫」


 錦鯉の水槽なのだから当然錦鯉が入っている。

 しかし累には対錦鯉で活躍する相棒がいるのだ。右肩でアクセサリーのようにふよふよと浮いている金魚をつんと突いた。


 「やってくれるな」


 それは、以前出目金と戦い累を助けた金魚だった。

 金魚は水槽の隙間からするりと中に入り込むと、全長五十センチメートルはあろうかという錦鯉に飛びついた。

 錦鯉はそれに驚いたのか、一匹でぐるぐると回転する。叫び声が上げられるのなら警報の様に叫ばれた事だろう。

 どうやって倒すのか累もよく分かっていないので、大丈夫か不安に思いながら見ていると、小さな体で何度もがぶがぶと齧り直してるようだった。

 そして少しずつじわじわと体内に食い込んでいく。血が流れる事は無かったが、錦鯉はビチビチと跳ねて次第に動かなくなった。


 「……え?食ったの?」

 「す、すごい。金魚ってこんな事できるんだ」


 累の想像では、水中の金魚の様に赤く輝き魔法のように消滅させる、といった美しいものを想像していた。

 それがまさかこんな物理的な戦い方、いや、捕食をするとは思っておらず思わず後ずさる。下で待っている紫音も水槽の中の様子は見えたようで、ぽかんと口を開けて呆然としていた。

 しかし無事ミッション達成した金魚は、してやったりとばかりに錦鯉の口からぴょこんと出て来た。


 「何で口から出てくんだお前!」

 「凄いねえ、その子。そんな金魚初めて見た」

 「普通の金魚じゃないからな。こいつは現世から俺が連れてきた金魚なんだ」


 そして金魚は何も無かったかのように累の右肩に戻って来た。

 感情があるのかは分からないが、とにかく怒らせないようにしようと累はごくりと喉を鳴らした。


 「結、登って来い!」


 幸いにも不規則に積み上げられている水槽は良い足場になり、結は着物の裾をたくし上げて登り始めた。

 頑張れ、もう少しだ、と累は上から応援し、ようやくすぐそこまでやって来た結に手を伸ばし引っ張り上げる。


 「結!!」

 「累!!」


 結は引っ張り上げられた勢いでそのまま累に抱き着くと、うわあん、と声を上げて泣き出した。


 「大丈夫だ。もう大丈夫だからな」

 「こ、こわ、怖かった……」


 ガタガタと震える結をしっかりと抱きしめて、累はよしよしと頭を撫でてやる。

 そんなに離れていたわけじゃないのに、結は懐かしいその手に安心して、累をぎゅうっと強く抱きしめた。


 「お二人共!今は逃げるのが先です!お早く!」

 「そうだな。結、ほら」

 「あ……」


 気が抜けたのか、結はへにゃりと座り込んだ。

 細い脚は太ももから全体震えていて、併せたように手も震え始めてとても動ける状態ではなかった。

 どうしよう、と結は慌てたけれど、累はにっこりと嬉しそうに微笑んだ。


 「ほら、来い。おぶってやる」

 「う、うん……ごめんね……」

 「何がだよ。俺は結を守れるのが嬉しいんだ」

 「ん……」


 累は結を背におぶり、ひょいと軽々立ち上がった。

 来た時よりも足取り軽く、トントンと降りて紫音の元に辿り着いた。


 「結様!ああ、よかった!よかった!」 

 「紫音さん……僕……ごめんなさい、僕」

 「いいんです。結様がご無事であればそれで」


 よかった、と紫音は目に涙を浮かべて微笑んだ。

 その美しい微笑みに、結は根拠なく責めて傷つけた自分が恥ずかしくなる。しょんぼりと俯く結だったが、それを慰めるように累がその頭を撫でた。

 紫音は毅然と顔を上げ、結を抱きしめ支える累と目を合わせた。


 「累様。来た通路をそのままお戻り下さい。私が鯉屋の足止めをします」

 「けどそれじゃあ紫音さんが!」

 「あんたは裏切ったようなもんだろ。いいのか」


 裏切った、と言われて紫音は一瞬目を閉じて俯いた。

 ゆっくりと目を開き、閉ざされた鯉屋内部への扉を睨みつける。


 「今までは大旦那のお知恵に頼り、店をお任せして参りましたがそれが間違いでした」


 紫音は扉の前に立ち、立ちふさがる大扉に触れた。


 「ここは私の店。これ以上好きにはさせません」


 当主は私です、と強く言い切った。

 それはお嬢さんと呼ばれちやほやともてはやされた娘とは違い、凛とした空気がとても清々しかった。


 「累様。破魔屋は鯉屋に降りません。私がお迎えに上がるまで、決して破魔屋の旦那様の機嫌を損なわぬようお過ごし下さい」

 「ああ」

 「さあ、お逃げ下さい。決して見つからないように」


 紫音は大扉の前に立ち、走り去る累と結の背を見送った。

 結は本当に置いて逃げて良いのか後ろ髪を引かれたけれど、錦鯉の暴れる水音に立ち向かう事はできなかった。

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