怪異猟兵一之瀬晃人の日常

キロール

星降りの地(1)

 吹きすさぶ風が晃人あきひとの外套を激しくはためかせる。びゅうびゅうと吹き抜ける風の冷たさは身を切るようで、吐き出す白い息もすぐに霧散させていく。


 晃人は立ち止まって周囲を見渡す。前方に広がる荒野には草一つ見当たらず、遠くに見える山々の連なりから虚しく風が吹き抜けていくのみだ。かつては森林があったこの地を百年前に隕石が落ちて以来この様な荒野に変わったと依頼者は言っていた。


 ここは奇妙な土地だ。皇都より電車を乗り継いでも二時間も掛からない場所だと言うのに何一つ開発の手が及んでいない。かつての森林とは言え平野部に広がり、今では木々どころか草すらも無いと言うのに。


 ほんの数十分も歩けば家々がひしめくベッドタウンが背後には見えている。それだけで諸外国の荒野とは全く趣の違うと晃人は静かに思う。あちらの広大な荒野は命の危険を見ただけで感じる程だが、ここには奇妙な違和感じみた思いを募らせるだけだった。


 その奇妙さに拍車をかけたのがベッドタウンの存在だ。荒野の方角には窓を作らないか、窓があってもみな雨戸を締め切っている家々の造りが異様。その様な家々が立ち並び、建てられたばかりと思われる真新しい家すらも荒野の方向には窓がなかった。草木もない開けた土地があると言う事は光を取り入れるには最適だと言うのに。


 それの意味する所はつまり、ベッドタウンの住人は知っていると言う事だ。伝え聞いているのか、本能的にかは分からないが荒野を見てはいけない事を。


 そんなベッドタウンで聞き込みをしようにも、平日であればほとんどの家は留守であった。今年より相棒となった神鷹じんように聞き込みを継続させながら、晃人は一人荒野を見て回る。


 吹き抜ける風の強さは、一歩荒野に踏み込むごとに強くなっているように思え、軍服の詰襟を合わせ直す。


 途端に晃人は背後から無数の視線を感じる。

 

 敵意は無いが明らかな無数の視線に振り返り、怪異に慣れている筈の晃人も驚きの声をあげそうになった。背後のベッドタウンを守るように数多の地蔵が此方を向いて立ち並んでいるのが蜃気楼のように揺らめいて見えるのだ。


 地蔵は民間信仰においては道祖神と同一視される。ならばあの立ち並ぶ地蔵は境界より病気や厄災が入らぬようにと村……ベッドタウンを守るさえの神と言う訳か。怪異の存在を感じベッドタウンを守るために仏師がどこかに石仏でも建てたのかも知れない。あのように連なって立てた訳ではないのだろうが……。


「こいつは……根が深そうな」


 晃人が低くはあるが通る声で呟くと、それだけで風が弱まった。己の声には神通力が宿っている、そう師は告げるが晃人にはその自覚は無い。特別な発声法を使えば武器になる事は知っているが所詮はそれだけ。同僚たちには劣るとすら思っている。


 そんな己を名指しで指名してきた依頼人に晃人は思考を巡らせた。


(財界人ならば軍人に依頼すると言う事はしばしばある。ましてや私は怪異猟兵、怪異があればどこにでも馳せ参じるが……何ゆえに姫奈ひめなの者が)


 晃人を名指しで指名した財界人の名を姫奈薫ひめなかおる。海運業を生業とした財閥である姫奈家の当主であり……日本皇国に古来より存在する怪異の一派である土蜘蛛派の頭目と目されている人物。思考はやがて追憶へと変わる。――それは怪異猟兵としてはあまりに無防備な事であった。


 初めて会った姫奈薫は年若いながらも一族を背負って立つ女傑と当初晃人の抱いたイメージと違い、蜘蛛の巣のように細くつややかな黒髪、意志の強そうな黒い瞳、そして白磁人形のような白い肌の雅な女性であった。


「星降りの地をお鎮め願いたい」


 そんな人形のようなという形容詞が似合う薫は対面した晃人を微笑ましく見つめて唇は優雅に弧を描かせたが、表情を改めると重々しく告げた。なんでも開発に着手すると必ず事故が起きるのだそうだ。事象自体は一見平凡な、その辺の退魔師でも対処できそうな話であったが……。


 ともあれ晃人に分かる事は彼女からの依頼とはつまり、この日本皇国に古くから住まう怪異の一派が晃人に依頼してきたことに他ならない。

 怪異猟兵として名うての一ノ瀬晃人いちのせあきひとに。討たれる可能性が少ないとはいえ怪異猟兵に怪異の首魁がわざわざ面を通してまで。


 結局、この直々の指名による依頼を上官は受けた。怪異猟兵を束ねる三雲みくも憲兵大佐は晃人あきひとに告げたのだ。


「昨今の情勢を考えるに、姫奈の依頼とあらば受けぬと言う選択肢はない。皇都よりそう遠く離れていないし、ひとっ走り頼む。神鷹じんようの訓練にもなるだろう」

「大佐がそう仰るのであれば否はありません」

「問題があるとすれば、一ノ瀬中尉のお師匠が問題だな」

洲灯すとう様がですか?」


 上官の物言いを不思議に思い首を傾ぐと三雲大佐は軽く息を吐き出して告げた。


「どうにも貴官は自身の事に疎い場合があるな。まあ、良い。君の方からお師匠には話をしてくれ」


 それが何を意味したのか晃人が気付くのは、父を亡くしてから師と共に過ごしている洲灯の屋敷に戻ってからだった。

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