第16話 二つの世界を繋ぐ神呼鈴
それから、破魔屋の数名が手当から出目金の片付けまで鉢に手を貸してくれた。
おかげで思いの外早くに元の形――といっても元々何も無いのだが、鉢自体は以前の形に戻る事ができたようだった。
しかし死亡者もいれば怪我人も多い。ここからは人間が元の生活に戻れるかになってくる。こんなのは今までの鉢では日常茶飯事で、このまま衰退の一途を辿りそれが日常になっていくのだと誰もが諦めただろう。
けれど今は違う。きっとまた累が助けてくれるだろうという期待が皆の胸にあり、依都も神威もそれをひしひしと感じ取っていた。
だが肝心の累は未だ結に拒絶された悲しみに暮れ、金魚屋の仕事もろくにしなくなっていた。
「いつまで腐ってんだよ」
「ああ……」
「しっかりしろよ。いつでも破魔屋(おれら)がいるとは限らないんだからな」
「そうですよ。累さんも辛いと思いますけど、ここで鉢を放り出したらみんなガッカリします」
そんな事言われても、と累はため息を吐いた。
そもそも累が鉢を盛り上げていたのは鉢のためではない。結に辿り着くための手段でしかないのだ。その結に拒絶された今、危険な出目金と立ち向かい命を張る必要など累には無かった。
「今までは出目金出たらどうしてたわけ?」」
「どうにもなんねーよ。逃げるか破魔屋(おれら)が倒すかだ。けど俺みたいに戦闘できるのは三人しかいないんだ」
「三人?そんな少数で回るのか?」
「回るも何も、そもそも戦闘が必要になる場面がねえよ。出目金が人を襲うのなんて月に何度もある事じゃない。現世はそんなに戦闘するわけ?」
「……しないな」
神威が率先して戦いに出るおかげで累は思い違いをしていた。
破魔屋は特殊な武器で戦闘が可能だが、それはあくまでも神威自身の身体能力によるものだ。決して超人ではなく、地道な筋トレや素振り、剣道のような試合形式での訓練。そういった努力の結果であって、現世で言えばオリンピック選手みたいなものだ。
破魔矢は出目金を切る事ができるが、破魔矢が身体を操作して自動戦闘するなんて魔法ではない。
仮に全員がオリンピック選手レベルに成長したとしても、日常的に出目金のような戦わなければならない敵がいるのなら戦闘にも慣れるだろうが、現世同様日常で武器が必要になる場面などありはしない。
「出目金なんて月に三匹もいないごく稀なもんだ。依頼の八割は大店の力仕事」
「出目金は鯉屋様の回収を待つしかないんです。でも今は結様がいますし、どうにかしてくれるかもしれないですよね」
「どうだかな。累は見捨てられたみてえだし」
「テメェ!」
累もちらりと思った、けれど認めたくない事を突かれて神威の胸倉を掴んで締め上げた。
けれど否定して神威に非を認めさせ謝らせるだけの要素は無く、ただ睨むしかできなかった。
今まで見た事も無い累の苦しそうな様子に、依都は慌てて二人の間に割って入った。
「止めてよ!それよりまずはみんなの手当をしようよ!怪我してる人を安静にできる場所探さないと」
「そんな場所あったらとっくに寝床にしてるっつの」
「でもどうにかしないと!薬だって無いんだからせめて清潔にして」
「分かってるよ。けど鉢に清潔な場所なんてねえよ」
極めて正しい神威の分析に依都は返す言葉も無く、ぐうっと黙らされてしまう。
神威は悪意があるわけでも意地悪をしたいわけでもないが、これ以上首を突っ込んで依都に危険が及ぶ事を考えるとここらで手を引かざるを得ない。
それが分かるから累も依都を家政する事をしなかった。
「あとはもう神頼みだな」
「けど……」
神頼み、と聞いて累はふと思い浮かぶ事があった。
のそのそと立ち上がり、依都が使わせてくれている鍵のかかる戸棚を開く。中には無造作に鈴が一つ転がっている。
それは鈴屋から貰った神呼鈴だった。累は神呼鈴を手に取った。リン、と涼やかな音がすると依都と神威が驚いて勢いよく累を振り返った。
「神呼鈴!?」
「どうしてそんな物を持ってるんですか!?」
「鈴屋がくれたんだよ。知ってんの?」
「知らない方がおかしいですよ!この世の理を統べる神様方へ呼びかける、唯一絶対の鈴です!!」
「……よく分かんないけど、一番偉いのは鯉屋じゃなかったか?」
「魂を統べるのは鯉屋様です。けどそれは理に乗っ取ってこちらへやって来た魂の話で、その理を統べるのは神様方です」
「ふうん……見た事ないけど、そんな偉そうな連中」
「神サマってのは目で見る事はできない。立ってる次元が違うんだよ」
次元が違うという言葉にはピンとこなかったが、現世とこっちみたいな事だろうか。
現世で魂と言えば身近でありながらも触れ合えない、しかし人の中には確実に存在する概念だ。
もしかしたらこの世界では神様がそういう存在なのかもしれない。
「でも神呼鈴は違います。唯一こちらと神様方の世、両方に存在できる物。鈴の音は神様方に届き、聞き届けて下さればどんな願いも叶うといいます」
「どんな願いでも?」
実を言うと、累は結を助けてもらえないかと鈴の音を奏でてみた事がある。
けれどリンリンと鳴るだけで何も起きず、ただ金の光を零す美しいだけの鈴だった。
なのでこうして棚に放置していたが、そういえば、と鈴屋の言葉を思い出す。
『人のためならば神は応えてくれるだろう』
それは、どんな願いでも聞いてくれるわけでは無く条件付きという事なのだろうか。
神が動くほどの願い、それは利己的な願いではなく神が作った理を崩す可能性を回避するための願いでなくてはならないのかもしれない。
「もしかしたら鉢を助けてくれるかもしれないですよ!」
「……そうだな。使ってみるか」
考えても分からないしな、と累は期待半分諦め半分で軽く振ってみた。
すると以前と同じようにリンリンと鳴り響いた。しかしそれだけで何も変わった事は無い。
「駄目ですね……」
「他にも何か必要なのかもな。何か伝説とか逸話とか無いのか?使い方が分かるような」
「うーん……」
「物語に出てくる程度の事しか知らねえな」
「物語?どんな?」
「神話だよ。二つの世界が交わり合った時神が訪れるらしいぞ。意味は知らん」
「へー。神威君物知りだね。僕初めて聞いた」
「二つの世界……?」
それは単純に現世とこちらの世界という意味に思えた。
であれば累は現世の人間だ。ならばこちらの世界の人間もいれば良いという事では、と思い累は依都を見た。
「依都、一緒に持ってみて」
「僕ですか?はあ……」
依都は特に何も考えず、言われるがままにぺたりと鈴に小さな手のひらを添えた。
すると、途端に鈴は大きな音を立て始めた。揺らしてもないのにリーンと鳴り響く。
驚いた依都はうわあ、と小さく叫び、明らかな異常事態に神威は破魔矢に手を伸ばした。
しかしその時、どこからともなくするりと一人の女が現れた。襖を開ける事もなく衣擦れの音すら立てず、ゆらりと現れたのだ。
「久しぶりにその鈴の音を聞きましたわ」
女は床に広がる烏羽玉の髪を揺らした。
黒曜石のような瞳は全て見透かしているような鋭さだった。
「……あんたが、神様?」
「人はそう呼びますわね」
これが神様か、と累は若干悩んだ。
神々しいと表現するに相応しい顔立ちではあるのだが、服装は大店で見る女性達と変わらず艶やかな桃色の着物姿だった。
しかも何故か肩を剥き出しにはだけさせてやたらと胸を強調している。確かに非日常的ないで立ちだが、神の神々しさとは意味が違う。
こちらの願いは鉢の人間を助けて欲しいというものだが、あまりにも艶めかしくて何か意味合いの違う神のように見えた。
「あの、どういう神様ですか?」
「どうとは?」
「ええと……怪我人を助けて欲しいんですけど、そういうのはできますか」
「できますわよ。けれど神呼鈴を使えるのは一度きり。あなたの願いは本当にそれで良いのかしら?人々の願いとあなたの願いは違うものでしょうに」
あ、と依都は気まずそうに顔をくしゃりと歪ませた。
累の願いが結である事は言わずもがなだ。それを知っていたのに他の人間を助けてくれというのは、結を諦めてくれという事になる。
しょんぼりする依都に何か声をかけた方が良いだろうかと思ったけれど、気にしなくて良いとも言えずに累も戸惑った。けれどずいっと神威が依都の前に立ち累から隠してしまう。依都を傷つけると思ったのだろう。
信用されてないのか過保護なのか、どちらにせよ累は安心したような見損なわれて悔しいような複雑な気持ちになった。
「大丈夫だって。どのみち神様は結を取り返してはくれない。そうだろう?」
「ええ。聞いてみただけですの」
神様ってこんななのかよ、と累は心の中で毒づいたけれど、女はひらりと手を振りにっこりと微笑んだ。
「それに私、己の力で叶う願いは聞かない主義ですのよ。神問は人では成しえない奇跡になさい。つまらないから」
「……ああ、そうだな。兄弟喧嘩の仲直りに神の奇跡は必要ない」
女は面白そうにクスクスと笑った。
「よろしいでしょう。ただし理を曲げ死者を蘇生する事はできません。命を繋ぐだけ」
「それでいい」
「では神呼鈴を代償に頂きます。破魔屋。それをお寄越しなさい」
「俺?」
「二つの世界が交わり合った時神が訪れる。ようご存知でした」
「そりゃまあ寝物語みたなもんだし……」
神威はちらりと累を見る。累はうん、と頷き渡すように目で促した。
依都から鈴を受け取り、神威はぽいっと捨てるように鈴を女へ渡した。
「ふふ。破魔屋は金魚屋にしか興味ありませんか」
「悪いかよ」
「あら正直だこと」
「お前もう隠すの止めたの?」
「うるせえ」
累はいつもの軽口でからかったけれど、神威は依都を背に庇い女を睨むばかりだった。
女を信用していないのは火を見るよりも明らかで、冗談に付き合う余裕は無いのだろう。
「神にも怯まぬ其方らの願い叶えましょう」
女が神呼鈴を手にすると、リンリンとけたたましく鳴り始めた。
耳をつんざくようなそれはとても怪我を癒してくるとは思えない鋭さで、神威は破魔矢を抜いて依都を抱き上げ逃げ出せる姿勢を取った。
実直というか本能的というか、と女はまた面白そうに笑った。
「破魔屋に倣え言いませんが、あなたも金魚屋が何たるかを知りなさい」
「何たるかって、どういう側面の話だよ」
「この世に運命などありません。あるのは必然のみ。あなたが金魚屋に、片割れが鯉屋に。それは必然」
「結はともかく、俺は事故みたいなもんだろ」
「それこそが必然」
「……もうちょっと分かりやすく教えてくれよ」
「では破魔屋の言葉の意味を考えるがよろしいでしょう」
「神威の?二つの世界がどうとかいう?」
女はクスリと微笑むだけで何も答えなかった。
もう少し問い詰めてやろうと思ったけれど、その時店先から累と依都を呼ぶ声が幾つも叫び上がった。
「累様!怪我が治りました!皆回復しています!」
「病で苦しんでいた者もです!」
「え!?もう!?ぼ、僕見てきます!」
「依都!一人で動くな!」
表から響く歓喜の声に依都は駆け出し、当然のように神威はそれを追った。
こんな即座に事が成されるとは思ってもいなかった累は礼を言おうと女を振り返った。
けれど――
「いない……!?」
女は香りすら残さず姿を消していた。
まるで夢であったかのように掻き消えたけれど、回復した怪我人がいる事こそが神が降り立った証だった。
誰もが奇跡を喜んだが、累の胸の内は女の残した言葉でもやついたままだった。
*
その頃、鯉屋では結が放流をするための訓練をしていた。
「うえっ!」
「結様!ご無理をなさらないで下さい!」
「す、すみません……」
結は鯉屋に捕らえられている出目金を放流をしようとしていたが、未だうまくできずにいた。
それどころか放流に望むたびに吐き気に襲われ倒れ、紫音に看病される日が続いていた。それは病院に括りつけらていた時の事を思い出し、不安で苛まれる日々の中で結の脳裏に浮かぶのは累の笑顔だった。
累に会いたい、と結は布団から抜け出し鯉屋を出ようとした。
けれどその時、こそこそと結に隠れて話しをする声が聞こえてきて聞き耳を立てた。
「お聞きになりましたか?累殿が神呼鈴をお使いになったとか」
「神呼鈴を?なんとまあ。数百年に一度見るかどうかなのに」
「それで鉢は救われたそうですよ。結様は放流が間に合っていないというのに、大違いです」
そして、結は見つからないようにそうっと部屋へ戻った。
とても外に出る事はできなくなり、けれど放流に挑むたびに倒れる事を思うと再挑戦する気にもなれなかった。
(結局僕は累がいないと何もできないままなんだ……)
紫音が部屋に入って来たのが分かったけれど、結はぎゅうっと目を閉じ返事をしなかった。
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