幻覚は喋らない

朝霧

私が覚えてないから幻覚は喋らない

 ソレに気付いたのは、各駅電車が乗り換えの駅について降りようとした直前だった。

 駅に着くまで寝ていたのでそれまで全く気付かなかったのだけど、隣に中高生の頃の推し元カレがいた。

 しかし寝ぼけていたのと降りるために少し慌てていたのもあってその時は見間違いか気のせいだと切り捨てた。

 実際本物だったとしてももう私には関係ないので至極どうでもいい。

 そう思いながら急ぎ足で電車を降りて、次の電車に乗るべく早足で移動した。

 そうして次の電車に駆け込むように乗り込んで、一つだけ開いていた席に座り込む。

 目的地まで長く乗らなければいけないのはわかっていたので、一眠りする前にSNSの確認をしようとスマホを見た。

 その時に何か違和感を持って、自分の前に立つ誰かの顔を見上げた。

 元推しが私の顔をじーっと見ていた。

 流石にたじろいだ。

 しかし、ただ見ているだけでそれ以外は何もないので無視することにした。

 本当に見ているだけでそれ以外には何もなかったので、SNSの確認を終えた私は目的地に着くまで寝ることにした。


 スマホの振動で目を覚ます、乗り換えの時に寝過ごしかけたのを反省して、目的の駅に着く2分前にアラームをかけていたのだ。

 アラームを止めてから目を開く、ぼーっとしていたら駅のアナウンスが入った。

 そろそろ本格的に眠気を飛ばそうと顔を上げて、それと同時に自分の前に立つ誰かの顔を見上げる。

 知らないおっさんが立っていた。

 元推しは私が寝ている間に降りたらしい。

 まあ別にどうでもいいかと思う、もう無関係なので。

 左側から視線を感じたので反射的にそちらを見た。

 元推しが自分の隣に座っていた。

 降りたんじゃなくて隣が空いたからそこに座っていた、ということだったらしい。

 元推しは、やっぱり何も言わずに私を見ている。

 実はずっとイヤホンで音楽を聴いているので本当は何かをこちらに訴えかけていたのではとも一瞬だけ思ったけど、口どころか表情が動いていた覚えもない。

 故に元推しは何も言わず何もせず、表情一つ変えずにただただ私を見ているだけであるようだ。

 流石に気味が悪い。

 そう思った直後に電車が目的の駅のホームに到着したので、私は何も言わずに素早く立ち上がって電車を降りた。

 元推しがどうしたのかは確認しなかった。

 改札を出た後に気になって後ろを見てみたら、元推しが二歩分くらいの距離を開けてついてきていた。

 こわいよ。


 時刻は九時前だった、少し喉が渇いたので自販機でオレンジジュースを買って、三分の一ほど飲んだ。

 飲んでるうちにどっかいけばいいなと思っていたけど、元推しは相変わらず私から二歩くらい離れた場所に立っている。

 どうにかして振り切った方がいいだろうか、そういえばこの辺に自転車のレンタル屋があったからそこで自転車を借りて逃げようか、とも思ったけど、お金がもったいないのとなんか事故りそうな予感がしたのでやめておくことにする。

 なので仕方がないので目的地に徒歩で向かうことにした。

 元推しはやっぱり何も追わずに私の後を追ってきた。


 本日の目的地その一である水族館に辿り着いた。

 元推しは相変わらず後ろにいるようだったが、完全に無視してチケットを購入し、中に入る。

 水槽の中を泳ぐいわしやらエイやらを見ているのに夢中になっていたのでしばらく気付かなかったが、元推しは普通についてきていた。

 ガラスにうつっている元推しの顔を一瞬だけ睨んで、まあどうでもいいかとガラスの先の魚達に視線を移す。

 イワシが集団でぐるぐる回っているのを見ていると少し眠たくなってきた。

 少し離れたところで子供がはしゃぎ声をあげている、その声が耳に障ったので私は無言でイヤホンの音量を上げた。

 こういうところは一人で静かに見て回るのが一番面白いのだけど、こういう場所にはどうしたって喧しく騒ぎ立てる子連れが多い。

 ただの子連れならまだマシで、ひどい時には遠足に来た子供達の大群にかち合うこともある、というか普通にかち合う確率の方が高い。

 今日はまだ遠足軍団はいないようだけど、平日の午前中なので多分そのうちかち合うだろう。

 それならまだ静かなうちに次の水槽に向かおうと歩き出して、立ち止まる。

 振り返ると二歩分離れたところにまだ元推しが立っていた。

 流石にいやになったので、イヤホンを片方だけ外してから一言。

「鬱陶しいからついてこないでくれる?」

 しかし返答は何も返ってこなかった。

 口を動かすどころか表情すら変えずに、元推しは死んだ魚みたいな目でただ私の顔を見る。

 いっそ笑い飛ばしたくなるような見事な無視っぷりに、どうしたものかと考える。

 こいつ、昔はこんなじゃなかった覚えがあるんだけど、なんで今日はこんな感じなの?

 昔はもっとハキハキとものを言う明るめの不良少年だったのに。

 なんで今日はこんなお人形さんみたいなんだろうか。

「ねえ、聞いてるの? どっか行って、ついてこないで。ほんと、鬱陶しいので」

 再度訴えかけてみるけど、やはり反応はない。

 耳がイカれてんのかと思ってスマホに『ついてくんな、どっか行け』と打ち込んで見せてみたけど、やっぱり無反応。

「あのさあ」

 一歩近寄ってみると、同じだけ距離を取られた。

 一歩後ろに下がってみると、同じだけ距離を詰められた。

 ぐぬぬ、と表情を一切変えない元推しを睨んでいたら視線を感じたのでそちらを見ると、スーツを着た若い男の二人組が私を見ていた。

 思わず睨むと二人組は『厄介者には関わりたくねぇ』って顔で逃げていった。

 まずい、結構やばい奴判定されてるな、今の私。

 全部こいつのせいだと元推しの顔を睨みあげる。

 何故何も言わない? 何故何も言わないのについてくる?

 その時ふと二ヶ月前に店に来た客のことを思い出した。

『ずっとついてくるんです、ずっとずっとずっと、一年前に死んだ妹が、そこに、ほら、そこに!!』

 そう泣き叫んだ客はその『妹』のことを悪霊か何かだと思ってオカルティックな雑貨を扱っているという触れ込みのうちの店にきたらしいが、その客には幽霊の類は憑いていなかった。

 じゃあ『妹』はいったいなんなのかというと、その妹を死に追いやったと思い込んでいた客が見ているただの幻覚・・だったのだ。

「……ああ、あの客の『妹』と同じくお前も幻覚か……そりゃあそうだ、お前の声なんてもうとっくに忘れてる……だから喋らない、ってわけ」

 人は声から忘れていくという。

 実際、元推しの声を思い出そうとしたけど、びっくりするほど思い出せなかった。

 幻覚を見せるほど拗らせているつもりはなかったのだけど、それでも私みたいなキモオタの陰キャが、オタクを無理矢理卒業して持ってた漫画も本も全部売っ払ってデート資金にあてるほど嵌まり込んでいた男なのだ。

 振られた直後はそりゃあショックだった、しかも向こうから告白してきたというのにその告白すら罰ゲームで仕方なくだっという酷い話まで聞かされた。

 思い出したら腹が立ってきたが、そんなクソ男の幻覚に気を取られて今日という一日を台無しにするのは非常に勿体ない。

 それにどうせ幻覚なのだ、無視していれば実害はない。

 喋り続けるタイプの幻覚だったら喧しくて気が散っただろうけど、幸い喋らずただあとをついてくるだけだし。

 なら気にせず無視し続ければいい、意識しないようにすれば多分そのうち消える気がする。

 そう思った私は心機一転させ、一人楽しく水族館をエンジョイすることにした。

 一番好きなクラゲコーナーに1時間近く居座ったり、サメの水槽の前でサメ映画について思いを馳せたり、毎回今回はいいかと思いつつ結局見てしまうクラゲショーやイルカショーを楽しんだり、ぼーっと海亀を眺めたりした。

 満足した頃には十二時を回っていた、そろそろお腹空いたなと思いつつ私は水族館を後にした。

 元推しの幻覚は当然のようについてきた、さっさと消えてくれないだろうか。


 もう一つの目的地である展望台に向かう道中にある仲見世通りで今日は何を食べようかと思い悩む。

 展望台がある植物園内にあるフレンチトースト屋のフレンチトーストも食べたいけど、ちょっと遅い時間なのでいつもどおりちょいちょい買い食いしていくことにした。

 まずは名物のタコ煎餅屋に並ぶ、プレス機でタコ一匹を煎餅生地ごと豪快に押しつぶしてペラッペラにしたそれはいつも通り美味しかった。

 次にここに来ると必ずと言っていいほど買うしらすパンを買う、カリッと揚げられたもちもちのパンの中にしらすとチーズが詰め込まれたそれは、いつも通り美味しかった。

 ソフトクリームを買うかどうか迷って、今回はやめておくことにした。

 そんな風に食べ歩きをしているうちに仲見世通りを抜けた、すぐ近くに展望台への近道になる有料のエスカレーターがあるので毎回迷うのだけど、今回もやっぱり徒歩で登ることにする。

 展望台に向かう途中に神社があるのだけど、そこはほとんど素通りする、確か恋愛成就の神社だったはずなので今の私には関係ないし。

 えっちらおっちら階段を登って、ついに登りきる。

 ふう、と一息ついて後ろを見るとそこには変わらず元推しの幻覚が存在していた。

 まだ視えている自分の頭のどうしようもなさに思わず苦笑した。


 チケットを買って植物園の中へ、ふらっと植物園を一周して、本日の目的地その二である展望台に足を踏み入れる。

 エレベーターに乗って展望台の上階へ。

 そこからさらに階段を上って屋外の展望フロアへ。

 見晴らしは最高だった、平日なので人も思っていたよりもいない。

 今日はよく晴れた日なので、空の青と海の青がよく映える。

 冷たい風が吹きっぱなしだけど、日差しが暖かなので心地いい。

 大きく息を吸ってから、展望フロアをぐるりと一周回る。

 適当なところで立ち止まって海を眺める。

 風が気持ちいい、暖かな陽光のせいで少し眠たくなってきた。

 あ、とんびが飛んでる。

 一時間くらいぼーっと心地いい風と陽光に浸って、さてそろそろ帰るかと視線を海から逸らした。

 元推しの幻覚はまだそこにいた、ここまでリラックスして完全に忘れてたくせにまだそんなものが見える自分のどうしようもなさに笑い声を立てそうになったけど、確実に不審者扱いされるので押さえた。

 展望フロアからは地上に降りられる階段があるので、そちらに向かう。

 なんか小さな悲鳴っぽいものが聞こえた気がしたけど、多分気のせいだろう。

 高所恐怖症の人だったら絶対無理なんだろうなって感じの階段を景色を楽しみつつゆっくり降りる。

 真ん中くらいまで降りたところで後ろから喚き声が聞こえたので振り返ってみたら、少し離れたところでなんとなく見覚えのあるスーツの男の二人組のうちの一人が半泣きでもう一人の男にしがみついていた。

 なんなんだろうか、片方が高所恐怖症のホモップルなんだろうかと失礼なことを思いつつ、あんまり見ているのもかわいそうなので前を向いた。

 展望台の足元にある土産物屋で職場への土産を適当に選んで、私は帰ることにした。

 浜辺にも寄って行こうかと思ったけど、今寄ると満足するまでその場に留まりそうだし、きっとその頃には日が完全に落ちてる。

 だから海はまた今度、と思いつつ先ほどえっちらおっちら登った階段を降りて、途中で発見した猫ちゃんに後ろ足を引っ張られつつ、駅に向かった。


 帰りの電車に乗っても元推しの幻覚は消えなかった。

 当然のように私の隣に座って、私の顔をじーっと見つめている。

 しかしどうせ幻覚なので気にはしない。

 スマホで乗り換えの駅に着く時間を調べて、SNS類を確認した後、アラームを設定して私は寝た。

 アラームに起こされて電車を乗り換える、またしても座れたのでもう一回アラームを設定して居眠りを。

 アラームに起こされて電車を降りる、駅の近くにあるコンビニでミートソーススパゲティとチョコレートケーキを買って家に帰る。

 元推しの幻覚はまだ着いてきていた。

 自宅であるアパートの部屋の前にたどり着く、後ろにはまだ幻覚が。

 ドアを開けて、すぐに閉める。

 元推しの幻覚はぬるりと当然のように部屋の中まで入ってきた。

「幻覚だしなー、仕方ないかあ……」

 溜息を吐く、何日か経っても消えなかったら精神科にでも行こうと思う。

 その後は風呂に入って、コンビニで買ったスパゲティとチョコレートケーキを食べた。

 色々と片付けと明日の準備を終わらせてから、ベッドに潜り込んでゲームを始める。

「…………」

 元推しの幻覚はベッドの横に立って私の顔をじいっと見ていた。

 風呂場とトイレに行った時には消えたのでよっしゃあと思ってたけど、結局消えてはくれなかった。

 何時間かゲームをやった後、私は寝ることにした。

 照明を消すかどうか迷ったけど、いつも通り消すことに。

 幻覚は照明を消す直前までそこにいた、起きたらきれいさっぱり消えているといいなと思いつつ、目を閉じた。


 喧しいアラームの音に目を覚ます、もう朝になってしまったらしい。

 大欠伸をしてカーテンを開ける、眩しい陽光のせいで少し目が痛かった。

 ふと視線を感じてそちらを見ると、元推しが。

 悲鳴を上げかけたがなんとか飲み込んだ、まだ視えるのか。

 視えてしまうのは仕方がないので華麗に無視して朝食を食べるために布団から抜け出した。

 いつも通り朝食をとって、準備を終えた私は職場に向かうべく家を出た。

 昨日買った土産のクッキーを忘れかけたけど、それと未だに視え続ける幻覚以外に特に問題は起こらなかった。

 足早に職場に向かっていたら、職場の先輩に偶然会った。

「あ。おはようございます」

「おはよー。昨日は楽しかった?」

「はい」

 なんて談笑をしつつ職場に向かっていたら、ふと先輩が立ち止まって振り返る。

「どうかしました?」

「うん…………あの、何か御用ですか」

 先輩はそんなことを言いながら、元推しの幻覚の前に立ち塞がった。

「気のせいかと思ったけど……さっきからずっとこの子のあとをつけてますよね?」

「え? 先輩なんで私の幻覚見えてるんです?」

「は?」

「えっと?」

 先輩と顔を見合わせる、その間も元推しは何も言わない。

「えっと……先輩にも視えてるってことは、アレって私の幻覚じゃなくて幽霊的な何か? え? あいつ死んだの? いや別にどうでもいいけど……」

「は? 普通に生身の人間でしょアレ」

「え?」

 大体なんで幻覚だと思ったのよと聞かれたので、かいつまんで説明する。

「……なるほど、それで幻覚だと…………この、お馬鹿!! どっからどう見ても普通に現実に存在している生身の人間でしょ!! 完っ全に不審者!! なんでさっさと通報しないのよ!! なんで誰にも相談せず幻覚だなんて早合点するのよ!! この馬鹿!!」

「え、でもだって本当に何も言いませんし、ただ着いてくるだけだし……相談しようにもそんな人いなかったですし……え? 待って?? じゃあこいつなんなの? ガチの不審者?」

 私そんな不審者と昨日丸一日一緒に観光してたの? それでもって普通に家にあげてたの?

 完璧に幻覚だと思ってたから普通に無防備に寝たし、朝も普通に目の前で着替えとかしちゃったんですが?

 は??????

 じりじりと後退る、元推しの不審者は何も言わずに同じだけど距離を詰めてくる。

「ぎゃあああああああああああああ!!!!!!!!」

 私は絶叫を上げてその場から逃げ出した。

 走りながら振り返ると、元推しが無言かつ無表情で追ってきていた。

「あああああああぁぁあ!! 先輩、ケーサツ呼んでくださいぃぃいい!!」

 悲鳴まじりに叫んだら、視界が涙で歪んだ。

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