金魚すくいは世界をすくう!~双子が廻る魂の世界~

蒼衣ユイ

プロローグ


 なつめるいは浴衣姿で捨てられていた。

 辺りを見渡すと三百六十度水壁で囲まれていて、悠然と泳ぐ錦鯉の鱗が陽の光を浴びてきらきらと輝いている。足元を見ると床は朱塗りで柱も朱塗り。まるで厳島神社を水中に沈めたような場所だ。

 何故浴衣でこんな妙な場所で寝ていたか思い出せず、靄のかかった頭に埋もれた記憶を辿った。


 今日は双子の弟であるゆいと大学の同級生とで夏祭りへ行く約束をしていた。けれど結は病気がちでこの二年ほどはずっと入院していて、せっかく外出許可を取ったのに直前に体調を崩して行けなくなってしまったのだ。

 累も残ると言ったけれど、結は「金魚が欲しいから金魚すくいをやって来て」と言い、両親も結が気を使うから行って来いと言うので仕方なく出かけた。


 けれどやはり遊ぶ気になれず、累は約束の金魚を取ってすぐ病院へ戻り病室に駆け込んだ。するとそこで母は泣き崩れ父は慰めるように抱きしめている。累は何かを諦めている医者を見て、血液が沸騰したような、けれど同時に体温がざあっと下がっていくような感覚に襲われた。

 医者が何か言おうとしている。聞きたくない。聞きたくないのに医者は遠慮なく真実を告げた。


 「脳死です」


 累が病室を出てから一時間も経っていなかった。


 「嘘だ!さっきまで元気だったじゃないか!ほら、結!約束してた金魚だぞ!」


 累は結に縋りついた。するとその時、急にガクンと身体が下に落ちるのを感じ、地震だと思い咄嗟に結の身体を抱きかかえた。

 焦って辺りを見ると、真っ白な病室にいたはずなのに何故か赤と白、黒のまだら模様の壁に囲まれていた。それはうねうねと動いていて、まるで生きてるようで気味が悪い。すると壁からプッと何かが吐き出され、ぬめぬめとしたそれが足を引っ張ってきた。反射的にそれを蹴飛ばしたけれど、今度は結の腕を引っ張ってきたので引っぺがし睨みつけた。


 「……錦鯉?」


 ゆうに五十センチメートルはありそうなでっぷりとした錦鯉だった。

 錦鯉達は壁からにゅるにゅると出て来ている。これは壁ではなく錦鯉だったのだ。五匹、十匹、とどんどん増えて累にまとわりつき、呼吸もままならないほど圧迫されて累の意識はそこで途絶えたのだった。



 「そうだ。錦鯉に捕まって……錦鯉?」


 思い出したところでそれが現実だと理解はできず、累は辺りを見回した。

 すると、少し離れたところに着物姿の人間が集まって何かを覗き込んでいた。まるでお祭りでも楽しんでいるかのような賑わいで、何だろうと目を凝らすとその中心にいたのはぐったりと倒れた結だった。

 累は大慌てで突入し、結の頬を撫でている薄墨色の髪の女を突き飛ばして奪い返した。噛みつきそうな目で睨みつけてくる累を見て、女は驚いたように何度も瞬きをした。そしてひとつため息を吐いてからゆらりと右腕を上げると、ざああと大量の錦鯉が押し寄せあっという間に結を奪っていった。


 「この方は《鯉屋の跡取り》。鯉屋ここで魂の恨みを浄化なさいます」

 「はあ!?ふざけんな!結を返せ!」

 「結様がお役目を果たさねば現世は恨みで滅び逝く。それでもよいと?」

 「うるせえ!結を放せ!救急車呼べよ!」

 「生者は死者の領域には立ち入れない。逆も然り」


 連れて行かれてなるものかと累は掴みかかろうとしたけれど、女の傍にいた狐面の男に後ろ襟を掴まれ放り投げられてしまう。まるで相手にならないとでも言うかのように男は笑った。


 「よし、取引だ。利益を寄越せば弟を返してやろう」

 「何だよ利益って!誘拐犯が上から物言うんじゃねえよ!」

 「残念。死人に口なしだ。鯉屋も君の弟も、そして君も」


 死んでない。結は死んでない。

 そう言い聞かせながらきつく唇を噛むと八重歯が突き刺さり血が滲み、ぽたりと左手の甲に落ちた。その手首には結のために取ってきた金魚の入ったビニール袋がぶら下がっている。


 累にとってこれはこの世で一番愚かな質問だった。

 何よりも大切な弟のために『できない』と諦めることは一つもない。今できていないのならやるだけだ。それでも物理的に、金銭的に、累自身では変えようのない他者の行動によりできないこともある。ならそれなら違う形で実現する方法を探すだけだ。

 だがそれでも絶対的に実現を阻まれる場合がある。それが『累自身では変えようのない他者の行動』だ。


 「結はすぐ気使うんだよ。僕にばっかり時間つかうなって」

 「……」

 「だからできることしかお願いしてくれない。無理なわがまま言ってくれないんだ」


 自由に生きられない不自由さを知っているからか、累が過剰な行動制限や何かを諦めなければいけないことを結は自分から言わないのだ。

 それが優しさだとわかっていたけれど、それでも悔しかった。


 「……できることと言ったな」


 累は結にわがままを言ってほしかったのだ。


 「全部だ。俺は結のわがままを全部叶える!」


 累の手には金魚がぶらさがっている。結が取ってきてと言ってくれた金魚だ。

 そして狐面の男は表情をかくしたまま、くく、と小さく笑った。

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