第4話 鉢

 二人で水槽を運ぶ事一時間。

 ようやく鯉屋の番頭とやらがいるという、無駄に黄金の装飾で飾られた煌びやかな建物に到着した。平坦な一本道なのは不幸中の幸いだった。

 依都が小屋に向かって「金魚屋です」と叫ぶと、中から一人の男が出て来た。男は見ただけで高級と分かる滑らかな生地で作られた深緑の着物を着ていて、金ぴかの扇子で仰いでいる。

 いかにも面倒くさいという顔で水槽を覗き込み、ひいふうみい、と数えていく。


 「全部で十二。確かに。御苦労だったな」

 「有難うございます!じゃあ後よろしくお願いします!」


 それだけ言うと、依都は何を受け取るわけでも何をするわけ無く、終わりでーす、と言って来た道を引換し始めた。ああ疲れた、とぷらぷら振り回している手のひらは真っ赤だった。


 「累さんの食料まだ用意できてないんですって。後でまた取りに行きましょうね」

 「それはいいけど、金魚は?せっかく持って来たのに置いてっていいのかよ」

 「持って来て終わりなんですよ。今日は金魚の納品日なんで」

 「納品って、まさか売ってるのか!?金魚って魂なんだろ!?」

 「売りませんよ。うちで掬った金魚は鯉屋さんが弔ってくれます。金魚は赤い子と黒い子で、うーんと、死因によって弔い方が違うから僕らが死分けしてるんです」


 つまり下請けのような事だろうか。

 死分けなんて金魚掬いをしただけの感覚でいたが、そんな事があるのか、と累は掬った黒い金魚を思い出す。真っ黒とは、何となく悪い印象だがどういう死因なんだろうなどと考えていると、気が付けば賑わっている大店の大通りへと戻って来ていた。先ほどと変わらず金銭で売買がされている。


 「……なあ、納品したなら料金は?一応商売なんだろ?」

 「そんなのは無いですよ。金魚屋は鯉屋さんにお仕事を貰ってる身ですから」

 「じゃあ生活費はどうしてるんだよ」

 「お仕事する代わりに鯉屋さんが最低限の保証してくれてるんです」


 有難いですよね、と笑う依都の服はよれよれだ。

 金魚屋の長屋だってボロボロだというのに、あれが保証された状態だというのならそれは本当に最低限だ。


 「じゃあ金を溜める事もできないじゃないか。それじゃつまらないだろ」

 「……ちょっと寄り道して帰りましょうか」


*


 普段とは打って変わって、悲しげな顔でとぼとぼと歩く依都に付いて薄暗く埃っぽい坂道を降りていく。まだ知り合って数日だが、累はこんなにしょぼくれた依都を見るのは初めてだった。

 進むにつれ店は無くなり住宅のみになり、それもどんどんなくなっていき辿り着いたのは聳え立つ水壁だった。見渡す限りそれは続いていて終わりが見えない。それに水といっても泥水のように澱んでいて、腐ったような臭いがする。ごみ捨て場でもあるのだろうかと累は辺りを見回した。

 しかし依都は慣れた足取りで水壁に沿って歩いて行った。

 すると、水壁の中に累が這いつくばってようやく通れる程度の大きさしかない鳥居が見えて来た。その出入り口だけは水が避けていて、向こう側へ入れるようだった。

 依都は地べたに這いつくばってそこを通って行ってしまったが、累はこの水をくぐるのに抵抗があった。

 とにかく臭いのだ。現世でも放置されて清掃されていない公衆便所は悪臭を放つがそれと似ている。けれど既に向こう側にいる依都が早く、と急かしてくるので累は諦めて鳥居をくぐって向こう側へと手を着いた。すると、さっきまでただの土だったのに、手を着いたところはぐちゃりと音を立ててぬるりと滑ってしまった。この水壁のせいだろうか、地面は泥になっている。その泥も相当臭くて、思わず累は顔をゆがめた。

 嫌そうな顔をする累を見て依都は悲しそうに、しかしそれも仕方ないというように苦笑いを浮かべていた。


 「なあ、ここ何だよ。すっげえ臭」

 「それは言っちゃだめです。だめ」


 依都は眉をしかめて口をへの字に歪めて、うう、と小さく唸って上を見た。すると水壁が内側に向かってすぼまっていて、それは大きく波打ちながら曲線を描いている。まるでここが大きな水槽の底にいるようだった。


 「……水槽、じゃない。これは」


 見覚えのある形だった。

 丸い器に金魚の尾のようにゆらめく縁。それは金魚を飼うための――


 「《鉢》です」

 「鉢、って、あの金魚鉢の鉢?」

 「そうです。でもここにいるのは金魚じゃありません」


 依都がちらりと目をやると、その先には半壊した小屋があった。木造の壁や柱は穴だらけでとても雨風をしのげるものではない。大店のような美しさは微塵もなく、いや、大店が半壊して朽ち果ててもこうはならないだろう。

 現世だったら危険だと即取り壊されるであろう状態だが、依都が見つめる先を見て累はぎょっとした。


 「人?人がいるのか、こんな所に」

 「はい。彼らはに住んでいるんです」


 棘のある言い方だった。

 ハッとして依都を見たけれど累の方を見ようともせず、悔しそうに唇を噛んでいた。それを見てようやく累はしまった、と思ったがもう遅い。依都が泣きそうな顔をしているのを見て累は何も言えなくなった。


 「現世にはは無いんでしょうね」

 「……地域によるけど、俺の住んでた所にはなかった」


 大人も子供も皆ぐったりしてる。ぴくりともせず、呼吸すらしていないように見えてしまう。

 おそらくスラムと呼ばれるのだろう。その単語は知っているが、平和な日本で生きていた累が実際目の当たりにするのは初めてだった。

 カーストなんていう言葉も知ってはいるけれど、こうもまざまざと突きつけられる日が来るなんて思ってもいなかった。

 依都に何か声を掛けなくてはと思うものの、無意識に発する言葉が彼らへの差別になりそうな気がして累は口を噤むしかなかった。そんな累を見て依都は唇を震わせると、ひそりと小さな声で話し始めた。


 「この世界に生まれる人は大きく二種類に分かれます。前世を持ってる人と持ってない人」

 「え、っと……?」


 急に何の話だろうと累は首を傾げた。けれど依都はそれに構わず話を続けた。


 「生者の魂がどこから来ると思いますか?」

 「どこって、魂なんて概念じゃないか」

 「違います。この世界です。この世界で生まれた人は生者の魂予備軍なんです」

 「魂、予備軍?」

 「現世で肉の身体が作られるとこの世界の人がその中に入ります。肉の身体と魂が結びついて初めて生者になるんです」


 魂とは形のある物では無い。

 この世界は死後の世界のようなものだと累は解釈していたが、依都の言う内容からするにここは魂の生きる世界という事になる。


 「けど中には生者になるのを拒む事もあります。そうなると現世の肉体は生まれる前に死んでしまうんです」

 「死ぬって、それどうにかなんないのかよ。何で拒むんだよ」

 「こっちの人にも肉体を選ぶ権利があります。生まれてもすぐ死ぬであろう生者にはなりたくないじゃないですか。ここでの生活が楽しい人もいますし」


 それは現世でいうところの死産ではないだろうか。

 病気や健康状態によって生まれない子供がいるが、それがこちらの世界を満喫するためなのかと思うと累は怒りがこみあげた。


 「短命でも生者になった方が良いっていう人も相当数います。それがこの世界の生活格差なんです」

 「この鉢の人か?」

 「いいえ、違います」


 依都は木の枝を拾ってしゃがみ込むと、少し乾いた土にガリガリと何かを描き始めた。

 大きな円を一つ描き、その中に一回り小さな円を描いた。さらにその内側に小さな円を描き上げた。


 「この世界の土地はこうなってます。鯉屋様を中心に取巻くのが大店、その外が街。そのさらに外が鉢」


 この図の縮尺が正しいかは分からないが、面積的に見て一番広いのは街のようだ。大店はその半分も無いように見える。


 「大店と街がこの世界生まれの人です。大店は自分で商売できる人の住む場所で、僕みたいに鯉屋様や大店から仕事を貰ってる人間は街で暮らします。大店は今に満足してるので、生者になるのは食べるに精いっぱいで苦しい街の人です。金魚屋のみんなもそうですね」

 「金魚屋は鯉屋から仕事をもらってるんだろ?それでも苦しいのか?」

 「金魚屋というのは厳密には僕一人なんです。従業員のみんなは僕が雇ってるだけなので生活保護を受けてるのは僕だけなんです。みんなには飴で支払いをしますけど、長屋は決して生活しやすい場所じゃありません」


 それでは依都の得ている生活保護の中からあの従業員へ給料を出すという事か。

 保護がどの程度受けられるのかは分からないが、累が見た限りでも従業員は二十人はいた。それを一人の生活費で賄う事などできるのだろうか。いや、できるのであればもっと上等な着物を着ているだろう。

 それでもいい方なのだろう。金魚屋よりも質素で小さな家の方が多いし、扉も襖も無い四阿のような家もある。金魚屋ではぬくぬくと布団にくるまって眠るけれど、累が見た限り街に布団や着替えを選択して欲している家を見た事が無い。さらに飴も支給されるとくれば、街の中じゃ富裕層なのだろう。


 「できる事があれば雇ってもらえます。けど何もできない人は自分達で何とかしないといけないんです」

 「何とかって、この状況でどうするんだよ。大店はどうにかしてくれないのか」

 「……こっちに来て下さい」


 またしょんぼりとして、依都は累の手をきゅっと握ってのろのろと歩いた。

 少し行くとたくさんの棒が立てられている場所があった。それ以外は特筆する事は何も無く、ただの荒れ地だ。累には立っている棒が何だか分からなかったけれど、依都は両手を合わせて祈るように目を閉じた。よく見ればいくつかの棒の足元には花が添えられている。


 「まさかここって……」

 「街と鉢のお墓です。栄養失調がほとんどですけど、大店の人に暴力を振るわれて死んだ人も多いんです」

 「そう、か……」

 「鉢では毎日誰かが死んでます。でも大店からしたらそれも些細な事なんです」

 「この人数が死んでるのにか!?」

 「何もできない人間が死んだところで大店の生活には何の影響もありませんから」


 暴力を振るうくらいなら自分たちの足を引っ張る人間が減った事を喜ぶかもしれない。

 少なくともあのバカ騒ぎをしている連中がここに物資を運んでくれるようには思えないし、実際今何もしていない。


 「けど大店が鉢を相手にしないのは理由があるんです。鉢の人は前世持ちなんです」

 「前世って事は、元々生者だったって事か?」

 「そうです。でも現世で罪を犯して輪廻転生できないの人が鉢に集められてるんです。でも大店の人はこれから生者になるので魂が罪を背負ってないんです。これは圧倒的に格が違うんです」


 この世界の人間は魂のような存在だとすると、罪を負う魂は現世で言えば犯罪者のような扱いなのだろう。

 それにもし大店が面倒を見る気になったとしても、累は物理的に無理があるように感じた。大店は見た限りで一商店街という程度の規模だ。それに比べて街と鉢はあまりにも広い。手を差し伸べてくれたとしてもその対象者はたかが知れている。


 「僕は恵まれてます。生活をさせてもらえるんですから」

 「……すまない……」

 「僕は別に。でも鉢では気を付けて下さい」


 累は「分かった」とも「気を付ける」とも言えなかった。それは自分が情けをかける余裕のある人間であると言うような気がして、それは差別的発言になるような気がしたからだ。けれどそんな事を考えている事すら差別をしているようにも見えるのではと思うと何も言う事ができなかった。

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