妹はぴえん病?!

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妹はぴえん病?!

 わたくしが生まれ育ったドラール伯爵家にはわたくしセリカと妹アイリがいます。伯爵家にしては裕福な家だと思います。

 柔和な父、微笑みを絶やさず凛とした母。両親にも恵まれ、アルバル侯爵家の次男フォード様という素敵な婚約者までいるのですから何一つ不満はありません。

 いずれは、フォード様がドラール伯爵家に婿入りして継ぐことになるはずです。


 ただ、ひとつだけ懸念があるとすれば……妹アイリこと。


 わたくしより二つ下のアイリは勉強嫌いな上、マナーに疎く、非常に我儘です。幼いころから泣けばなんでも与え、許して貰えると勘違いしている頭の弱い――いえ、可愛い妹なのです……多分。


 適齢期を迎えたアイリにも複数の婚約の打診があり、嫁ぎ先を決めたいと両親も考えているようですが……現状を考えるとどんな家を選んだとしても相手から断られる可能性が高く、お相手を見つけることができません。

 そんな状況に両親も頭が痛いと言わざるを得ないようです。

 少しでも淑女らしくなるよう日々わたくしたち家族は、アイリの行動を諫め、窘め試行錯誤していました。


 そんなある日の午後、公爵家で開かれる夜会のためフォード様から送られた薄紫色のドレスに袖を通しているとひょっこりとアイリが姿を見せました。


「お姉さまのそのドレス、わたくしも欲しいですの!!」

「アイリ、いくら姉妹といえどもノックは必要よ?」

 

 毎度の事ながら開口一番欲しいと訴えるアイリに、何百回目かわからない言葉を送ります。

「ごめんなさい。忘れていましたわ!」と言いながら悪びれた様子もないアイリは「それよりも、そのドレスわたくしも欲しいです!」と再びわたくしに訴えました。


「悪いけれど、ドレスはあげられないの」

「お姉さま、どうしてそんな意地悪を言うの? わたくしの事が嫌いなんですの?」

「いいえ、嫌いだなんて……そんなこと思っていなくてよ」

「ひどいですっ! わたくしの方が見た目が可愛いからって……ぐすっ……ううっ」


 確かに見た目はアイリの方が可愛いけれど、同じ親から生まれた妹を妬むほどわたくしは不出来な姉では無いつもりです。と言うか、何故そこで見た目の話を持ち出すのか……妹の思考回路が全くわかりません。


「見た目云々のことを言っているわけじゃ無いわよ? このドレスはフォード様わたくしの婚約者から送られた物なの。だからアイリ、貴方にあげるわけにはいかないわ」

「お姉さまばかり!! わたくしも婚約者が欲しいです!」


 だから、貴方のその性格を直さないと婚約者がすぐ逃げてしまうのよ……。何かしらいい案はないかしら……困ったわ。


「婚約者が欲しいのなら、まずは勉強を頑張りなさい。マナーの先生がもうすぐ見えるでしょう?」

「お姉さまはそればかり……お姉さまだけ夜会に行くなんて……ひどいですっ」


 何を言っても欲しい、酷いと言うアイリに対し言葉を尽くし伝えるのを諦めたわたくしは、メイドたちに支度を続けるよう告げるとアイリの欲しい、酷い攻撃をただ無言で聞き続けたのです。


 そして、ようやく準備が終わるかと言う頃合いになりお母様がアイリを探して、わたくしの部屋を訪れました。

 部屋を見た途端、またかと言う表情をするとマナーの先生がいらしたとアイリを呼びました。これで解放されると喜んだのも束の間、アイリはお母様の後を追いながら夜会へ行きたいと懇願し始めたのです。

 

 けれど流石に今日の今日でお相手に夜会への参加の了承を得ることはできません。そのことをお母様にこんこんと説明されたアイリは泣く泣く留守番になりました。


 アイリが留守番になったことにほっとしつつ迎えに来てくれたフォード様とアルバル侯爵家の馬車に乗り、会場であるフェスディマ公爵家へ向かいながらアイリについて相談をしてみます。


 フォード様には、婚約直後わたくしに婚約者が出来たことで『わたくしも婚約者が欲しいですぅ~』と泣き喚くアイリの醜態をばっちり見られているため醜聞も何もありません。


「—―と言うわけで、わたくしも両親もどうにかアイリのなき癖だけでも治せたらと思っておりまして……フォード様、何かいい案はありませんか?」

「それはまた困ったものだね。……うーん」


 顎に男性らしい骨ばった手を当て考え込んでいたフォード様が何かを思いついたのか紫紺よりも薄い瞳を輝かせます。


「あ、そう言えば……うん、これなら使えるかも!」


 薄く整った唇から低い男性らしい声でセリカと呼ばれるだけで、鼓動が早くなり一瞬にして顔が熱をもちました。


「もう少し近くに」

「……はぃ」


 数センチでフォード様の身体が触れ合う所まで近づいたわたくしは、そっと耳を傾けます。けれど、お慕いしているフォード様との距離の近さにドキドキと胸が高鳴ってしまい、黒い御髪からのぞき見える魅惑的なうなじに見入ってしまいました。

 ……浮かれかけましたが、今はそんな場合ではありません。冷静に、柑橘系の香りは素敵—―そうじゃないです。きちんとフォード様のお話を聞かなければ!!

 

「—―セリカ、この方法なら妹さんをどうにかできるんじゃないかな?」 


 話の大半を呆然自失状態で無駄にしてしまったわたくしは、どうにかこうにか平静を保ったかのように見せつつ頷きました。


「ですが、場所はどうしましょう?」

「妹さんも自然に参加できる茶会が近々あるだろう?」


 彼の言う茶会が何を指すのか思い至ったわたくしは、ハッと顔を上げます。


「それはもしや……?」

「彼への協力は僕が取り付けておくから安心して? 大丈夫、きっと上手くいくよ」


 くすりと笑ったフォード様は、わたくしの頭を優しく撫でてくださいました。


 アイリの事に気を取られている内に会場へ到着しました。

 夜会で主催はフェスディマ公爵で、嫡男様の婚約披露です。まずは主催の公爵様方にご挨拶を済ませフォード様と踊り、友人たちと楽しく談笑らしきものをしてわたくしは帰宅いたしました。

 

 フォード様の起案した『アイリ矯正ぴえん作戦』は、わたくしの予想通り二週間後に王城で行われるお茶会の席で決行されることになりました。


 今作戦の協力者はフォード様、王太子殿下のアインス様(協力をお願いして参加)、第二王子殿下のジーク様(王太子殿下が巻き込むと言われた)の三人です。


 フォード様のお言葉を借りるならば、アインス殿下にはアインス殿下の企みがあるとのこと。

 それぞれに思惑がありそうな『アイリ矯正ぴえん作戦』ですが、わたくし個人としてはアイリの泣き癖だけでも治ってくれればと言う思いなので気にしないことにします。



 そして、ついにその幕をあけたのです。



 見事な花々が咲き誇る東の庭園は、先代王妃様が愛しただけありとても美しいです。その庭で開かれた茶会は、沢山の菓子が並べられとても素晴らしいものでした。

  

「素敵なお庭ですね」

「あぁ、そうだね……。それにしてもここまで人が多いなんて、アインスは何を考えているんだ……」


 考え込むフォード様の横顔を眺めたわたくしは、楽しそうに周りを見回すアイリを横目に見ました。

 そうして、これから起こるであろうことに気合を入れ直したのです。


 しばらくして会場に王族の方々が姿を見せるとお茶会が始まりました。

流石王族と言うべきでしょう。金の髪に海のように青い瞳をしていらしてとても見目麗しく、高貴な雰囲気が漂っておられます。


 茶会が始まって小一時間ほど経ったころ王太子殿下が第二王子殿下を伴ってわたくし達の元へお顔を出してくださいました。


「フォード、久しいな」

「アルバル侯爵子息か、久しぶりだ」

「これは王太子殿下、第二王子殿下、お久しぶりです」

「ところで、そちらの美しい方々はどなたかな?」


 誰をも魅了する微笑みを湛えた王太子殿下が、わたくしとアイリを見ながらフォード様へと問いかけました。

 

「彼女たちはドラール伯爵家のご息女で、薄紫色のドレスを着ているのが私の婚約者でセリカ嬢。隣の薄い桃色のドレスを着ているのが妹のアイリ嬢です」


 フォード様のお声に合わせて腰を折りご挨拶します。


「ドラール伯爵家が長女、セリカと申します」

「……」


 隣から声が聞こえない事に不安を覚え、アイリを横目に見れば両手を胸の前に組みキラキラした瞳恋したような瞳で第二王子殿下を見つめていました。


「……アイリ、ご挨拶なさい」

「お姉さま、あの方は何というお名前なのですか? わたくし……あの方と結婚したいですわ!」

「はははっ、アイリ嬢は挨拶よりも弟に夢中のようだ」


 ひとしきり声を上げて笑った王太子殿下が、まいったねと言うように肩を竦められると第二王子殿下を促したのです。


「初めまして、僕はジーク。この国の第二王子です。可憐で美しい君の名前を聞いてもいいかな?」


 アイリがひとめ惚れしたらしい第二王子殿下であるジーク様は、王太子殿下よりも甘く微笑みアイリの前に立つと貴公子然とした仕草でご挨拶されました。

 そして、挨拶替わりと言わんばかりにアイリの手を取りちゅっとキスされたのです。初めて淑女らしく扱われたアイリの頬は、見事に熟れたリンゴのように赤く染そまっています。


 わたくしとしてはアイリの恋路を邪魔するつもりはありませんが、第二王子殿下との恋は危険です。


 甘いマスクをした第二王子殿下の女癖の悪さはかなり有名で、平民から貴婦人まで全ていけると言うのですから驚きます。そのおかげで未だ婚約者がいらっしゃらないのでしょうが……。もしかしたら、王太子殿下は第二王子殿下の矯正をするつもりなのかもしれません。


「わ、わ、わたくしはドラール伯爵家のアイリですわ。ジーク様……なんて素敵なお名前なのかしら? もしよろしければ、ジーク様のお部屋で二人でお話—―」


 わたくしは、アイリの言葉が終わる前に言葉を差し込みます。


「—―アイリ。婚約者でもないのに二人っきりはだめよ」

「お姉さまには聞いておりません! わたくしはジーク様に聞いたのです」

「僕は別にい――」

「ジーク様は良いと仰っていますわ!」

 

 第二王子殿下の言葉を遮り、今にも二人で部屋へ行こうとするアイリの腕をわたくしは空いていた左手で掴みました。


「例えジーク様が了承されたとしてもダメなのものはダメなのよ」

「お姉さまの意地悪! わたくしの方が可愛いからってまた嫌がらせですのね!!」

「嫌がらせで言っているわけではないわ。アイリ、聞き分けてちょうだい」

「いやですわ! 痛いから離してくださいませ!!」


 例え話すだけだとしても婚約者でもない淑女が、男性と二人っきりで密室に籠るというのは醜聞が悪いのよ。だから、ダメだと言っているのに何故理解できないの……。


「密室で、婚約者同士でもない二人がただお話しするだけでも、ダメなのよ。わかってちょうだい、アイリ」

「ジーク、それからアイリ嬢、流石に出会ったばかりなのに部屋で二人と言うのは……まずいと思うよ。たとえ運命の出会いだとしてもだ」

「そうだね。私もそれはダメだと言うよ」


 わたくしの言葉を後押しするように王太子殿下とフォード様が、順番に言葉を添えてくださいました。

 それを聞いたアイリは思い通りに行かない事への不満から、瞳を潤ませると顔を覆い隠し「わたくしはただお話したいだけなのに……何故みんなで意地悪するのですか」とぐずり始めてしまったのです。


 アイリの頭を撫で落ち着かせようと一歩足を進めたわたくしの袖をフォード様がツンツンと引っ張りました。これは『アイリ矯正ぴえん作戦』を始めると言う合図です。

 ドキドキと流行る鼓動を感じながら王太子殿下とフォード様を振り返り、お二人の瞳を見つめ了承の意味合いを込め頷きました。


 先陣を切ったのは王太子殿下です。


「アイリ嬢、君……まさか、、じゃ……ないよね?」


 目を見開き驚いたような表情で口元を手で隠し、アイリを見つめ「嘘だろう……」と呟くとふらりと一歩下がられます。

 迫真の演技を披露した王太子殿下の身体を、フォード様が手を差し出し支えると困惑した表情で王太子殿下へ問いかけました。


「アインス、ぴえん病って??」 

「……ぴえん病と言うのは、この国がまだ建つ前に流行ったと言われる伝染病で、粘膜感染すると言う。更にぴえん病が進行すると肌の色が黄色くなり、眉が垂れ下がり、瞳は常に潤み続け、顔は丸くなる。到底人とは思えぬ悍ましい姿になるそうだ」

「それは本当なのか?」

「あぁ、フォード。私もにわかには信じられなかったが、この目でその劣悪な姿絵を目にしている。アイリ嬢がいつ発症したのかは判らないが、とにかく急いで隔離すべきだ!! ジーク! お前も彼女に触れていたな? お前もまずいかもしれないぞ!」


 王太子殿下の声が思ったよりも大きかったせいか、周囲の皆さんも顔を引きつらせ二歩、三歩と周囲から遠ざかっていきます。

 

 そんな迫真の演技にわたくしは、ほとほと感心しておりました。

 流石は王太子殿下です。何をやらせてもうまくこなす方だとはフォード様から聞いていましたけど、非常に迫真に迫った演技です。ですけど……まさか、そこまで大げさな設定なのはわたくし聞いておりませんが?


「わたくしをか、隔離ですって?!」

「ぴ、ぴえん病? あ、兄上、ぼ、僕はどうしたらいいの?」


 二人の声に我に返ったわたくしは、慌てて王太子殿下の話に乗ります。


「あ、アイリがぴえん病なんて病にかかっているというのですか? そんなどうしましょう?」 

「セリカ、落ち着いて……」

「で、でも……アイリが、病にかかっているだなんて……わたくしどうしたら?」

「お、お姉さま――」


 ふらふらとわたくしへ歩み寄るアイリから庇うようにフォード様が、わたくしの前に立ちました。


「アイリ嬢、すまないがこれ以上セリカには近づかないでくれ」

「そ、そんな!! わたくしが、何をしたと仰るのですか? お姉さま……助けて下さい!」


 フォード様に止められたにも拘わらずアイリは歩を進めます。そんなアイリからわたくしを守るように抱き寄せたフォード様が、アイリをきつく睨みつけると残酷な言葉を吐きつけました。


「君は幼いころからずっと泣くことでセリカから色々な物を奪ってきた。それもこれも全てぴえん病のせいじゃないのか? もし、今君がセリカに近づいて、セリカまでぴえん病になってしまったら……。私は、君を生涯許さない!!」

「そんなっ! わたくしはぴえん病などではありません! そうですよね? お姉さま」


 必死にわたくしに訴えてくるアイリから眼を逸らし、わたくしはのろのろと左右に頭を振りました。そして、王太子殿下へ視線を向け問いかけたのです。

 

「王太子殿下、ぴえん病と言う病は、何でもない事で泣いたり、自分の思い通りにならない事があれば泣き喚いたり、幻想を吐いたりいたしますか?」


 わたくしの言葉に思案顔を見せた王太子殿下がしばしの沈黙の後「確か、文献には今、セリカ嬢が言ったような内容が書かれていた」と答えられたのです。


「……っ!! そんな……では、アイリは……」


 と言いながらわたくしは、嗚咽をこらえているかのように口元に手を当て、ふらりと崩れ落ちてみせました。

 慌ててフォード様がわたくしの傍に片膝をつき「セリカ!!」と声をかけてくださいます。


 わたくしに見放されたと思ったアイリは、ついに本音を吐露しました。


「……ち、違うわ!! わたくしのは、ただの泣きまねだもの! ぴえん病なんかじゃないわ! 子供のころから何でもできるお姉さまが、羨ましかった! 愛する人がいて、その人が婚約者で……。わたくしには何もないんだもの……。勉強だって、ピアノだって、愛する人だって、お父様もお母様も、いつも相談するのはお姉さまで、家族なのにわたくしだけ除け者だったんだもの。だからっ、だからっ」


 ただ寂しいと言えないアイリは、わたくしの物を欲しがることで寂しいのだと気づいて欲しかっただけで構って欲しかったようでした。

 ボロボロと涙を流すアイリの様子はまるで幼子のようで、わたくしは堪らずアイリに駆け寄るとぎゅっと彼女を抱きしめたのです。

 

「……アイリ、ごめんなさい。あなたに寂しい思いをさせていたのね」

「お、おねえ‶ざまぁ。ごめんなざいぃ」

「いいのよ。もういいの」

「……うわぁぁん」


 ぎゅっとわたくしのドレスを握ったアイリは、胸に顔を埋めてわんわんと泣いたのでした。



 そのお茶会を境にアイリは、見るからに変わりました。

 これまでわたくしから奪った――ではなくて、本人曰く借りていた物を全て返却してきたのを皮切りに、我儘は減り、泣くこともなくなりました。

 勉強はいまだに苦手なようですが、一生懸命に頑張っています。

 そうそう、アイリにも婚約者ができたんですよ。そのお相手は――。

 

<終>

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