一緒の教会に住んでいる純真無垢なシスター、男の影すらなかったはずなのに最近朝帰りをするようになった

楓原 こうた【書籍6シリーズ発売中】

プロローグ

 とある辺境の村。王都から馬車で二週間ほどの場所にあるこのバレッドという村には、一つの教会がある。

 村自体が全体で二百人ほどしかいないぐらいなので、その教会の大きさも規模も街の教会に比べれば小さい。


 といっても、そこまで信者の方々が少ないわけではないので、教会自体は毎日程よく仕事に追われている。

 そんな教会には牧師になりたての俺───ナギトと、シスターになりたての少女が一名在籍しており、一緒に働きながら暮らしている。


 アリス───シスターの女の子はとても優しく、可愛らしい。

 ポンコツが過ぎたり、家事全般が壊滅的な部分を除けば、愛嬌もあって誰にでも優しく、うぶで清らかで、親しみの持てる聖女のような女の子だ。

 それに、ポンコツ具合もシスターの可愛さを引き立てる要因なのだろう。

 村の住人から慕われているところを見れば一目瞭然である。


 そんなシスターだが、最近───


「……今日も朝帰り」


 朝帰りが多くなっている。


 グツグツといった鍋の音を聞きながら、キッチンの窓から外を覗く。

 冷えた風が肌を撫でる冬の一日。日は登り、鶏の鳴く声すら聞こえ、清々しい一日の始まりが訪れていた。

 もう朝食を作り、食べ終えてしまえば朝のお祈りの時間だ。

 それなのに───


「まだ帰ってきてないんだよなぁ……」


 夜遅くに家を出たのは知っている。

 夜道は危ない……そう思うのだが、この村は平和が取り柄と言っていいほど危険がない。

 故に「女の子一人だと危ないよ」と言うのははばかられた。過保護だと言われてしまいそうで。

 それに、俺に黙ってコソコソ教会から抜け出しているくらいだ───俺には知られたくないのだろう。


 牧師として、一人の人間として悩みを聞くのは当然だが、話したくもない相手の話を無理に聞くのは心情に反する。

 だからこそ聞いてこなかったのだが───


「それにしても多すぎる。まさかとは思うが……」


 女の子が朝帰りをする。

 それが意味することなど、ほぼ一つだろう。


「男でもできたかっ!?」


 逢い引き。それしかない。

 好きな男ができて、夜遅くに密会───そのまま、愛を育む。

 一人の女の子が朝に帰ってくるというのは、もはやそれしか考えられなかった。


「シスターも年頃の女の子だもんな……男の一人や二人、本気で好きになってもおかしくはない年齢だ」


 うちの信仰する教会では、シスターであろうが牧師であろうが恋愛においての縛りは存在しない。

 現に、俺がこの教会を継ぐ前の牧師はそこで働くシスターと結婚していた。

 だから決してありえない話じゃない。


(あのシスターに男……男の影も恋も知らなさそうな純粋無垢なシスターが男と……モヤモヤする。いや、別にシスターと恋仲というわけでもないんだし、この感情はお門違いだ)


 シスターとは、同じ孤児院で過ごした仲というだけだ。

 幼少期から共に過ごし、一緒に遊び、二人で教会を継ぐことになって、今は一緒に暮らしている。

 ただそれだけ。恋仲ではなく、それだけなのだが───


 そんな胸の苦しみを覚えていると、不意に教会の裏手のドア───俺達にとっての玄関が開く音が聞こえた。

 俺は手を洗うと、タオルで拭きながら玄関へと向かう。

 すると、玄関にはそろりと忍び足で気づかれないように入ってこようとする……一人の少女の姿があった。


「おかえり、シスター」

「ッ!?」


 声をかけると、少女───シスターの肩が跳ね、恐る恐るといった様子で琥珀色の双眸を向けてきた。

 プラチナブロンドの艶やかな長髪が揺れ、小柄な体躯が小動物のように縮こまる。

 あどけなさが残る端麗で可愛らしい顔立ちに驚きと焦りが滲むと、ゆっくりと首を俺の方へ向けた。


「ナ、ナギト……!?」

「おう、おかえり」

「た、ただいまです……」

「ほら、そろそろ朝食だから早く手と顔を洗ってこいよ」

「そ、そそそそうしますっ!」


 シスターは慌てて靴を脱ぐと、早足で洗面所まで向かった。

 そんなシスターの背中を見て俺は───


(態度があからさま過ぎるんですけどぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?)


 思わず頭を抱えてしまった。


(いや、もうこれって黒じゃね!? シスター、絶対男ができてるって! なんか「やましいことしてました!」みたいな空気しか感じないんだけど!?)


 シスターは嘘がつけない性格だ。

 何か隠し事があれば態度に出るので、昔からシスターの嘘はすぐに見抜けた。

 その度に問いただしてはいたのだが……いかんせん、今回ばかりは直接聞にくい。


「いや、落ち着け……牧師たるもの、疑いをもったまま接するのは相手に失礼だ」


 疑うなら、それらしい証言を聞き、証拠を見つけた時だけだ。

 それに、男ができていようがシスターにとっては部外者の俺には関係のない話。


 しかし、ここで一つ問題がある。

 それは───


「シスターに男、か……やだなぁ」


 俺が、シスターのことを好きだ……ということだ。


 ♦♦♦


「主の恵に感謝を」

「全ての人に感謝を込めて」


 それから、シスターが戻り朝食の準備を終えたところで、俺達は朝食をとっていた。


「むふ〜っ! やっぱりナギトの作るご飯は美味しいですねっ!」


 鶏ガラのスープをすすったシスターが美味しそうな笑顔を浮かべる。

 それを見ただけで、胸の内が温かくなった。


「そんなこと言うが、そんなに凝ったもん作ってはないだろ?」

「違いますよ? 凝っていようが凝っていまいが……ナギトの料理はどれも美味しく感じます。愛情が感じられますっ!」

「……そうかい」


 パンを齧りながら、赤くなった顔を見られないように逸らす。

 こういうことをストレートに言ってくるものだから、本当に困ってしまう。


「ナギトの作った料理を毎日食べられる私は幸せ者ですねっ!」

「俺としては、シスターにも料理を覚えてもらいたいがな」

「……前向きに努力はしてます」

「してねぇだろ。まぁ、俺がご飯を作る時間はだいたいシスターは寝てるしな。朝弱いし」

「ぬぐっ……違いますもん。わ、私はナギトの声じゃないと起きられないだけです」


 シスターは拗ねた様子でそっぽを向いてしまった。


(……こういうことは言ってくれるんだけどなぁ)


 その言葉を聞いてしまえば、シスターが俺のことを好いてくれているのでは? と思ってしまう。


(まぁ、もちろん異性としてではないだろうが……)


 だが、少なくともこんなことを俺に言ってくれるということは、他に男ができたようには感じない。

 もし意図的にやっているのだとすれば、それはそれでシスターの変異にびっくりだ。純粋無垢で心清らかなシスターが男を惑わす魔性の女になってしまったことになる。


(邪推のしすぎか……?)


 単に用事があって朝帰りをしている。

 男の影などなく、逢い引きでもなく……それだけの可能性。


(いや、そうかもしれない……疑うようなことはするもんじゃないな)


 まぁ、男の影があったところで俺は何も言えないのだが。

 自分の中でそう結論づけると、心にのしかかった苦しみが一瞬にして消えた。


「まぁ、最近は朝に帰ってくるし、起こすことも減ったんだが」

「ッ!?」


 シスターの肩がまた跳ねる。


(……ん?)


 その反応を見て、またしても結論づけた思考が再び疑念に変わった。


「……そういえば、いっつも夜に教会を出ているが何をしてるんだ?」

「な、何もしてませんよっ!?」

「いや、何もしてなかったら外に出る必要もないだろ?」

「べ、別にやましいことなんてしてませんっ! 夜じゃないとお仕事でから夜にこっそりと抜け出してわけでもないですからっ!」

「…………」


 シスターは目を彼方に逸らせながら、動揺を隠しきれないまま再び朝食を食べ始める。

 そんな様子を見て───


(もうこれ、絶対に逢い引きじゃん!!!)


 疑念がほぼ確信に変わってしまった。

 どうやら、うちのシスターは逢い引きのために朝帰りをしているらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る